第12話 名前

 森の中に小川がさらさらと流れている。

 透き通った川面にいくつかの魚の影が泳いでいた。

 

 すると突然。

 魚がいる辺りの川面が、ぐわりと盛り上がった。

 盛り上がった水面がそのまま一瞬だけ柱となって、その勢いで魚が宙に飛び出した。

 そして宙を舞った魚は、川岸の岩の上に落ちた。

 3匹の魚が、陽に照らされた岩の上で跳ねていた。


 「今のは、水属性の魔法です」


 川辺に立ったヒミコが、隣にいるオランに説明した。


 「魔法というのはその性質によって8種類の属性に分けられています。中でも基本的な魔法とされているのは、すいふうくうの5属性です」

 

 「そんなにあるんだ」

 

 オランが言うと、ヒミコはこくりと頷いた。

 

 「基本の5属性から説明しましょう。

 まず地属性の魔法は、砂や泥、岩石など大地に関わる魔法です。

 オランさんが話していた土の手は、地属性の魔法とみて間違い無いと思います」


オランは昨日、砂浜から生えて来て自分の身体を掴んだ土の手を思い出した。

 今、冷静になって考えてみると、あれはきっと長老の技だったのだろうと思った。


 「水属性は、文字通り水に関わる魔法です。先程のように水を操作したり、無から水を創り出したりします。川や湖、海、それに雨の日など、自然の水のエネルギーに満ちている場所でより威力が高まります」

 

 なるほど、とオランは思った。

 

 「火属性の魔法は、炎の操作と創生を。風属性は風の操作と創生をする魔法です。

 そして空属性くうぞくせい。これは念力とも呼ばれます。念力というのは……」


 ヒミコはそう言うと、岩の上で跳ねている魚をじっと見つめた。

 ヒミコの黒い瞳から、硬い気配が発せられた。

 直後ヒミコは、右手の人差し指を、くいっと上に鉤状に曲げた。

 すると。

 突然、岩の上で跳ねていた1匹の魚が、ひとりでに宙に浮き出した。

 空中で、見えない手に掴まれているかのように、びくびくと痙攣しているように動いていた。


 「!」

 

 その光景を見たオランの眼が、丸く見開かれた。

 あれは……。

 昨日、僕が、ピンキーにやった技……?


 「見た物体や生物を、物理的に触れずに、頭の中でイメージした通りに動かす魔法です」


 「……」

 

 オランのこめかみから、一雫の汗が伝い落ちた。

 今、宙に浮いている魚と、宙に浮いていたピンキーの姿が重なった。

 あの時、無我夢中だった自分は、怒りに任せて頭の中にピンキーの身体の破壊を思い描いたという事だ。

 両腕と両脚、そして首の関節がへし折れるピンキーの姿を。

 そんな。

 僕は……。

 なんて残酷なんだろう。


 「いま私は、あの魚を手で掴んでいるイメージを持っています。だからあの魚は、見えない手に掴まれているかのような動きをしているのです。なのでこんな事も出来ます」


 そう言うとヒミコは、鉤状に曲がっている人差し指と親指をくっつけた。

 人差し指と親指をスライドさせて、ぱちんと音を鳴らした。

 その瞬間。


 ぶちゅ。

 という音と共に、空中の魚がひとりでに押し潰された。

 その直後、べちゃりと岩の上に落ちた。


 「ひっ!」


 オランは悲鳴に似た声を上げた。

 潰れた魚の無残な姿を見て、頭の中に潰れたピンキーの身体を想像してしまった。

 オランの呼吸が早くなっていた。


 「今、私はあの魚を握り潰すイメージをしました。それが実際の現象に反映されたのです」


 「……っ」

 

 オランは胸を抑えて肩で息をしていた。

 涙が溢れて来そうだった。

 凄まじい恐怖がオランの身体を包んでいた。

 

 「今のは魚だから少ない魔力で出来ましたが、対象がもっと重くなったり硬くなったりすると魔力の消費量が上がります。更には肉体や精神の強い者が激しく抵抗した場合の消費魔力は半端ではなくて……オランさん?」

 

 オランの様子に気付いたヒミコが、話している途中で声を掛けた。

 

 「ご、ごめん。僕、昨日……土の手に捕まっている時に……島の仲間を、その技で、殺そうとしたの」

 

 オランの眼から、涙が溢れ出した。

 

 「……そうだったのですね。その方は死んだのですか?」

 

 ヒミコは表情を曇らせながら聞いた。

  

 「ううん。首の骨が折れる寸前で、地面に落ちたから死んではいなかった。でも、両腕と両脚が、変な方向に曲がってた」

 

 オランの身体が、小刻みに震え出した。

 するとヒミコは、膝を曲げてしゃがみ、視線をオランと同じ高さにした。

 そして、オランの身体を優しく抱き締めた。

  

 「うぅっ」

 

 そのままの姿勢で、更にオランの眼から涙が溢れ出て来た。

 怖かった。

 そして、悲しかった。

 自分が自分の意思でピンキーを殺そうとしてしまった事が、たまらなく恐ろしかった。

 

 「オランさんもその時は必死だったのでしょう? 自分に何が起きたのか訳も分からない状態で、島の方々から激しく非難されて」

 

 「う……ひっく」

 

 答える代わりに、オランは嗚咽した。

 今思い返すと、砂浜で目覚めた時の、あの非難轟々も悲しかった。

 

 「更にその状況で、お母さんに危害を加えるとも受け取れる事を言われたのでしょう。そんなの、怒りに身を任せてしまっても仕方ないですよ。

 それに、オランさんの話を聞いた限りでは、その島にはかなり魔法の優秀な方もいるようです。オランさんが怪我させてしまった方は、きっと治癒魔法で治っていると思いますよ」

 

 言いながら、ヒミコはオランの後頭部を優しく撫でていた。

 

 「うぅっ。うっ」

 

 ピンキーの怪我が治っていて欲しい。

 治っているはずだ。

 きっと、アミダか長老が治してくれている。

 オランは嗚咽しながら思った。

 ヒミコは、そのままの姿勢で震えるオランを抱き締め続けていた。

 自分の身体を優しく包むヒミコの体温が、オランにはとても暖かく感じられた。

 

 数分後。

 

 「僕、魔法なんか使えない方が良いと思う」

 

 泣き止んだオランが、未だに自分を抱き締めているヒミコに言った。

 

 「どうしてですか?」

 

 オランの肩に顎先を乗せているヒミコが、微笑みを浮かべながら聞いた。

 

 「だって、また誰かを怪我させちゃう」

 

 「大丈夫ですよ」

 

 「?」

  

 ヒミコは肩に乗せていた顔を離して、オランの顔を真っ直ぐに見ながら言った。

 

 「昨日、オランさんが発揮した魔法力は、マイケ=ムーンウォーカーの力でしょう。急激な感情の昂ぶりに、オランさんの中に宿るムーンウォーカーの力が呼応したのだと思われます。

 そうだとすれば、オランさん自身の魔法力を高めておけば、再びムーンウォーカーの力が暴走しそうになった時に制御出来る可能性が高いと思います。

 オランさんが、自分の意思でムーンウォーカーの力を抑え込むのです」

 

 「…….」

 

 オランはマイケ=ムーンウォーカーの顔を思い浮かべた。

 夢で、一度だけ見たあの青い髪の男のはずだ。

 余裕に満ちた表情と青い瞳。

 自信に溢れた声。

 ……。

 ……無理だ。

 あんな凄そうな魔法使いの力なんて制御出来るわけがない。

 

 オランの暗い表情に構わず、ヒミコは続けた。


 「オランさんは今、自分の精神や肉体を遥かに凌駕する武器を持っている状態です。感情が昂ぶる度ににその武器を解き放ち、その後、罪悪感に押し潰されるなんて事を繰り返していたら、いずれオランさんが壊れてしまいます」

 

 「……」

 

 「マイケ=ムーンウォーカーの魔法だけではありません。レッド=モルドレッドの力もそうです。

 オランさんの眼が赤くなっている時は、オランさんの精神もモルドレッドの性格に影響されて変化している可能性が高いです」

 

 「……変化?」

 

 オランは、不安そうな眼をしてヒミコを見た。

 

 「はい。普段のオランさんは、とても誰かに暴力を振るえるような性格では無いですよね」

 

 「……」

 

 「でも、昨日、ラプトルの魔物を殴ったり蹴ったりしている時、どんな気分でした?」

  

 「え……」

 

 オランはどきりとした。

 

 「わ、分かんない。必死だったから……」

 

 言いながら、考えた。

 思い出してみた。

 あの時。

 自分の拳が、相手の鼻先にめり込む感触をはっきりと覚えている。

 相手の喉を蹴り抜いた時の、相手の苦しそうな様子も覚えている。

 相手の頭を、何度も踏み付けた時の感触も。

 あの時……。

 僕は、どんな気分だった……?

 

 「……」

 

 「悪くない気分だったのではありませんか?」

 

 オランの身体が再び震え出した。

 自分の拳が、禍々しい凶器に見えた。

 

 「オランさんを責めている訳ではありません」

 

 ヒミコがはっきりと言った。

 

 「モルドレッドは非常に好戦的な性格をしていたことで有名です。

 そういう類の者は、相手をぶちのめしたり、また相手から攻撃を受けたり、命のやり取り等の戦闘行為が愉しくて仕方ないのです。 

 昨日、オランさんが容赦の無い暴力を振るう事が出来たのは、モルドレッドの性格がオランさんの心に干渉した為だと思います」

 

 「……そう、なの?」

 

 「生まれたばかりの小さい頃に、魔物を見ると眼を赤く光らせて襲い掛かっていたのも、オランさん本来の本能では無く、モルドレッドの性格が現れていたのだと思います」

 

 「……」

 

 「そもそもムーンウォーカーもモルドレッドも、魔物をこの世から駆逐するという信念を持って旅をしていたのです。そんな彼等の力が発現した時に、オランさんの性格に変化が起きて魔物に対し攻撃的になるのは当然と言えます」

 

 「……」

 

 「なので、オランさんは何も悪くないのです。自分を責める必要はありません」

 

 「……」

 

 「もしもオランさんが、ムーンウォーカーやモルドレッドの力を完全に制御し、好きな時にその力を引き出せたりする事が出来れば、それはオランさん自身や大切な者を守れる非常に強力な力となります」

 

 「!」

 

 僅かに、オランの眼が見開かれた。

 急に、ジョースの声が頭によぎった。

 

 〜〜〜(君のその力は、君や大切な者を守る為にあるんだよ)〜〜〜

 

 オランの内部に、陽射しが差したように明るさが灯り始めた。

 そうか。

 確かにそうかも知れない。

 びくびくしていてもしょうがない。

 この力を、抑えられるようにならないと。

 

 オランが、真っ直ぐにヒミコを見つめた。

 先ほどまでの暗い表情が、明るくなっていた。

 その変化に、ヒミコは気付いて微笑みを浮かべた。

 

 「オランさん自身の魔法力が向上すれば、ムーンウォーカー達の力を制御出来る可能性は大いにあります。そうでなくても、魔法力は鍛えておいて損はありめせん」

 

 「うん。魔法を教えて、ヒミコ」

 

 「はい」

 

 ヒミコはにこりと笑った。

 真珠のような白い歯並びが、陽光を反射してきらりと光った。

 

 「では続きから説明しますね」

 

 「うん」

 

 「魔法の属性は、地、水、火、風、空の5種に、さらに氷雪ひょうせつ、治癒、特殊魔法を加えた合計8種類に分類されているんです」

 

 「ふぅん」

 

 「なぜ地、水、火、風、空が基本なのかと言うと、その5属性は魔力さえあれば訓練によって誰でも扱う事が出来る魔法だからです。魔力というは、魔法を使う為のエネルギーです。体力のようなものですね」


 「なるほど。ヒョウセツと治癒と特殊魔法は誰でも使えるわけでは無いんだね?」


 「その通りです」

 

 「ヒョウセツってなに?」

 

 「雪と氷の事です。そっか。オランさんは南の島で育ったから、雪や氷は見た事ないですよね」

 

 「うん。それはどんなもの?」

 

 「これです」

 

 そう言って、ヒミコは右の掌を上に向けて念じた。

 すると、掌の上に、小石のような大きさの氷の塊が創り出された。

 その氷の周囲を、僅かな量の白い雪が渦を描きながら舞っていた。

 

 「わぁ」

 

 初めて見る氷に、オランの瞳は好奇心の光で輝いていた。

 

 「触ってみてください」


 そう言って、ヒミコは手を差し出した。

 オランは氷を摘んでみた。

 

 「わっ! 冷たっ!」

 

 驚いて、オランは氷を地面に落としてしまった。

 

 「ふふ」

 

 その様子を見て、ヒミコは微笑んだ。

 

 「それが氷と言って、水が凍って固形化したものです。その白い粉のようなものを雪と言います。寒い地域では、空からそれが雨のように降って来ます」

 

 「へぇ〜! 水がコーッテってなに?」

 

 「凍るというのは」

 

 そう言うと、ヒミコは岩の上に置かれた魚を見た。

 右手の人差し指を、少し動かした。

 すると、1匹の魚が宙に浮き始め、そのまま空中を移動して来た。

 ヒミコは左手でその魚を掴んだ。

 

 「今から、氷雪魔法でこの魚を凍らせますね」

 

 そう言うと、ヒミコの黒い髪が一瞬ふわりと浮き上がった。

 次の瞬間。

 ピシィ、という鋭い音が鳴ると同時に、ヒミコの左手の中の魚が凍り付いた。

 

 「この状態を、凍っていると言うんです」

 

 言いながら、ヒミコは凍った魚をオランに差し出した。

 オランは手を伸ばして魚を持った。

 

 「うわっ! 冷たい!」

 

 今度は落とさなかった。

 代わりに、近くの石の上にその魚を置いた。


 「肉や魚は凍っていると腐らないので、凍らせて保存したり出来るんですよ」

 

 「へぇ〜!」

  

 オランはさっき落とした氷を拾い上げた。

 陽光で、氷が溶け始めていた。

 

 「氷や雪は、熱に弱いですからね。基本的には放置しておけばすぐに溶けてしまうんです」

 

 「ふ〜ん! 不思議なものがあるんだね」

  

 「ふふ。そうですね。オランさんのように、暖かい地域に住んでいた者は、氷雪の魔法が一切使えない事が多いです。逆に、寒い地域に住む者はほぼ例外無く氷雪の魔法が使えます」

 

 「ヒミコは寒いところに住んでいたの?」

 

 「いえ、私は季節が巡る場所に住んでいました。南の島のように暑い時期もあれば、極寒の時期もあったんです」

 

 「ふ〜ん。そんな所もあるんだね」


 「はい。まぁ、説明を続けましょう。氷雪と治癒はそれぞれ素質を持つ者でなければ通常は使う事は出来ないんです」

 

 「素質?」

 

 「はい。使う為の条件とも言えます。氷雪は生まれ育った環境。治癒魔法は慈愛の心です。どんなに魔法が得意でも、慈愛の心を持たない者は治癒魔法は使えません。

 そしてオランさんのように温暖な所に住んでいる者が氷雪魔法を取得したい場合は、寒い地域に実際に住んで雪や氷を身近な物と認識する必要があります。習得の期間は個人差があります。数秒間、雪や氷に触れただけで扱えるようになる者もいれば、何年か過ごさないと習得出来ない者もいます。

 まぁ、特別な儀式や何らかの条件を満たす事によって使えるようになる事もありますけどね」

 

 「へぇ〜!」

 

 「そして特殊魔法。これはどの属性にも当てはまらない、言わばその他の魔法です」


 「その他?」


 「はい。様々なものがあります。相手を毒や石化状態にする魔法や、透明になったり完全に気配を消したり、何らかの効果のある呪いを与えたり、何かを封印したり、また封印の解除の魔法等ですね。

 翼を持たない者が空中浮揚して空を自由自在に動き回るのも特殊魔法です。

 ちなみに、オランさんが使った雷跳らいちょうも、モチダ一族にしか使えない特殊魔法です」

 

 オランは自分の中に宿る、シンゲン=モチダの事を思い浮かべた。

 あの時見た夢の中の、ムイケ=ムーンウォーカーと話していた自分がそうだったはずだ。

 そういえば、確かその時、王とか死の神とかなんとか言ってたような……。

 

 「特殊魔法は本当に特別です。習得には遺伝的な要因が大きく関わります。儀式を行えば習得出来る事もありますが、確実性は有りません」

 

 「どうしてヒミコはそんなに魔法に詳しいの?」


 突然のオランの純粋な質問に、ヒミコはまた微笑んだ。


 「ふふっ。これぐらいの事は魔法が使える者は誰でも知っていますよ。魔法の基本中の基本の常識です」


 「え……そうなの?」


 オランは少し恥ずかしさを覚えた。

 そんなオランの様子が可愛くて、ヒミコはまた微笑んだ。


 「オランさんは島の住民達から魔法を教えられていないので仕方無いですよ。これからは私がもっとたくさん教えてあげますね」


 「うん! 教えて」


 オランは目を輝かせた。


 「うふふ。良いですよ。魔法に関しては知識があればあるほど自分の安全を守る事になります。ではオランさん。ちょっと試してみましょうか」


 「うん!」


 「では、掌を上に向けてください。こうやって」


 言って、ヒミコは右の掌を上に向けた。

 オランも同じ事をした。


 「私の掌を、よく見ていてくださいね」


 ヒミコは微笑むと、自分の掌に視線を移した。

 直後、ぼっ、という音と共に、掌の上に小さな炎が発生した。

 数秒後、じゅっ、と音が鳴り、炎が消えた。

 代わりに、掌から透明な水が発生し、次々と溢れて来た。

 水が止まると、今度は掌の上に小さな竜巻が発生していた。

 その竜巻が消えると、今度は地面から次々と土や砂が舞い上がり、さらさらと掌に落ちて来た。

 

 「わぁ……!」

 

 オランが眼を輝かせた。

 

 「これは、魔法の基礎修行です。掌の上に、炎、水、風を創生し、地面の土を操作します」

 

 「僕、たぶん出来ないよ」

 

 「魔力さえあれば出来ますよ。オランさん、先程見た炎、水、風、土の中で、何でもいいのでひとつやってみてください」

 

 「何でもいいの?」

 

 「はい。深く考えずに、自分の頭の中に最初に浮かんだものを、掌の上にイメージするんです」

 

 「んん……!」

 

 オランは自分の掌を睨みつけた。

 

 「なんか、手が温かくなって来た気がする!」

 

 オランが叫んだ。

 

 「その感覚が、掌に魔力が込められているという感覚です。あともう少しです」

 

 ヒミコが言った直後。

 オランの掌の上に、小さな水溜りが出来始めた。

 

 「あっ! なんか出た!」

 

 また、オランが叫んだ。

 

 「水ですね。上出来です」 

  

 ヒミコが微笑みながら頷いた。

 

 「でも、これだけだ…….他のは出来る気がしない」

 

 「最初はそれで充分です。今は出来なくても、魔力さえあれば必ず出来るようになります。それともうひとつ。オランさん、この小石を念力で浮かせてください」


 言いながら、ヒミコは足元にあった直径3ミリ程の小さな小石を摘み上げて、オランに渡した。

 

 「……!」

 

 オランの頭の中に一瞬、ピンキーの姿が浮かんだ。

 再び心が沈みそうになったが、オランは堪えた。

 念力を、自分自身で使えるようにならなくてはならない。

 そうすれば、ピンキーのような被害者を出さなくて済むかも知れない。

 

 オランは眼を見開いて、両手をかっと開いた。

 そして念じた。

 動け。

 動け動け動け。

 心の中で叫んだ。

 すると。

 ふわりと、小石が天に引っ張られたように僅かに浮いた。

 そしてすぐに落ちた。


 「う、動いた!」

 

 オランが叫んだ。

 額から汗が流れていた。

 

 「よく頑張りました。疲れたでしょう?」


 「う、うん」


 確かに身体がどっと疲れていた。

 オランは汗を拭った。


 「その疲労感は、魔力を消費したという証拠です。この基礎修行を毎日行いましょう。続ける事によって魔法の基礎能力を高めると同時に、魔力の絶対量も増えて行きます。そしてどうやらオランさんは、水魔法が得意なようですね」


 「そうなの?」


 「はい。魔法には個人によって得意不得意があります。何が得意で何が不得意かは、様々な要因が複雑に絡み合って決まります。

 遺伝だったり、生まれ育った環境だったり。

 オランさんは海をよく泳いでいたんですよね? その影響で水魔法が得意なのかも知れません」


 「海……」


 言われて、オランは故郷を思い出した。

 青い空、煌めく太陽。

 心地よい風、甘い果実。

 そしてあの綺麗な海で、ジョースに泳ぎを教えて貰った。

 あの日々が、凄く懐かしく感じた。

 あの島に帰りたい

 またあの海で、遊びたい。


 「もう少し試しても良いですか」


 「え?」


 オランが応えた時には、ヒミコは自分の右手の人差し指の先をがりっと噛んでいた。

 少し血が流れた。


 「オランさん。この傷を治してみて下さい」


 そう言って、ヒミコは人差し指をオランの前に差し出した。


 「う、うん」


 オランはヒミコの人差し指を、両手で優しく包み込んだ。

 そして、傷が治るように念じた。

 だが。

 何も起きなかった。


 「だ、だめだ。全然出来る気がしない」


 オランがヒミコを見ながら言った。


 「ふむ。やっぱり……」


 ヒミコは一人で何かに納得している様子であった。


 「僕には慈愛の心が無いんだ」

 

 「いや、そうじゃないんです。オランさんには確実に慈愛の心があります。訓練を積めば必ず治癒魔法が使えるようになります。ただ、治癒魔法自体が高度な技なので、今はまだ使えないだけです」


 「……そうなのかな。自由に緑色の瞳になる事が出来れば良いのに」

 

 「そこなんです。これは私の推測ですが、オランさんの瞳の色が変わるのは、オランさんが切羽詰まっている時だけかも知れませんね」


 「……!」


 「絶体絶命の時や、追い詰められた時、本当に必死になっている時、精神が極度に高揚している時などです」


 「……た、たしかに、そうかもしれない」


 オランは昨日の出来事をよく思い出していた。

 ガララパゴス諸島で黄龍の雷を受けた直後はもちろん、ヒミコの傷を塞いだ時も、ラプトル達から逃げ出す時も、とにかく必死だった。


 「黄龍を呼べないのもそのせいかも知れませんね。とりあえずオランさんに宿る英雄達の力を任意に引き出せるようにするのを目標に、魔法の基礎能力を高めて行きましょう」


 「うん! さっきのを毎日やれば良いんだね?」


 「はい。疲れたら休んで回復したらまた練習を繰り返しましょう。その内に炎と風と土も創成出来るようになります。更に基礎を固めれば、その後は自由に組み合わせたりして独自の技を創り出す事も出来ます」


 「分かった!」

 

 「ひとつだけ、基礎練習のコツを教えておきましょう。慣れないうちは、魔法を放つ時に、詠唱すると上手くいく事が多いですよ」

  

 「詠唱?」

 

 「そうです。何かしら技名を叫ぶんです。炎の魔法を放つ時に、ほのお!とか。いや、これ真面目な話なんです。詠唱すると技の精度、威力が上がる事ってとっても多いんです。多分、気合いが入るんだと思います。だから、魔法を放つ時、詠唱する者はとっても多いんです」

  

 「ふぅん」

 

 「自分や自分の一族しか使えない技に、独自の名前が付けられている事が多いのはその為です。雷跳もそうですね」

 

 ヒミコがそう言った時。

 オランのお腹が、ぐ〜と大きく鳴った。

 

 「えへへ」

 

 オランが照れ臭そうに笑った。

 

 「ふふ。とりあえず、食事にしましょうか」


 言いながら、ヒミコも笑った。


ーーー


 その日の夜。

 オランとヒミコは、洞窟の入り口に座って、満天の星空を眺めていた。

 オランは、ヒミコの膝の上に座っていた。

 遠くから眺めると、ヒミコがトカゲのぬいぐるみを抱いているようにしか見えなかった。


 「一昨日の夜は、母さんとこうやって星を眺めていたの」


 オランが、あの晩の事を思い出しながら言った。


 「そうだったんですか」


 ヒミコは優しく答えた。


 「うん」


 そこからしばらく、2人は無言だった。

 夜の森の音が、柔らかい夜風と共に漂って来る。

 お互いの体温を感じながら、オランがふいに語り出した。

 

 「母さんってね、僕と違って黄色い肌なんだ。艶々していてとっても綺麗なんだよ」

 

 「へぇ〜。オランさんは灰色ですよね。お父さん似なんですか?」


 「うん。そうみたい。父さんは、島の外からやって来たんだって。嵐の次の日に、浜辺に倒れていたんだって」


 「なるほど。面白いお父さんですね」

 

 「うん。僕、父さんに会った事無いんだ。僕が生まれる前に、突然いなくなったんだって」


 「それはまた、自由奔放なお父さんですね。お母さんは寂しがっていませんでしたか?」


 「あんまりそんな風には見えなかったよ。お父さんには、何かやらなきゃいけない事があるんだよって言ってた」


 「良いお母さんですね。オランさんの優しさはお母さん譲りなんですね」


 「うん。とっても優しいお母さんだよ」


 オランとヒミコは、穏やかな気分になっていた。

 オランは母親を思い出すだけで表情が自然と微笑みの形になった。


 「オランさんのお父さんもきっと、優しいのでしょうね」


 「そうなのかなぁ。どうだろう」


 そしてこの後、何気なく放ったヒミコの質問が、ヒミコとオランの明日を変える事になった。


 「お父さんの名前はなんというのですか? 出来れば姓も。魔物にとって性は重要な意味を持ちます。祖となった生物を表すんです」

 

 「そうなんだね。えーと……エンキド=コモドスっていうらしいんだ。僕も、姓はコモドスって事になるのかなぁ」


 その瞬間。

 ヒミコの眼が、かっと大きく見開かれた。

 身体がぴたりと静止した。

 後ろのヒミコの様子に気付かずに、オランは更に続けた。


 「なんか、コモドスオオトカゲってトカゲがいるんだって。ヒミコ、見たことある?」


 「……」


 「……ヒミコ?」


 「え?  あ、ああ。そうですね。コモドスですか」


 「うん。なんか、大きいトカゲらしいんだけど」


 オランは星を見上げた。

 見た事の無い、父親の姿に想いを馳せた。

 そして、その後ろで。

 ヒミコはもう、星を見ていなかった。

 オランの背後から、虚空を見つめていた。

 ヒミコの頭の中で、様々な記憶と思考が駆け巡っていた。

 やがて。

 ヒミコの背中に垂れている黒髪が、ざわりざわりと、ゆっくりと持ち上がり始めた。

 蛇が、鎌首を持ち上げる動きに似ていた。

 黒い髪が、ゆらゆらと揺らめいた。

 

 穏やかな表情で星を眺めているオラン。

 そのすぐ後ろで。

 ヒミコの両眼が、凶星のように禍々しく真紅に輝き始めていた。 

 

 

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