第11話 王子

 「……つまりそのトカゲ小僧と人間ヒュームの女が、仲間達を襲っていた犯人である可能性が高いと思われます」

 

 ヴェロキラプトルの魔物。

 デノニク=ヴェロキラが、姿勢を正しくして語っていた。


 「ふむ」


 椅子に深く腰掛けているレックス=ティーレックスは頷いた後、手に持った樽から赤い葡萄酒を口の中に注ぎ込んだ。

 

 「そのトカゲ小僧達を直接見て、カルタが負けそうな要素はあったか?」


 レックスが葡萄酒を豪快に飲みながら聞いた。


 「正直に言ってあのカルタが負けるとは思えませんが、トカゲ小僧には底知れぬ何かを感じました。トカゲ小僧が一時的に潜在能力を引き出したりする術(すべ)を持っているとすれば、カルタが倒される可能性は充分に考えられます」


 言いながら、デノニクはふとカルタの姿を思い浮かべた。

 カルノタウルスの魔物。

 カルタ=カルノタ。

 彼の戦闘力は恐竜族の中でも上位である。

 ここ数日、恐竜の魔物達が失踪、又は殺害される事件が頻発するようになってから、レックスは仲間達の単独行動を原則的に禁止していた。

 だが、レックスがその実力を認めた幹部と呼ばれる者達に限り、単独行動が許されていた。

 カルタは幹部の内の一人であった。

 

 昨日。

 森の中からカルタのオーラが凄まじい勢いで迸った。

 カルタが森で何者かと全力で戦っている気配を、宮殿にいる魔物達が感じ取ったのである。

 真っ先にそこに向かったのが、デノニク率いるラプトル隊だった。


 「ふむ。ラップよ」


 レックスはデノニクの隣に立っているラプトルの魔物に視線を移した。

 昨日、オランと戦闘した男である。

 この食堂には、現在4人の魔物がいた。

 デノニクとラップ。

 そして、レックスとその隣に立っている老齢のプテラノドンの魔物。

 プテラ=プテラノである。


 「うい」


 ラップが答えた。


 「トカゲ小僧と戦った時、相手は何か魔法を使ったか?」

 

 レックスが、ラップの眼を真っ直ぐに見つめて聞いた。

 

 「いやぁ、魔法は使ってなかったですね。俺がトカゲ小僧から受けた攻撃は、噛み付きと拳と足による打撃のみです」


 「ふむ。お前の話を聞いた印象だと、なかなかにトカゲ小僧の動きは素早かったようだな」


 「ええ。素早く的確な攻撃でしたね。めっちゃ強かった。おそらくどこかで格闘術を修行していたと思われますがね」


 「ほう。トカゲ小僧は稲妻並みの速さで動いたか? 比喩とかでは無く」


 「稲妻? いや、素早いといえどそこまででは」


 「ふむ……。500年前、俺の先祖も勇者と戦った事があるらしい。その時の記録によると、勇者は戦闘の際も稲妻の如き速さで動いたという。目の前にいたはずが瞬きをする間に背後に回り、後ろを振り向くともう既にそこには居らず、もう一度前を向いた時には既に肉を斬られていたそうだ。雷跳を完璧に使いこなす勇者は、瞬間移動だけでなく戦闘の際にも応用してその力を使っていたという事であろう」


 「……はぁ」


 「トカゲ小僧は確かに雷跳を使えるようだ。が、まだ完全には使いこなせていない印象を受ける。デノニクの話を聞く限りな」


 レックスはデノニクに視線を移して言った。


 「はい。東の空へ飛んで行った時も、目的地に向かっているような動きには見えませんでした。滅茶苦茶に蛇行しながら進んでいるように感じました」


 デノニクが答えた。


 「となると、まだこの大陸にいる可能性は充分にあるな」


 レックスが再び葡萄酒を口に注ぎながら言った。


 「よし。探すぞ」


 その時。

 ばあん、と、派手な音が食堂内に鳴り響いた。

 扉が乱暴に開けられる音だった。

 皆の視線が、扉に集まった。

 扉から、小さなティラノサウルスの魔物がずかずかとと歩いて来た。

 子供であった。

 威風堂々と歩いているこの子供が、扉を蹴飛ばして開けたのである。

 子供でありながら、その両眼には凶暴さが宿っており、好戦的な笑みを浮かべていた。

 その凶暴な両眼は、真っ直ぐに父親を睨みつけていた。

 この子供の歳は、10歳。

 レックスの息子。

 名を、テイラー=ティーレックスといった。


 「ああっ! ぼっちゃん! なんという事をっ!」


 叫びながら、テイラーのすぐ後を追ってくる魔物がいた。

 初老の魔物であった。

 テイラーよりも更に身体が小さい。

 始祖鳥の魔物。

 名は、シソジィ=アーケオプテリ。

 テイラーの身の回りの世話や教育などをする、言わば執事である。


 テイラーはずかずかと大股で歩き、椅子に座っている父親の目の前で止まり、凶暴な瞳で睨みつけた。

 後ろから慌ててやってきたシソジィが、レックスに頭を下げて声を出した。

 

 「レックス様! 申し訳ございません!」


 レックスはそれには応えずに、真っ直ぐに息子を見下ろしながら言った。


 「おいテイラー。お前が蹴り飛ばしたあの扉を作った職人の気持ちを考えた事があるか?」


 「壊れちゃいねぇから安心しろよ」


 テイラーが、父親を睨みながら言った。

 まだ声変わりもしていない子供の声であった。


 「壊れる壊れねぇの問題じゃねぇんだよ。お前は仲間に対して敬意を抱くって事が出来ねぇ。そんな奴には誰も付いて来ねぇ。てめぇは王になれる器じゃねぇって事だ」


 レックスが言い終わった瞬間、テイラーの両眼にビキビキと血管が浮かんだ。

 今にも爆発しそうな怒りが宿っていた。


 「失せろ」


 レックスが冷たく言い放った瞬間。

 テイラーは床を蹴ってその場から跳躍していた。

 右の拳を振り上げた姿勢で、レックスの顔の前の空中にいた。

 テイラーが拳を振り抜こうとした瞬間。

 突然、テイラーの目の前で突風が発生し、空気の塊が身体にぶつかった。

 その衝撃で、身体が後方に吹っ飛んだ。

 食堂のテーブルや椅子に身体を打ち付けながら、床を転がった。


 「ぼっちゃん!」


 シソジィが、悲鳴にも似た声を上げた。

 プテラとデノニクとラップは、無言でその光景を見ていた。

 レックスの鼻の穴が、僅かに広がっていた。

 鼻息であった。

 テイラーの身体を吹き飛ばしたのは、レックスが少し力を込めて放った鼻息の風圧だったのである。


 テイラーが、むくりと立ち上がった。

 身体中に、細かな傷や痣が出来ていた。

 両眼には怒りの炎が滾っていた。


 「臭ぇ鼻息かけやがって」


 言いながら、テイラーは右手の甲で自分の口から垂れている血を拭った。

 口を切ったらしい。


 「話し合いの邪魔をしに来たのか?」


 レックスが少しの心配もする素振りも見せずに言った。


 「……カルタがいなくなったのはてめぇのせいだ。てめぇの方だよ、王の器じゃねぇのは」


 テイラーが怒りの込もった声で言った。

 

 「あ?」


 レックスの瞳に、鋭い光が宿った。

 

 「ぼっちゃんっ!」


 シソジィが、大声で叫んだ。

 その声に、怒りと焦りが宿っていた。


 「さすがに言って良い事と悪い事がありますぞっ!訂正なさいっ!」


 シソジィは、真剣な眼差しでテイラーを睨み付けていた。

 ちらりと、テイラーはシソジィを見た。

 だが何も言わずに、再び父親に視線を戻して、歯を食いしばりながら言った。


 「てめぇがカルタを単独行動させなきゃ、こんな事にはならなかった。違うのかよ」


 「おい、カルタを侮辱してんのか? てめぇの発言はカルタのプライドを傷付けるもんだ。カルタが聞いてたらてめぇ、殺されるぞ」


 「それでも部下の安全を第一に考えるのが王じゃねぇのか」


 「部下達にも誇りがあんだよ。お前、そこのデノニクにも独りで行動するなって命令できるのか? デノニクも単独行動を許されている幹部の一人だぞ」


 「俺があんたの立場なら命令する」


 「はっ! そりゃデノニクからしたらこの上ない屈辱だなおい。仲間の誇りも信念も考慮しねぇでただ命令を下す事しか考えられねぇ。そんな発想しかねぇからまだお子ちゃまなんだよてめぇは」


 ぶちっ。

 という音が聞こえた。

 聞こえると同時に、テイラーはそこから前に疾り出していた。

 溢れんばかりの殺気に満ちた形相をしていた。

 だが。

 その身体が、レックスに届く前にぴたりと止まっていた。

 デノニクが、テイラーの背後に回って、右手で肩を掴んで抑えていたのである。


 「お止め下さい。テイラー様」


 デノニクが、テイラーを見下ろしながら言った。

 テイラーの身長は、デノニクの腰のあたりまでしかない。

 テイラーは鋭い視線でデノニクを見上げた。

 デノニクはその視線を真っ直ぐに受けた。

 ほんの数秒、2人は見つめ合った。

 すると。

 ふっ、と、テイラーの身体から殺気が抜けた。

 直後、デノニクも右手を離した。


 「ふん。命拾いしたな。デノニクに感謝しろよハゲ親父」


 言いながら、テイラーは背を向けて扉の方へずかずかと歩いて行った。


 「あっ! ま、またそんな無礼な事を!」


 シソジィが、慌ててテイラーを追いかけた。

 テイラーは扉の前まで辿り着くと、くるりと後ろを振り返った。

 そしてレックスを睨み付けながら言った。


 「カルタ達の仇は俺が取る。そのトカゲ小僧、俺が1人でぶっ倒して来てやるよ」


 「ほう。言ったな」


 レックスはにやりと不敵な笑みを浮かべた。


 「自分の言葉には責任持てや。宣言通りお前1人で行って来い。誰も連れて行くなよ。シソジィもだ」


 「最初ハナからそのつもりだよ」


 「なっ!?」


 シソジィが目を見開いて何か言いかけた。


 「分かってるな。男に二言は無ぇぞ」


 レックスが言った。

  

 「しつけぇな」


 テイラーはそう言い残し、食堂を出て行った。

 シソジィがレックス達に小刻みに頭を下げた。


 「も、申し訳ございません! 散らかった机などは、あ、後で必ず片付けさせますので!」


 「いや、いい。いつもすまねぇな」


 レックスが、先程までとは打って変わってなんとも穏やかな声で言った。

 優しい眼差しでシソジィを見ていた。


 「い、いえ! 私が不甲斐ないばかりに!」


 「そんな事ねぇさ。あんたのおかげであのバカ息子は順調に育ってる。バカだけどな」


 「は、はぁ」


 「これからも頼むぞ」


 「は、はい! では……」


 ぺこりと頭を下げて、シソジィは食堂を出て行こうとした。


 「待て」


 それを、レックスが呼び止めた。


 「は……」


 「分かっていると思うが、お前があいつを見送るのはこの宮殿の玄関までだぞ」


 「なっ!? 1人で行かせるというのは、ほ、本気だったのですか!?」


 「もちろん」


 「トカゲ小僧は話を聞く限り非常に危険です! 未知の技を持っているかも知れませぬ!」


 「ああ。強敵かもな」


 「カルタを倒していたとしたら相当の……!」


 「だからこそ意味がある。死ぬ程にまで追い詰められてそれを乗り越えた時の経験値ってのは何にも代え難い。あいつの力ではとても敵わぬ敵ならばそれはそれで良い。そういう時に実力差を見極めて撤退する判断力と勇気もこの先必要になって来る」


 「死ぬかも知れませんぞ!」


 「そこで死んだら敵の実力を見極められなかったという事だ。そんな奴が王になっても仲間を守る事は出来ない」


 「し、しかし王子はまだ10歳ですぞ!?」


 「おう。クソ生意気な10歳の俺の息子だ。簡単に死ぬようなタマじゃねぇからそう心配するな」


 「し、しかし……」


 「まだすぐには出掛けねぇだろう。それまでは付いててやってくれ。さぁ行ってくれ」


 「は、はぁ」


 不満気に、シソジィは食堂から出て行った。


 「ふぅ。やれやれですな」


 隣に立っているプテラが、溜息をついた。


 「ん?」


 「全く。レックス様の子供の頃とそっくりですな。テイラー様は」


 「あん?  いや、俺はもっと大人しかっただろう」


 「何をおっしゃる。貴方はもっと手のつけられない暴れん坊でしたよ。私もいったい何度胃に穴が開いたことか」


 「ん〜……そうだったか?」


 レックスはぽりぽりと頭をかいた。

 そんな王を、デノニクとラップは少し微笑みながら見ていた。

 ティーレックス一族は、恐竜達にとっての王族である。

 この国に住む恐竜の魔物達は、例外なく全員がこの王に心からの忠誠を誓っていた。

 なぜならこの王が、常に部下や仲間の事を想っているのを知っているからである。

 だからこそデノニク達もまた、王の為なら自分の命を盾にして守る覚悟を持っていた。

 恐竜の魔物達は、太い絆で結ばれていた。

 それ故に。

 仲間達に仇なす害敵には、容赦しない。


 「テイラー様があそこまで言うという事は、何か手掛かりでもあるんですかね?」


 ラップがふいに質問した。

 ふっと、笑いながら、レックスが答えた。


 「おいラップ。ティラノサウルスの武器は筋肉だけだと思っているのか?」


 「いやぁ、えっと」


 「ここだよ」


 にやりとしながら、レックスは自分の鼻に指を当てた。


 「ティラノサウルスの嗅覚を舐めんなよ。テイラーは何か臭いの付いた物でも見つけたんだろう。あいつも相当鼻が効くようになって来たしな」


 「はぁ。なるほど」


 「そこでだ」

 

 言いながら、レックスはデノニクの方に視線を移した。

  

 「デノニクよ」

 

 「はい」


 「リンクスと一緒にあのバカ息子を尾行しろ」


 「!……了解致しました」


 一瞬目を丸くしたデノニクだが、すぐに微笑を浮かべて頷いた。


 「俺も行きますかい?」


 ラップが聞いた。


 「お前も行って欲しいのは山々なんだがな。あのバカ息子もなかなか感覚が鋭くなって来ている。奴に気付かれずに尾行出来るのは最早リンクスとデノニクだけだろう。ああ、あとコンピか」

 

 「はぁ」


 ラップは納得したように頷いた。


 「シソジィも行きたいだろうがな。あの心配性にはテイラーの尾行は無理だろうしな」


 「無理ですな」


 プテラがうんうんと頷いた。


 「そしてデノニクよ」

 

 レックスが言った。


 「はい」


 「あのバカ息子と敵の闘いが始まっても、すぐには加勢するな。多対一でもだ」


 「承知致しました」


 「あいつが死にそうって時があったら、助けてやってくれ」


 「はい」


 「よし任せたぞ。折を見てリンクスと出発してくれて良い」


 「はい。では……」


 デノニクはそう言うと、一礼してラップと共に食堂を出て行った。


 「ふふ」


 プテラがくすりと笑った。


 「なんだよ」

 

 レックスが少し照れ臭そうにプテラを見下ろした。


 「貴方だって心配性ではないですか」


 「うるせぇ。ところで、プテラよ」


 レックスが、自分の頭に指を置きながら言った。


 「はい?」


 「俺、ハゲてないよな」


 「はい。まだフサフサの羽毛がありますよ」


 「良かった」


 レックスは安堵の表情を浮かべた。

 先程息子にハゲ親父と言われて、どきりとしたのであった。


ーーー


 宮殿の廊下を、テイラーは拳を握りながらずかずかと歩いていた。

 口を真一文字に結び、鋭い視線で前方を見据えていた。


 「テイラー様!」


 背後から、シソジィが叫びながら走り寄って来た。


 「なんだ」


 前を向いたまま、テイラーが応えた。


 「トカゲ小僧は不気味過ぎます! テイラー様1人で行くのはあまりに危険です!」


 「危険だから仲間を身代わりにしろと言うのか? ふざけんな。トカゲ小僧が得体の知れない危険な奴だからこそ俺が行くんだよ」


 「テイラー様の身に何かあったらどうするのですか!


 「何かあったとは?」


 「怪我したり死んだりしたら!」


 「闘いの怪我は男の勲章だ。死んだら俺が退き際を見極められないクズだったという事だ。王の器ではなかっただけの事だろうが」


 「貴方はいずれ王になる方です! 我々恐竜族は貴方を失う訳には行かないのです! 絶対に!」


 「母上の部屋の前だ。静かにしろ」


 テイラーの足が、ピタリと止まった。

 眼前に、大きな扉があった。

 その扉には、上品な装飾が施されていた。


 「挨拶を済ませて来る」


 テイラーはそう言うと、こんこんと扉をノックした。


 「母上。テイラーです。入ってもよろしいでしょうか」


 「どうぞ」


 扉の向こうから女性の声が返って来たので、テイラーは扉を開けた。

 その部屋に入る寸前、ここで待っていろ、と眼でシソジィに合図した。

 テイラーが部屋に入ると、扉が重く閉まった。


ーーー


 扉を閉めて、テイラーは広い部屋を見渡した。

 前方のレースの引かれたベッドの上に、上品な空気を漂わせる魔物がいた。

 両腕で、赤ん坊を抱いている。

 様々な色の宝石が組み合わされたネックレスを首に掛けていた。

 抱いている赤ん坊が、キラキラと光るネックレスに手を伸ばしていた。

 この魔物の名は、スー=ティーレックス。

 レックスの妻である。

 抱いている赤ん坊の名は、ティコ。

 1歳になったばかりの、テイラーの妹であった。


 「テイラー」


 スーが、優しい眼差しを向けながら、息子の名を呼んだ。

 その瞬間。


 「ママ〜!」


 テイラーは飛びっきりの笑顔になって両腕を前に出して、てとてとと走り出した。

 そして母親のお腹に抱き着き、羽毛に覆われたお腹に頬擦りを始めた。


 「あらあら。相変わらず甘えん坊さんね。この王子様は」


 言いながらスーは右手で、テイラーの頭を撫でた。

 左腕に抱きかかえられたティコが、じーっとつぶらな瞳で兄の姿を見下ろしていた。


 「えへへ」


 テイラーはぐりぐりと自分の頬や頭を母親のお腹に押し付けた。


 「まぁ。怪我してるじゃない」


 スーがそう言った直後、テイラーの頭を撫でている掌から淡い緑色の光が漏れ出した。

 テイラーの身体中に出来ていた細かな傷が、みるみる間に治癒されていった。


 「えへへ、ありがとう。僕、ママの治癒魔法を受けたくてわざと怪我したんだよ」


 「まったくこの子ったら」


 信じられない光景だった。

 驚愕の変貌であった。

 先程までの殺気立つテイラーからは全く想像出来ない姿であった。

 

 「ママ、みんなを脅かすトカゲ小僧って奴をこれから僕がやっつけて来るよ」


 「まぁ。トカゲ小僧の事は話には聞いてるわ。気をつけてね」


 「うん! 気をつける! 僕が死んだら、ママ悲しい?」


 「当たり前じゃない。そんな事想像だってしたくないわ」


 「えへへ。大丈夫だよ。ママを悲しませるような事は絶対にしないから」


 「本当に気をつけるのよ」


 「うんっ!」


 テイラーはそう言うと、母親のお腹から顔を離して幼い妹を見た。

 スーはティコをそっと降ろした。

 テイラーは小さな妹に顔を近付けた。


 「じゃあな、ティコ。兄ちゃん、頑張って来るからな」


 ティコはつぶらな瞳で兄を見つめていた。


 「それじゃ、行って来るね」


 テイラーはそう言うと、母親の頬に口づけをした。


 「必ず無事に戻って来るのよ」


 「うん!」


 そう言ってテイラーは、部屋の出口に向かって歩いて行った。


ーーー


 部屋の中から聞こえて来る母と子の会話を、シソジィは扉の前で穏やかな表情で聞いていた。

 そして思う。

 テイラー王子はまだ10歳の子供なのだ。

 王子は部下の前では、王子であるという自負心から必要以上に毅然と振る舞う。

 子供とは思えぬ凛とした態度と信念とプライドを持って、決して弱みを見せない。

 そして父親を前にすると、全身から遠慮の無い刃物のような殺気を解き放つ。

 これもまた、子供とは思えぬ凶暴性、暴力性を秘めたオーラと鋭い眼光だ。

 早く父親を超えねばならぬ。

 そのような想いが、これほどまでに尖った気として具現化しているのだろう。

 そんなテイラー王子だが、母親の前でだけは10歳の少年、いやもっと幼い子供へと戻るのだ。

 周りに他の誰かがいると毅然と振る舞うのだが、誰もいなくなるやいなや王妃のお腹に飛び付くのだ。

 テイラー王子本人は、部下達にはそのような自分は知られていないと思っている。

 だが。

 バレバレだ。

 みんな知っている。

 恐竜族全員その事を知っている。

 それに気付いていない王子もまた、可愛いのだ。

 ふふ。

 なんて可愛いお方なのだ。

 ぼっちゃん。

 いいですかぼっちゃん。

 私だけでなく、恐竜族みんながぼっちゃんの事を好きなのですぞ。


 「ふふ」

 

 シソジィが微笑みを浮かべた時、がたりと、扉が開いた。

 にやけていたシソジィが、表情をきりっとさせてそちらの方を見た。

 凛とした表情の、テイラーがそこにいた。


 「よし。挨拶は済ませた。行って来る」


 透き通った眼で、テイラーが言った。


 「行くと言っても、大陸のどこに行くのですか」


 「お前にだけ教えてやる。これだよ」


 テイラーはそう言うと、懐から汚れた布切れを取り出した。


 「それは……」


 「カルタの匂いを辿って行ったら、森の中で忽然と匂いが消えた場所があった。そこに落ちていたんだ。この布切れからはカルタの匂いはしない。だが、嗅いだ事の無い妙な匂いがする。この匂いを辿る」


 「!」


 いったい王子はいつ勝手に森に入ったのだろうか、とシソジィは思った。

 そして、言い様のない不安、嫌な予感が、シソジィの胸によぎった。

 不吉な胸騒ぎがした。


 「ぼっちゃん! 恐竜族の失踪にそのトカゲ小僧が関わっているのなら、やはり危険です!」


 「しつこいぞ。危険だからこそ俺が行くんだ」


 「ならばせめて! 私でなくてもいい! 誰かお供を!」


 「おい、シソジィ」


 テイラーの両眼に、憤怒と憎悪の入り混じった光が宿った。


 「うっ」


 その眼光を受けて、シソジィはたじろいだ。


 「俺は親父が嫌いだ。大っ嫌いだ。あいつはいつまで経っても俺を子供扱いする。1人じゃ何も出来ない子供としか見ないから嫌いなんだ。シソジィ。お前も俺をそういう風に思っているのか?」


 「いえっそんな! 決してそんな……!」


 「お前が俺を真に信用してくれているなら、付いて来るな。余計な事をするな。もし、黙って付いて来たら……」


 「……!」


 「今後一切、お前とは口を聞かない」


 「ぼ、ぼっちゃん……!」


 「分かったな」


 そう言うとテイラーは、シソジィに背を向けて玄関の方へと歩いて行った。

 歩きながら、後ろを振り返らずにテイラーは言った。


 「ふん、心配するな。戻って来た時には俺はもっと強くなってるからよ」


 「……ぼっちゃん」


 やけに大きく見える王子の背中を、執事は立ち止まったまま見送っていた。

 テイラーが廊下の曲がり角を曲がろうとした時。

 反対方向から1人の魔物が角を曲がって来た。

 その魔物はテイラーを見て、立ち止まった。

 両手で、高級そうな箱を抱えていた。


 「おや。テイラー王子。お出かけですかい」


 箱を抱えた魔物が、テイラーに声を掛けた。

 その魔物は、遠目に見ると頭がつるりとしたスキンヘッドに見えた。

 パキケファロサウルスの魔物。

 名を、パキオ=パキケファロといった。

 手入れのされていない白いあごひげが、雑草のように雑に生えていた。

 眉毛も、白く長い。

 こちらも高齢の魔物のようであった。


 「ああ、出掛けて来る。それと、パキオ、すまない。あんたが作った食堂の扉を蹴飛ばしてしまった。壊れてはいなかったが」


 「ぎゃっはっはいいですいいです。王子達が暴れても良いようにあの扉は頑丈に作ってあります。ちょっとやそっとの事じゃ壊れませんぜ。この頭で何回も打っておりますのでね」


 言いながらパキオは、自慢の石頭を斜めに傾けてテイラーに見せた。

 頭頂部が、キラリと光を反射した。


 「そうか」


 「では、私はこれを王妃様に献上してまいります」


 パキオは両手に抱えた箱を、軽く持ち上げた。


 「それは?」


 「ブレスレットです。壊れてしまったのを、修理していたのですよ」


 「そうか。ありがとうな」


 そう言ってテイラーは、すたすたと歩き始めた。


 「お気をつけて」


 テイラーの背中に向かって言うと、パキオも踵を返して歩き始めた。

 パキオが、前方にいるシソジィに気付いた。


 「お、シソジィじゃねぇかい。どうした? テイラー王子の後を追わんでいいのか?」


 「う、うむ……それがな……」


 シソジィは事情を大まかに説明した。


 「ぎゃっはっはいいねぇ! それでこそ俺たちの王子ってもんだ!」


 「笑い事では無いぞ。私は本当に心配でしょうがないのだ」


 「心配したってしょうがねぇべ。王子を信じて待つってもんだろう」


 「う……う〜む」


 「あの王子なら大丈夫さ。さて、俺は王妃様の元へ行かねーと」


 「ん? ああ」


 シソジィは、身体を傾けてパキオが廊下を通りやすいようにした。

 そこを、パキオがすたすたと歩いた。

 箱の中はブレスレットとか言っていたな、とシソジィは思った。

 通り過ぎた後、パキオが振り返った。


 「おい。あとで俺の工房に来い。久し振りに2人で飲もうや」


 「む……う〜ん」


 シソジィは迷った。

 自分が仕える王子が闘いに出ているのに、酒など飲んで良いのか。

 しかし。

 このむしゃくしゃするような気持ちを抑えたいという気持ちもある。


 「うむ。後で行こう」


 「おう」


 そう言って、パキオは再び歩き始めた。


ーーー


 スーの眼前で、パキオは修理したブレスレットが入っている黒く塗られた高級そうな箱を開けて見せた。

 中には、様々な宝石を繋げて作られたブレスレットが入っていた。


 「まぁ。これはまた見事ですね。本当にありがとう。パキオ」


 スーはパキオに微笑んで見せた。


 「えへへ。いや〜。ちょちょいのちょいですよ。えへへ」


 パキオは頭の後ろをかきながらにやけた。

 スーはブレスレットを手に取って、左の手首にはめた。

 ちゃらりと繊細な音が立って、数珠つなぎになっている宝石がきらきらと輝いた。


 「だぁ!」


 スーの右腕に抱き抱えられたティコが、そのブレスレットに手を伸ばした。


 「あら?」


 スーは優しく微笑んだ。

 ティコはしきりに手を伸ばしていた。

 ティコのつぶらな瞳は、ブレスレットの中の一際大きな宝石を捉えていた。

 その宝石は、透き通った赤色に輝いていた。

 ティコは右手の人差し指と親指で、その赤い宝石をつまんだ。


 「えっへっへ。さすがお姫様。見る目がありますなぁ」


 「まぁティコったら。それが気に入ったの?」


 ティコのつぶらな瞳に、真紅の宝石がきらきらと反射していた。

 その瞳を見ながら、パキオが言った。


 「姫様。それは我が師匠であるドワーフの名工、コクヨウ殿が譲って下さった珠玉の宝石ですぞ」


 「懐かしいわね。あのドワーフの方。あの方の話は本当に面白かったわ」

 

 スーが、にこりと笑いながら言った。

 

 「ええ。コクヨウ殿は寡黙な癖に、話の内容が面白くて困りますな」

 

 「そうね。特に、石を砕く為に全力で槌を振り下ろしたら家が吹き飛んだって話。あれは笑ったわ」

  

 「そうですな。あれは、流石としか言えません」

 

 「あの方、今はどこで何をしてらっしゃるのかしら」

 

 「さぁ。どうでしょうなぁ」

 

 2人が笑っている間で、ティコはきらきらした瞳でいつまでもその宝石を眺めていた。

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