第9話 救世主
天空を疾る稲妻の先端に、オランと少女がしがみついていた。
「くっ……!」
オランは歯を食いしばっていた。
またこれか、と思った。
さっき、やっと地面に降りたと思ったのに。
「ま、魔物が……いな……!」
少女が必死で何かを叫んでいた。
眼も開けられず、風を受けて髪がばさばさと振り乱れている。
「え!?」
オランが聞き返した。
「魔物がいない……! 安全な所と……!叫んでください!」
少女がやっとの思いで言った。
「魔物がいない! 安全な、所!」
オランが叫んだ。
その直後。
稲妻が突然向きを変えた。
地面の方向に斜めに落下したのである。
向かった先は、岩山にぽっかりと空いた洞窟であった。
その洞窟の入り口に稲妻が落ちた。
落雷の轟音が鳴り響いた。
「うぐっ!」
「ぎゃ!」
オランと少女は、2人揃って洞窟の中をごろごろと転がりやがて止まった。
2人で仰向けになって、揃って肩で息をしていた。
オランの瞳は、通常の茶色に戻っていた。
隣の少女を見た。
少女も、黒い瞳で隣のオランを見ていた。
眼が合った瞬間、少女はにこりと笑って言った。
「とりあえず、助かりましたね」
「う……うん」
答えてから、オランはゆっくりと上体を起こした。
ちょろちょろと、水が流れる音が聞こえて来た。
音の方向を振り向くと、洞窟の中の岩の裂け目から透き通った水が湧き出ていた。
それを見た瞬間、オランは急激な喉の渇きを覚えた。
今日はいろいろな事があり過ぎて、水もろくに飲んでいなかった気がする。
オランはよろよろと歩き、水溜りに顔を埋めて夢中で水を飲んだ。
腹いっぱい水を飲んだ後、両手で皿を作り、そこに湧き出ている水をすくった。
両手から水をこぼさないように慎重な足取りで少女の側まで歩いて行った。
そして水の入った両手を、少女の口元に近付けた。
「綺麗な水だよ。飲める?」
オランがそう言うと、少女は上体を少し起こした。
「ありがとう……ございます」
少女はそう言うと、オランの両手に口を付けた。
オランは水をこぼさないように、ゆっくりと角度を付けた。
少女は水をごくりと飲み下した。
綺麗な水が、身体の隅々まで染み渡っていくような感覚を覚えた。
「おいしい」
少女が呟いた。
良かった、とオランは安堵した。
オランが少女の近くに座ると、少女は上体を起こして両膝を抱えた。
そして、オランを見つめた。
その視線を受けて、オランも少女を見つめた。
「助けてくれて、ありがとうございます」
最初に口を開いたのは、少女の方だった。
「い、いや。今日はいろんな事があり過ぎて……僕も必死で……何がなんだか」
オランの本心だった。
本当に、何がなんだか分からなかった。
今朝、ガララパゴス諸島の海で泳ぎの練習をしていて、貝殻を拾っただけなのに。
それを母さんに渡そうと思っていたら、突然風が強くなった。
しばらくして、雲の中から黄金の龍が現れた。
その龍から雷が落ちて来て、変な夢を見て、目覚めたら島の皆が怒っていた。
誰かの言葉にカッとなって、気が付いたら跳び掛かろうとしていて。
そして土の手に掴まれた。
その後。
……。
僕は……。
ピンキーに、大怪我をさせてしまった。
宙に浮いて、苦痛に顔を歪めるピンキー=フラーミの姿が頭に浮かんだ。
そして、ごきり、という、関節が折れる音。
「ううっ!」
突然、オランの身体が震えた。
自分の事が怖くて仕方無かった。
ピンキーに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「うぅ、う……!」
ガチガチと、オランの歯が鳴っていた。
「大丈夫ですか?」
少女が、心配そうな表情を浮かべながら言った。
「う、うん……ごめん……ちょっと」
オランは精一杯気丈に振る舞った。
怖い。
とんでもない事をしてしまった。
でも今は、震えてる場合じゃない。
今は、この子を守らなきゃ。
数回深呼吸すると、オランの身体の震えは止まっていた。
「ごめん……えっと、きみは……人間……?」
オランが少女を見ながら言った。
少女もオランを見て答えた。
「……はい。ヒミコ=ヤマタイコと申します」
「ヒミコ?」
妙に心に響くその名前を、オランは呟いた。
ヒミコ。
なんだろう。
どこかで聞いたような気がする。
「やはり……ご存知ですか?」
ヒミコが聞いた。
「いや……知らないんだけど……なんか、聞いた事があるような気がして」
「私は……ヤマタイコ家は、代々モチダ一族に仕えて来た家系です」
ヒミコがそう言った瞬間。
オランは眼を大きく見開いた。
頭に閃光が疾り抜けた。
モチダ……?
そうだ!
モチダ!
「シンゲン=モチダ……!」
自然と、オランの口から言葉が出て来た。
ヒミコの身体がびくりとした。
「え……ええ」
とりあえずヒミコは頷いた。
「え?……モチダ?」
急にオランは我に帰った。
混乱していた。
モチダ?
シンゲン?
なんだ?
「え?……はい。今、自分でシンゲン=モチダって言いましたよね」
訳が分からず、ヒミコも聞いた。
「あ、あの、えっと、モチダ、ってなに? あと、シンゲンって……?」
「……」
しばらくヒミコは眼を見開いてぽかんとしていたが、すぐに語り始めた。
「シンゲン=モチダは、500年前に魔物の神と闘った勇者の名前です」
「!」
それを聞いて、再びオランの頭の中に閃光が走った。
そうだ。
人類を救う為に旅をしていたんだ。
仲間と共に!
「仲間が……いた……」
オランが独り言のように呟いた。
「はい。勇者の仲間達は、世界最強の魔法使いと言われていたマイケ=ムーンウォーカー。
ヒミコがそう言った直後、オランの脳天からつま先まで一気に電流が駆け抜けた。
3名の仲間の顔が、はっきりと浮かんだ。
ーーー
腰まである長く青い髪をいつも後ろに束ねていた。
常に冷静沈着で、その青い瞳には恐るべき知性と膨大な知識が宿っていた。
世界最強の魔法使いの称号を得ていた男。
マイケ=ムーンウォーカー。
ーーーー
艶やかな緑色の髪をした
透き通った緑色の瞳。
治癒魔法と補助魔法の達人であると同時に、弓の名手でもあった。
ヨモギ=グリーンティ。
ーーーー
燃え盛る炎のように常に天に向かって逆立っていた赤い髪。
凶暴な光を放つ真紅の瞳。
超攻撃的生物の異名を持ち魔物からも人間からも恐れられていた男。
レッド=モルドレッド。
ーーーー
その3人の姿が心の中に浮かんだ瞬間。
突然オランの両眼から涙が溢れ出した。
「……あれ!?」
オランは困惑した。
なぜ、涙が溢れて来るのか分からない。
なぜ。
どうして僕は泣いているんだ。
そしていったい誰なんだ。
次々に思い浮かんで来るこの人たちは。
いや、知ってる。
仲間だった人達だ。
でも、どうして会った事も無いのに知っているんだろう。
「あれ……どうして」
涙が次々と溢れて来て止まらなかった。
心の中に浮上してくる彼らの事は知らないはずなのに、かけがえのない大切な仲間だったという事が自然と認識出来た。
彼らの顔が思い浮かぶ度に、胸が暖かくなった。
そして、更に。
この、目の前にいる少女の顔を見る度に涙の勢いが増した。
堰が切れたように、涙が溢れて止まらない。
そんなオランを、ヒミコは優しい眼差しで見守っていた。
オランが泣き止んでからしばらくして、ヒミコが口を開いた。
「仲間と過ごした記憶があるんですか?」
「……記憶ってほどでもないんだけど……ただなんとなく、あの人達といて楽しかったって、感覚があるの」
「そうですか。あの……あなたのお名前……教えて頂けますか?」
「あ、まだ名乗ってなかったね。オランだよ」
「オランさん」
ヒミコは、無言でオランを見つめた。
オランも、無言でヒミコを見つめた。
その時。
突然、ヒミコの両眼から涙が静かに流れた。
「え……?」
オランはびっくりした。
「すみません」
ヒミコはそう言って、涙を指先で拭った。
涙が止まると、オランを真っ直ぐ見据えて言った。
「オランさんはもしかして、シンゲン=モチダの生まれ変わり……とか……なんじゃないでしょうか」
「……生まれ変わり?」
「そうとしか考えられないんです」
言いながら、ヒミコは懐から小さな黄金の宝石を取り出した。
ラプトルの魔物に囲まれた時に、窮地を脱するきっかけとなった宝石である。
「これは、
「!」
黄龍。
あの龍だ。
オランは、天空を舞う龍の姿を思い浮かべた。
「今朝、私があの恐竜の魔物から走って逃げている途中で、首にかけていた黄龍水晶の欠片が光り輝いていたんです。まさかと思って、私はその場で魔法陣を描いて勇者を召喚する魔法を発動させたのです」
「……」
「そこで稲妻に乗ってやって来たのが……つまり召喚されて来たのが、オランさんだったわけです」
「……じゃあ、僕はヒミコに呼ばれて島を飛び出したって事?」
「そういう事だと思います。最初、オランさんを見た時はびっくりしました。てっきり儀式は失敗したと思いました。だって、人間が来るものとばかり思っていたところに小さな魔物が現れたのですから」
「……なんか、ごめん」
妙に申し訳ない気持ちになった。
「いいえ。でもあの時は本当に、私はオランさんに殺されると思いました」
「どうして?」
「どうしてって……だってオランさんは魔物じゃないですか」
「僕が魔物だと、どうして殺されると思うの?」
オランの質問を聞いて、ヒミコは目を丸くした。
だが直ぐに、口元が微笑みの形になった。
「通常、魔物は本能的に人間を嫌うんですよ」
「そう……なの?」
オランの心に、何か冷たいものが走り抜けた。
魔物は本能的に人間を嫌う?
僕が、本能的に島の魔物達に嫌悪を抱くように?
「でも、オランさんは私を見るなり、治癒魔法をかけてくれました」
「……う、うん。なんか必死で」
「あんなに温かくて、優しくて、心地の良い治癒魔法は初めてでした」
ヒミコは微笑んでいた。
眼に、僅かに涙が浮かんでいた。
「それから私は少し気を失ったみたいですが、目を覚ました時にはオランさんが身体を張って魔物と戦っていました。その姿を見て、もしかしたらって思ったんです。儀式は失敗なんかしていなかったんじゃないかって」
「……」
「そして、恐竜の魔物達に囲まれた時に、オランさんに懸けてみたんです。もしオランさんが召喚魔法で呼ばれた勇者なら、黄龍水晶が何らかの動きを見せるはずだと思ったんです」
「……」
「その考えは当たっていました。黄龍水晶をオランさんに押し付けた時、オランさんから黄金のオーラが迸りました。そして、あの透き通った黄金の瞳。あの瞳こそが、オランさんが勇者と関係がある事の証拠です」
「……瞳?」
「はい。あの黄金の瞳は、モチダ一族と同じ瞳です。そして、あの稲妻に乗る魔法。名を雷跳(らいちょう)というのですが、雷跳はモチダ一族にしか扱えない技なんです」
「……」
「以上の事から考慮すると、オランさんは魔物でありながら勇者としての力を持つ……と思うんですが、それだけでは無いようです」
「……?」
「私の傷を治した、あの治癒魔法です。あの時、オランさんの身体から緑色のオーラが溢れ、更に瞳が透き通った緑色になっていました」
「……」
「あの透き通った緑色の瞳は、森聖族(エルフ)のものと似ています」
「!」
「そしてもうひとつ。先程、恐竜の魔物と戦っていた時の赤い瞳です」
「……赤くなっていたの?」
「はい。燃えるような真紅に輝いていました。シンゲン様の仲間の1人である、レッド=モルドレッドと似た瞳です」
「……」
オランは驚愕していた。
戦っている時、自分の瞳は赤くなっていたのか。
いったい、自分は何者なのかと思った。
なぜ瞳の色が黄金になったり緑になったり赤くなったりするのか。
しかし、確かに、さっき戦っていた時自分でも不思議な感覚を味わっていた。
格闘術を誰かに教えてもらった事なんてないのに、まるで昔からずっと練習して来たかのように、拳による攻撃や蹴りなどが自然に繰り出す事が出来た。
どうしてだろう。
わけが分からない。
「もしかして、オランさんには」
「……」
「ヨモギ=グリーンティの魂とレッド=モルドレッドの魂も宿っているのではないでしょうか」
「……な」
「何か、心当たりはありませんか?」
「えと……よく分からないけど……なんか」
「オランさんの事、詳しく教えて頂けませんか」
「詳しくって?」
「どこで生まれて、どのように育ったんですか?」
「えと……僕、ガララパゴスって島で生まれたんだけど。生まれた直後から、魔物を見ると本能的に襲いかかっていたんだって。自分の母さんにも」
「!……それは、今もですか?」
「え?」
「今も、魔物への攻撃衝動があるんですか?」
「……うん。魔物を見ると、なんか、ムカムカして来るというか。飛び掛かりそうになるのを、必死で我慢してるの」
「理性で抑えてるというわけですね」
「うん。多分。それで産まれてすぐ、母さんの腕をめちゃくちゃに引っかいて切り裂いた時、僕の身体から突然緑色のオーラが出て来て、母さんの傷を治したんだって。その時、僕の瞳は緑色になってたって聞いた」
「なるほど」
「それから僕は、誰にも教わって無いのにいろんな魔法が使えたんだって。魔法を使う時は、瞳が青くなっていたんだって」
「!」
「でも、やたら魔法を使うのは危険だって事で、アミダが僕が赤ちゃんの頃に魔力を封印したらしいの」
これらの事は、全てマイアとカメジ、アミダから聞いた事であった。
その時に、この世に魔法というものが存在する事を知った。
「だから僕は、魔力封印されてから今日まで、自分の意思で魔法を使ったことはなかったの」
「そうだったんですね」
「それがね、今日、島の上空に突然、黄金の龍が現れて」
「黄龍ですね?」
「うん。きっとそうだと思う。僕は黄龍なんて見た事も聞いた事も教わった事も無かったのに、見た瞬間にあの龍が黄龍だって分かった。それに、君を見た時も、初めて見たのに人間だって分かった。そして、守らなくちゃって」
「……」
「それで、黄龍を眺めていたら、突然雷が僕に落ちて来たの」
「それは黄龍の
「そうなの? それでね、目を覚ましたら、島の魔物達が殺気立ってて母さんの姿が見えなかったから母さんはどこだって言ったら……誰かが、お前が黄龍を呼べるなら母さんも只じゃ置かないみたいな事言って」
「……」
「気が付いたら、僕はその魔物に飛びかかってた。でも、土の手に捕まったの」
「土の手? 土を操る魔法ですか?」
「うん、多分。その時……僕は無我夢中で暴れててその後、なんか知らないけど土の手が外れて」
「それは、オランさんが土の手を解除したという事でしょうか」
「そうなのかな……夢中だったから、よく分からないけど」
「土の手を解除したのがオランさんだとすれば、それは魔法です。という事はつまり、オランさんにかかっていた魔力封印の魔法も、オランさんが自力で解除したという事だと思います」
「そうなの?」
「魔力を封印された状態で、その封印を解除する魔法を使うなど普通は不可能です。マイケ=ムーンウォーカーのような強力な魔法使いでも無い限りは」
「……」
「オランさん、その時、瞳が青くなっていたんじゃないですか?」
「えっと、それは分からないけど……」
「そうですか。その後は」
「それで、また土の手に捕まって……そのあと空から雷がまた落ちて来て。落ちたと思ったんだけど、雷が空まで僕を引っ張って、空を移動して……」
「私の元に来た……というわけですね?」
「うん」
その後2人は、しばらく無言だった。
ヒミコは何かを考えているようであったが、数秒後、口を開いた。
「オランさん、多分、あなたには」
「……」
「シンゲン=モチダとその仲間達の魂が宿っていると見て間違い無いと思います」
「え」
「勇者シンゲンの魂が宿っているから、黄龍が祝雷を落としたんです。そして眠っていた勇者の力が目覚めたんです。私の持っていた黄龍水晶が輝いたのはきっとその瞬間だったのでしょう。
そして、オランさんが生まれてすぐに治癒魔法が使えたのは、ヨモギ=グリーンティの魂が宿っているから。
魔力封印と土の手を解除したのはマイケ=ムーンウォーカーの力でしょう。
さらに先程の魔物と戦っていた時の身のこなしや体術は、レッド=モルドレッドの魂に起因する戦闘能力だと思います」
「……えと……」
頭の整理が追いつかない。
よく分からない。
「魔物でありながら魔物への憎悪を生まれながらにして持ち、人間である私を見るなり守らなきゃという思いに駆られたのも、彼らの信念がオランさんの心に根付いているからだと思います」
「……そうなの?」
「オランさん」
「なに」
オランが答えた直後。
突然、ヒミコはオランに抱き付いた。
自分よりも遥かに小さな身体のオランを、ヒミコは力強く抱き締めていた。
「えっ……ちょ、ちょっと……!」
オランは困惑した。
引き離そうと、ヒミコの腕を掴んだ。
ヒミコの身体が小刻みに震えているのが分かった。
そして、微かに嗚咽を漏らしている事にも。
ヒミコは、泣いていた。
オランを抱き締めながら、嗚咽し、泣いていたのである。
この時。
ヒミコは、ぎゅっと閉じた瞼の裏に、過去の光景を思い浮かべていた。
思い出すだけで、多幸感に包まれるあの思い出を。
我慢出来なかった。
彼とは違うとは分かっていても、抱き締めずにはいられなかった。
「……シンゲン様……」
嗚咽しながら、ヒミコは伝説の勇者の名前を呟いた。
「えと……大丈夫?」
ヒミコがどうしてこんなに泣いているのか分からないが、とりあえずオランは声を掛けた。
「……すみません。大丈夫です」
ヒミコは、ようやくオランを離した。
そして再び、オランを見つめて言った。
もう、涙は止まっていた。
「500年前の英雄達が、あなたに宿っているんだとしたら」
「……」
「オランさんは、この世界を救う救世主なのかも知れません」
「……え? いや」
突然、何を言い出したのかと思った。
「この世界には、あなたが現れるのをずっと心待ちにしていた人たちがいます」
「待っていたって……ん?」
その時、オランはヒミコの顔の違和感に気付いた。
なんだろう。
何か、さっきまでと違うような。
あ!
「どうしました?」
自分の顔をじっと見つめるオランに、ヒミコが聞いた。
「顔の傷が、消えてる……?」
先ほど、森の中で会った時にオランが治したのは腹部と背中の傷のみだった。
ヒミコは腹部と背中以外にも、頬や額、腕、足など、身体中傷だらけだったはずである。
それらの細かい傷が、綺麗に消えていた。
「ああ、それはですね」
ヒミコはにこりと微笑みを浮かべた。
「えっと、ヤマタイコ一族の血筋です。ヤマタイコ一族は、普通の人間より少し生命力が強くて、自己治癒力も高いんです。致命傷を負っても直ぐには死なないし、小さな傷なら少し休めばすぐに治っちゃうんです。毒にもある程度耐性があるんですよ」
「そう、なんだ」
「でも、不死身というわけではないですからね。なのでさっきは本当に死にかけてたんですよ。ふふ」
「そ、そう」
「オランさん」
ヒミコがずいと近付いて来た。
また、ぎゅっと抱き締められるのではと思って、オランは身構えた。
「な、なに」
そして、ヒミコはオランの首に両手を回した。
ヒミコが離れると、オランの首から、黄龍水晶の欠片がついた紐がぶら下がっていた。
「それは、オランさんが持っていてください」
「でもこれは、君の大切なものなんじゃ」
「勇者が身に付けてこそ、この黄龍水晶は真価を発揮します」
「……」
オランは、黄龍水晶の欠片を眺めた。
淡く光っている。
そしてほんのりと暖かい。
「黄龍水晶は一般的な魔物にとっては忌まわしい存在です。服の中に隠しておいてください」
「う、うん」
そう言って、オランは首から下げた黄龍水晶を、着ている布の服の内側に入れようとした。
その瞬間。
ぱりん、と、軽い音が鳴った。
オランの手の中で、黄龍水晶の欠片が、粉々に砕けていた。
「あ」
オランとヒミコの声が揃った。
「え!? ぼ、僕、普通に握っただけだよ!?」
オランはあたふたした。
しばらく粉々になった石を見ていたヒミコは、やがて何かを納得した様子で言った。
「なるほど。あの大きさだと雷跳一回分って事でしょうか」
「え?」
「黄龍水晶の欠片は世界中に散らばっていると言われています。また見つけましょう」
「え、見つけるって……」
「壊れてしまったものは仕方ありません。それよりオランさん、これからどうするんですか?」
「え?」
「何か目的地とかありますか?」
「……」
オランは困惑した。
どうすると言われても。
どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
島に戻りたい……けど。
僕はピンキーを、大怪我させてしまった。
それに、あの大勢の魔物達の恐怖と怒りに満ちた表情。
……戻れない。
僕は戻れない。
母さんが心配だけど。
僕は、あそこには戻っちゃ行けない存在かも知れない。
島の住民達の殺気に満ちた顔と、ピンキーの苦痛に呻く顔が思い浮かんで、オランは悲しくなった。
「何も予定が無いなら、とりあえず、この大陸を脱出しましょう」
「……う、うん。でも、どうやって?」
「雷跳を使うんです」
「また雷に乗るの!?」
思わず、オランの声が大きくなった。
正直、あの移動はもううんざりだった。
「それしか手段がありません。でも……」
「?」
「今日はもう無理そうですね」
「どうして?」
「オランさんから魔力が感じられないんです。おそらく魔力を使い切ってしまったと思われます」
「……」
「幸い、この洞窟は安全そうです。一晩ここで休んで、明日試してみましょう」
「でも、水晶が割れちゃった……」
「魔力さえ回復すれば雷跳を発動出来るかも知れません」
「そう……なのかな」
「まぁ、とりあえず明日です。あの、オランさんって何歳なんですか?」
唐突に、ヒミコが聞いた。
「ご、5歳……」
オランの答えを聞いて、ヒミコは一瞬目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「ふふ。そうなんですね。私は14歳ですよ」
「そ、そうなんだ」
しばらく、オランとヒミコは見つめ合った。
「あの」
オランが声を出した。
「はい」
「ヒミコの他にも、人間はいるの?」
「数は少ないですが、いますよ。でもほとんどは魔物達の奴隷となっています」
「奴隷?」
「そうです。オランさん、世界の歴史はご存知ですか?」
「歴史……というと」
「どのように魔物が誕生して、どのように人間が減って行ったのか、知ってますか?」
「知らない」
「オランさんは、知っておいた方が良いでしょう」
「う、うん」
「魔物がこの世に誕生したのは、今からおよそ2000年前です」
「2000年前!?」
「はい。2000年前、それまでの世界を根底から変える大天災が起きたんです」
そして、ヒミコは語り始めた。
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