第8話 少女

 灰色の雲の中を、黄金の稲妻が真横に疾っていた。

 その先端に、オランが稲妻に抱き着くような体勢でしがみついている。


 「ぐうっ……! くっ!」


 何が何だか分からなかった。

 分からないが、オランは歯を食いしばって全身に力を込めていた。

 身体全体に凄まじい加速度がかかっており、今にも全身が砕け散りそうな感覚がした。

 とても眼を開けていられなかったが、今、自分が尋常でない速度で天空を移動しているという事は何となく理解していた。


 「なに……これ!」

  

 どうして自分がこんな目に遭っているのか分からなかった。

 いったい何がどうなっているのか。


 すると突然、稲妻の向きが変わった。

 大地の方向に直角に折れたのである。

 そしてオランを乗せた稲妻は、落雷となって深い森の中へと垂直に落下した。

 稲妻が地面に激突し、轟音が周囲に鳴り響いた。

 オランは、今度こそ自分は死んだと思った。


 だが。

 オランは生きていた。

 天空から地面に落下したというのに、無傷である。

 痛みすら感じていなかった。


 「う……」


 オランは仰向けに転がっていた。

 うめきながら目を開けた。

 白い湯気が、自分の周りから立ち昇っている。

 依然として天には灰色の雲が広がっているが、樹々の葉っぱが視界に入っている為やけに小さく見えた。

 オランはゆっくりと上体を起こし、恐る恐る周囲を伺ってみた。

 どうやら森の中らしかった。


 「……森?……ん?」


 ふと、オランは視線を下に向けた。


 「わっ」


 思わず声を上げた。

 自分の身体が、地面に描かれた奇妙な模様の上に乗っていたのである。

 そしてその模様は、柔らかな金色に光輝いていた。

 魔法陣である。


 「なにこれ……」

 

 オランがじっとその魔法陣を眺めていると、その金色の輝きはゆっくりと弱まって行き、やがて模様が消えた。

 とりあえず立ち上がらなくてはと思い、オランはふらつきながらゆっくりと立ち上がった。

 周囲は樹々が鬱蒼と茂っている。

 そして、何気なく後ろを見た。


 「うわっ!」


 オランはぎょっとした。

 初めて目にする生き物が、オランの背後に立っていたのである。

 その生き物も、驚愕の表情で、目を丸く見開いてオランを見ていた。


 「……に、人間……?」


 オランが、呟いた。

 背後にいたのは、人間の少女であった。

 何故かオランは、初めて実際に見るこの生き物を、人間だと認識する事が出来た。


 「……そんな」


 人間の少女が、絶望の表情を浮かべて掠れた声を出して、その場にへたり込んだ。

 肩の辺りまである黒髪が、汚れて痛んでいた。

 赤い血のようなものが付着しており、それが乾燥して髪と髪が所々くっついている。

 質素なサンダルを履いて、ぼろ雑巾のような服を身に付けているが、その服が、前も後ろも真っ赤に染まっていた。

 特に腹部の辺りが周囲よりも濃く滲んでいる。

 血であった。

 腹部から大量に出血しており、その血が服を朱に染めていたのである。

 良く見るとその少女は、全身が擦り傷と打撲だらけであった。

 顔も、傷だらけである。

 頬も額も、ざっくりと切れて血が流れていた。

 酷く憔悴した顔に、絶望の色が浮かんでいた。

 そのまま、少女は力尽きたように横に倒れた。

 眼が虚ろになっていた。

 横になると同時に、腹部や背中から、血が流れ出した。


 「大丈夫!?」


 オランは叫んだ。

 同時に身体が勝手に動いて、少女の側へと駆け寄っていた。

 そして、少女の顔を覗き混んだ。


 「……?」


 少女が、ゆっくりとオランに視線を移した。

 不思議そうに、オランを見つめた。


 「凄い怪我だよ! 大丈夫!?」


 オランは悲しそうな表情で叫んだ。

 実際に、この少女の痛々しい姿を見て、心の底から悲しみを感じていた。

 オラン自身も、なぜ自分がこんなに悲しいのか分からなかった。


 「あなた、どうして……私を……」


 少女が消え入りそうな声を発した。


 「どうしてって何が!? 待ってて! 今治すから!」

 

 オランはそう言うと、少女の腹部に手を当てた。

 怪我が治るようにと、強く念じた。

 すると突然、オランの瞳が緑色に輝き出した。

 直後、オランの掌から緑色のオーラが漂い始めると、それが少女の身体全体にまとわりついた。

 腹部と背中に、特にオーラが集中していた。

 そして腹部と背中に出来た大きな切り裂かれたような傷が、緑色に光り輝き始めた。

 

 オランにとって。

 アミダに魔力を封印されたあの日から、実に5年振りに発動する治癒魔法であった。

 魔法の発動の仕方も、原理も誰かに教わった訳ではない。

 だが、オランは今、自然に、昔からやり方を知っているかのように、治癒魔法を発動する事が出来た。

 

 「……暖かい」

 

 緑色のオーラに包まれた少女が、安らかな表情で呟いた。

 眼を閉じていた。

 その閉じられた眼から、涙が静かに流れ落ちた。

 オランの治癒魔法の温もりを感じて、自然と溢れた涙だった。


 「小さな傷も治すからね」


 オランは優しく語りかけ、少女の身体中にある切り傷や打撲に意識を集中した。

 その時。

 ふっ、と、少女にまとわりついていた緑色のオーラが消えた。


 「え……あれ……?」


 思わずオランは呟いた。

 オランの掌から、輝きが失われていた。

 瞳も、通常の茶色に戻っていた。

 

 「な……なんで……!?」

 

 オランは焦りの表情になった。

 少女の顔を見た。

 眼を閉じている。

 気を失っていた。

 いや、もしかしたら。

 間に合わなかったのか。

 その考えが頭をよぎった瞬間、オランは泣き出しそうになった。

 なんで。

 なんで魔法が使えないんだ。

 あともう少しで。

 この人を助けられるのに。


 「どうしよう」

 

 オランは焦っていた。

 どうすればこの人を助けられるのか。

 オランがそう思って周囲を見回した時。

 背後から突然、男の声が聞こえた。

 

 「なんだったんだ今の雷。この辺りに落ちた気がするぜ」

 

 オランはぞくりとした。

 後ろを振り向くと、初めて目にする魔物が、そこに立っていた。

 それは、恐竜の魔物。

 ヴェロキラプトルの魔物であった。

 

 「お? 俺の獲物取られちゃったかな? この大陸の者じゃねぇな、おめぇ」


 ラプトルの魔物がオランを見ながら言った。


 「……!」

 

 オランは声を出せなかった。

 嫌悪感と恐怖を感じていた。

 そしてその恐怖を、ラプトルの魔物は感じ取っていた。


 「まぁそう怖がるなよボウズ。俺は優しいから安心しな」


 そう言いながら、ラプトルの魔物はオランに歩み寄って来た。

 視線が、オランから少女に移った。


 「お! お前がとどめを刺したのか?」

 

 どうやらこのラプトルの魔物は、眼を閉じて横たわっている少女を死んだものと判断したらしかった。

 

 「その人間ヒューム、俺と会う前から傷だらけでな。そこを更に俺が腹をかっさばいてやったんだが逃げ足の速ぇ事。腹切られてここまで走るたぁ、すげぇ生命力だよ。まぁ、この俺が仕留め損なった獲物にとどめを刺せるとは大したもんだ。いいぜ、その獲物はお前にやるよ」

 

 誇らしげに、ラプトルの魔物は言った。

 心の広い自分に酔っているような顔をしていた。


 「食え。そんで大きくなれよ。ボウズ」


 ラプトルの魔物がにこやかに言った直後。


 「う……」


 横たわっている少女が、顔を苦痛に歪ませながら呻いた。

 オランとラプトルの魔物が、同時に少女を見た。

 ぞくりと、オランに戦慄が走った。

 少女がまだ生きているという事が、このラプトルの魔物にも気付かれてしまった。

 

 「おおっと。惜しかったなボウズ。まだ息があるようだぜ」

 

 「……い、いや」


 かろうじてオランの口から出た言葉であった。


 「最初はみんな失敗するものさ。どれ、俺が見ててやろう。よし、ボウズ、そのヒュームの喉に嚙みつくんだ」

 

 「……えっと……もう、死んでる……から、大丈夫」

 

 オランは必死で頭を働かせていた。

 少女は一命を取り留めている。

 ならば守らなくてはと思う。

 理由は分からない。

 分からないが、とにかく守らなきゃと思う。

 絶対に、この人を守らないと。


 「だはは! 分かるぜ! とどめを刺したと思ったのに、それが失敗していた時! ショックだよな! でもな、ボウズ、そういう失敗を繰り返して、狩りは上手くなって行くんだ。俺も最初は下手だったんだぜ?」


 そう言いながら、ずんずんとラプトルの魔物は近付いて来た。

 そして、オランと少女の前まで来て、止まった。

 

 「っ!」


 オランは身構えた。

 汗が雫となって落ちた。


 「よ〜し。特別だボウズ」


 ラプトルの魔物は右脚を天に向かって振り上げた。

 足に生えた鋭い鉤爪が、鋭く光った。


 「ラプトルの鉤爪の切れ味、見せてやるぜ!」


 そう言った直後、ラプトルの魔物は振り上げた右脚を、少女に向かって真っ直ぐに振り下ろした。

 その瞬間。

 オランは身体が勝手に動いていた。

 その場から跳躍し、ラプトルの魔物の右脚に飛びかかっていた。

 そして、鉤爪が少女に到達する前に、その右脚は空中で止まっていた。

 右脚のふくらはぎの辺りにオランが抱き着き、思い切り噛み付いていた。

 

 「いった! オイ! 何すんだ! 痛ぇなオイ!」


 ラプトルの魔物は右脚を振り回した。

 その勢いで、オランの身体が脚から離れて吹っ飛んだ。

 草の生えた地面に落下して、ごろごろと転がった。


 「いっつっつ〜」


 ラプトルの魔物は、自分の右脚のふくらはぎを見た。

 オランの歯型がついていた。

 その歯型から、血が垂れていた。

 地面に転がっているオランを、ラプトルの魔物は見た。


 「おいおいお〜い。困るなぁ。こんな事されたら、流石の俺もちょっと怒っちゃうよ」


 その言葉の通り、ラプトルの魔物の眼には怒りが宿っていた。

 そして、ラプトルの魔物はずんずんとオランに歩み寄って行った。


 「どうしてこんな事したのかな?」


 「……」


 オランは答えなかった。

 なんて答えたらこの状況を打破出来るか分からなかった。


 「黙ってちゃ分からないよ。ん?」


 ラプトルの魔物が、ずんずんと近寄って来る。

 オランは、樹に捕まりながらゆっくりと立ち上がった。


 「う〜ん。ボウズ。俺で良かったな。他の連中だったら殺されているよ。うん。これもボウズの為だ。俺は大人としてお前に教えなくちゃならん。ああいう事をすると、痛い目を見るって事をな。ボウズがこの先失敗しないようにな」


 「……」


 「いいか? ボウズ。ちょっとだけ痛いけど、耐えるんだぞ。終わったら、あの肉を食べよう」


 ラプトルの魔物はそう言って、後方の少女をちらりと見た。


 「ん?」


 ラプトルの魔物の視線が、少女を見て止まった。

 何か違和感を感じたのである。

 なんだ。

 何か変だ。

 ん?

 血か。

 腹部の血が止まってるのか。


 ラプトルの魔物はその場から動かず、尻尾を器用に動かして、尻尾の先を少女の服の裂けている部分にひっかけた。

 そして、尻尾を動かして服をめくった。

 少女の腹部の傷が、塞がっていた。

 細かな傷はそのままのようだが、自分が切り裂いた傷が明らかに治っていた。


 「なに……?」

 

 ラプトルの魔物は困惑した。

 なぜ。

 確かに俺が切り裂いたはず。

 なぜ、治っている。

 自分で治したのか。

 いや、そんな魔力は感じなかった。

 誰が治したんだ。

 まさか。


 ラプトルの魔物が、ゆっくりとオランのいる方向を向いた。

 その時には、オランは跳躍してラプトルの魔物の顔の目の前の空中にいた。

 そして。

 ラプトルの魔物は見た。

 

 オランの瞳が、真紅に染まって輝いているのを。

 そしてそのままオランは体重を乗せた右の拳で、ラプトルの魔物の横っ面を思いっきり殴り抜いた。


 ごっ!

 という、骨と骨が激しく衝突するような鈍い音が響き渡った。

 オランの渾身の右フックであった。

 右フックはラプトルの魔物の顔の左側を見事に捉えていた。

 2本程の牙が口から舞い、身体がよろめいた。

 オランが、地面に着地した。

 ラプトルの魔物はよろめいただけで、倒れなかった。

 すぐに視線を、オランに戻した。

 ラプトルの魔物はオランを見下して、オランはラプトルの魔物を見上げていた。


 オランの両眼は赤く輝き、怒りが宿っていた。

 その怒りの視線を受けて、ラプトルの魔物はにぃっと笑った。

 そして、眼に残酷な光を宿らせて言った。


 「良いパンチじゃねぇか。気に入ったぜ」


 ぞくりと、再びオランの背筋に戦慄が走った。

 このラプトルの魔物が、明らかな臨戦態勢に入ったのが分かった。


 「なんだかよく分からねぇが……ボウズ。良いなお前。その遠慮の無さ、殺意の宿った赤い眼。なんで眼の色が変わるのか知らねぇが、まぁいい。俺たちの隊に推薦してやるよ。ただし、上下関係をはっきりさせとかなきゃな。今からボコるが悪く思うなよ。まぁ、殺しはしねぇから安心しろ」


 「!」


 「多分な!」


 言うと同時に、ラプトルの魔物はオラン目掛けて跳躍した。

 同時に、両足の鉤爪をそれぞれ一閃した。

 オランは後方に跳んだ。

 鉤爪が、空を切り裂いた。

 ひゅっ、と、ぞっとするような風切り音が響き渡った。

 

 後方に跳んだオランは、背後にあった大きな樹の側面に着地すると同時に、樹を力強く蹴っていた。

 その勢いで、弾丸のようにラプトルの魔物に突っ込んでいた。

 そのまま、左の拳をラプトルの魔物の鼻先に打ち込んだ。

 ごちっ、という、硬い物同士がぶつかって、なおかつ何かが潰れたような音が響いた。


 「ぐっ……!」


 ラプトルの魔物が、呻きながらよろめいた。

 と同時に、右手を伸ばしてオランの首を掴んでいた。


 「がっ!」


 オランの口から、声が漏れた。

 首を締め上げられていた。

 ラプトルの魔物は、鼻血を流しながら右手1本でオランを持ち上げた。

 

 「とんでもねぇなお前。眼が赤くなると強くなるのか?」


 言いながらラプトルの魔物は、オランを自分の目線と同じ高さまで持ち上げた。

 右手に、力を込めた。

 爪が、オランの首に食い込んだ。

 みしみしと、首の骨が悲鳴をあげた。


 「がっ……!かっ!」


 オランは無我夢中で暴れた。

 呼吸が出来ない。

 意識が遠のいていく。


 「まぁいい。ちょっとお寝んねしてな」


 ラプトルの魔物はそう言うと、オランを樹に向かって思い切り叩き付けた。

 オランの身体と樹が衝突した瞬間、ずしん、と、重厚な音が響いた。

 樹が揺れて、上から葉や虫が舞い落ちて来た。


 「がはっ……!」


 オランの全身の骨に、重厚な痛みが疾った。

 口から空気を吐き出した。 

 ずるりと、樹から地面にずり落ち、そのまま地面に伏した。


 「ありゃ。つい思い切りやっちゃったよ。死んじまったかな。いや〜結構痛かったからさぁ。お前のパンチ」


 ラプトルの魔物は、そう言って自分の鼻を撫でた。

 まだ、血が流れていた。

 すると、オランがよろよろと立ち上がった。


 「うおっマジか! タフだなおい!」


 ラプトルの魔物は目を丸くした。

 心の底から驚いたようであった。


 「ま、守らなきゃ……」


 ふらふらしながら、オランはぼそりと呟いた。

 赤く輝く瞳で、ラプトルの魔物を見つめた。


 「あん?」


 「僕が……守らなきゃ」


 「何を……? このヒュームをか?」


 ラプトルの魔物は、尻尾で横たわっている少女を示した。


 「おいおいボウズ。どうしてヒュームなんか守るんだ? ていうか、こいつの傷治したのお前か? やっぱ」


 「……」


 オランは答えずに、ラプトルの魔物を睨み付けた。

 まだ、瞳は爛々と赤く輝いている。


 「う〜んなんか妙なガキだなぁ。やっぱ殺しとこうかね」


 言いながら、ラプトルの魔物はオランに歩み寄った。

 オランは身構えた。

 すると、横たわっている少女の眼が、薄く開いた。

 オランが樹に叩き付けられた時の衝撃音で、目を覚ましたらしい。

 少女は困惑していた。

 どうしてあの魔物は自分の事をを守ろうとしているのか。

 なぜ、魔物なのに身体を張って戦っているのか。


 少女が見ている前で、ラプトルの魔物が、オランの目の前まで疾って距離を詰めた。

 そして、右脚を振り上げた。

 その瞬間。

 ぐらりと、ラプトルの魔物はバランスを崩して転びそうになった。


 「!?」

 

 ラプトルの魔物は混乱した。

 

 「なんだ……目が回る……!?」


 突然、ラプトルの魔物の視界がぐるぐると回り出した。

 そしてふと、自分の右脚のふくらはぎに視線が止まった。

 オランに噛まれた場所が、紫色になって大きく腫れ上がっていた。


 「あ!? なんだこりゃ! おいてめぇ! 毒持ってんのか!?」


 ラプトルの魔物は、怒りの形相でオランの方を向いた。


 「!?」


 だが、オランはもうそこにはいなかった。

 完全に視界から外れていた。

 その時すでにオランはラプトルの魔物の懐に入っていた。

 そのままオランは、真上に垂直に跳び上がった。

 そして右の拳が、ラプトルの魔物の下顎を捉えた。

 ごぎゃっ、という音がした。

 真下から天へと、思い切り拳を打ち抜いていた。

 ラプトルの魔物が、大きく仰け反った。

 頭蓋骨の中で、脳が大きく揺れていた。

 そのまま、後頭部から地面に倒れた。

 

 オランが、地面に着地した。

 ラプトルの魔物は、仰向けに倒れたまま動かなかった。

 オランはすぐさま少女に駆け寄ろうとした。

 だがその瞬間、ラプトルの魔物がよろよろと動き、ゆっくり立ち上がった。

 

 「あ〜……効いたぜ」


 ラプトルの魔物は近くの樹に掴まりながら呟いた。


 「参ったなこりゃ。毒による目眩と、脳を揺さぶる必殺のアッパー。何かに掴まってなきゃ、立ってられん」


 今のうちだと、オランは思った。

 オランはひとっ飛びで少女の目の前に着地した。

 少女が、横たわったままオランを見た。

 オランは少女が目覚めている事に気付いた。

 そして、話しかけた。


 「立てる?」


 少女を抱き抱えて逃げ出したかったが、この体格差では無理があった。

 少女よりも、オランの身体の方が遥かに小さいのである。


 「……はい」


 少女はそう言いながら、むくりと上体を起こした。

 その時。


 クオ……!

 という奇妙な音が、周囲に響き渡った。

 オランと少女は、同時にラプトルの魔物を見た。

 ラプトルの魔物が、樹に掴まりながら、喉を垂直に立てて鳴いていた。


 また、奇妙な声で鳴いた。

 異常な程に、空気を伝播する鳴き声であった。

 かなり遠くまで届くような音質である。


 「……まさか」


 オランに戦慄が走った。

 まさか。

 仲間を呼んでいるのか。

 そう直感した直後、オランは少女を見た。

 少女の腹部や背中にあった大きな傷は塞がったものの、完全に身体は癒えていないのは明らかだ。

 とても走る事は出来ないだろうと思った。

 そして、オランがそう思った事を、少女も直感で理解した。


 「あなただけで逃げて」


 少女がそう言った時にはすでに、オランは何かを決心していた。

 そして、大地を蹴って跳躍していた。

 跳躍した先は、ラプトルの魔物であった。

 空中で、オランは右脚を槍の如く突き出した。

 その右脚が、垂直に立てたラプトルの魔物の喉仏を強かに蹴り抜いた。

 見事な飛び蹴りであった。

 

 「ぐえっ」


 突然喉を蹴り抜かれ、たまらずラプトルの魔物は喉を抑えて倒れた。

 そのまま、オランは倒れているラプトルの魔物の顔の上に着地した。

 そして、頭部を思い切り踏みつけた。

 ごっ、と音が鳴った。

 また踏みつけた。

 再び踏みつけた。

 もう一回。

 連続で4回踏みつけた。

 オランは必死だった。

 なんとかしてこのラプトルの魔物を失神させなくてはと思った。

 ラプトルの魔物が、動かなくなった。

 オランは、肩で息をしながら少女の方を見た。

 少女の顔が、恐怖に引きつっていた。

 その顔を見て、オランは突然悲しくなった。

 自分の暴力が、少女に恐怖を与えてしまったのかと思った。

 だが。

 少女が恐怖を感じていた理由はそこではなかった。

 少女はオランに向かって突然、叫んだ。


 「うしろ!」


 少女の叫び声がオランの耳に届いた瞬間、オランは反射的に背中に力を入れていた。

 直後。

 ごきゃっ、という音が響き渡った。

 オランの背中に、鋭い痛みと激しい衝撃が走り抜けた。

 身体が吹っ飛び、少女の目の前の地面に転がり落ちた。


 「くっ……!」


 苦痛に呻きながら、地面をごろごろと転がって、オランは立ち上がろうとした。

 そして、先程のラプトルの魔物の方を見た。

 ラプトルの魔物が、倒れていた。

 そのすぐ側で、また別のラプトルの魔物が現れ、倒れている仲間を無言で見つめていた。

 この、新たに現れたラプトルの魔物が、オランの背中を背後から蹴り上げたのだと分かった。


 「くそ!」

 

 オランの背に戦慄が疾り抜けた。

 間に合わなかった。

 仲間を呼ばれてしまった。

 だが、1人なら。

 なんとかなるかも知れない。

 そう思った時。

 オランは自分の身体から、力がすっと抜けて行くのを感じた。

 同時に。

 赤く輝いていた瞳が、ふっ、と、普段通りの茶色に戻った。

 

 「え……あれ……!?」

 

 オランは急に自分の身体が重くなったように感じた。

 直後、周囲から、がさごそと葉っぱを掻き分ける音が聞こえた。

 ぞくりと、恐怖感が膨れ上がった。

 汗がふつふつと流れた。


 樹の影から、ぞろぞろとラプトルの魔物達がやって来た。

 10人ほどのラプトルの魔物が、オランと少女を取り囲んだ。


 「おいおいおい、ラップ、お前こんなガキにやられたのか?」

 

 集団の内の1人が言った。

 どうやら倒れているラプトルの魔物は、ラップという名前らしかった。


 「そのようだな。おい、起きろ!」


 先程オランを蹴り飛ばした魔物が、ラップの身体を軽く蹴った。


 「う……ん……」


 ラップが、眼を開けた。

 そして倒れたまま周囲を見渡すと、仲間が来てくれた事を理解して、ゆっくりと立ち上がった。


 「いや〜……参ったね」


 樹に掴まりながら、ラップは言った。


 「油断したよ。毒で目が回ったところに顎パッカーンさ。すげぇやるぜ、そのガキ」


 ラップが、腫れた眼でオランを見ながら言った。


 「ほう」


 ラップを蹴って起こした魔物が、腕を組みながらオランを見た。

 先程、オランを蹴り飛ばした魔物は、集団の中で一番落ち着いていた。

 眼にも知性的な光が宿っている。

 どうやらこの魔物が、この群れのリーダーらしかった。

 そのリーダーが、一歩前へ進んでオランに言った。


 「おい、小僧」


 「!」


 オランは視線をリーダーに向けた。

 無意識の内に、少女の前に立って守るような姿勢を取っていた。


 「なぜそのヒュームを守ろうとする?」


 リーダーは依然として腕を組んでいた。

 落ち着いた眼で、オランを見下ろしていた。

 オランは完全に気圧されていた。

 直感で、この男にはとても敵わないと思った。

 が、オランのその想いとは別に、オランの瞳の奥で、魔物に対する憎悪の光が微かに灯っていた。


 「……わからない」


 オランの口から出た答えは本心だった。

 自分でも、なぜこの少女をこんなにも守りたいと思うのか分からなかった。


 「ふむ」


 そしてリーダーは続けた。


 「いいかトカゲ小僧。最近この辺りで俺たちの仲間が次々と何者かに殺されているんだ。そのヒュームが関わっているかも知れん」

 

 「……」


 「そいつからはいろいろ聞き出さなくてはならんのだ。こっちに渡せ」


 「……」


 オランは答えなかった。

 だがその眼は、断ると言っていた。

 オランのその眼を見て、リーダーは今まで感じた事のない、妙な雰囲気を察した。


 「妙だな。お前からは何か妙なものを感じる。その眼に宿る殺気も、何か妙だ。お前、本当に魔物か?」


 「!」


 オランはどきりとした。

 少女も、オランの顔を見た。

 オラン自身は、正真正銘魔物である。

 だが、背負わされた運命が、あまりに特殊過ぎた。


 「魔物でありながら何か秘密を抱えているのか?」


 リーダーが続けた。

 恐ろしく勘の鋭い男であった。

 この男の名は、デノニク=ヴェロキラ。

 デノニクは、オランの態度や表情、そして全体的に漂う違和感から、オランの抱えし秘密に迫りつつあった。


 「デノニク、もういいんじゃねぇか。このチビがラップを倒した事は事実なんだ。さっさと気絶させて話はゆっくり宮殿で聞こうぜ」

 

 集団の内の1人が言った。

 デノニクはしばらく考え込んだ。 

 直後。


 「そうだな。このトカゲ小僧には何やら秘密がありそうだ。思いもよらぬ方法でまた俺たちの誰かを倒すかもしれん」


 「へっへっへ」


 集団が、じりじりとオランと少女に歩み寄った。


 「殺すなよ」

 

 デノニクが呟いた。


 「分かってるって」


 部下が答えた。

 オランの心拍数が一気に上がった。

 まずい。

 どうしよう。

 このままじゃ。


 その時、いきなり少女がオランの肩を掴んだ。

 オランが、驚きながら少女の方を向いた。

 少女は、自分の首にぶら下げていた紐を解いていた。

 その紐の先に、小指ほどの小さな宝石が通してあった。

 透き通った黄金の色をしたその宝石が、淡く光っていた。

 少女はオランの手を取り、その宝石を、力強くオランの掌に押し付けた。

 掌が、一気に熱くなった。

 直後。

 ごうっ、という音を立てて、オランの身体から黄金のオーラが迸った。


 「!?」


 ラプトルの魔物達が、動きを止めた。

 デノニクも、目を見開いた。


 「なにこれ!?」


 言いながら、オランは少女を見た。

 少女も、オランを見た。

 少女の顔が、驚愕に染まった。

 その直後。


 「……やっぱり!」


 少女は、安堵の表情を浮かべていた。

 オランの瞳が、輝いていたのである。

 赤でも緑でも青でもない。

 透き通るような黄金だった。

 オランの瞳が、黄金の光を発していた。

 その瞳を見て、少女が静かに言った。


 「雷跳(らいちょう)と叫んでください」


 「ライチョウ?」


 オランが聞き返した直後。

 天を覆う灰色の雲から、稲妻がオラン目掛けて落ちて来た。

 大地を揺るがす凄まじい轟音が鳴り響いた。


 「おわっ!?」


 ラプトルの魔物達は、皆一斉に後ろに跳んで回避していた。


 「なんだ!? 雷!?」


 ラプトルの魔物達がざわついた。

 数秒後。

 土埃がゆっくりと晴れた。

 オランと少女は、その場から消えていた。

 デノニクは、天を見上げた。

 一本の稲妻が、左右に不規則に折れながら灰色の雲の中を東の方角へと疾って行った。

  

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