第6話 落雷

 翌日。

 ガララパゴス諸島の空全体を、分厚い灰色の雲が覆っていた。

 時刻は正午近いが、太陽は完全に雲に隠れており、海から吹く風が妙に冷たく強かった。

 

 離れ小島の周りの海面を、水飛沫を上げながら遊泳しているひとつの影があった。

 その影が、ふと海中に潜った。

 およそ10秒後、その影が海面から勢い良く飛び出して来て、離れ小島の岩場に着地した。

 オランであった。

 その口元に、綺麗な貝殻を咥えていた。

 咥えている貝殻を右手に持ち替えると、その模様をまじまじと眺めた。

 

 「うん。綺麗だ」


 泳ぎの練習をしている時に、たまたま見つけた貝殻であった。


 「母さんにあげたら喜ぶかな」


 オランは呟きながら、母親の喜んでいる顔を思い描いた。

 自然と、オランにも微笑みが浮かんだ。

 オランは離れ小島の中心部に向かって歩き、ヤシの木の根元にどさりと座り込んだ。

 横に貝殻を置いて、呆然と遠くの海を眺めた。


 「ん?」  

 

 オランの視線が下を向いた。

 自分のすぐ横を、茶色の小さなトカゲが歩いていた。

 

 「やぁ。御先祖様」 

 

 言いながら、トカゲの進行方向に自分の左の掌を差し出した。

 トカゲは、何の迷いもなくオランの左掌に乗って来た。

 オランは掌を自分の顔の高さまで上げて、トカゲを見た。

 トカゲも、じっとオランを見ていた。 

 不思議だな、とオランは思った。 

 例外はあるが、魔物には自分の祖となった野性動物が必ずいるらしい。

 大昔に起きた天変地異をきっかけに、魔物に進化した個体と、そのまま野性動物の姿を維持した個体とに分かれたのだという。 

 以前、ジョースと海を泳いでいた時に、近くを鮫が通りかかった事があった。

 鮫の魔物ではなく、普通の鮫である。

 その時にジョースが言っていた。

 

 〜〜「俺の先祖は強いから気をつけろよ。 

 野性動物が、魔物よりも弱いと思ったら大間違いだ。

 野性の中で生きる彼等は、常に食うか食われるかの二択で生きている。

 故に強く残酷で、餌と判断したら何の躊躇も無く襲う。

 それが彼等の日常なんだ。 

 俺たちが蟹や魚を食べるのと同じなんだ。

 彼等は大自然そのものなんだ。

 だから、常に畏怖と敬意の念を忘れちゃいけないんだ。

 でも、どうだい。 

 見てみなよ。

 野性の中で毎日を真剣に生きる彼等の顔は、美しいと思わないかい」〜〜


 「……」 

 

 ジョースの言葉を思い出しながら、オランはトカゲの顔をじっと見つめた。

 ふと、脳裏に父親の事がよぎった。

 見た事も会った事もない、父親。

 名前は、エンキド=コモドスという事だけは知っている。

 どうやらコモドスオオトカゲというトカゲを祖に持つ魔物らしい。

 そして自分は、その父親に似ていると何回も聞かされている。

 会ってみたい。

 父親の事を考えるたびに、そういう気持ちに駆られた。

 その時。

 

 掌の上に乗っていたトカゲが、ぴょんと飛び降りて、また自由気ままに歩き出した。

 オランはにこりと微笑んでから、何もない水平線を無言で見つめた。


 「どこに行けば父さんに会えるのかな」


 空を見上げて、オランは呟いた。

 どことなく妙な雰囲気が漂う、灰色の空であった。

 びょうびょうと音が鳴っている。

 いつの間にか、風が強くなっていた。


 「……なんか変な空だなぁ」


 ゆっくりと渦巻き模様を描きつつある灰色の空を、オランは眺め続けた。



ーーー同時刻。

 

 崖の上で、カメジ=ゾガメスは灰色の空を見つめていた。

 天空に潜む強大な気配をしっかりと感じ取っていた。


 「……ふーむ」


 カメジは、白い顎髭を撫でながら難しい表情をしていた。

 カメジの斜め後ろで、アミダが同様に灰色の空を見上げており、赤い髪が風になびいている。


 「この気配……スクイーダさんの言う強烈な光というのを聞いてもしかしてとは思ったけど……」


 アミダが独り言のように呟いた。


 「ふむ。黄龍こうりゅうの気配じゃな」


 カメジが、顎髭を撫でながら呟いた。

 長く伸びた白い眉毛の奥に見える瞳に、いつになく真剣な光が宿っていた。


 「勇者の血筋は500年前に途絶えたとされているはずだけど、生き残りがいたのかな」


 アミダが空を見上げながら言った。

 

 「その可能性はあるな。なんせ人間ヒュームは侮れん。どこかで虎視眈々と機会を伺いながら入念に牙を磨いていたのかも知れぬ」


 「そうだとしても、なぜこの島に」


 「それが分からぬ」


 カメジの長く伸びた白い眉毛が揺れている。

 風が更に強くなってびょうびょうと音を立てて吹き始めていた。


 「戦闘になるかな」


 言いながら、アミダは手首の関節を回した。

 

 「分からんな。じゃが心構えはしておいた方がよいじゃろう。出来る事なら穏便に済ませたいがのう」


 灰色の上空に渦巻く分厚い雲を見つめるカメジの眼に、鋭い光が宿っていた。

 白い眉毛と白い顎髭が、強風になびいていた。


 

 

ーーーー同時刻。

 

 暗い海中を、ジョースは凄まじい速度で泳いでいた。

 数時間前に、スクイーダのいる洞窟から飛び出して来たのである。

 その表情や泳ぎ方から焦燥が溢れ出ていた。

 客観的に見ればかなりの速度で泳いでいるのだが、ジョースは自分の泳ぎの遅さをこれほど恨んだ事はなかった。


 「くそ……!」


 ジョースの口から悪態が漏れた。

 自分の泳ぎの遅さへの悔しさと、そして間も無くガララパゴス諸島に訪れる事件に対してへの怒りであった。


 「くそ!」


 珍しく、ジョースは感情を剥き出しにしていた。


 「なんで……!」


 ジョースは、つい先程水晶に映った数分後の未来の光景を思い浮かべていた。

 くそ。

 なんで。

 なんでオランが……。


 「……オラン!」


 自然と、ジョースは友達の名前を口に出していた。

 自分が泣きそうな表情をしている事など、ジョースには知る由もなかった。


 

 

ーーーー同時刻。

  

 

 ガララパゴス諸島本土の、森の中。

 マイアは、摘み取ったばかりのキノコを麻袋の中に入れた。

 麻袋の中には、様々な木の実や果物、キノコ類が放り込まれていた。

 ふと、天を見上げた。

 樹々の隙間から、灰色の空が見える。

 奇妙な空だった。

 森の中を通り抜ける風も、いつもと違う。

 どこか違和感がある。

 風に、心地良さが無かった。


 「なんだろう……この空気」


 マイアが呟いた瞬間。

 突然、風が飛躍的に強くなった。

 今までは徐々にゆっくり強くなっていたのだが、突然嵐のような暴風に変化した。

 風の方向が、定まっていない。

 四方八方から滅茶苦茶に吹き荒れていた。

 樹々が倒れそうな程に傾いている。

 雨の無い嵐とも言うべき暴風であった。


 「なに……? こんなに急に風が強くなるなんて」


 マイアは吹き飛ばされないように樹に掴まりながら呟いた。

 掴まりながら、離れ小島に独り残して来たオランを想った。

 心配だった。

 一刻も早く行かなくてはと思い、マイアは体勢を整えて、走り出そうとした。

 その瞬間であった。

 マイアの視線が、灰色の空に突然現れた物体を捉えた。

 その物体を見た瞬間、マイアは大きく目を見開き、上空一点を見つめた姿勢のまま身体が硬直してしまった。

 

 その物体は、とてつもなく巨大だった。

 渦巻き状の雲の隙間から、ゆっくりと這い出て来たのである。

 そしてそれは、灰色の大空の中で眩い程の黄金に輝いていた。

 巨大な、蛇に似た形。

 龍であった。

 黄金の龍が、その長い身体をくねらせて、灰色の渦巻き状の雲から泳ぎ出て来たのである。

 そしてその黄金の龍は、ガララパゴス諸島の上空を、地上をゆっくり観察するように舞い始めた。

 マイアだけでなく、島民全員が、その龍に釘付けになっていた。

 皆、時が止まったように硬直していた。


 「な……あれは……」


 驚愕と怯えの混ざり合った表情で、マイアは黄金の龍を見つめていた。

 一粒の汗が、頬を伝い落ちた。



ーーーー同時刻。

  

 

 崖の上から、カメジとアミダもその黄金の龍を視認していた。


 「現れたわね」


 アミダの紅い瞳が、煌々と妖しく輝いていた。

 吹き荒れる風の中で、その風の影響を一切受けていないかのように、赤い髪が真上に向かって揺れている。

 臨戦態勢に入ったアミダの身体から闘気とオーラが噴き出していた。


 「500年振りじゃな。いつ見ても神々しいのう」


 カメジの眼に、獰猛な光が宿っていた。

 いつもの穏やかな眼とは似ても似つかぬ好戦的な眼光であった。



ーーーー同時刻。

  

 

 離れ小島にいるオランも、顔を天に向けて黄金の龍を見ていた。

 今、同じものを見ている島民全員がその龍に対して畏怖の念を抱いているのに対し、オランは一切の恐怖を感じていなかった。

 むしろ溢れ出す程の感動を覚えていた。


 「凄い……」


 オランは、眼を輝かせてその黄金の龍を見つめていた。


 「黄龍……」


 ぼそりと、オランが呟いた。

 その直後、はっとした。

 そしてすぐに疑問を抱いた。

 え?

 こうりゅう?

 なんだこうりゅうって。

 え、あれこうりゅうっていうのか。

 なんで僕はそんな事を知ってるんだ?


 「ん!?」


 オランが疑問を抱いていると、その龍が空を移動し始めた。

 ちょうど離れ小島の真上の上空で止まり、その場で大きなとぐろを巻き始めた。

 そして、その龍は明らかに離れ小島のある一点を見つめていた。

 オランであった。

 上空に佇む龍が、オランを見下ろしていた。

 オランからは龍の眼が認識出来ないが、今、確かに龍と眼が合っているという事が感じ取れた。


 ガララパゴス諸島の島民全員が、上空の黄金の龍が離れ小島を見下ろしている光景をそれぞれ眺めている。

 無論、マイアもである。

 だが、マイアが呆気に取られていたのはほんの数瞬だった。

 マイアの背筋に、ぞくりと悪寒が走った。

 あの黄金の龍が、自分の息子をじっと見つめているーーー。


 「オラン!」


 泣きそうな表情で叫び、マイアは走り出した。



 

 崖の上から眺めていたカメジとアミダが、驚愕に目を見開いていた。


 「!」


 アミダとカメジの瞳が揺れている。

 この時、何百分の1秒にも満たない刹那の時間の中で、アミダとカメジの脳内は高速で回転していた。

 オランが産まれてからの出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

 そして、点と点が繋がり、オランに対する様々な疑問点がひとつの解へと結びついた。

 

 なぜ、オランには生まれつき魔物に対する攻撃衝動があったのか。

 なぜ、瞳の色が、赤、緑、青に変化するのか。

 その理由は。

 

 

 「まさか」


 カメジが言った瞬間。

 ガララパゴス諸島全体を眩い閃光が疾り抜けた。

 一瞬遅れて、大気を震わす爆発音が響き渡った。

 黄金の龍が、凄まじいいかずちを、離れ小島に落としたのである。


 激しい爆発音と共に、離れ小島が粉々に砕け散った。


 森の中を走っているマイアの顔が、涙に覆われていた。



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