第4話 封印
「凄まじい念力じゃの。ワシの首をへし折ろうとしておるわい」
マイアに抱き抱えられたオランを見ながら、カメジ=ゾガメスが言った。
カメジは微笑みを浮かべたまま、首に僅かに力を入れている。
オランは瞳を青く光らせて、怒りの形相でカメジを睨みつけていた。
昨晩ヤシの実を念動力で砕いたように、カメジの首の骨を砕こうとしているらしい。
カメジの首が、その力に対抗しているのである。
その横で、アミダ=エキドゥナが静かにオランを見つめていた。
そしてアミダの斜め後ろの海面から、ジョース=ホオジロが顔を出してその光景を眺めていた。
ーーー10分程前。
朝陽が昇ると同時に、ジョースはこっそりと小島に近づいて、遠目からオランを見ようとした。
その時に、海岸に立ったマイアがジョースにこっちに来てという合図をした。
近くに行くと、マイアはジョースにカメジとアミダを呼んで来て欲しいと頼んだ。
頼まれた通り、ジョースはすぐに2人を呼びに行った。
寝ているオランを抱きながら、マイアは駆け付けたカメジ達に昨晩の出来事を話した。
話している最中にオランは目を覚まし、カメジを視界に入れた途端に、激しく暴れ出したのである。
そしてマイアの腕の中で、オランは瞳を青く光らせて念力を発動させたのであった。
「ギギ……ギ……!」
オランが唸った。
生えたばかりの小さな牙をむき出している。
「ワシの首が折れない事に対して怒りを抱いておるようじゃ。明確な殺意を持っておるな」
「ギギ……ッ! ギギギ…….!」
オランが更に歯を食いしばって力を込めた。
青く光る両目が、血走っていた。
「パワーが増したな。恐ろしい魔力じゃ」
カメジが言った瞬間であった。
ふっ、と、突然、オランの念力が止まった。
そして、マイアに抱き抱えられたまま、オランの身体からぐったりと力が抜けた。
オランは気を失っていた。
マイアが心配そうに息子の顔を見た。
「魔力と体力が尽きたようじゃな」
カメジが、自分の白い顎髭を撫でながら言った。
「長老……」
マイアが不安そうな表情をしてカメジを見つめた。
「ふむ。青い瞳の時が特に危険じゃのう」
「……はい」
「瞳の色によって攻撃方法が変わるのはもう明らかじゃな」
カメジは白い顎髭を撫でながら続けた。
「瞳が赤く光っている時は魔法は使わずに、爪と牙、そして赤子とは思えぬ身体能力で目に映る魔物に襲い掛かる。言わば物理攻撃じゃな」
「……はい」
マイアは、哀しげに眼を伏せながら答えた。
「そして瞳が緑色に光る時は、治癒魔法を発動させる時。今のところ、これは母親であるマイアにしか発動していないのじゃな」
「はい」
「ふむ。赤と緑だけならまだ良かったんじゃがのう」
「!」
カメジの言葉を聞いて、マイアの表情が悲痛なものに変わった。
「……」
カメジの隣で、アミダが顎先に指を当てて何かを深く考え込んでいるような表情をした。
その真剣な様子を見て、マイアの不安は更に膨れ上がった。
「この子は……」
マイアが今にも不安にも押し潰されそうな表情をした。
そんなマイアに、カメジは心が安らぐような微笑みを浮かべながら言った。
「まぁそう心配するで無いぞマイア。この子は確かに恐るべき力を秘めておるが、その力を使いこなす事は出来ないようじゃ。体力も普通の子供とあまり変わらん。しかし、この念力はいかんな。大人なら今のところまだ耐えられるが、子供達にやられたらまずい」
「……どうすれば良いでしょうか」
「ふむ。マイアよ。しばらくこの子の魔力を封印しても良いかね」
「封印? 出来るんですか?」
「ああ。ワシは出来んがアミダが出来る」
カメジが白い髭を撫でながらアミダに視線を送った。
「そんなに強力な事は出来ないけどね。今のオランの魔力なら封印出来ると思う。呪いの一種だけど」
アミダがオランを見ながら言った。
「治癒魔法も使えなくなるんですか?」
「そうね。一切の魔法が使えなくなるわ」
アミダにそう言われ、マイアは寝ている息子を見つめた。
治癒魔法も使えなくなるという事実に、どこか勿体ないような、悲しいような想いがした。
オランの持つ癒しの能力が、オランと島の住民達の関係に良い結果をもたらすのではという期待を抱いていたからである。
しかし、あの砕かれたヤシの実が頭に浮かんだ。
もしもオランが、島の子供達に念力を使ったら恐ろしい事になる。
今ここで封印出来るのなら、しておかないと大変な事になるような気がした。
「分かりました。この子の魔力の封印をお願いします」
マイアが決心したように言った。
「分かったわ」
アミダはマイアの眼を真っ直ぐに見て頷いた。
「早速始めるわよ」
アミダが言うと、マイアはこくりと頷いた。
アミダがするりと蛇の動きでマイアとオランに近づいた。
そして、アミダは右手の人差し指だけを立てて、両目を閉じて指先に魔力を込めた。
アミダの赤い髪が、ゆらゆらと揺らぎ始めた。
直後、人差し指の先端に、蝋燭の炎のような光が灯った。
その光に、一文字の古代文字に似た模様が浮き出ていた。
アミダは眼を開けて、その人差し指をゆっくりとオランの顔に近づけていった。
そして、とん、と軽く、その人差し指をオランの額に当てた。
指先に灯っていた光が、オランの額に溶け込んでいった。
オランは何事も無かったように寝息を立てていた。
「これで良いわ」
アミダが、マイアの顔を見ながら言った。
「あ、ありがとうございます」
こんなに簡単に済むものなのか、と思いながら、マイアは頭を下げた。
「いいのよ。さっきも言ったけど、この封印はあまり強力なものではないからね。基本的な解呪の術でも解かれちゃうから。この島の住民には解呪出来る者はいないと思うけど」
「分かりました。気を付けます。あの、この子はもう一生魔法が使えないんですか?」
「まさか。オランがもう少し成長して、ちゃんと理性と分別を身に付けたら封印を解いても良いと思う」
「うむ。マイアよ、お主の子なら優しい男になるじゃろうて。いつまでも封印しておく必要はあるまい」
カメジが相変わらず白い顎髭を撫でながら言った。
「分かりました。それまでに、この子を正しい道に導きます」
「うむ。お主なら大丈夫じゃ。これで魔法の心配はせんで済むようになったが、赤い瞳の時はまだ注意が必要じゃな」
「はい。私には気を許したらしくて、もう攻撃して来る事は無いんですが……」
「ふむ。そこでじゃ。マイアよ、これから毎日、ワシとアミダにオランを抱っこさせてくれぬか」
思わぬカメジの提案に、マイアは一瞬きょとんとした。
「もちろん良いですけど、でも長老達が危険じゃないですか?」
「他の者なら危険じゃがな、ワシらなら心配無用じゃよ。そしてオランには何もせん。ただ、抱っこするだけじゃ」
「はぁ」
マイアには、カメジの意図が掴めなかった。
「良いなぁ。俺も抱っこしたいなぁ」
突然、海の方で声がした。
海面から顔を出して様子を眺めていたジョースがどこか気の抜けたような声で言った。
「ふむ」
ちらりとジョースを見やったカメジが、再びマイアに向き直って言った。
「ジョースにも抱かせてやってはくれぬか」
「え!」
「え!」
マイアとジョースの声が揃った。
ジョースの両の眼が、きらきらと嬉しそうに光っていた。
「良いですけど、ジョースが怪我をしてしまうのでは……」
「安心せい。あやつの鮫肌は硬いでな」
「はぁ」
マイアが、ちらりとジョースの浮いている海面を見た。
ジョースは海面から陸地に這い上がって来るところだった。
「よっしゃ」
そう言いながら、ジョースが嬉しそうな表情を浮かべながら両脚で立ち上がった。
「さぁ。坊やを抱かせてくれよ」
ジョースが両腕をマイアに差し出した。
その瞬間、ぺしっという音が鳴った。
ジョースの右手首が、何かに弾かれたように飛び上がっていた。
「いてっ」
ジョースの右手首に鋭い痛みが走っていた。
「馬鹿」
言ったのはアミダだった。
アミダが、尾の先端をムチのように動かしてジョースの手首を叩いたのである。
「なにすんだよ」
ジョースは左手で右手首をさすりながらアミダに言った。
「オランは今魔力を使い果たして疲れておる。今は眠らせてやれい」
カメジが顎髭を撫でながら言った。
「ちぇ」
ジョースは口を尖らせた。
直後、オランの寝顔を見てすぐに優しい微笑みを浮かべながら言った。
「それにしても、可愛い寝顔だよなぁ」
「……うん。可愛いでしょ」
安らかな表情を浮かべて眠る我が子を、マイアは母性の宿る瞳で見つめた。
そんな母と子の様子を、アミダは優しい微笑みを浮かべて眺めていた。
「ふふ」
アミダが微笑みの声を漏らした。
「?」
マイアは少しきょとんとして、微笑みを浮かべているアミダを見た。
「マイアも立派なお母さんになったんだなぁって思って。昔はあんなに小さかったのに」
感慨深げにアミダが言った。
「もう。私だって成長しますよ」
少し頬を膨らませながらも、マイアも微笑んだ。
そしてマイアは、昔の光景をふいに思い出した。
親のいない幼かった自分に、様々な事を教えてくれて、いつも助けてくれたアミダ。
世界の歴史や魔法を教えてくれたのもアミダであった。
マイアにとって、甘えられる母親でもあり頼りになる姉のような存在だった。
昔の光景の思い出に浸っていると、妙な違和感に気付いた。
自分は今21歳になり、身体も大きくなった。
でも、アミダは昔から見た目が全く変わっていない気がする。
たまに髪型が変わったりするだけで、20年前から全然歳を取ってないような気がする。
気のせいだろうか。
それとも相当、美容に気を使っているのだろうか。
そういう魔法を使っているのだろうか。
「なぁ。アミダって何歳なんだ?」
自分の心の声が聞こえたかと思って、マイアはびくりとした。
だが、声を発したのはジョースであった。
マイアがジョースの方を向いた。
「いや、封印の呪いって特殊魔法でしょ? すげーなぁって思って。 アミダって何でも出来るし何でも知ってるし、それに俺が小さい頃から全然変わんないし。ふと気になってさ」
ジョースは、何の悪気も打算もなく率直に聞いた。
マイアは、質問がストレート過ぎるだろと突っ込みたくなったが、自分もずっと気になっていた事なので耳をすませて返答をさりげなく待った。
カメジだけが、薄っすらと笑みを浮かべていた。
「ねぇ、ジョース。レディに年齢を聞くのは失礼じゃなくって?」
言いながらもアミダは楽しそうに微笑みを浮かべていた。
「う〜んまたはぐらかされちゃったよ。残念だなぁ」
ジョースが言った。
同感だと、マイアも思った。
ーーーーー
その日からカメジ、アミダ、ジョースは毎日小島に顔を出した。
カメジ達が姿を現す度、オランは瞳を赤く輝かせて襲い掛かった。
オランがいくら飛び掛かって来ても、カメジ達はそれを避けようともせずに優しく抱き留めた。
オランが腕の中でどれほど引っかき噛み付き暴れても、カメジ達の身体には全く傷は付かなかった。
カメジとジョースは外皮が硬い為であり、アミダは防御魔法で全身を覆っていたからである。
そしてオランがカメジ達に襲い掛かる度に、マイアは優しく我が子に語りかけた。
周囲の者を無闇に傷つけてはいけない。
皆が皆、敵というわけではない。
言葉はまだ分からなくとも、気持ちで伝わるように。
根気よく、オランに愛情深く語り聞かせ続けていた。
カメジとアミダは、とある仮説に基づいてオランと接していた。
魔物を見ると攻撃性を見せるオランだが、母親であるマイアには心を許している。
それはなぜなのか。
母親の愛情を、オランが素直に受け取ったからではないか。
そうだとしたら、母親以外の魔物でも、愛情を持って接すればやがて攻撃性を見せなくなるのではないかという仮説である。
そしてその仮説は、正しかった。
たった2日間通っただけで、オランはカメジ達を見ても暴れなくなっていた。
暴れないどころか、オランはカメジ達にくっついて甘える程にまでなっていたのである。
中でもジョースの事がお気に入りらしかった。
背泳ぎの状態のジョースのお腹の上に乗って海面にぷかぷかと浮く遊びを、オランは特に喜んだ。
その様子を見ていたカメジとアミダは確信した。
ジョースのように、オランを恐れず、警戒心を抱かず、敵意を全く出さずに、自分の方から心を開いて接すれば、オランも心を開くのだという事を。
だが。
オランが母親以外に心を開くのは、カメジ、アミダ、ジョースのみであった。
オランがどれほど穏やかな表情をしていても、カメジ達以外の魔物を視界に入れると、オランはたちまち変貌するのである。
瞳を赤く光らせて、明らかな殺意と敵意を持って襲い掛かる習性は治らなかった。
ほんの僅かにでもオランを恐れたり、嫌悪する気持ちがあると、オランはそれを敏感に感じとり、反応してしまう。
そしてそれは、島の住民全員がオランと心を通わせるのは極めて難しい事であるという事を意味していた。
島のほぼ全ての者達が、オランに対してぬぐい切れない恐れや警戒心を抱いているからである。
何名かはオランと心を通わそうと挑戦する者もいたが、その者達も完全に心からオランに対する恐れを取り去る事が出来ず、失敗に終わっていた。
結局、決定的な解決策を見出せないまま、時だけが過ぎていった。
だが結果的に、オランが2歳になり言葉を理解し始める頃には、オランの暴力衝動はほとんど抑えられていた。
それは母親のマイアの功績と言えた。
マイアは毎日同じ事をオランに優しく言い聞かせていた。
他者を無闇に傷付けてはいけない。
あなたのその力は弱き者を助ける為にある。
それらの言葉がオランの精神に溶け込んだのか、いつしかオランはカメジ達以外の魔物を見ても、暴れなくなっていた。
瞳の色が赤く光る事が、なくなっていた。
だが、それはオランの中で魔物への憎悪がなくなったわけではなかった。
単純に言うと、ただ、我慢しているだけの状態であった。
魔物を見ると、オランの心の中でどす黒い炎が発生し、膨張していく。
それを自分の理性で抑えつけているだけであった。
母親のマイアから他の魔物を傷つけるなと言われたから、ただ我慢しているだけ。
我慢して抑えつけている分、臨界点を迎えた時、大きな爆発が起きるのではないかという心配はあったが、オランは特に事件を起こす事も無く、順調に育っていった。
そして、更に月日は流れ。
オランは、5歳になった。
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