第3話  魔法

 ガララパゴス諸島の夜空に無数の星々が瞬いている。

 柔らかな海風が吹き抜ける森の中の開けた場所に、焚き火が軽快な破裂音を立てて燃えていた。

 6人の魔物達が、その焚き火を取り囲むようにして座っていた。


 「今日は火炎魔法を使ったらしい。枯木を焼いたそうだ」


 口を開いたのは、ペンギンの魔物。

 ペギト=ガラペンペンだった。


 「……枯木も食べるのかな?」


 ペギトに反応したのは、ホオジロザメの魔物のジョース=ホオジロ。

 ジョースは右の掌を自分のこめかみに当てて、地面に横になっていた。


 「馬鹿。問題はそこじゃねぇ。まだ産まれて7日だぞ?」


 言ったのは、全身ピンク色の羽毛に覆われたフラミンゴの魔物であった。

 名は、ピンキー=フラーミ。


 「産まれて7日だと、枯木は焼かないと食べられないのかい? 爬虫魔レプティは」


 ジョースがきょとんとした表情で聞いた。


 「馬鹿っ! 違うだろ! 産まれたてのガキがぽんぽん魔法を使える事が危険だっつー話だ!」


 ピンキーが顔を赤くして怒鳴った。

 そして続けた。


 「最初に使った魔法は治癒魔法だった! そうだよな長老!」


 「うむ」


 カメジ=ゾガメスが、木のコップに葡萄酒を注ぎながら答えた。

 それを飲みながら、更に続けた。


 「素晴らしい治癒能力であったな。マイアの腕の傷が数秒で完治した」


 「治癒魔法だけなら文句は無ぇさ! だが次の日には、あいつは風魔法を使ってヤシの実を切り落としたんだぞ! そしてその落ちた実を宙に浮かして遊び始めたんだ! 魔法の天才とかそういうレベルじゃねぇぞ!」


 ピンキーは葡萄酒を飲みながら怒鳴るように声を上げていた。


 「……ふむ」


 カメジは息を吐くと、ぐびりと葡萄酒を飲んだ。


 「……」


 その横で、ウミイグアナの魔物、イグオ=ウミーグアノが腕を組んで黙って焚き火の炎を見つめていた。


 「尋常じゃねえぞ。右も左も善も悪も分からねぇ赤ん坊が強大な力を有しているって事だ! おまけに魔物を見ると眼を赤く光らせて襲って来るときた! このままだと死亡者が出るぜマジで!」


 ピンキーが持ってるコップの中の葡萄酒を飲み干しながら言った。

 そしてまた、自分のコップに葡萄酒を注いだ。


 「さらに毒も持ってるぜあいつ。噛まれたあの晩、すげー腫れ上がった」


 ペギト=ガラペンペンが、自分の右脚をみんなに見せるように前に出しながら言った。

 以前、オランに噛まれた所に噛み跡が残っていた。

 

 「アミダに解毒してもらったのか?」


 ピンキーが、その噛み跡を見ながら聞いた。


 「いいえ。解毒するほどでもなかったわ」


 上の方から、女の声がした。

 大きな樹から真横に太い枝が伸びている。

 そこに、巨大な蛇が巻き付いていた。

 胴の太さが、イグオ達と同じぐらいある。

 しかしそれは、蛇ではなかった。

 半人半蛇の魔族、半蛇人ナーガである。

 上半身はほぼ人間の女性の姿をしており、褐色の肌の色をしていた。

 両の瞳が透き通った赤色をしており、同じく赤色の髪を後ろに束ねていた。

 彼女の名前は、アミダ=エキドゥナ。


 「まだ口内の毒腺が充分に発達してしていないみたいね。だから噛まれても虫刺され程度の腫れで済んだのよ」


 アミダが上から見下ろしながら言った。

 

 「エンキドは毒持っていたっけ?」


 ジョースが、アミダを見上げながら聞いた。


 「さぁ。持っていたんじゃない?」


 「どうだったかな。それにしても完全に父親似だよな、オランって」


 「ええ。つぶらな瞳はマイアにそっくりだけどね」


 アミダが答えた瞬間。


 「んな事どうだって良いだろうが!」


 ピンキーが怒鳴った。


 「もっと真剣に考えろよ! 島存続の危機だぞ!」


 「まぁ落ち着けやピンキー」


 カメジが葡萄酒を飲みながら答えた。


 「確かにオランは恐ろしい程の力を有しているが、慈愛の心も確実に持っておる。そしてマイアとの間には確かな親子の絆がある。ワシらはそれを見守り支えるべきじゃろう。島の仲間としてな」


 「……化け物を育てるのか?」


 突然、イグオが口を開いた。

 攻撃的な眼でカメジを睨むように見つめた。


 「化け物ではない。オランはまさに混沌のような子じゃ。これからどう導いて行くかによって運命が変わる」


 「奴がただの魔法の天才だってんなら、俺達だってこんなに騒いじゃいねぇさ。問題なのは奴が魔物に対して異常なまでの攻撃性を見せる点だ」


 イグオは、一口葡萄酒を飲んで続けた。


 「小動物や魚や虫を見ても、奴は一般的な赤ん坊と同じような反応をするだけだ。興味を持って舐めたり口に入れたりな。小さい子供が試しに虫を潰してみるのは当たり前だ。だが、奴は俺達のような魔物を視界に入れた途端、瞳を赤くして明らかな殺意を持って襲い掛かって来る。子供の魔物に対してもだ」


 イグオはまた葡萄酒を飲んで一呼吸置くと、更に続けた。


 「暴れるオランを止める為に、マイアはこの1週間でどれだけ怪我をした? 落ち着いたらすぐに治癒されるから良いのか? もしマイアが致命傷を負ったらどうするんだ?」


 これに、カメジが反論した。


 「わざわざ離れ小島で静かに暮らしているのに、野次馬が絶えないのも問題であろう。オランは母親には完全に心を許している。これは時間を掛けさえすれば他の魔物にも心を開く可能性があるという事じゃ」


 「けっ、怪我したくなかったらそっとしておけって事かよ。ここは俺たちの島なのによ」


 ピンキーが足元の小枝を蹴飛ばしながら言った。

 その小枝が、焚き火の中に入っていった。

 パチッ、と破裂音がした。


 「暴れるだけなら、押さえ付ければ何とかなるから良いんだけどね。本当に危険なのは魔法が使えるという事ね」


 言いながら、アミダが枝の上からするすると降りて来た。

 そして、机の上に置いてあった木のコップに葡萄酒を注いで飲み始めた。


 「どうして魔法が使えると危険なんだい?」


 ジョースが寝転がりながら聞いた。


 「基本的に魔法というのは強く念じる思考を魔力を消費して様々な現象に変える事よね。だから通常、念力を使ったり炎や風の魔法を扱えるようになるには、思い描いた事を具現化する修行が必要なのよ。でもオランはその過程をまるっきり省略しているわ。まぁ極限状態の中で偶然魔法を習得出来たって例も少なくないけどね」


 葡萄酒を飲みながら、アミダが説明した。


 「俺は小さい頃から水系の魔法が使えたよ。俺も天才なのか?」


 ジョースが誇らしげに聞いた。


 「あんたが小さい頃に使っていたのは、正確に言うと魔法ではないわ。生まれつき圧縮した水を吐き出せたり、炎を吐いたり出来る魔物がいるけど、それは体内に特殊な器官を持っているからなのよ。ジョースには水袋という内臓があって、それのおかげで水を使った攻撃が出来るわけ。魔力を消費せずともね」


 アミダは更に説明を続けた。


 「ジョース、あなた、何もない空間や手の平に、水を出現させる事が出来るでしょう? それが水系の魔法よ。って何で今更こんな魔法の基本を説明しなきゃいけないのよ」


 「あぁそうだったのか。俺知らなかったよ」


 「忘れてるだけだろうが! ちゃんと教えて貰っただろ!」


 ピンキーがまたジョースを怒鳴った。


 「うん、確かに教わったような気がする。そういえば、俺もこういう事が出来るようになったのは10歳ぐらいの時だったかな」


 そう言いながら、ジョースは右手の人差し指を立てて、くるりと軽く円を描いた。

 すると、何もない空中に、ヤシの実程の大きさの水の塊が出現した。

 その水の塊は、焚き火の真上の空間に浮いていた。


 「あっ、馬鹿!」


 ピンキーがジョースに怒鳴った瞬間。


 「え?」


 ジョースがきょとんとした表情でピンキーの方を向いた。

 その直後、水の塊が焚き火の中にぼちゃんと落下した。

 白い煙を上げて、焚き火の炎が消えた。

 辺りが急に暗くなった。


 「何やってんだこの馬鹿ザメ!」


 ピンキーが怒鳴った。


 「あぁ。ごめんごめん」


 ジョースが困ったように頭をぽりぽりとかいた。

 その直後、濡れた炭が突然、ぼうっと音を立てて激しい火柱を上げた。

 数秒後、その火柱が徐々に小さくなっていった。

 再び、先程と同じようにパチパチと音を立てて、柔らかな焚き火が燃えた。

 焚き火を見つめるアミダの眼が、紅く輝いていた。

 その輝きが、通常の眼の色にゆっくりと戻っていった。

 ジョースの水魔法によって消えた焚き火を、アミダが火炎魔法で再び燃え上がらせたのである。


 「凄いなぁアミダは」


 ジョースが感嘆の声を上げた。


 「これが魔法の恐ろしいところよ」


 アミダが説明を続けた。


 「もしもオランが、母親以外の魔物を見た時に魔法を使うようになったら、どれ程危険か想像出来るでしょう?」


 「う〜ん確かになぁ。急に焼かれたら熱そうだなぁ」


 ジョースが自分の頬を撫でながら言った。


 「産まれてたった1週間なのに、念力と治癒、風、炎の魔法を使うのよ。誰かに教わるでもなく、本能的に魔法の使い方を知っているみたいに。恐らくこれから更に魔法の種類も威力も上がって行くわよ」


 「手がつけられなくなるな。あいつは身体も頑丈に出来てやがるし」


 アミダの説明に返したのはペギトであった。


 「そうなのよ。いくらペギトの脚が短くて蹴りの威力が弱いからと言っても、子供が大人に蹴飛ばされて無傷というのは恐るべき頑丈さよ」


 「なっ……!」


 ペギトが顔を少し赤くしてアミダを睨みつけた。


 「なんでオランはそんなんなんだ?」


 ペギトを無視して、ジョースが率直な質問をした。


 「エンキドの血が流れているからだろう」


 イグオが、焚き火の炎を見つめながら答えた。


 「ん? エンキドは普通のトカゲの魔物だろ? なんだっけ、コモドスオオトカゲだっけ」


 ジョースの言葉に、すぐにイグオが答えた。


 「あいつは島の外から来たんだ。何らかの呪いを持っていてもおかしくない」


 相変わらず、イグオは焚き火を見つめていた。

 瞳の中で炎が揺れていた。


 「そうか? そんな風には見えなかったけどな。まぁ、突然姿を消したのは酷いと思ったけど」

 

 ジョースが腹をぽりぽりとかきながら言った。

 

 「でも確かに、エンキドの身体に何かの特殊魔法が掛かっていた可能性もなくは無いよな」

 

 ペギトが葡萄酒を飲みながら言って、そのまま続けた。

 

 「オランが魔法を発動させている時って、瞳が青く光るよな? 通常は茶色なのに。魔法を使う時は青、物理攻撃をしてくる時は赤、治癒魔法を使う時は緑色に光るんだ。これは絶対におかしい。何かあるだろ」

 

 「それは私も思ったわ。だからこっそりオランの身体に触れて、魔法で中を探ってみたんだけど、呪いや特殊魔法の残滓は見つからなかった」

 

 アミダが葡萄酒を飲みながら言った。


 「という事は? 瞳が変わるのは単なる体質か?」

 

 ペギトが言った。

 

 「……かも知れないわね。それか、私には感知出来ない程の深奥に組み込まれた魔法って可能性も無くは無いけど」

 

 アミダはそう言いながら、ちらりとカメジの方を見た。

 

 「……ふむ」

 

 カメジは少し息をついただけだった。

 

 「……」

 

 イグオは無言で炎を眺めていた。

 瞳に写る炎が、ギラリと光を増したような気配がした。

 イグオは声には出さなかったが、心の中で怒鳴っていた。

 ごちゃごちゃうるせぇ。

 エンキドの野郎が全ての元凶だ。  

 あいつが島に来てから、全てがおかしくなった。

 あいつのせいで、俺の兄貴は出て行ってしまった。

 あいつは疫病神なんだ。

 そしてその息子であるオランも。


 「まぁ、オランがあのように生まれたのは、突然変異かも知れぬし、また別の理由かも知れぬ。いずれにせよ、もうしばらく様子を見ようではないか」


 カメジが、自分の顎髭を撫でながら言った。

 

 「もうしばらく……ね。けっ」 

 

 いかにも不満があるというような態度で、ピンキーはぐいっと葡萄酒を飲み干した。


 「……」


 イグオは相変わらず、焚き火の炎を無言で見つめていた。

 瞳に、煌々と燃える炎が写っていた。

 まるで、イグオの精神状態が眼に現れているかのようであった。


 

 

 ーーー同時刻。

 

 離れ小島。

 オランはマイアの腕の中で、すやすやと寝息を立てていた。

 そんな我が子を、マイアは不安気な表情でじっと見つめていた。

 自分の子供に対して、愛しさと恐怖が同じぐらい大きくなっていた。 

 オランの魔法力が、想像を絶する速度で上昇し続けているのである。

 今日のお昼ぐらいまでは、魔法と言っても、枝や葉に少し火をつけたり、ヤシの実を宙に浮かしたりする程度の力だった。

 だが、つい先程。

 オランが宙に浮かしていたヤシの実が、ぱかりと音を立てて、突然半分に割れた。

 それから更にオランは念動力で硬いヤシの実を宙に浮かし、捻って割り、粉々に砕いたりして遊び始めたのである。

 

 ぱき、ぱかっ、という、ヤシの実の硬い殻が無残に砕かれる音を聞きながら、マイアは背筋が凍り付いていた。

 冷や汗が止まらなかった。

 

 硬いヤシの実をこうも容易く砕けるという事は、生き物の骨も砕けるという事だ。

 もし、この子が今、魔物を見たら……。

 瞬間、ヤシの実から滴り落ちる白い果汁が、生き物の頭蓋骨から滴り落ちる赤い血に見えた。

 

 マイアはごくりと音を鳴らして息を飲んだ。

 全身に、鳥肌が立っていた。

 早く。

 早く長老に、知らせないと。

 

 マイアの頬を伝う一筋の汗が、月明かりを反射して微かに輝いた。


 そんな母親の精神状態など知りもしないオランは、穏やかな寝息を立ててぐっすり眠っていた。

 

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