第3話
「佐々木さん、最近お疲れですね。奥さんはまだ実家ですか?」
後輩の八木橋に声をかけられる。
「ああ、まだ実家にいる」
「そろそろ予定日が近づいてきたんじゃないですか? 愉しみですね」
そうだ、そろそろ出産予定日だ。河内のことで頭がいっぱいだった。
子どもが産まれても河内を気にしないといけないのだろうか。重いものがのしかかってきた。
「佐々木さん? 顔色悪いですよ、大丈夫ですか?」
八木橋、そうだ、こいつは賢い奴だ。八木橋に全てを打ち明けることにした。
僕は不倫をしていたこと、モーテルから出てくるところを河内に見られたこと、口止めに食堂で一緒に昼飯を食べることなどを明かした。
そして以前は気にしていなかったが、毎日違う時間でも、会社の駐車場で毎日会うことがやっぱりおかしいと加えた。
「不倫相手はどうなったんですか?」
「妻にバレたと嘘を言ってそれっきりだ」
「どこで知り合ったんですか」
「勘弁してくれ、本当にあれから会ってないし連絡先も消したんだ」
「すいません、ちょっと羨ましかったもんで」
八木橋がふざけて喋る。この軽い態度が今の僕には救いだった。
「ドラレコって、そこまで鮮明に顔が映ってますかね? 映像見せてもらえばいいんじゃないですか。それで不鮮明だったら自分じゃないって言いきればどうですかね」
「まぁ……ない手ではないな」
僕は早速河内に「あの時のドライブレコーダーの映像が見たい」と言った。
河内は、このあと会議室を抑えるのでそこで見ましょうと言った。
僕は念のため自分のパソコンを会議室に持ってきた。共有のパソコンで万が一、データが残ったり
パソコンを立ち上げていると河内が来た。
「僕のパソコンで見たい」
そう告げると河内はポーチからSDカードを取り出して、慣れた手つきで映像を読み込んだ。
「駐車場までSDカードを取りに行ったのか? 歩かせて悪いね」
会社から駐車場までは五分ほど歩く。本当に申し訳ないと思った。
「いえ、持ち歩いているので気にしないでください」
河内は首をかしげて微笑みながら言った。
首をかしげた時、河内の耳元でイヤリングが揺れた。
タコの足がぐるぐるとうずまき状になっているイヤリング。
イヤリングのタコの目は焦点が合わないデザインになっている。本当の河内はこんな目をしているんじゃないかと思った。
「も、持ち歩いているのか?」
思ったことがそのまま言葉になって出ていた。
「ええ、万が一上書きなどしてしまったら駄目じゃないですか」
上書きしてくれよ、今の僕は情けない顔をしているだろう。
「これですね」
あの日の映像が、目の前のパソコンに映し出された。
確かにモーテルから僕の車が出てくる瞬間が映っている。
けれども顔ははっきりと映っていなかった。よし、行ける。
「あのさ、これ僕の顔か分からないじゃないか。よく考えたら日曜日にこんなところに行ってなかったんだよね」
僕は用意していた台詞を述べた。
「42―51」
河内は数字を口にした。その数字は……。
「〇〇xxx x 42―51 佐々木さんの車のナンバーですよね。映っていますね」
そうだ、僕の車のナンバーだ。しかもこの女、映像の中でナンバーの読み上げまでしている。
映像には音声もしっかりと入っていた。なんのために……。
モーテルから出てきた車は全部こうして読み上げているのか? 気持ち悪い。いや、違う。
「もしかして僕の車のナンバーを、覚えているのか?」
河内は答えず、にやりと笑った。
肯定だ。ぞくりとした。デパートで、ツタヤで、僕の車を見つけては待ち伏せをしていたのだと思った。
「42―51。私はこの数字を見た時に何かを感じました。しに、こい。死に恋? 死んでも恋する?
よに、こい……嫁に来い? それとも夜に来い? 夜に恋? いずれにしても佐々木さんが私を求めているナンバーだと受け止めたんです」
なんなんだこいつは。何を言っているんだ。僕は車のナンバーを自分で決めたわけじゃない。
「これは中古で買った車だ」
ようやく絞り出した台詞だった。
そうだ、これは中古で買ったんだ。
新車が欲しかったけれども美雪は妊娠を機に仕事を辞めた。
子育てがひと段落して美雪が仕事を始めたら次は新車で買おうと話していたんだ。
僕はどきどきしていた。何を言っても通じないかもしれない。幸いなことに会社の中なので監禁されたりといったことはないだろうが。
「つまらない男」
河内は冷めた目で言う。
なんだと。中古で車を買ったのがつまらないというのか?
他人には他人の事情があるんだ。そりゃ経済的に心配がないなら僕も新車が欲しかったよ。けれど今の状況を把握して中古がいいという結論になったんだ。美雪だって納得している。
「中古とか、どうでもいいんです。私は数字のことを言っているんです。分からないならもう、いいです。佐々木さんはつまらないので今後は仕事以外で私に話しかけないでくださいね」
河内はSDカードをパソコンから取り出し、ポーチにしまい会議室をあとにした。
「なんなんだ、あの女……」
僕は一人で立ち尽くしていた。
あのあと八木橋に「どうでしたか」と聞かれた。
「僕の車のナンバーを覚えていたみたいだ。ドラレコにも映っていた。けれどももう、河内には話しかけるなと言われた」
僕は必要な情報だけを八木橋に伝えた。
「
「ああ、そうだな……」
八木橋は嬉しそうにしていたが、僕はどこか納得がいかなかった。
あんなにあっさりと引き下がられると何かがあるのではないかと疑ってしまう。
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