2―3
九頭竜の全長はいまだに解明されていない。パッと見、この存在が地球に絡みついていることは理解できる。その一方で絡まり方が複雑で、場所によっては人間の髪の毛のように細い胴もあるという矛盾した構造を持っているのだ。
これだけの巨大質量が自重で崩壊せず、さらには地球との距離を一定に保っている。これには人類が解明できていない力が働いているとしか考えられない。現に計器のいくつかは九頭竜を測定したところでエラーを突き返す。
サイズにおいて唯一わかっているのは九頭竜の頭部が五キロを超えているということ。
「どう? 絶景でしょ」
「……うぷ」
装甲車両は水平飛行に移行し九頭竜の頭部を睥睨していた。見上げていた時も巨大に感じていたが、こうして近づいて見るとなおさらそのスケールに圧倒される。あの巨体と比べて人間のなんと小さなこと。車両ですら九頭竜の前では芥子粒ほどもない。
レイは何故ゆえこの存在を相手に余裕が出せるのか――
「吐くなよ。掃除が面倒だ」
「……」
対照的にオルはニュートラルを維持していた。道中どれだけ揺さぶられようと眉一つ動かさず、タブレット相手にフリック操作を止めない。あれだけ液晶を見ていて目は腫れないのだろうか――
「ぷう……」
「……」
ツムギは相変わらず半覚醒状態。それでも問題なく車両を操作しているのだから彼女の能力は二人以上に未知である。
ロアとて楽しめるものなら状況を楽しみたい。彼女には飛行に関する記憶があるものの、こうして実際に空を飛んだ経験が無い。せっかく窓際に座っているのだから景色を楽しむのも充分にアリだった。
「……うぷ」
しかしながらロアは飛行機酔いを起こしていた。慣れない乗り物であれば当然の反応なのだが――
……また来る。
眼下に大地のごとく広がる九頭竜の胴体。装甲車両が淡い銀色の体表に一定程度近づくと――
ヒュン――
「ぷう」
九頭竜の体表から車両めがけて銀色の弾丸が発射される。そしてそれを回避するべくツムギが車両をアクロバット飛行させる。
「……うぷ」
九頭竜には防衛機構のようなものがあり、特定の部位に接近すると先ほどのように「抗体」と呼ばれる物質を射出するのだ。
どの場所に、どのような機能が備わっているのか、流石の喧嘩屋も把握できていないらしい。もっとも、彼女たちの場合は「避ければいい」の一言で済ます。
こんな思いをしてまで行かないといけない場所って……――ロアの三半規管の限界は近い。
「おっと……新人! シャキッとしなさい! 窓に注目よ、そろそろ着く」
「……⁉︎」
喧嘩屋との生活は驚愕の連続だ。
「……浮かんでいる!」
車両が飛ぶのなら、島が浮かんでいてもなんら不思議では無いのかもしれない。地上を見下ろす九頭竜、それをさらに見下ろすように喧嘩屋の前には機械作りの島が浮かんでいたのだ。
「あれが天上人が作り出した対九頭竜研究施設『九竜機関』のうちの一つよ」
「天上人……」
ロアはまだ飛行機酔いを起こす前にタブレットで予習した知識を反芻した。
四〇年前に発生した九頭竜の出現は兄弟である地上の人類と宇宙の人類を分断した。そして九頭竜の惑星改造により地上は文明を維持する力を失い、竜人同士がぶつかり合う弱肉強食の世界へと変貌したのである。
一方で宇宙人類は地上とのコンタクトを取るための努力を欠かさなかった。例え姿が変貌しようとも、同じ地球から生まれた兄弟同士何か助け合うことができるはずだ。そのためにはまず、元凶たる九頭竜を研究しなければならない。
九竜機関とは地上と宇宙とを繋ぐ窓口であり、九頭竜への対抗策を探求するための研究施設であり、生活に困る兄弟へ支援の手を伸ばすための福祉施設である――というのが建前らしい。
レイが記したであろう最後の文句に引きつつも、ロアは少なくとも九竜機関が超技術を保有していることを確信する。島一つ浮かべるのにどれほどの技術が必要になるのか彼女には想像がつかない。
車両はグングンと島に迫る。周囲にはいつの間にか喧嘩屋同様の装甲車両が飛び交っていた。なるほど空飛ぶ装甲車両はこの社会において一般的な交通手段らしい。ロアは今まで驚き通しだったのが急に恥ずかしくなった。野蛮一辺倒かと思っていた生活の中にもこうして現役の素晴らしい文明が息づいている。これなら自分にも合いそう――期待が込み上げると酔いも覚める。ロアは一秒でも早く施設の中に入ってみたくなった。
車両がエアポートに入り込む。定位置が決まっているのかツムギが鼻息一つ立てると車両は真っ直ぐにドックのすみに駐車し重力が戻る。
「じゃ、行くわよ」
レイが立ち上がり、続いてオル、二人に遅れてロアも追いかける。
「……あれ?」
操縦席にいたはずのツムギの姿が無い。いつの間に自分よりも先に席を立ったのか。
「ロア! ぼーっとしない!」
声に通路へと向く。しかしながらそこにもツムギの姿が無い。先を行くのはレイとオルの二人きりだ。
「あの……ツムギさんは?」
「ツムギならここで留守番だ。アイツを野蛮な天上人に会わせるわけにはいかないからな」
苦虫を噛み潰したような表情でオルが答える。なるほど警戒している相手に対し喧嘩屋は辛辣に振る舞うらしい。二人からすると秘蔵っ子を守る親心なのだろう。
この車両を自在に操る彼女のことだ。きっと自分が知らない方法で休憩室なりで寝息を当てているのだろう。ロアはそう納得すると追いつくべく狭路を急いだ。
「……あれ?」
ドックを抜け、機関の内部に侵入した喧嘩屋一同。彼女たちを迎えたのは一面の白い通路だった。
白い壁とそれを照らす白熱灯。あたりには消毒液の匂いが立ち込め病院の通路を連想させる。雑多な匂いがひしめく地上と比べればなるほど清潔で、人工的に環境が整えられているここは間違いなく文明的なのだろう。
「街か何かがあるとでも思った?」
「ここはあくまで実験施設。最低限のものしか積んでないぞ」
「……」
ロアの理想としてはこの人工島の中にも地上と同じように生活があるのだと、争いのない文明的な日常が営まれているのだろうと思っていた。
ところが歩いても歩いても施設の中は壁だらけ。オルによると九頭竜の防衛範囲外で島を浮かばせ続けるには、島の六割を浮遊装置に割かなければいけないらしい。他にも人間が生きるのに必要な機能を持たせ、そこに実験施設を組み込むとなると機関の内部構造は合理性を優先せざるを得ない。結果としてツムギの装甲車両の内部のように、収納に優れるも殺風景な構造となってしまうらしい。
これはこれで文明的だけど……――ここも地上と同じく一種の戦場。広々とした緑の中でお茶を楽しむような余裕のある日常はなかなか手に入らないものらしい。
似たような景色が広まるわりに、前をゆく二人の足取りに迷いはない。角を曲がると同時にレイが扉を叩く。
「来たわよ博士。物資をおよこし!」
『お、やっと来たか!』
スピーカーから家主の声が響く。
それと同時に壁と一体化していた扉がスライドした。
「レイにオル、そして……そっちのお嬢さんは新入りか? だったら自己紹介から先じゃな。ワシはハヤタ・マキシマ。この九竜機関極東支部で研究員をしておる」
身長一六〇センチと男性にしては小柄な白衣姿の老人が三人を迎える。
「あ、どうも……私、ロアです。名前はレイさんにつけてもらったんですけど」
差し出された手にロアは握手でかえす。齢は七〇ほどであろうか。総白髪で皺も深い明らかな老人であるにも関わらずマキシマ博士の握手は力強かった。
「博士、セクハラは厳禁」
二人の間にレイが割って入る。
「握手くらいいいじゃろう。なんせこん中は殺風景でな、お嬢ちゃんたちが来ると華やかでいいわい」
「ふーん……」
レイはおもむろに博士の手を掴み――
「いでー‼︎」
――そして捻り上げた。
「よく言う。アンタが涎を垂らしながら欲しがるのは女じゃなくてサンプルのくせに」
掴み上げられた博士の手、その中にはライトブラウンの長髪がつままれていた。
「ひっ……」
この場の人間の毛髪はそれぞれが異なる特徴を持つ。おそらく博士は握手の際に手早く抜け落ちたロアの毛を回収したのだろう。
「抜け目ないジジイだ。そんなんだから窓際族なのよ。もっと堂々と成果を出してみなさいよ」
「はっ! 余計なお世話じゃ! いくら熱心に研究したところで成果は口先だけが得意な政治バカに吸われるのがオチじゃい! だったら窓際だろうと自分が好きに研究できる環境にいる方が何倍もマシじゃ!」
どれだけ捻り上げられようとも博士が毛髪を諦める様子は無かった。ロアとて返してほしいものでもない。レイは適当に老人を痛めつけるとあっさりと解放した。
「で、お前さんたちがアポなしでワシのことを頼るなんて珍しいな。要件は……やはりそこのお嬢ちゃんか」
「!」
三人の視線が一斉にロアへと向けられる。
「物資は適当に持っていくといい。書類をでっち上げるのは得意だ。じゃが最近歳のせいか無理ができんくてな……」
「報酬は用意してある」
オルは博士に向けてタブレットを差し出した。
「ここ最近出会った竜人たちのデータ。それに私たち三人の細胞の成長記録。天上人の書式と私の所見をまとめたものがそれぞれ二種類ある」
「それとこのお嬢ちゃんを優先的に調べる権利つきか……これは腕が鳴るのぉ……」
「…………」
ドライブと称して動物病院に連れられる。ロアはまさにそんな気分を味わっていた。
彼女とて自分は果たして何者なのか知りたいところである。できればレイが期待するところの能力も自由に使えるようになりたいが……――
「ぐへへへ……」
両手を揉みながらマキシマ博士が迫る。
「安心しなさい。態度はコレだけど診察は紳士よ。それに変なことをしたらアタシがぶっ殺すから」
早くしろとレイがメンチを切る。
「……」
オルに至っては機材を動かし準備を進めていた。
「そんなぁ……」
せめて一言言って欲しかった。心の準備が欲しかった――驚愕の中では一番スケールが小さいものの、ロアは悟る。卑近な脅威が最も厄介であると。
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