2ー2
「ふあ〜〜〜……よく寝たーっ! で、アンタは寝不足か何か?」
体を大きく伸ばしながらレイはロアへと向く。
「……目がぁ……」
四時間ぶっ続けで液晶と対面したせいかロアの目元は眼精疲労で腫れていた。
「一人でこの場所まで辿り着けるなんてなかなかやるわね。部屋数が少ない割に入りくるんでいるから、迎えに行こうと思っていたのに」
「そこは……まぁ……」
ロアは意地でも自分一人で情報を得るつもりだった。先ずは生活の場である車両の構造を把握し、これからお世話になる喧嘩屋の沿革を知り、次に任務の内容……オルの言葉に嘘は無かったようで、情報のおかげでオルは車両の格納庫まで辿り着けたのだった。
「ところで今回の任務……食料調達って何をやるんですか? この辺って荒野しか無いんですけど……」
「ああ……常識すぎて内容書いておかなかったわね」
レイはロアからタブレットを取り上げるとすかさず不足した情報を書き込んでゆく。
「ところで、ロアは
無駄な時間などないとばかりににレイの質問が飛ぶ。
「ええと……――」
喧嘩屋、それは一言で言うなら傭兵組織である。
構成員は依頼を受ければどのような勢力にも味方し、目標を倒すのに全力を尽くす。
レイたちがロアを見つけたのも喧嘩屋のありふれた依頼の最中だった。細胞に適応できなかった弱者がひっそりと身を寄せ合う街、そこの代表であるウオメが能力で街の危機を感じ取り、助けを求めて奔走した果てに頼ったのが喧嘩屋だったのである。
「――でも見たところこの辺りには集落や敵も見当たりませんよ?」
説明を終えると今度はロアから質問を投げかける。
「だから食料調達って書いてあるじゃない。この任務はできるだけ人気のない、だだっ広い場所の方が都合がいいの」
そういうとレイは倉庫に開けられた僅かな車窓から外を見る。彼女は何かを探しているようだが……視線が僅かに上を向いている……?
「匂い的にはもうそろそろなんだけど……」
「……匂い?」
「感覚は磨いておきなさい。感知タイプじゃなくても細胞を働かせれば知覚の強化くらいはできる。力がなくても五感さえ鍛えておけば逃げるくらいはできるようになる」
「……」
地上が物騒な場所であるとロアは交戦記録からぼんやりと把握している。けれど今は安全な装甲車両の中だ。少しはリラックスしてもいいんじゃないだろうか。
だがレイは何かを感じようと神経を張り詰めている。常在戦場が染み付いているのだろう、レイに、そしてオルも何かと前のめりで行動している。
「……感覚を磨く……」
凝り固まった首をほぐしながら、いいかげん体を動かしたくなったロアは言われるがまま深呼吸をすると、試しに嗅覚に意識を集中させてみた。
あ……――ロアの鼻に倉庫内の匂いが押し寄せてくる。くすんだ鉄錆、つんと刺す医薬品、熱いゴムタイヤと、細胞が染み込みむせかえるような臭気を充満させる荒野の大地。いつの間にかロアの感覚は車両を突き抜け外の様子を把握できるまでに拡張していた。
「さすが……筋がいい。これで戦闘タイプだとありがたいんだけど」
喧嘩屋の構成メンバーは驚くべきことにその九割を非戦闘員が占めている。これはレイが依頼が終わった瞬間に依頼人たちを強制的にメンバーに加えてしまうからであり、また竜人に含まれる適合者の割合が似たようなものでもあるためだ。
「いや、私は戦いなんて……――」
ぐるるるるるるるるるるる――
「!」
思わずロアは腹部を押さえた。
「あらかわいい。いい反応ね」
「ちょっ……恥ずかしいから見ないで聞かないでください!」
叫び声を上げて否定するも腹の虫は治らない。自分の本能が食事を求めている。
しかしながらロアは自分の食欲を呼び覚ますものがどこにいるのか見当がつかない。空腹でさらに拡張した嗅覚を使い周囲を探るも大地の嫌な臭気が刺さるばかりだ。
「なるほど、地上のあれこれに関してはまだ閲覧できていないみたいね。まぁ、あの辺は情報が多すぎて数時間じゃ読みきれないし」
ツムギ! レイは上を向いて呼びかけた。
すると装甲車両は動きを止め、続いて倉庫の後部ハッチが開いていった。
「弱肉強食なんて言っているけど神様は慈悲深いらしくってね。天の恵みだけは平等に降らしてくれるわ」
「天の……恵み?」
何も言わずにレイは外へ出る。彼女たちの唐突な動きに慣れたロアも合わせるように続いて外へとハッチを踏んでゆく。
「ん――――――――!!!!!」
「ああもう、うるさいのよ! いちいち驚くな!」
これで驚くなと言うのは酷だろう。
ロアの視界には九頭竜の頭部のうちの一つがいっぱいに広がっていた。
巨大すぎるため見開かれた両目がこちらを睨んでいるように思える。そのあまりのスケールの違いに彼女は圧倒され、腰を抜かしてしまった。
「こんなの風景よ。安心しなさい、これは地球に飛来していらい四〇年間は眠っている。不愉快にも覗き見する以外襲ってきたりした試しはないわ」
レイの言う通り九頭竜の頭部、それに大空を埋め尽くすとぐろは彫刻のごとく微動だにしない。寝ていると言うよりも、そこに在ると表現する方が適切なほどに動きがないのだ。
とは言うものの、巨大な存在に睨まれている感覚は決して愉快ではない。巨大な物は存在するだけで圧迫感を強いるのであり、それが惑星スケールであればなおさらロアは鈍感になれる気がしない。
「……チッ――」
一方でレイは九頭竜を見上げるなりメンチを切っていた。赤い双眸をぎらつかせながら「勝つのは私だ」と主張する彼女をロアは頼もしいやら無謀やらと呆れる――
「! 新人、そろそろ来るわよ!」
「え⁉︎」
レイの視線が九頭竜のとぐろへと向く。それに合わせるようにロアも見上げると――
「⁉︎」
九頭竜の淡く光る白銀の体躯、その鱗の隙間から暗い銀色が滲み出してきた。
「ご覧なさい。これが地上名物・恵みの雨よ」
ロアの空腹感が最高潮に高まる。それと同時に九頭竜は地上に向けて大量の銀色をばら撒き出した。それはさながら銀の雨。大量の滴が弾丸のように降り注ぐ。
「――!」
気づくとロアは舌を突き出していた。味蕾にじんわりと広がる甘い味。たった一滴取り込んだだけで満たされた感覚、そして矛盾する空腹が彼女を襲う。この体にみなぎるすばらしい力をもっと、もっと欲しい! 彼女は先ほどまでの圧迫感など忘れ大口開けて雨を飲み始めた。
「なるほど……食欲はそこそこと。いい傾向ね。非常に健全。でもねロア、地上(ここ)はただで食べさせてくれるほど甘くないわよ」
「?……」
土砂降りの中でレイは準備運動を始める。アキレス腱伸ばし、伸脚、屈伸……メニューは足にかかわるものばかりである。
「?……!??」
ロアは銀色に染まるレイを眺めながら横目でぼんやり眺めながら唐突に口内で何かが跳ねる感覚に驚いた。
「!???――ヴオエッ……」
違和感に吐き出したロア――
「ん……ん――――――――!!!!!」
――彼女が吐き出した銀色の液体、それはなめくじのようにブヨブヨ蠢く生き物として地面を勢いよく跳ねている。
「うわ! アアアアアアアアアアアアアア!!!」
いつの間にか地上は似たような生き物で埋め尽くされていた。
灰色の荒野が雨粒を取り込むことは無い。銀の一滴は染み込むのを拒むように球状に変形すると、近くの球同士が混ざり合いその大きさを増してゆく。
そうやって集合が進むとロアが吐き出したなめくじのような姿を取り出す。一つの形を得たことで自我が芽生えたのだろうか、なめくじたちは勢いよく跳ねると他のなめくじを襲い、さらなる成長を繰り返してゆく。
「痛っ……――⁉︎」
共食いを経てなめくじはウナギくらいの大きさに成長していた。ぬらぬらとした水気をたっぷり含んだ銀の体表と敵を喰らうために発達した鋭い歯を持つ姿はヌタウナギを連想させる。
そんな銀のウナギがロアの指先を噛んだのである。
「ああああああああ!!!」
「ボーッとするな! そいつらは細胞を持っているヤツならなんでも食べる。
そう告げるとレイは装甲車両に向かって駆け出していた。彼女の背後にも大量のウナギが共食いを繰り返しながら迫っている。そのサイズは今やアナコンダレベルにまで。
「――ッ」
助ける気はない。レイの背中はそう語っていた。彼女はハッチに入ってもロアに顔をすら向けない。
この世界は弱肉強食。弱いやつから食われるのよ――
「……――ッ!」
震える腰を持ち上げ、なめくじを踏み抜く。全身を次々と襲うウナギたち、その痛みに耐えつつアナコンダの強襲から一歩でも多く距離を稼いでゆく。
「ああああああああああああ!」
足元が粘つく液体から金属質に変わったとき赤黒い腕が彼女を抱き寄せた。
「ツムギ!」
ハッチが閉じる。装甲車両の分厚い装甲に水気のある衝撃がぶつかるも、これ以上襲われないことにロアはひとまず安堵した。
「でも……」
閉じ込んだところで銀色の生き物たちは二人の膝下を埋め尽くしていた。レイが只者ではないとわかるも、流石にこの数は捌ききれまい。二人揃って肉片になる――ロアは何度目かの死を覚悟した。
「いちいち怯えない。こんなの地上じゃ普通だって」
「だって……だって!」
「うるせぇ! やっぱりアンタの声は慣れん……」
レイはおもむろにロアを離した。
「ふうー……――ッ‼︎」
そして足元に向けて眼光を飛ばす。
「⁉︎」
すると銀色の筒状生物たちはみるみるうちに後退り、二人から離れてゆく。
「危機的状況で能力の覚醒なし。となると、アンタは本当に戦闘タイプじゃ無いみたいね」
「あ! やっぱり試していたんですね! ひどいです!」
「じゃかましい! アタシたち喧嘩屋は人手不足、仮に戦闘タイプでなかろうとそれならそれで仕事は山のようにある。ウチはただ飯ぐらいなんて認めない。アンタがそこそこ動けることが分かったから、これからはジャンジャン仕事をふる。覚悟しなさい」
言い終えるとレイは適当なサイズのウナギを掴み、頭部から丸齧りにしてゆく。
「それ……食べられるんですか……」
「は? さっきアンタも美味しそうに飲んでいたじゃない」
雨もまた竜人の食糧の一つである。
九頭竜の体表から滲み出したそれは惑星改造の際に用いられた毒素であり、かの存在の細胞そのものである。
銀色は地球の生物の大半を殺したが、人間など適応できた生き物にとっては自らの進化を促すためのエネルギー源となる。
共食いと異なり雨の場合は降るタイミングが読めないため第二位の食事方法に留まっている。しかしながら、戦わずして大量の細胞を手に入れることができるのでこの日ばかりは弱者も外に出て一心不乱に雨粒を飲み筒状生物――竜人たちはその醜い容貌から「落とし子」と呼ぶ――を貪る。まさに恵みの雨なのだ。
「……」
「どうした? 遠慮すること無いのよ?」
レイに差し出された落とし子をロアは両手で制した。
いくら食糧だと聞かされたところで――事実口にしたのだが――その禍々しい生き物を口にする勇気はなかった。
食べたら……逆に食い破られそう……――確かに食欲はそそる。ロアは今日ほど本能を恨んだ日は無い。一方でカロリー摂取の意味では充分に満腹なのも事実。無理して細胞の成長を望む意志は無い。
「あっそ。ま、そのうち慣れるわ。じゃ、食事の時間はこれでおしまい。ツムギ!」
車体が揺れる。これは外からの衝撃ではなく車両自身が起こす振動だ。
「巻き込まれるからじっとしていて」
「……!」
振動と共に水面が下降を始める。落とし子たちもロア同様驚愕に顔を歪ませると倉庫へと収納されていった。殺風景だった倉庫は内側から大量の収納を展開し、それが次々に銀色を飲み込んでいるのである。
リーダーの部屋がこぢんまりとしていたのも、各セクションをつなぐ通路が狭路で入り組んでいたのも、この装甲車両が限界までギミックを搭載しているからかもしれない。何がともあれ助かった。ロアはその場にへたり込むと胸を撫で下ろした。
「はれ〜〜〜……」
「ここまで驚かれるとか逆に新鮮だわ……。ツムギ! 回収した分は配給用よ。ちゃんと保管しておきなさい」
言葉と共に収納が収まってゆく。再び殺風景に戻る倉庫に感動するとロアはようやく安堵のため息をつける――
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……――
「え?」
――はずだった。
水平だった床が傾き出すと彼女の体が滑り落ちてゆく。
「痛っ!」
「全く世話が焼ける」
レイはロアの腕を掴みそのまま廊下を登ってゆく。
「今度はなんなんですか……」
「食糧調達任務はまだ終わっていないってことよ」
落とし子は竜人のための食糧である。一方で、竜の細胞は許容を超えた瞬間毒になる。火山男がいい例だ。彼は細胞成長の天上を打ってしまったがために人の形を維持できなくなり、理性を持たぬ落とし子に成り果てたのだ。
細胞に適合できていない弱者の場合、食料問題はさらに深刻だ。周囲にある食糧は竜人と雨のほぼ二択。彼らの力で手に入るのは後者だ。彼らは気まぐれに降る雨を待ち望み、降らば次なる飢えに備えるために限界まで摂取する。
それと同時に、異形の患部が活性化を始める。我が身がさらなる異形に成り果て、暴走し、落とし子になる確率は許容の狭い彼らの方が高い。
「だから今から九頭竜の手が加わっていない食糧を調達しにいくのよ」
「え⁉︎ そんなもの地上にあるんですか⁉︎」
「いや、
「え⁉︎ おおっと!」
車両の振動が一層強く響く。この傾きといい、レイたちは一体何を考えているのだろう。
「どうしたのよツムギ。今日はやけにご機嫌じゃない」
後輩にいい格好がしたかったのかしら。そう言ってレイはロアの手をより一層強く引き、操縦席へと急いでゆく。
「ちょっ……うわっ――」
「急いで! モタモタしてると壁打ちで全身打撲よ」
ロアが急がずともレイがものすごい力で彼女を引き寄せ、二人はあっという間に操縦室まで登り切った。
「ぎりぎりだったな」
「ぷう」
ツムギは相変わらず操縦席に埋まっているようで、二人を鼻息で迎える。一方のオルは副操縦席に深く座り、シートベルトを装着していた。
「え……これって……」
「ロアも適当な席に座りな。ああ、シートベルトも忘れずに。放り出されるから」
レイも座席にドサっと座ると慣れた様子でシートベルトを装着してゆく。
「だから、一体何が始まるんですか!」
ロアにはなんとなく喧嘩屋がやろうとしていることに見当がついていた。そしてそれをできればリーダーであるレイ自身に否定して欲しかった。
「決まっている。地上にないなら他の場所から調達するまで!」
「ぷう!」
瞬間ロアの体がシートに沈む。
彼女の脳裏に喧嘩屋の情報が走馬灯のように流れた。
ツムギが操る多機能装甲車両。その中には驚くべきことに飛行能力の記載があったのだ!
翼とブースターを備え、角度を定めた車両は最終調整を終えると大空に向けて飛び出す。
「いいぞ! 突っ込め!」
「……」
「ぷう」
「ひいいいいいいいいい――」
命がいくつあっても足りない。猛烈なGを受けながらロアは今度こそ死を覚悟する。少なくとも彼女たちと行動を共にする限り平穏はない。そんな後ろ向きな決意と共に彼女の意識はブラックアウトした。
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