第二章 分断。天と地と。

2―1

「……」

 たった一片の細胞が目にも止まらぬ速さで増殖を繰り返し、一つの形をとってゆく。

「……ッ――」

 突然電撃が走る。電撃は細胞が目指していた形を上書きし、続いて大量のを植え付けてきた。成長へ横槍が入ったことに驚愕するも、しかし細胞は分裂を止めない。こんなことは些細なこと。自分にとって一番重要なのは「生まれる事」そのもの。例えそれが本来の姿でなく、他所からの影響を受けたものだとしても関係ない。

 なぜなら、全ては大いなる目標に還ってゆくのだから――

「……アアッ――!」

 そして細胞は形を得た。細胞にとっての喜びは生まれる事、生きること、なにより成長すること。

 大いなる目標のためには、最初の一歩を踏み出す肉体が必須。形を得た多細胞生物は記念すべき第一歩を踏み出すべく足を上げる――

「駄目……」

 ――が、しかし、生物が踏んだのは大地でなくだった。

 いつの間にか大空へと放り出された肉体はただひたすらに落下を続ける。前後左右を惑わす風圧。濃くなってゆく空気。そして……迫り来る大地。

「いや――」

 生物は悟る。自分は大いなる目標、その一歩を踏み出す前に死ぬ。死は銀色の生き物にとって最も忌避すべきもの。生きてこそ目標は果たせる。それなのに自分は今から死ぬ――

「嫌あああああああああああああ――――――――――!!!!!!」

「うるっせえ!」

 生物の、いや自分の頭部に衝撃が走る。

「さっきまでグッスリ寝ていたかと思えば……カンに触る声をあげやがる……」

「痛たた……」

 先ほどの映像はなんだったのだろう。痛みによって現実に引き戻された少女は考える。自分の手足は銀色などではない。色白ではあるものの、それは肌の色の範疇だった。髪の毛も明るいブラウンで白髪一つない。

「何よ自分の体なんかまじまじと見つめちゃって。珍しいの? それともナルシスト?」

「ええと……」

 珍しいといえばそうなのかもしれない。何せ自分は先ほどまで夢の中で銀色の生き物になっていた。目覚めたこちらが現実であると分かっているものの、気分は半ば夢現。胡蝶の心で人間の体を視ている気分だった。

「で、アンタ何者なのよ」

「あの……」

 目の前の赤づくめの少女は自分の都合と関係なしに詰め寄ってくる。何か言わなければ。だけど、自分は一体何を言えば良いのだろう……?

「あの……この服! あなたとお揃いですよね⁉︎」

 少女は自分が着ている赤黒いワンピースと、迫る彼女が着込む同じパターンが施されたボディースーツを見比べた。

「……」

 相手の動きが止まる。どうやら自分は気をひくことに成功したようだ。

 そして少女は畳み掛けるように言う――

「ということは、私はあなたの家族なんですか!」

「意味わかんない」

 ――言うも少女の推測は即座に否定された。

「えぇ……良い線行っていると思ったんだけど……」

「良い線って……アンタ……」

 ああクソ! 赤づくめの少女は乱暴に自身の頭をかきながらぶつぶつと文句を言う。

「リーダー、何か分かったか?」

 部屋の中へもう一人少女がやってきた。目もくらむような銀髪を靡かせながら彼女は赤づくめの少女のそばに立ち、少女の観察を始める。

「ダメよオル。こいつ記憶が無い。落下の衝撃のせいかツムギの爆撃が原因か、それとも……因果はわからないけどとりあえず自分の名前すら分かっていないみたいだわ」

「あ……」

 言われて少女は自分がなぜ返答に困ったのかその理由を理解した。

 誰かと問われれば名乗るのが普通である。にもかかわらず口にしたのは答えとしてはトンチンカン、これは夢現のせいだけでなく、己の根幹が分からなかったからでもあったのか……。

「今どき記憶喪失なんてありふれている。いちいち怒ることもないだろう。あまり騒ぐなよ。ツムギが怯える」

「分かってる。でもコイツの叫び声、細胞がざわついたのよね……」

 言い切るタイミングでオルは彼女にタブレット端末を差し出した。受け取る彼女は内容を手早くフリックし読み込んでゆく。

「先に検査概要を言わせてもらうと、細胞のレベルは初期段階。能力も未発現の真っさらな状態。覚醒すれば化けるかもしれないが、それにしては細胞の絶対数が少なすぎる。多分戦闘には出せないだろうな」

「別に戦うだけが喧嘩屋じゃないわ。仕事ならいくらでもあるもの。それよりもこの遺伝子構造は相変わらず……の関与は明らかね……――」

 おそらく自分のことを指しているにもかかわらず、少女は目の前の会話に全くついていけないでいた。二人の会話はいわゆる一般常識の範囲内なのだろうが自分にはその情報が丸ごと抜け落ちているのである。

 名前が無い――単純ながら己のよるべが無いことに彼女は初めて心細くなった。

「……あの!」

 少女はベッドから起き上がると二人の前におずおずと立ち上がった。

「お……オルさん……と、あなたはいったい……」

 どちら様で……――少女は消え入りそうな声で言う。

「……あら? 名乗っていなかったかしら」

「いきなり本題に切り込むのはリーダーの悪い癖」

「そういうオルだって……まあいいわ。確かに人に誰かと尋ねておいて自分が名乗らないのは礼儀がなっていないものね」

 赤づくめの少女はわざとらしく咳払いをすると両足を軽く肩幅まで開き、両手を腰に当てて少女に向く。

「私はレイ。極東地域第三位の勢力を誇る竜人組織『喧嘩屋』のリーダーよ。そしてコイツは――」

「オルだ。立場はナンバー2。参謀と医療部隊の隊長を兼任している。アンタとは今のところ主治医と患者の関係だな」

 堂に入った自己紹介が少女の心に響く。二人の自信のかけらでも良いから持てれば不安が解消されるのだろうか。相変わらず宙に浮いたような感触を覚えながらも少女はオルへと近づいてゆく。

「あの……なんでも良いんです! 私に関する何かがわかりませんか! 私は……私は一体……」

「……」

 タブレットを差し出すオル。少女はそれを手早くフリックする。オルの作ったカルテは医療記録だけでなく、彼女が収容された経緯まで事細かに記されていた。しかしながらどのページにも彼女のアイデンティティーを示すものは無い。自分は本当に名無しのようだ……――

「……名前が無いことでそんなに落ち込む?」

「だって……名前は自分を示す大事なものですよ! それなのに……私――」

「大層な名前を貰ったところでそれ通りの人生を歩めるわけでも無いわよ。特にこの地上では名前なんて自分と他人を分ける記号でしかない。ま、生きていればわかるわ。とにかく名前が欲しかったら自分で好きなのを名乗れば良いじゃない。『極竜会』のヘッドなんて出世の度に改名していたし」

「ええ……」

 いきなりそんなことを言われても……。レイの提案と文化の違い。それに戸惑ったところに少女は自分のアイデンティティーに触れた気がした。

 この人たちと一緒にいれば、自分のことがわかるかもしれない。そのためには、レイさんの言うとおり記号でもいいから名乗れればいいのだけど――

「……う〜ん……」

「そんなに悩むなら私が名付け親ゴッドマザーになってあげる。今日からアンタは叫び声ロアよ。そう名乗りなさい」

「ちょっ……そんな単純な! しかも……私の恥ずかしいところ!」

「だからいいんじゃない。アンタの声はうるさいんだから。こういうのはわかりやすい方がいいのよ」

 それとも他にいいのがある? レイは忙しなく少女に詰め寄る。靴底をトントントンと叩き出したのを見るに彼女は一刻も早くこのやり取りを終わらせたいようだ。

「……ロアでいいです……」

「それでよろしい。それじゃあロア、早速だけどそこをどいてちょうだい」

 言われるがままロアは横へとずれる。

「おやすみ」

 するとレイは先ほどまでロアが横になっていたベッドに入り寝息を立て始めた。

「え⁉︎」

「ここはレイの私室兼仮眠室ですから。あなたも眠たくなったらこの部屋を好きに使ってください。竜人にとって睡眠不足は大敵ですから」

「いや……えぇ……」

 ロアが部屋を見渡すとここは六畳ほどの空間にベッドが二つ、テーブルが一つと椅子が一脚の簡素な作りだった。リーダーの待遇にしては狭すぎないだろうか?

 ガツン!

「おっ……」

「……」

 部屋全体がいきなり大きく揺れた。地震だろうか? それにしては収まりが早いし、音質も何かぶつかったような感じだ。

 ロアは足元に意識を集中した。ドッ、ドッ、ドッと部屋は一定の間隔で揺れ続けている。

「この部屋……動いていません?」

「なかなかセンスが良い。感知タイプか?……それとも……」

 オルの銀髪が逆立つ。彼女の好奇心を表すように銀糸の触手がロアの全身を触りだす。

「ひいいい……――」

「これが私の能力。この銀髪が触れた相手の細胞に干渉できる。あのカルテも私が触診を基に書いたものだ」

「ひい、ひいいい……――」

「竜人の能力は身体に現れる。アンタも覚醒すればどこかしらが変わる」

 一通りまさぐったところで満足したのか、銀糸は元のストレートに戻る。

 髪は女の命という。ロアの肩甲骨までのものと異なり、腰元まで伸びる銀髪は屋内の光を眩く反射させている。その美しさに思わず息を呑むロアだが……――

 ――あの髪が……私を……!

 自分が寝込んでいる間に何をされていたのか。それはカルテの書き込みから明らかだ。今や彼女の体であの髪が触れていない場所は無いのだろう。

「何を真っ赤にしている。次の予定がつっかえている」

「いや……だって」

 そっちは見慣れているからって……。ロアは羞恥心を怒りにしてぶつけたかった。しかしながらオルは――なんだったらレイだって――マイペース。ここには我の強い人間しかいないのだろうか。教わる立場とはいえ先が思いやられると、彼女は渋々銀色の背中を追いかける。

「ここが操縦室。ツムギが常駐するスペースだ」

「おお!」

 扉を開けた瞬間飛び込んで来る車窓の景色。周囲は灰色の荒野しかないものの、ここでは仮眠室では感じられなかった力強い動力を体感できる。

「のぼせるな新人。まだ主要メンバーの紹介が終わっていない」

「あっ、すみません。つい……」

「まあいい。ここにきたヤツは大体ツムギのパワーに圧倒される」

 オルはそのまま操縦席に向かう。そこでロアは一つ違和感を覚える。ぱっと見たところ席には誰もいない。それなのにこの乗り物はどのような理屈で動いているのだろう……?

 オルは相変わらずマイペースにロアに向けて手招きをする。とりあえず、あそこに近づけは原因がわかる。ここは彼女も真っ直ぐついていったのだが――

「ぷう」

「え⁉︎」

 操縦席には確かにがいた。

 歳は五、六歳程度だろうか。まだ操縦席に埋まってしまうほどの小さな体躯。なぜか頭部に「安全第一」と書かれた黄色いヘルメットを被っているのがミスマッチだが、ウェーブのかかったセミロングの金髪と碧眼、そしてフリルをたっぷりあしらった黄色のドレスを見に纏う姿はビスクドールを思わせる。

「この子がツムギ……私たちが今いる……装甲車両のメインオペレーター。立場的にはナンバー3だ」

「ぷう」

「返事は全ていびきで返ってくるが意思疎通に不自由はない。こちらの言葉は全て理解するし、ツムギは基本寝ている。この子から主張することはほぼ無いと思ってもらって構わない」

「……」

 確かに彼女は夢現といった様子で、憂を帯びた碧眼はよく見ると半開きになっただけ。鼻提灯が時折膨らみ、口元にもよだれ跡が。少なくともツムギには覚醒した様子が無かった。

「……いやいや! 手に、それに足! 色々とおかしいですって!」

 装甲車の運転がどのようなものかロアには見当がつかない。だが基本は自動車と同じようなものだろう。確かに、居眠りをした状態でも車は動くには動く。機械は素直であり、アクセルを踏めば前に進むのだから。

 ところがツムギの体はシートの中にちょこんと埋まっているのだ。手も足も操縦系統に何一つ届いていない。チャイルドシートで底上げしないと車窓すら見えないのでは無いだろうか。一体この車両はどんな理屈で、どこへ向かっているのか。ロアの背中に猛烈な悪寒が走り出す。

「カルテも問題なく読めるし、社会常識も備えている……」

「はぁ?」

 オルがロアの疑問に答える様子は無い。それどころか彼女の反応を見てはブツブツと分析を始めている。その様子にロアは自分が実験動物モルモットにでもなったようでやるせない感情を覚える。

「とりあえず知りたいことがあったらそこに書いてある。次の任務までまだ時間があるから読み込んでおくといい」

 オルはロアが抱えるタブレットを指差すと操縦席を出て姿を消した。ロアもそろそろ喧嘩屋のカラーに慣れてきた。ここでは自分の都合が最優先される。レイの睡眠同様、オルにも何かやるべきことがあるのだろう。

「……〜んっ!!! ああもう!」

 だったらやってやろうじゃない!

 ロアはその場に座り込むと捲り上げるようにフリック操作を始めた。オルの言葉に嘘はないらしく、端末にはカルテ以外にも地上や喧嘩屋にまつわる情報が充実していた。

 次の任務までまだ4時間ある。だったら調べるだけ調べて――

「――見返してやる!」

「ぷう……」

 何も持たなかった少女はロアの名を得た。環境への適応もまた一つの戦い。彼女の喧嘩屋としての人生の幕が上がった。

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