第一章:喰う者、護る者

1―1

 九頭竜の惑星改造から四〇年の月日が経った。

 地球は相変わらず九頭竜によってゆりかごのように覆われている。

「グルルルル……」

 あれ以来、九頭竜は時折を漏らすばかりで活発に動くことはなかった。当時は燦然と輝いていた地球を覆う銀色の皮膜も錆つき、地上は灰色の荒野が広がるばかりだ。

 そんな殺風景な中、銀色の侵略に耐え切った物も存在する。アスファルトの道路、コンクリート造りの建物、かつての人類が作り上げた文明の中でも無機物由来の構造物群は灰色と年月による劣化が激しいものの、一つの時代の生き証人の如く屹立している。

「お母さん……」

 そんなありふれた廃墟の片隅で、一つの集団が身を寄せ合って生きていた。

「ダメよ……声を出したら……今は静かにしていないと……」

 母親は娘が纏うボロきれを引っ張り顔を覆わせる。自身のも同様にして全身をしっかりと覆うと娘を奥へ、部屋の隅でジッ……と息を殺し始めた。

「でも……痛いよ……」

「……」

 母親はボロ越しに娘のを優しく撫でる。彼女の顔面、その左半分は生まれながらにサファイヤのように結晶化していた。異形の力に適応できなかったためか、結晶組織は元の柔らかい組織に食い込むと激痛をもたらし、少女に声にならない悲鳴を上げさせる。

 今日はまだ痛みが弱いものの、少女は叫び出したかった。少しでも痛みを口にできればほんの少しだけどすっきりするのだ。こんなジメジメした隅っこで溜め込み、我慢すると痛みが全身に回るようでより最悪な気分になる。

「お願い……みんなのためなの。だから……ね」

「……」

 抱きしめられた母親の影越しに、少女は部屋の中を見渡した。

 廃墟の中には母娘おやこ以外にも数人、ボロを纏い、壁を背に座り込んでジッと息を潜めている。

 彼らも少女のように体のあちこちにを持っていた。右足が植物だったり、胸部に鰓が生えていたり、両腕が蟷螂の鎌だったり誰一人として同じ特徴を持つものはいない。共通点があるとすれば、彼らも少女と同じく己の異形を疎ましく思っている点だろう。

 九頭竜の侵略に対し地球の生物は一方的に虐殺されるばかりだった。しかし人類は今も生き残っている。

 九頭竜が人類に与えたのは異形の力だった。鳥が翼を増やしたように、犬が新たな生殖方法を得たように、人類は変化で即死することなくその身に新たな力を宿した新たな人類、として生まれ変わったのだ。

 しかしながら竜人は二つの存在に分かれる事になる。

「……」

「……」

「……」

 一つは母娘のように変化に適応できなかった者。地上はすでに二代、三代と世代を重ねてきたものの、強すぎる九頭竜の毒に耐えきれない者達はいる。生まれつき不自由な彼らにできることは文明の残滓を頼りに廃墟の中をぽつりぽつりと間借りして、ように身を潜めること――

「お母さん……」

 母親は優しく、それでいてしっかりと子供の口を塞ぐ。

 母親の額に生えた昆虫めいた触覚は建物、いや廃墟全体へと急速に近づく存在を感知していた。その規模、進行速度から彼女はそれが自分達に不幸をもたらす存在であることを直感する。

「大丈夫、ウオメさんがを呼んで下さったんだから。今日をやり過ごせば痛み止めも手に入るし、お外でいっぱい遊べるわ」

 言葉が終わるとその場の全員が「自分は石だ」と言い聞かせるように静まり返る。呼吸音すら薄い静寂。まるで建物になったみたいと思ったところで少女は眠りに落ちた。それを確認すると母親は娘を守るように彼女に覆いかぶさり、祈り始めた。

 ……頼むから……せめてこの子だけでも……。

 だがそんな期待を裏切るように嵐は迫る――

 触覚がの到来を知覚すると同時に建物を震わすほどの爆発音が響いた。

「ハハハハハ!」

「いいぞ! 景気がいいじゃねえか!」

「燻り出せ! 雑魚どもを炙り出せ!」

 両肩に火山の噴火口を生やした竜人がモストマスキュラーを決めると二発の火炎弾が噴出した。出鱈目に発射されたそれぞれは劣化したビルディングに食い込むと倒壊を引き起こす。男はそれに気分を良くすると、己の力を誇示するように次々とポージングを決めては火炎弾を噴き出してゆく。

「おいおいあんまり壊すなよ。これだけの規模が残っている街なかなかないぜ。俺たちの街にするんだから程々にしろよ」

「わかってるって。でもさ兄貴……おかげで見つかったぜ」

「ふふ……」

 火山男のそばに立つリーダーと思しき竜人はその身に流れるに身を委ねた。

「ふんっ!」

 男の伸ばした右腕は巨大な蛇へと変形し、倒壊した建物へと突っ込んでゆく。

「イヤアアアアアアアアア‼︎」

 は女性を一人絡め取っていた。下半身が魚のそれに変形し身動きが取れないでいたであろう彼女。

「なかなかいい獲物だな。俺と同じで鱗があるのがいい」

 そんな彼女をみて舌舐めずりすると、男は蛇の頭部から彼女を丸呑みにした。

「ううっ……ぐう……」

 叫び声を上げる間も無く女性は蛇男に吸収され、は満足げにゲップを吐く。

「よーしお前ら。街は残せよ! それ以外は喰っていいぞ!」

「「「オオオオオオオオオ!!!」」」

 男達はその身に宿した異形を解き放つと一斉に逃げ場を失った弱者へと襲い掛かる。

 もう一つの竜人、それは九頭竜の力を我がものとした者。彼らは己の特性に合わせて肉体を自在に変形させ、その力を生きるため、戦うために容赦なく振るう。

「た、助けて!」

「うるせえ!」

「お、同じ人間じゃないか――」

「弱いのが悪いんだよ!」

 彼らは弱者を見つけると瓦礫の中から引き摺り出しては痛めつけ、その肉体をゆく。竜人にとっての食料の一つは九頭竜の細胞である。灰色の大地で生き残っている最大規模の生き物が人間・竜人であるならば細胞を持った彼らを喰らうのが合理的だ。

 共食い上等。力のある奴が正義であり、力なき者は生存することが許されない。文明はとうに滅び去った。九頭竜支配下の地上は今や異形に適応できた強者とできなかった弱者に分かれ、弱肉強食のルールが復活していたのだ。

 お母さん。娘が声を上げずに震える。

 大丈夫だから。母親はきつく優しく我が子を覆う。

 次々と衝撃が襲う中で人々の心は不安に塗りつぶされてゆく。破壊は着実に迫ってきている。一人、また一人と掘り返され、悲鳴とともに息耐える。

 早く助けて――

「あん?」

 暴力的な声色に母娘の体がこわばる。

「これだけの食糧があるなんてラッキーだな」

「しかも見ろよ、女が二人。孕ませられるぜ……」

 母親はその言葉に背筋が凍る。娘はまだ初潮も来ていない。そんな子供を相手にそのセリフが言えるのか……?

 娘が男達の手に渡れば喰われるどころか死ぬ以上に恐ろしい目に遭うことは間違いない。

「おい女、俺たちと一緒に来い! この街は俺たちサーペントの街になるんだ。人口を増やすには……分かっているだろう……」

「……」

 彼女は生まれて初めて自分の力に感謝した。患部として自身を呪うしかなかった九頭竜の細胞、それを総動員して戦う覚悟を組み上げてゆく。

「この子は……娘は渡さない‼︎」

 頭部をカミキリムシ状に変形させると同時に飛び出す。一閃、男の頭部は断たれ絶命する。

「このアマッ‼︎」

「うっ――」

「お母さん!」

 男は足をスパイク状に変形させるとまだ変身途中の母親の腹にめり込ませた。内臓が破裂したのか彼女はうずくまり、頭部も元の形へ戻ってゆく。

「おっと貴重な下半身のある女を傷つけちゃダメだったなあ。でも……腹以外はOKだよなっ!」

「お母さん‼︎」

 スパイクが容赦なく四肢を踏む。あまりの痛みに声すら上げられない。その様子に男は調子を良くして潰れた部位をさらに踏む。

「やめて! やめてよ!」

「うるせえブス! よーく見ておけ、俺たち強者に弱者がはむかったらどうなるかをよお!」

 周囲の患者達も男の剣幕に押されて助けに入れない。母親の四肢は完全に潰れ水音が跳ねるだけになる。

「……」

「あん⁉︎」

 それでも母親は戦う意志を捨てなかった。細胞を使って四肢を再生させ、頭部も変形を始めている。彼女の目は今も男を睨み、娘を想っている。

「……細胞さえ供給すれば頭がなくても生きていけるんだよなあ。口が使えなくなるのは寂しいが……その目ごとぐちゃぐちゃにしてやる!」

「やめてえええ――――――」

 男の足が母親へと迫る。少女の口内に血の味が広がる。頭部を失った肉体からは大量の血液が噴き上がり――

「誇りなさい。あなたの母親は立派な人よ」

「……」

「……」

 母娘の前で男の体が頽れる。

 それが乱暴に押しのけられると目の前にはたっぷりと鮮血を浴びた少女の姿が。

「ウオメの依頼でやってきた『喧嘩屋』のリーダー、レイよ。これからあなた達をあいつらには指一本触れさせない。だから安心して体を治しなさい」

 レイと名乗る少女はそう言うと母親に向けて銀色の薬剤を注射した。すると彼女の肉体はみるみるうちに回復してゆく。

「……あなたが」

 母親が起き上がると同時に、役目は済んだとばかりに少女は振り返る。全身に力を漲らせると跳躍し、虐殺の中へと飛び出していった。

「ありがとう! 助けてくれてありがとう!」

 娘はレイの赤い背中に向かって叫んだ。不思議と痛みを感じない。彼女がきてくれたおかげで何もかも安心できる。回復した母親の腕の中、娘はそう確信した。

「私たちは大丈夫。だから……今度はみんなを!」

「……」

 レイは少女に向けて後ろ向きであるもののわずかに手を振った。

 調子に乗るな。戦場だ。

 そして頬を叩くと狙いを定めて地上に落下した。

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