第3話 逃げない、ごまかさない、隠さない。
「ちょっと・・ちょっと・・・」
イマちんは、いつもの量ほどのお酒を呑んではいなかったが
さすがにアルコールが入った後での駆け足には音を上げていた。
長身の彼が見えなくなるぐらい暗闇の中で
あっというまに距離が開いてしまった。
家までの道すじなのだが、なぜか見失うような気がして
息を切らしながらひたすら歩を進めた。
「もうダメ。先行って・・・・」
とうとうイマちんが座り込んでしまった。
「がんばって!家まであと少しだから」
彼女を立ち上がらせようと両腕を思いきり引っ張った。
彼女は半分冗談で私に抱き着いてきたが
私の耳元で「うそっ?」と言うと
私の頭を強引に後ろに回した。
そこには見知らぬアパートの1階
手前から2番目の部屋のドアの前に立ち
呼鈴を押している聖光がハッキリと見えた。
しばらくしてドアがゆっくりと開くと
内側のドアノブを握る白く細い腕が見えた。
そしてするりと彼の影が部屋の中へ消えた。
その晩私は一人暮らしのイマちんのマンションに泊まり
家には帰らなかった。いや帰りたくなかったのだ。
彼女とベランダから
泣きながら濃いめの酎ハイを飲み続けた。
翌朝、どうしても出勤すると言いながら
そこら中に体をぶつけてふらつく私を
半ば切れ気味に説得して、イマちんは慌ただしく出て行った。
熱は無いのだが、なぜか体が火照っているように感じられ
時おり天井の照明が回って見えた。
一睡もできず寝不足が原因かと思いたかったが
実際は放心していて、それさえも覚えていなかった。
健全な男性であれば、お酒を飲みながら夜の女性と
いろいろなコミュニケーションを楽しみたいと
思うことはあるのだろう。
色黒で小っちゃくて色気の無い私といると
そういう気持ちが湧いたとしても
何ら不思議では無いし、それを非難したりはしない。
でもアパートの件は、何の
「イマちんごめんね。」
借りた枕を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして・・・
謝りながらも、それを止めることが出来なかった。
午後になって混沌とした意識の中で
イマちんからのメールに
「(夕飯)なんでもいいよ。」と答えた。
彼女の優しさと、自分の情けなさにまた涙が出たが
”そうだ。保育園には私を待っていてくれる天使たちがいるんだ。
明日は出勤しないといけない”と
くじけた心を立て直すために冷水のシャワーを
失恋ソングを歌いながら浴びた。
そこからは一気にポジティブな自分が戻ってきた。
コードレス掃除機で全ての感情を吸い上げた。
"むかしからこれが一番きれいになるんだ。"
鼻歌も歌いながらゴシゴシ隅々まで忘れずに・・・・
”ガチャ”というドアのカギが開く音にも気づかずに
鼻歌全快で掃除に熱中している私の姿を見たイマちんは
「はあっ?」
とクリーナーの騒音をかき消す勢いで叫び
玄関で仁王立ちしていた。
夕飯の魚貝がたっぷり入ったパエリヤを
大きな口でほおばる私を見て
「そうだよね。むかしから切り替えは
早かったよね~」
やれやれといった様子で
イマちんは白ワインを飲み干した。
「でもこれからどうするの?」
「ちゃんと話をする。コソコソ尾行したりしないで。」
「そうだね。私も加勢するよ。」
「ダメ。イマちんはイイ男に甘いから!」
「それは言わないでよ。あんたよりメンタル弱いんだから・・・」
「これ食べたら帰るね。」
「えっ?今日帰るの?」
「うん。この勢いで行かないと。」
「・・・・・・よし!がんばれっ!メグ」
酔ってマンションの前で大声でエールを送るイマちんを後にして
自分を鼓舞するように大股で早足に家路を急いだ。
そう。何もかも全部聞こう!
過去も現在もそして未来も。
逃げないし、ごまかさないし、隠さない。
こぶしを固く握りしめた。
20時を過ぎて家に入ったが、まだ彼は帰っていなかった。
「今日は帰ってくるのかなあ。」
また少し弱気が首をもたげたが
「いや。帰って来るまで待つし、来なければ
こっちから乗り込んでやる。」
まだ気分は高揚している。大丈夫だ。
キッチンの照明を点けると
ダイニングテーブルの上にある
クマとうさぎと象のイラストの描かれた
二つ折りにされたメモ用紙に気が付いた。
メモを見て、今まで張っていた物がすべて崩れていくのを感じ
フローリングの床に倒れるように座り込むと
涙が止めなく溢れ、抑えようとしても嗚咽がそれを遮った。
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