片想いの賞味期限

西乃狐

片想いの賞味期限

 ママは、とても身なりにうるさい。


 昨夜というよりも今朝と言った方が正確かもしれない。


 遅くまで深夜ラジオを聴いていた。日の出が近づいた頃にお風呂に入った。昼過ぎまで寝て起きた。朝昼兼用のごはんを食べた。部屋でぐだぐだしてた。


 その間ずっと同じジャージのまんまだ。


 Tシャツは、体育祭で作ったクラスT。ジャージの上着のファスナーをあげれば見えはしない。ぼさぼさの髪はキャップで隠した。コロナのせいでマスクはマストだ。そもそも誰に会うわけでもない。


「玉葱買うだけだし、大丈夫だよ」


「だめ。今日に限ってイケメンが街に繰り出してるかもしれないでしょ」


 抵抗をやめて着替えに戻ったのは、イケメンに目が眩んだわけじゃない。彼の顔が頭に浮かんだからだ。


 もし、彼に会ってしまったら——。


 そんな可能性は二階からの目薬が命中するくらいゼロに近い。分かってはいても一度思ってしまったら無視は出来ない。


 無駄だ無駄だと一人ごちつつ、五着目に手にしたワンピースに着替えた。諸々整え、再び玄関に向かうまでなんと四十分。我ながら論評に窮する。


 でも、そこからさらに二十分後、わたしはママに感謝することになった。


 商店街の八百屋で玉葱を買って、本屋の店先で雑誌を立ち読みしていた。そこに彼が通りかかったからだ。


「久しぶりだね。元気?」


 先に声を掛けたのは彼の方だ。

 持っていた雑誌を胸の前に抱き、ソーシャルディスタンスと言われる程度の距離をとって、彼と向かい合った。


 二人きりで話すなんて何時いつ以来のことか。彼のことでなければ記憶の保存期限が切れてしまっているほどの昔だ。


 最後に見かけた時と比べて、彼の背がまた伸びている気がした。中一の時は同じくらいだったのに。


「うん。久しぶり。元気だよ。元気?」


「元気だよ」


「ジョギング?」


「そう。ずっと家の中にいるのもあれだから」


「だよね」


「そっちは?」


 手に下げたエコバッグを、ちょっと上げて見せる。


「お遣い頼まれちゃって。玉葱」


「そっか」


「うん」


 東京の大学に進学した彼は、本来ならもうこの町にはいない筈だった。東京で借りた部屋に引越しの荷物も送って住めるように整理して、従兄弟の結婚式のために一旦帰省していたらしい。そこに新型コロナウイルス感染拡大に伴う県外移動規制が始まった。大学のキャンパスも立入禁止のままだから、急いで戻る理由もないらしい。


「そうなんだ……」


 ここで会話が途切れてしまうのがわたしの駄目なところだ。彼じゃなければ男子相手でもへっちゃらなのに。彼を前にした途端に言葉が出なくなる。きっと本来は脳に送られる筈のエネルギーまで心臓が消費してしまうせいだ。


 無理もない。もう会えないと思ってた人。六年間の片想いを、片想いのまま終わらせてしまった彼だ。


——じゃあね。


 そう言って彼が走り去ってしまう。そんな光景が脳裏を掠める。


 中一の春、同じクラスの彼を好きになった。運良く同じ高校に進学した。その間ずっと視界の片隅で彼を探し続けた六年間だった。


 高校最後のバレンタインも不戦敗。よし、卒業式までには告白するぞと意気込んではみたものの、ウイルスのせいで休校となり、卒業式もなくなった。


 大学に入ったら彼のことなんか忘れて、キャンパスライフを謳歌するんだ。素敵な彼氏を見つけるんだ。そう思っていた出端でばなもウイルスのせいでくじかれた。思い出にしてしまうはずだったものが思い出になり切らない。


 ここでこのまま別れたら何も変わらない。最後にちょっとおまけのような再会が得られただけ。彼の記憶の中に残る最後のわたしの姿が草臥くたびれたジャージ姿じゃなくてよかった——それだけで終わる。


 ここで言わなきゃ。


 でも——。


 しゃがみこんで靴紐を結び直した彼が、立ち上がった。


「じゃあ、行くよ」


「え、あ、う、うん。……ばいばい」


 膨らみかけていた風船は一瞬で萎んだ。

 走り去る彼を見送る。


 そりゃそうだ。六年間できなかったことが、今日できるはずがない。

 とっくに賞味期限が切れたような片想いを、いつまでも大事にしているわたしが馬鹿なんだ。


——帰ろう。


 彼とは反対方向に歩き始めた。


 会えてよかったじゃん。考えようによっては、ふられて終わるよりもハッピーエンドだし。ウイルスとママに感謝だ。うん。よかったよかった。めでたしめでたし。

 

 自分に言い聞かせる自己防衛モードを発動。外部をシャットダウンしながら早足で歩いていた。


 不意に後ろから手首を掴まれた。


「きゃ」


 驚いて振り向くと彼だったので、また驚いた。


「ごめん、名前、呼んだんだけど」


「え、あ、ううん。何、どうしたの?」


 彼は見るからに挙動不審だった。目が泳ぎ、手首を握られた手は冷たく汗をかいていて、何となく震えてすらいる。そんな彼は見たことがなかった。


 まだ私の手首を握ったままの手をじっと見ていると、彼は慌てて離して謝った。


「ご、ごめん」


 それはつまり、六年間言おうとして言えなかったことを、ついに今から言うぞっていう極度の緊張のせいだったのだと、少し後になって理解した。


《了》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

片想いの賞味期限 西乃狐 @WesternFox

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ