第5話:親友として

 土曜日になって。

 僕は伊夢の家を訪問した。

 ピンポーンとインターフォンを鳴らし。

 伊夢がドアを開ける。


「やぁ……」

「ん、おはよう。伊夢いゆ


 伊夢は爽やかな白のTシャツにロングスカートという服装。

 緑がかったクセっ毛ボブは前髪をお花の髪留めで抑えており、ちょこんと小さな耳があらわになっていた。

 いつもなら髪留めなんかしなかった。

 オシャレに気を使っているのか。

 あるいは……。


「上がらせてもらうね」

「うん。どーぞ」


 伊夢の家に上がる。

 ふんわりと香る甘酸っぱい家の匂い。

 小学校の頃から知っているこの匂いを嗅ぐ度に、何だか昔のことを思い出す。

 小さい頃はよくこの家に遊びに行って、一緒にゲームをしたりお菓子を食べたりしたものだ。


 ふと、僕は家が静かなことに気付いた。

 だから伊夢にこう訊いてみる。


「伊夢、お母さんは?」

「えっと……今いなくて」

「そっか……じゃあ」


 伊夢は胸に手を置き。

 緊張気味に一言。


「うん……二人っきり」

「……そうなんだ」

「っ、で、でも大丈夫だよね。二人っきりなことなんて、しょっちゅうだったもん」

「伊夢、もしかしてさ……」


 僕は言おうとした言葉を即座に飲み込んだ。


「いや、何でもない」

「なに? 言ってよ」

「いや、女の子に言う言葉じゃなかった」

「……ふぁ。そ、そぉなんだ」


 ──襲われるのを期待してるの?

 なんて、言えるわけがないのだった。


※※※


「このくらい、かな……よいしょ」

「上手上手、そう……ん、いい感じだよ、晴人」


 伊夢に唐揚げの揚げかたを教えてもらう。

 鍋の中に泡を立ててジュウジュウと音を鳴している唐揚げを見ながら、僕は伊夢の指示を仰ぐ。


「揚げ加減はこのくらい?」

「うん。あと1分くらい揚げたら完成かな」

「ありがとう」


 唐揚げが揚がる音がキッチンに響く。

 その間僕達は変な空気に包まれていた。

 以前ならこんなことはなかった。

 ……気まずいと思ったことなんて、今までなかったのにな。


 それから卵焼きやミニハンバーグ、ほうれん草やレタスの調理方法などを伊夢に教えてもらった。完成した料理を、僕は伊夢に食べてもらう。


「どう、かな」

「……美味しい」

「良かった」


 伊夢は柔和な笑みを浮かべ。

 僕が作った卵焼きを美味しそうに食べていた。しばらく食べていると、伊夢がポツリと言う。


「いいなぁ……」

「いい……?」

「ん? だって、こんな美味しいお弁当を絹澤先輩は食べられるんだもん。羨ましいや」

「伊夢……」


 伊夢の瞳は少し潤っていて。

 色気さえ感じた。

 ……でも僕にはもう恋人がいるんだ。

 だから伊夢とは『彼女』にはなれない。

 でも、このまま離れ離れになんかなりたくない。ワガママかもしれないけど、僕は伊夢と友達のままでいたい。


 だから彼女にこう言った。


「伊夢」

「ん?」

「ありがとう」

「……うん」

「君の気持ちに気付けなくてごめん」

「謝らなくていいよ。私が早く気持ちを伝えなかったのが悪いんだから」

「そんな、伊夢は何も悪くないよ」


 伊夢は自嘲気味にふふっと笑い。


「……私、さ。のんびり屋さんだから、いつも欲しいものを逃しちゃうんだ。ダメだね、私」

「伊夢……」

「でもね、私……晴人には幸せになって欲しいの。それは本当だよ? だから君の力になれて、とっても嬉しい……」

「でも、悲しい気持ちもあるんだよね」


 少し間を開けて。

 首を横に振る伊夢。


「ううん、悲しくなんてないよ。本当に大丈夫だから……」

「本当に?」

「……うん」


 伊夢がこういう顔をする時は。

 決まって無理をしている時だ。

 だから僕は彼女のもとに行って。

 

「一回だけ……本当のこと言ってごらん」

「……でも、そしたら」

「僕の迷惑になるって?」

「うん……」

「僕は一直線だから、伊夢の気持ちを聞いても、多分君と付き合おうとは考えないよ」

「そう、だよね……」


 「でも」と言葉を続ける僕。


「僕は一直線だから、一度親友だと思った人のことは絶対に嫌いにならない。だから……伊夢の気持ち、僕に聞かせてよ」

「……晴人」


 伊夢は僕に本当の気持ちを教えてくれる。


「晴人に幸せになって欲しい。これは本当。でも、少し寂しいよ。もう君に気軽に会いに行ったり遊んだりできないんだって思うと……それに」

「彼女になれない?」

「うん……ワガママでごめん」

「ワガママなんかじゃないよ。伊夢の気持ち、よく分かったよ」


 僕は伊夢の肩に触れようとする。

 いつもやっていること。

 でも僕は彼女に許可を求めた。


「触っていい……?」

「う、ん……」

「ありがとう」


 伊夢の華奢な肩にそっと手を添え。

 僕は──彼女に正直な思いを伝えた。

 それで伊夢の気持ちに区切りがつくように。


「親友のままでいよう。僕達」

「……うん、親友のまま……だね」

「うん。これからよろしく」


 僕達はこうして親友という関係を維持した。ごめんね伊夢、君の気持ちに早く気付けなくて。


※※※


 その日の夜、僕は絹澤先輩にメッセージを送った。


市島晴人『お疲れ様です。月曜日なんですけど、僕の使ったお弁当を食べてもらえませんか』PM10:10


 するとすぐに返信が来た。


絹澤海華『お疲れ様です。市島君。

お弁当?料理が作れるのですか』PM10:11


市島晴人『はい。ですから、明日の朝はお弁当作らなくて大丈夫です』PM10:11


絹澤海華「そうですか。分かりました

では楽しみにしています」PM10:12


市島晴人『絹澤先輩』PM10:12


絹澤海華『はい』PM10:12


市島晴人『大好きですよ』PM10:12


絹澤海華『そうですか』PM10:17


 『そうですか』の返信が少し遅かった理由を考え、ニヤける僕だった。


※※※

 お昼休みの時間。絹澤先輩と校内のベンチ前で待ち合わせする。

 授業が終わり、僕がベンチ前に行くと。

 既に絹澤先輩はそこにいた。

 栗色セミロングの髪を指で弄りながら。

 あくまで無愛想な顔を保ったまま。


絹澤きぬさわ先輩、お待たせしました」

「……ええ」

「お弁当、作ってきましたよ」


 僕が絹澤先輩のために作ったお弁当を見せると。無愛想な表情のまま。


「そうですか」


 とだけ言った。

 僕は彼女の隣に座り。 

 二つ持ってきたお弁当箱を広げる。

 中身は同じだ。1口サイズの唐揚げに、卵焼き、それから野菜類。どれもこれも伊夢に教えてもらったレシピだ。


 僕は絹澤先輩にこう言った。


「食べてくれますか?」

「ええ……」


 絹澤先輩はまず、唐揚げを1口パクリと食べた。油っぽくないだろうか。味はちゃんと染みてるだろうか。不安な気持ちを抱えながら、僕は先輩の表情を眺める。

 すると先輩は──無愛想な表情を少しだけ緩め。


「美味しいです……」

「本当、ですか?」

「……ええ、まあ」

「そうですか。嬉しいな」


 ああ、人に自分の料理を食べてもらうって嬉しいな。僕はそう思った。

 

「絹澤先輩」

「はい」

「これから毎日作ります。先輩のお弁当。嫌、でしょうか」


 絹澤先輩は僕の真剣な表情を見て。


「市島君が負担にならないなら……」

「先輩……ありがとうございます」

「いえ、別に……」

「先輩照れてます?」

「っ、別に……」


 絹澤先輩は頬を朱色に染め。

 ひたすらにお弁当を食べるのだった。

 太陽の光が僕達を照らす。

 鳥のさえずる声が耳朶を打つ。

 夏の風が頬をかすめる。

 しばらくのんびりした時間が流れる。

 すると絹澤先輩はポツリと。


「市島君……」

「はい。何でしょうか、絹澤先輩」

「いえ、なんでもないです」

「そう、ですか。ふふ」

「な、何がおかしいのですか」

「絹澤先輩」

「はい…… 」

「なんでもないです」

「……っ。馬鹿」


 意味もなくお互いの名前なんて呼んで。

 イチャつく僕達。やっぱり絹澤先輩は可愛い。


 場も温まって来たところで。

 僕はカバンからあるものを取り出す。

 それを見て、絹澤先輩は一瞬目を輝かせた。


「それ……」

「はい、いちごです。先輩お好きでしたよね」

「覚えていたんですね」

「はい。先輩の好物ですから」


 絹澤先輩は「そうですか」と言い。

 無愛想な表情を継続させる。

 本当は早く食べたくてしょうがないくせに。本当に先輩は可愛い。


「先輩」

「なんですか」

「あーん」

「っ?! は、はぁ?」

「恋人の定番じゃないですか。ほら、あーん」


 僕はいちごをひとつだけつまんで。

 絹澤先輩の口に持っていく。

 「あーん」と言いながら。

 イチャイチャカップルっていったらコレだよね。一度やって見たかったんだ。


 でも絹澤先輩はぷいっと僕に顔を背け。


「っ。馬鹿……」

「大丈夫。誰も見てないですよ」

「そういう問題では……」

「僕は先輩に食べて欲しいな」

「……っ」


 僕が敢えて悲しそうな顔をすると。

 絹澤先輩はクッと表情を歪ませ。

 まるで女騎士が陵辱される前のような顔になった。先輩は僕に厳しいように見えて、恥ずかしがり屋さんなのだ。


「本当に……誰も見てない?」

「はい。僕と先輩しかここにいません」

「……そう、ですか」


 絹澤先輩は頬を赤く染め。

 桜色の唇をもにょらせると。

 何度か深呼吸をして。

 僕のあーんを受け入れるのだった。


「っ、あーん……」

「はい、あーん」

「ん……もぐもぐ」

「上手に食べられましたね。エラいエラい」

「っ、んーっ。ごくっ……アナタ、私のことを馬鹿にしてるのっ?」

「ふふ、先輩はからかい甲斐があるなぁ」

「〜〜〜〜〜っ」


 先輩は声にならない声を上げ。

 恨めしそうに僕をじーーっと見つめてくるのだった。ああっ、先輩の綺麗な瞳の中に映れるなんて幸せ過ぎる!


 いちごよりも甘酸っぱい時間を過ごす僕達だった。




 






 


 


 

 


 



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