第4話:複雑な気持ち

 午前の授業が終わり。

 お昼の時間になった。

 絹澤きぬさわ先輩と一緒にお昼が食べたい。僕は彼女がいる二年生の教室へ向かおうとする。すると幼なじみの安達あだち伊夢いゆが話しかけてくる。


「晴人、今日もまた絹澤先輩とお昼?」

「うん。伊夢は友達と食べるの?」

「んー、うん。そうだよ」


 伊夢は少し寂しそうな顔をして。


「あの、さ……晴人」

「ん? どうした」

「明日は一緒に……」

「明日……?」


 伊夢が寂しそうな顔をしたので。

 僕は彼女のもとに駆け寄る。

 華奢な肩に手を添え、僕はこう言った。

 伊夢とは昔からよくスキンシップをしていたので、別に他意はない。


「伊夢……? 大丈夫?」

「……うん。大丈夫」

「本当? 無理してない?」

「大丈夫だよ。ただ……」


 伊夢は少し間を開けて。

 ポツリと一言。


「晴人は一直線だなって……そう思って」

「そう、かな」

「うん。絹澤先輩と付き合う為に勉強頑張って、彼女になったら積極的に会いに行って。なんか、すごく……」


 何かを言おうとして。

 言葉を詰まらせる伊夢。

 そして、ニコッと笑顔になって。


「ごめん。何でもないや」

「伊夢?」

「ほら、早く先輩のとこ行きなよ。多分あの人つっけんどんに見えて寂しがり屋だから」

「そ、そうなのかな」

「女の勘ってやつだよ。ほら、行った行った」

「ちょ、伊夢」


 伊夢に押し出される形で。

 教室から出る僕。

 そのまま絹澤先輩のいる教室へ向かおうとすると。


「晴人……!」

「ん?」


 伊夢は胸に手を添えながら。

 僕にこう言った。


「私、晴人の恋……応援するから」

「伊夢……?」

「それだけ。じゃね、幸せ者」


 まるで何かを偽るような。

 何か心の内にいるモヤモヤを隠すような。

 そんな声で伊夢は言った。

 僕と伊夢はただの幼なじみだ。

 今まで恋愛的な関係になったこともないし、僕も彼女にそういう気持ちになったことはない。ただの幼なじみで、一番の『親友』それだけの関係なのだ。


(まさか、な……)


 脳をよぎる考えを必死で振り払う僕だった。 


※※※


「先輩、お昼一緒に食べませんか?」

「……っ、あのね、市村君」


 二年生の教室に向かい。

 席に座ってモジモジしていた絹澤先輩に話しかけると。彼女が言いづらそうにポツリと。


「場所というものを考えなさい……その、みんなが見ているんだから」

「あ……」


 辺りに意識を向けると。

 二年生の生徒達が僕と絹澤先輩をジロジロ見ていた。羨望、嫉妬、興味……そんな感情が伝わってくる。

 人が沢山いる前で話しかけたのは失敗だったみたいだ。いつもお昼に誘う時は教室で話しかけていたので、先輩は内心嫌だったのかもしれない。


「すみません、次から気をつけます」

「よろしい……」

「えっと、じゃあ……」

「そうですね、場所を移動しましょう……」


 絹澤先輩は持参したお弁当箱を持ち。

 辺りの目を気にしながら席を立つのだった。他の生徒は相変わらず僕をジロジロ見ている。うん、居心地悪い。


※※※


 太陽の光が差し込む校内の庭にて。

 設置されてあるベンチに腰掛け、僕達はお昼を共にする。

 絹澤先輩のお弁当箱の中は、とても美味しそうだった。アスパラガスのベーコン巻きに、きつね色の卵焼き、食べやすいサイズのカリカリの唐揚げに、プチトマトとほうれん草。もしかして手作りだろうか。


「絹澤先輩のお弁当、美味しそうですね」

「……ええ、まあ」

「自分で使ったんですか?」

「……」


 無言で頷く絹澤先輩。

 すごい。料理ができる女性って尊敬するなぁ。僕も今度作ってみようかな。

 ちなみに僕は親が作ってくれたお弁当を持ってきた。


「すごいな、絹澤先輩は」

「すごい、でしょうか」

「すごいですよ。自分でお弁当も作って、勉強もできて……まじで尊敬します」

「……そう、ですか」


 絹澤先輩は少し考えるような仕草をしたあと。ポツリとこう言った。


「市島君は、料理作らないのですか」

「僕ですか? うーん、あんまりですね。お弁当も親が作ってくれるので」

「……恵まれてますね」

「そうでしょうか……」


 絹澤先輩は少し自嘲気味に。


「私の家は片親でしてね」

「そう、だったんですね」

「ええ、だから……母は夜遅くまで仕事をしていて、家では基本的にひとりです」

「お弁当や夕飯もご自身で?」

「そうですね。自分で作っています。負担をかけたくないので」


 そう言う絹澤先輩の顔は何だか曇りがかっていて。いつもの堂々とした表情とは少し異なった。


「お弁当って朝早く起きて作るんですよね。大変じゃないですか?」

「まあ……少し。でもそのくらいしか私にはできないものですから」


 絹澤先輩は家族思いなんだな。

 勉強熱心なのも、貧しい家庭環境を少しでも変える為なのかもしれない。


(僕が料理作れればな……)


 ふとそう思った。

 ……そうだ。僕が毎日彼女の分のお弁当を作ればいいんだ。食費の問題はあるけど、母に頼めば用意してくれるだろう。


「絹澤先輩」

「はい……?」

「少し、時間を下さい」

「……?」


 今は料理ができない僕だけど。

 勉強して、作れるようになってやる。

 僕はそう決心した。


※※※


「え……? 料理を教えて欲しい?」

「頼む……ダメ、かな」


 僕は両手を合わせて幼なじみの伊夢いゆにお願いをした。伊夢は料理上手で、昔はよく僕も彼女が作る料理を食べていた。


 伊夢は少し困惑した顔をして。

 不思議そうにこう言った。


「いいけど、突然なんで?」

「実は──」


 僕は事情を説明した。

 絹澤先輩の負担を少しでも減らしてあげたいと。何か力になれないかと。

 すると伊夢はふふっと微かに笑い。


「やっぱり晴人は一直線だね」

「……何とかしてあげたくてさ」

「そっか。すごくいい事だと思うよ。すごく……ね」


 曇った表情もたった数秒で。

 パッと明るい笑顔に切り替える伊夢。


「いいよ、教えてあげる。今週の土曜日でいい?」

「うん。ありがとね」

「いいってことよ」

 

 伊夢はグッと親指を伸ばし。

 サムズアップのポーズを取った。

 伊夢は優しい。やっぱり僕の頼れる親友だ。


 そう思っていたら。

 ふと、伊夢がこう言う。


「ねぇ、晴人……」

「ん?」


 伊夢は悲しそうな、それでいて諦めたような顔で。一生懸命言葉を選ぶように。


「いつもありがとね」

「伊夢……?」

「これからも、親友でいてくれる、よね」


 表情を見て。

 『まさかな』という気持ちがよりいっそう強くなった。ほぼ確信に変わったほどには。

 伊夢は何かを我慢している。その我慢が何なのかは、流石の僕も分かった。


「伊夢……もしかして、さ」

「違うよ」

「……君は、僕のこと」

「大丈夫だから……応援するって言ったでしょ。だから、気にしないで」


 伊夢はまるで出来の悪いロボットが人間の表情を真似するかのように。下手な笑顔を僕に向けた。ああ、そんな顔されたら、疑いが確実な確信に変わる。


「……土曜日、家に行ってもいいんだよね」

「うん……あ、でも」

「ん?」


 伊夢は少し考え、申し訳なさそうな顔で。

 ポツリとこう言った。


「絹澤先輩に、悪いかな……」


 伊夢は本当にいい子だな。

 どうやら自分の気持ちは隠し、僕の恋を応援してくれるようだ。

 ……正直僕にはどうすれば正解なのか分からない。次の行動をすることで伊夢がさらに辛くなることもあるかもしれない。

 だけど、僕は一直線だから。一度こうだって思ったら直進する男だから。


 ……だから、伊夢に対してこう言った。


「伊夢」

「……晴人」

「土曜日、よろしくね」

「……いいの、かな」

「料理教えてもらうだけだから。大丈夫、何もしないし、何も起こらないよ」

「…………そ、だよね」


 伊夢は少し不安そうにそう言うと。

 あとは柔和な笑みを浮かべるのだった。

 

 

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