第十八話 アルケ村の解脱祭④
なんだ!?
何がどうなってる!?
死にゆくはずのリツトに起きた精神と肉体の活性。
身体には依然として大きな欠損があり、致命傷となったはずのそれらは、強い痛みをもってリツトに生を実感させる。
痛みと混乱で思考が錯綜し、答えを導き出すことが出来ない中、つい先ほど命の恩人となったリールーが、その命を奪わんとして四足獣のように突進してくる。
「ぐっぞお゛!!!」
リールーの突進を身体をひねって躱す。
声を出すと喉元の血液が振動し、不快感に胃液がせりあがる。
リツトはリールーの背後を取った形となるが、良心と罪悪感が邪魔をして攻撃に出る事は出来ない。
すると、後ろから地を蹴る音が聞こえ、振り返る。
3体の解脱者が一斉に飛び掛かってくるところだった。
「―――!」
リツトはそれを横っ飛びで回避するが、着地の衝撃に患部が疼き、あまりの痛みで嘔吐。
血の混じった体液を口からこぼしながらも、5体の解脱者を警戒したまま、距離をとるように後ずさる。
痛い痛い!
何が起こってる!?
どうしたらいい!?
痛い痛い痛い!
一向に出口の見えない自問自答を繰り返すリツト。
ただ身体は新たな傷を嫌がり、迫りくる攻撃を躱し続ける。
身体を動かしただけで全身を引き裂くような痛みが走り、その度に脳が危険を叫ぶ。
痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い
実際、誰も助けられなかったことを除いて、時間を稼ぐという目的自体は達成しうる状況になっていた。
出血は致死量を超えて尚止まらず、今流れ出る血は果たしてリツトのものなのかすら疑問。
しかし現実としてリツトは生きており、万全の状態を超える運動能力で攻撃を回避している。
このまま距離をとりつつ回避を続ければ、ホイミィがピヨ爺を呼んでくるまで耐えることは出来るだろう。
だが、リツトはそれに気付かない。
気付かない、というよりはそれどころではない、というのが正しい。
別の目的意識が脳を支配し、当初の目的は思考の影に追いやられてしまっていた。
―――死の切望。
リツトにあるのは、今も身体を蝕む激痛から逃れることだけとなった。
耐え難い痛みは一切合切の思考を遮断し始め、自身に起きた肉体的変調にすら既に意識を向け得ない。
本来であれば意識を失うほどの激流。
しかし、肉体にエネルギーを送り続ける何かが、リツトの意識を明瞭に保ち続ける。
死ぬしかない。それがリツトが縋ることの出来た唯一の望みであった。
既に闘争心は滅し、生への未練すら痛みの奔流に飲まれる。
リツトはその場に膝をつき、うなだれるようにして死を待つ。
自分の死を与えるのは解脱者の攻撃か、はたまた出血か。
どうやったら死ねるのか?
本当に死ねるのか?
そんな疑問すら感じ得ないほど、痛みのみを抱いてただ地に座す。
4体の解脱者は、抜け殻のように動かなくなった餌を理性なき眼で見つめ、よだれを垂らしてにじり寄る。
それと同時に、離れたところで捕食に勤しんでいた複数の村人達が、未だ息をする若い肉に気付き、我先にとこちらを目指す。
お菓子作りが好きな行商人リールー。
からかい上手な牧場主ダルマー。
肝っ玉母ちゃんのヴェーラ。
優しかった村人達。
いずれもリツトが世話になった人々である。
それらが皆、今はリツトを肉としか見ていない。
そんな中、無心の境地で受け入れ続けた痛みの隙。
そのほんの小さな隙間に、少しばかりの思考の余地が生じる。
――ホイミィ。
たったそれだけが、その狭い隙間から顔を出す。
「……ホ、イミィ」
死を待つ肉塊の口から、弱く掠れた音がする。
肉塊にとって、その言葉の意味すら分からなかった。
痛みに支配された脳内に生まれた異物を吐き出すように、ただただ漏らした音。
その音が、肉塊の耳を通してリツトに届く。
「ホイミィ……?」
リツトは聞き返すように呟き、また耳を通してリツトに返ってくる。
「ホイミィ……」
それを再び復唱し、耳で受け取る。
その音は次第に言葉となり、弟の名前となり、未練となる。
未練は瞬く間に支配された脳を取返し、追いやられていた数々の思いを引きずりだして、あちらこちらへそれを散らかしていく。
リツトはその一つを拾い上げる。
……あぁ、明日成人するんだった。
ピヨ爺は何かくれたりするんだろうか。
でも料理は自分で作らないとなぁ。
こういう時は何を作るのがいいんだろう。
どうせなら2人が喜ぶ料理を作りたいなぁ。
また一つ近くに転がる未練を手にする。
3人でお風呂に入るってホイミィと約束してたんだった。
お風呂直してもらわないとなぁ。
でもそんな大きな石はどこにあるんだろうか?
水汲みも大変になるだろうなぁ。
そしてまた一つ、リツトが未練を拾い上げた時、数体の解脱者が肉に食らいつく。
解脱者は唸りを上げながら、骨から肉を引き剥がさんと食いしばる。
……そうか。
俺はもう死ぬんだった。
村のみんなに食われて、この痛みから解放されるんだった。
もう十分頑張ったよな。
もういいよな。
どのみちこの傷だ。もう普通には生きていけないんだ。
解脱者が群がり、数多の傷を増やすリツトは、死と痛みを言い訳に、未練から目を逸らそうとする。
しかし、溢れ出る未練はリツトを逃さない。
俺が死んだら、ホイミィとピヨ爺はどうするだろう。
ホイミィは泣くんだろうな。
あいつは優しいから、ずっと俺の事を覚えておいてくれるだろう。
ピヨ爺はどうだろうか?
ホイミィの前では泣かないんだろうなぁ。
でもきっと泣いてくれる。だって俺の父ちゃんだから。
ご飯はちゃんとしたものを食べてほしいなぁ。
ピヨ爺はまだ料理が出来るんだろうか?
俺が始めてから一切しなくなったもんなぁ。
ホイミィは寂しくないだろうか?
一人で遊べるおもちゃでも作ってやればよかったなぁ。
でも、俺と遊びたくなっちゃうかなぁ。
家族を思い、壊れゆく肉から涙が零れる。
……あぁ。
俺はあの二人を残して逝くのか。
あんなに優しい二人に、嫌な記憶だけ押し付けて。
家族にしてくれた恩返しも、全く足りてやしないのに。
まだ……死んじゃいけなかったんだなあ。
数多の未練が、長らく失っていた生への渇望を呼び起こす。
そうだ。そうだった。
ホイミィは俺を助ける為に頑張ってるんだった。
これで死んだらホイミィはどう思うよ?
自分のせいだって、自分が悪いんだって泣くんだ!
そんなことはさせない!
そんな優しい子を置いてなんて逝けない!
まだ死んじゃあいられない!
生への渇望は心を燃やすエネルギーとなり、父の言葉を思い出させる。
――戦って勝ち取れ。
肉体に力が巡り、瞳に生気が宿る。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」
自身を鼓舞し、また周囲を威嚇するように咆哮。
勢いはそのままに、食いついた解脱者を引きずりながら立ち上がる。
「―――!」
千切れそうな両腕を振り上げ、両腕に噛みつく2体を地面に叩きつける。
地に伏し呻き声を上げる解脱者と、衝撃で噛み跡が裂けて絶叫するリツト。
――痛い。
全身がバラバラになりそうだ。
力を入れるたびに心が折れそうになる。
でも――――
「――死ねない。まだ死ねない……!」
リツトは左脚にしがみつくダルマーを引きずりながら、前方の家に移動。
立てかけてあった鉄製のスコップを握りしめ、振りかぶる。
自分のふくらはぎを噛みちぎろうともがくその顔に、かつて交わした軽口を思い出す。
良心が騒ぎ立て、罪悪感が迸り、痛みを堪える顔は一層の悲壮感に歪む。
「あああああああ!!!!」
乱した心を律するように叫びながら、ダルマーの背中にスコップを叩きつける。
ダルマーはくぐもった声を漏らすが口を離さず、それを見てリツトは再びスコップを振りかぶる。
肉を叩く鈍い音が3回。
3度スコップを叩きつけたが、それでもダルマーは深く食いついたまま離れない。
時間とともに深くなっていく噛み傷は遂に骨まで到達し、その激痛は呼吸を妨げ、リツトに早い決断を迫る。
リツトは手を震わせ、血が出るほどに歯を食いしばりながら、スコップの先端をダルマーに向ける。
―――ごめんなさい。ダルマーさん。
「―――!!!」
リツトはダルマーの背にスコップを突き立てる。
刺突部からは血が吹き出し、ダルマーは叫び声を上げながら歯を離す。
スコップを握る手には人の身体を壊した感覚がベッタリと染みつき、肉を掻き分けた嫌な音が頭を突き抜け、総毛立つ嫌悪を覚える。
リツトは酷い耳鳴りと吐き気を催しながらもその場を離れようとするが、ダルマーが自分の足首を掴み、再び噛みつかんと這いよってくる。
ダルマーの腕は脚の骨を握り潰さんが如く硬く結ばれており、振りほどこうとするリツトの妨害を易々と防ぎきる。
もう一度やるしかないのか……?
自身の攻撃で傷つき、血を吐くダルマー。
それを見下すような形となっているリツトの心は罪悪感で満たされていた。
――生きる。ピヨ爺が来るまで粘る。
そう固く決心したリツトは、自分の命を守る為にダルマーを攻撃した。
しかし、知人を痛めつけたという事実が、かつての恩を仇で返したという思いが、その行いを悪であると非難し、リツトの判断を鈍らせる。
その数秒の躊躇いが、血の匂いがより濃厚な道へリツトを歩ませる。
「ゥ゛ッ!」
背後から突っ込んできたリールーによってリツトはうつ伏せに押し倒され、そのまま肩甲骨の下の皮膚を引き千切られる。
「―――!」
身体の表面がめくれ上がる感覚にリツトは悶絶。
その痛みから逃がれようとするが、覆いかぶさるリールーに押さえつけられた身体は、ただその場を跳ね回るように痙攣するのみであった。
解脱したリールーの力はすさまじく、不利な体勢では振りほどくことが出来ない。
なんとかしようと振り回すスコップは肩の可動域の範囲で空を切り続け、リールーは皮膚の剥げた背中をべろべろと舐めている。
リツトの抵抗空しく、動けないリツトの周りにはどんどん解脱者が集まり、次々とリツトの身体にむしゃぶりつく。
――死ぬ!
再び目前に現れた死は、これまで以上の痛みを伴ってリツトの精神を削る。
まだ死ねないのに!
ホイミィが頑張ってるのに!
身体が次々と壊されていく。
右肩の肉はバックリと失われ、血を塗った骨が見えている。
脇腹は裂け、まろび出た内臓が振動に揺れている。
右足も、左腕も、肉が厚い部分を重点的に削り取られ、身体と繋ぐのは骨と少しの筋だけとなった。
ダメだって!
それ以上取らないでくれよ……!
死んでしまう……!
「―――」
あっ
小さな音がして、視界が暗転する。
失う肉の量と比例して鋭く切り付けられた精神が限界を迎える。
再び意識が闇に落ちていく。
・・・
・・
・
≪動け≫
―――!!
前回の死で聞いた声と共に、心臓を壊さんとばかりの電撃が走る。
電撃は炸裂音を伴い、身体に乱暴に生を注入し、死を無理矢理に引き剥がす。
意識の回復に続くように痛みがやって来て、穴だらけの体の隅々まで感覚があることを知らせる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!」
生という名の地獄が再開されたことを告げる自身の慟哭。
それは「逃れたい地獄」から「逃れてはならない地獄」へと変わった「生きる」ことへの怒りか、はたまた生が繋がれたことへの喜びか。
リツトは慟哭の最中、身体に生まれた未知のエネルギーが燻っていることに気付く。
それはエビの匂いを伴う「魔獣寄せ」と同じ場所にあり、体外に出ようと疼いていた。
その未知の力が、今の現状を乗り切る為の最後の一手であることを願い、リツトはそれが体外に放たれることを許す。
「――――!!」
刹那、パンと空気が破裂するような音が鳴る。
その音を知覚してコンマ数秒、引き裂くとも、焼けるとも形容しがたい未知の痛みが全身を走り抜ける。
余りの激痛に叫ぼうとするが、声が出ない。それどころか、呼吸すらも出来なかった。
何らかの影響で一時的に全ての身体操作を阻害され、指先すらも動かすことが出来ない。
――どうなった?
死からUターンしたばかりのリツトはうつ伏せのまま依然として身体に群がる解脱者の体重を感じていた。
なんだこれ!?
何も聞こえないぞ!?
……息が出来ない!
やばいやばいやばいやばい!
苦しい苦しい苦しい苦しい!
首も目も動かせない状況で、何が起きたのかを探ろうとするリツトだが、呼吸すら出来ない中で得られる情報は何も無く、ただただ混乱するだけであった。
そんな無呼吸の状態が十数秒、やっとのことで肺が活動を再開。
急いで酸素を取り入れようとする脳からの信号を受け取り、呼吸が始まる。
「――!?」
待望の空気を口いっぱいに取り込むリツトであったが、その空気が携える臭いに嗚咽する。
―――焼けた肉の臭い……!?
身体に感覚が戻りつつある事を認識し、這いずるようにしながら覆いかぶさる解脱者をどけると、座り込むような形で体勢を直して状況を目視。
そこには、口から黒煙を生やし、倒れこむ解脱者の姿があった。
いずれも生きてはいるようだが、身体を痙攣させて起き上がれない。
リツトは状況に困惑するが、それが自分が使った何かしらの魔法によるものであることは分かった。
あれこれと考えを巡らすものの、それがどういった能力なのかは頭の回らない現状では答えを出せない。
――逃げないと!
解脱者が倒れこむ今は逃げ出す絶好の機会であると認識したリツトは、凸凹の増えた身体で立ち上がろうとする。
しかし、起き上がることが出来ない。
脚が言うことを聞かない。
それは、傷によるものでなく、体力の問題でもない。
自身が放った魔法によって生じた痺れであった。
つま先は勝手に震え、力の入れ方が全く分からない。
まるでそれが自分のものではないかのような感覚を覚え、恐怖を覚えるリツト。
このままではいけない。
いずれ起きてくるであろう解脱者から距離を取らなくてはいけない。
リツトは動く腕で身体を引きずり、少しでもピヨ爺と早く合流できるよう村の出口へ向かう。
壊れた身体は引きずる度に痛みを叫ぶ。
感覚の戻らない脚が、本当にはもう繋がってないんじゃないかと不安を掻き立て、リツトの目には涙が溢れる。
でも、少しずつ、確実に、はらわたを引きずり赤い線を地に描きながら、まだ見えぬピヨ爺の元を目指す。
帰らないといけない。
何がなんでも、生きて。
今のうちに少しでも進もう。
ピヨ爺はまだかな?
もうすぐ来るかな?
――――本当に向かってるかな?
惨劇に身を置き、息つく暇もなく身体を破壊されたリツトにとって、ただ身体を這いずるこの時間は、久しぶりに訪れた静かな時間だった。
静寂によってわずかに生じた精神の余白。
そこに入り込んだ「不安」はリツトの弱った心を易々と破壊する。
自分はもう死ぬんじゃないだろうか。
ピヨ爺は間に合わないんじゃないだろうか。
本当はピヨ爺は向かってきていないのではないか。
ホイミィにもう会えないんじゃないか。
「ううっ……。ぐずっ。ああぁ……」
リツトは不安に押しつぶされ、涙ながらに嗚咽を漏らす。
その姿は痛ましく、今にも崩れそうなほど弱々しかった。
身体を引きずり始めて数分、俯きながら垂泣するリツトの頭が何かにぶつかる。
「ピヨじ……い?」
リツトの沈みきった心に一筋の光が指し、縋るように見上げる。
「―――」
そこには、村の入口付近に住んでいた村人――だった者達がいた。
5人以上いるであろうそれらは、皆狂乱を表情に含ませて佇み、指を咥えて、リツトを見下ろしていた。
「ああぁ……」
希望を砕かれたリツトに追い打ちをかけるように、後ろから足を捕まれて横に投げられ、力無く仰向けに転がる。
ずっと距離をとっていたヴェーラが、ここにきてリツトの捕食にとりかかろうとしていたのだ。
そこに他の住民が加わり、リツトを取り囲む。
リツトは最後の力をふり絞り、先ほどの魔法を使おうとする。
「―――!」
内に秘めたるその力に手をかけた瞬間、全身に悪寒が走り、それはもう使えないことを悟らせる。
唯一の対抗手段を失い、涙すら枯れたリツトは呟く。
「た……す……けて……」
――――!!!
突然、それは起こった。
村の出口へ向かう道を塞ぐように群がっていた村人の頭が一斉に消滅する。
胴体は、突如失った頭を探すように2、3歩うろついた後、膝から崩れ落ちて動かなくなる。
開けた視界のその先には、太い血管が脈動する2本の大木があった。
「待たせたのう」
その大木のような脚の正体を、待ち焦がれた太い声が告げる。
「ぴよじ……い」
濡れた枯れ木のように転がる息子の頭を大きな掌で優しく撫でると、少し前に出た大きな背中が小さく呟く。
「……まるで呪いじゃな」
その意味が分からないリツトは、ただ呆然とその背中を見つめる。
少しの沈黙の後、その顔に狂気を宿したヴェーラが身体を振り回す。
すると、突然その頭部が消滅し、少し遅れて轟音が響くと、それに続いて胴体が吹き飛ぶ。
それがピヨ爺の拳によるものであると気付いた時には、そこにあるのは無理矢理形を変えられた空気が立てる音だけであった。
振り下ろした拳を寄せると、その先に見据える数多の狂乱に向けて、空気を焼くような殺気を放つピヨ爺が叫ぶ。
「次はお前らじゃあ!!!」
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