第十四話 親父の日記と最後の日常


「え!? 村出禁!??」


 神目歴1371年夜の月の37日の出来事である。

 アルケ村でヴェーラと話すリツトが大きな声で驚いていた。


「あんたの為の会なんだから、準備するのに主役にウロウロされてちゃ困るんだよ!

 だからあんたとホイミィは39日まで出禁だ!分かったね?」


「でも……」


「でもじゃない! ほら行った! 楽しみに待っときな!」


*********************************


 明くる日の38日。

 リツトとホイミィは暇だった。

 

 この日はピヨ爺の狩りもなく2人はすることがなかった。

 川にでも行こうか、とも思ったが、昨日の夕方に行ったばかり。

 何もすることがなくなってしまい、途方に暮れていたのだ。


「何するかな~」


「う~ん」


「森でも散策するか?」


「そうだなー。でもなんか目的が欲しいよなー」


 2人してちゃぶ台の傍に寝転がり、頭を悩ませていた頃、ピヨ爺の声がかかる。


「ワシは修行に出掛けるから、留守番しとくんじゃぞ」


「! 修行についていっても」


「ダメじゃ。危ないからのう。大人しくしておれ」


 ピヨ爺はそう言って出掛けて行った。


 ピヨ爺は狩りもしない日たまに「修行」といって出掛けることがある。

 どんなことをしているのかは全く知らず、同行はさせてもらえない。


 疑問に思ったリツトは、

「ピヨ爺の修行って何やってるんだろうな?」


「うーん。知らない! でもたぶん凄い修行だ!」


「……確かにめちゃくちゃ強いからなー。

 なんであんなに強いんだろな~」


 少しの沈黙の後、リツトが呟く。

「見に行けば分かるか」


 ピヨ爺の力の源が気になる。

 身体が大きいだけであれほどの力が出せるだろうか?

 もしかすると「修行」に何か手がかりが隠されているかもしれない。


 何やら悪い顔をしたリツトが上体を起こし、

「よし、ホイミィ。ピヨ爺の修行を見に行こうか」


「え!? バレたら怒られちゃうぞ?」


「大丈夫! 遠くから見れば問題ないって。

 それにピヨ爺の強さの秘密知りたくね?」


「うーん。確かに……」


「いい暇つぶしになるだろ! 行こうぜ!」


 2人はピヨ爺の修行を尾行することにした。


**************************************


 決起から2時間ほど。

 リツト達は木の枝で森に擬態しつつ、ピヨ爺をストーキングしていた。


 ピヨ爺はどんどん森の奥へ進んでいき、リツトやホイミィが自由に往来できる範囲を既に大きく超えていた。


「森をどんどん進んでいくな」


「そうだな~。あっ!」


「どうした!? ・・・おっ」


 ピヨ爺の前方に大きなクマが現れる。


「めちゃくちゃデカいな! ピヨ爺の倍くらいあるぞ!」


「うん。ピヨ爺大丈夫かなあ?」


 ホイミィが心配するのも頷ける。


 そのクマは黒紫の毛を纏い、赤い目が4つ。

 

――魔獣だ。それもとてつもなく強そうな魔獣。


 あの剛力最強のピヨ爺でさえ危ういのではないかと思わせる迫力を纏い、その大きなクマはピヨ爺の前に立ちふさがる。


 この森にこんな魔獣いたのか?

 ……いや、かなり奥まできたし、ここは俺達が住む平和な森と考えないほうがいいのかもしれない。


 ホイミィの魔獣除けがあるとはいえ、少し怖くなってきたな……。


 リツトの背中を冷たい汗が伝った頃、


「ふうん!!」


 ピヨ爺は、四つ目のクマの頭部に拳を振りぬき、一撃で爆散する。

 頭部の無くなったクマは膝をつくように倒れこみ、ピヨ爺はそれを見下しながら拳の血を振り払う。


「……」


 すっご!こっわ!強すぎん?

 なんだあれ化け物すぎるだろ!?

 ラスボス!?この世界のラスボスなんじゃない!?


 狩りで爆散の様子を散々見ていたリツトであったが、よくいく狩場はピヨ爺よりも小さな魔獣ばかりだった。


 しかし、今回の魔獣はピヨ爺の倍ほど大きく、極めて強いと一目で分かるほどの凶悪な見た目をしていた。


 そんな魔獣をピヨ爺が一撃で葬ったことで、リツトはピヨ爺の強さに対する認識を大きく上方修正するとともに、畏怖の念を強固としていた。


「リツト! 見て!」


 そんな時、ホイミィが話しかけてくる。


「ん? 今ピヨ爺の観察で忙しいから!」


「リツト! リツト! 見て! すごいのいた!」


 しつこいホイミィに折れ、リツトは振り返る。

 すると、ホイミィは目を輝かせながら、どこからかクソデカカブトムシを持ってきていた。


「うわっ……。返してきなさい」


 リツトは虫は特段苦手ではない。

 しかし、眼前の虫はやたらとデカい為解像度が高く、虫のキモ成分がガッツリと視認できてしまう。


 リツトは顔をしかめ、手を払うようなジェスチャーで森に還すよう促す。

 ホイミィは残念そうにしながらも虫を地面に置き、別れの挨拶をする。


 リツトがピヨ爺の方へ向き直ると、ピヨ爺は仕留めたクマを背負い、歩き出していた。


「ホイミィ、ピヨ爺が歩き出した! 追いかけるぞ!」


 ホイミィが頷くのを確認し、木に隠れながら後を追う。

 しばらく歩くと、ピヨ爺はやや景色が開けた場所で腰を下ろしてクマの皮を剥ぎ始める。


「ここで焼いて食うのかな?」


「いや、火を起こすもんなんて持ってないだろ」


 皮を剥ぎ終わると、ナイフで後ろ足を切り取り、生のままかぶりつく。


「「!!??」」


 うろたえる2人を他所に、ピヨ爺は足肉を食べ終えた後、もう片方の足を切り取って地面に置き、残りの魔獣肉を担いで歩き出す。


 しばらく呆然としていた2人だったが、ホイミィがぽつりと呟く。


「生で食べたら強くなるのかな?」


「まあ、確かに野性味があって強そうには見えたな」


 もしかすると、生のほうが魔獣のトーマを取り込めて強くなれる~みたいな、そんなやつがあるんじゃ?

 と考えたリツトは、こっそりとピヨ爺が残した肉に近づき、ナイフで少しずつ切り分ける。


「よ、よ~し。せーので食べるぞ……!」


「わ、わかったぞ!」


「「せーの」」


「「……」」


「「オロロロロロロ」」


 2人は激しく嘔吐した。

 肉は焼いて食うが基本の世界を生きていたリツトにとって、生肉は食べてはいけないものという認識がある。


 その認識と共にある肉体も同様で、肉が舌に振れた瞬間に、脳が「食べたらあかん」という信号を大量に発し、胃液が逆流する。


 ホイミィは咀嚼することは出来たものの、噛む度に発する強烈な獣臭さに拒絶反応を起こし嘔吐。


 2人はしばらくうずくまって涙を流しながら、互いを励ましあったのだった。


 その後、ピヨ爺が歩いた方向へ進む2人は、川にさし当たる。

 そこはいつも釣りをしたりヒヨコ水と戯れたりする川の上流にあたり、奥に滝が見える。


 流れ落ちる滝の中に、人影が見えた2人は少し近づいて様子を見る。


 そこにいたのはピヨ爺であった。

 ピヨ爺は服を脱ぎ、直立不動で滝の圧力に耐えていた。


「滝行だ……」


「リツト、知ってるのか?」


「うん。あっちの世界で見たことがある。精神統一とかの為にやるんだ」


「へえ~。……あ!」


「どうしたホイミィ!」

 ホイミィのほうへ振り返る。


「あれ見て! ヒツジンジンだ!」


 ホイミィの指の先には、因縁の6つ足のヒツジ?がいた。


「ンメエエン」


 魔獣除けのお守りのお陰で近づいてはこないが、リツトがかつて辛酸を舐めた相手との再開に思いを巡らす。


 あいつ全然会わねえと思ったらこんなとこにいやがったか!

 ってかあいつヒツジンジンって名前なのか。バカが付けた名前だ。

 考えるだけで腹立つ。相手なんてしてやるもんか。向こう行け。


「しっしっ!」


「ンンメエエエ」ぱかぱか


 逃げたか。バカが。

 いつかジンギスカンにしてやる。


 リツトがかつての宿敵に心を乱されている間に、ピヨ爺は服を着て、帰る支度をしていた。


「……よし、俺達も心を整えよう」


 ピヨ爺が帰った後、リツト達は滝に近づく。

 近くで見る滝は迫力があり、轟音を伴って付近の水の流れを激しくしていた。


 リツトが滝に気圧され一歩引いた時、ホイミィがぽつりと、

「俺泳げないんだ……」


「……帰ろっか」


「うん」


 リツト達は帰路につく。

 帰り道の口数はとても少なかった。


******************************************


 リツト達が家に着いた頃、夕日は木々に隠れて大きな影を作っていた。

 生肉に散々な目に遭い、滝に気遅れして少し気が落ち込んだ2人であったが、


「このままじゃ終われない」


 リツトは不完全燃焼だった。

 自らホイミィをそそのかして始めたことというのもあり、失敗したまま終わることに抵抗があった。

 また、かつての宿敵ヒツジンジンに遭い、異世界に来た当初を思い出したこともあって、この世界に対する興味が復活していた。


 ――ピヨ爺の秘密。


 俺が出会ったこの世界の生物の中で圧倒的に強い男が、如何にしてその強さを手に入れたのか。

 そこにこの世界の真理が隠されているかもしれない!


「え~。また何かするのか?」と嫌そうなホイミィ。


「ピヨ爺の枕元にかばんと棚があっただろ?

 あれの中に何かあるかもしれない」


「え!? あれ勝手に触ったら怒られちゃうぞ?」


「大丈夫だって! ピヨ爺は今クマの解体中だ。しばらくは戻ってこない」


「う~ん」


「やろうぜ? ホイミィも知りたいだろ?」


「まあ、知りたいけど……」


「よし! じゃあやろう!」


 リツトが珍しくゴリゴリと自分の意思を発し、遂にホイミィが折れる。


 2人はピヨ爺の様子を確認したあと、こっそり寝室に入り、ピヨ爺の私物を物色し始める。


「ホイミィ、なにかあったか?」


「ん~、特にないな~」


 プライバシーの侵害。

 普段のリツトであれば絶対にやらないことであったが、いろいろあって前のめりになってしまっており、罪の意識が欠落していた。


 ……ない!

 もう止めるべきか?

 見つかればげんこつを食らうこと確実!


 ……いや、何か見つけるまで終われない!

 慎重かつ早急に!取り組む!


「むむむ? お! リツト来て!」


「シィー! 声がデカいって! ――お!これはこれは……」


 ホイミィの元へ寄るとそこには手帳があった。

 すぐさま手帳を開こうとしたリツトであったが、潜んでいた罪悪感がひょっこり顔を出す。


 ……手帳はさすがに見るのはまずいか?

 ピヨ爺だって知られたくないこともあるだろう。

 ていうか何で俺はこんなことしてるんだ?


 ……やめやめ!

 こんなの卑劣漢がすることだ。

 家族といえどプライバシーは大事だろう。

 そういうところの距離感が家族の関係を取り持つのだ。


 プライバシーは個人情報保護法的なやつや、憲法の何条かの国民の権利だったかで守られているもの。

 これはれっきとした犯罪なのだ。

 ましてやホイミィの前でそんな……教育に悪いったらありゃしない!


 理性で知識欲を抑え込み、手帳を元の場所に戻そうとするリツト。

 しかし、寸前のところで知識欲が盛り返す。


 ――待てよ?

 この世界ではプライバシーは法による保護を受けていないのでは……?

 見ても裁かれないのでは?

 見られたくないならカギでもかければよいのでは?


 

 ――ちょっとだけ見よ!


 リツトは手帳を開いた。


――

  日付:神目歴1361年昼の月の7日

  タイトル:かわいい

  

  これからホイミィの成長をここに綴ることとする。

  今日はホイミィにエビのスープを作ってやった。ホイミィが初めておかわりをした。

  おいしいおいしいと笑顔で食べるホイミィはとてもかわいい。

  言葉は少しずつだが話せるようになっているし、これからも色んな話をしてやろうと思う。


「10年前の日付だよな? ホイミィの成長日記みたいだな」


「まだ俺が小さい時だな。エビはいつ食べても美味いんだ!」


「お前はまだ小さいけどな?」


「なっ! なんだと~!」


「冗談だって! ちゃんと大きくなってるって! だから怒んなよ~」


「ふん! 次のページいくぞ!」


 それからリツト達は日記を読み進めた。

 日付はまちまちで、不定期で書いていたもののようだが、

 ホイミィが魚を取ってきた!

 転んで泣いた!

 一緒に踊った!

 など、育児の中の小さな驚きが書き連ねてあった。


 文面からホイミィへの深い愛情が感じられる内容で、2人は当初の目的を忘れ、ほっこりしていたのだった。


 2人は着々と読み進め、リツトが異世界に来た日付のページに辿り着く。


「あっ、これ俺が来た日だ!」


「おしり叩かれてた日な! あれまた見たいな~!」


「二度とするかあんなもん! 軽くトラウマだわ!

 え~と、神目歴1366年夜の月の40日。タイトルは」


「お前ら。こっち来て座れい」


 背後からピヨ爺の低く響くような声。

 2人は日記を閉じ、ピヨ爺の元へ一目散に移動。誠意の正座。


「人の日記を勝手に見るとはのう。

 ……なにか言う事はあるか? リツト?」


 俺は兄貴だ。ホイミィをかばおう。

 俺が無理矢理付き合わせてしまったことだ。悪いのは俺。

 ……もしかしたら「その心意気やよし!」とか言って許してくれるかもしれない。


「ピヨ爺! 俺が悪いんだ! 俺を殴ってく」


 ゴツン!!!


「ミ゛ッ」


 頭部に強い衝撃が走る。


「いっだああああ!!!!」

 リツトは頭を抱え、のたうち回る。


「ホイミィは? こやつにそそのかされたのか?」


「ご……うっ。ぐすっ。ごめ゛ん゛な゛さ゛い゛ぃ゛~!゛」


 ホイミィは、恐怖のあまり泣き出し、大声で謝罪の言葉を叫ぶ。


 ピヨ爺は、リツトが成人を迎えるという状況でありながら、ホイミィに悪だくみを共謀させたことに怒り、初の鉄拳制裁を行ったものの、ホイミィにげんこつするなんて気は毛頭なく、ごめんなさいの一言で済ませる気でいた。


 しかし、間近で見るピヨ爺の初げんこつはホイミィにとって衝撃的だった。

 ピヨ爺の気持ちは知る由もなく、自分も殴られるという恐怖が脳を支配していた。


 ピヨ爺は意図せず号泣するホイミィに動転し、

「あ、あ、あああ! ホイミィ? ごめんな?

 ワシは怒ってないぞ?もう大丈夫じゃから!

 元から殴る気なんて無かったんじゃぞ?

 だってホイミィは悪くないんじゃから!

 な? 今日はエビのスープにしような?

 リツトがすごいのを作るから! きっと美味しいぞ~?」


 ピヨ爺が矢継ぎ早に弁明を連ねる。


「う、う、ごめ゛ん゛な゛さ゛い゛ぃ゛~!゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!゛」


 ホイミィが泣く。


「いっだああああああ!!!! 割れた? 割れてない? ホイミィ見て? 割れてない?」


 リツトがのたうち回る。


 リツト達にとっていつもより少し新鮮で刺激的な一日は、なんとも騒がしく佳境に向かう。


 普通に幸せで、たまに小さなハプニングがあって、騒がしく続く日常。


 5年前から続く3人親子での楽しい生活は、リツトにとって、ホイミィにとって、ピヨ爺にとって、当たり前に享受できる普遍的なものになっていた。




 この日が、最後だった。




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