第十三話 リツトの思いと村人の願い


 午前10時。村へと繋がる森の道。

 両脇には高い木々が不規則に生えており、それらが伸ばす枝葉を躱した光が荒い水玉を描いている。


 父の激励でオーバーヒート気味だったリツトは、一時ハテナが頭を支配したことにより冷静さを取り戻し、良好な精神状態で村へと向かっていた。


「そういえば、一人で歩くのは初めてかもな……」


 この世界に召喚されて、ホイミィと出会って5年。

 思えば、村に行く時はいつも隣にホイミィがいた。


 家族がいなかった俺にいきなり出来た弟。

 初めは少し違和感があったが、今になってみれば、ずっと前から弟だったような気さえするほど心に馴染んでいる。


 隣にはずっとホイミィがいて、家に帰るとピヨ爺がいる。

 そんな生活はもう卒業しなければならないのか、そう思っていた。

 しかし、ピヨ爺は言った。戦え、と。


 オーバーな表現な気もする。

 しかし、そこまで言われたらビクビクしてなんていられない。

 社会に反旗を翻す、なんて仰々しく考えるな。

 ただ、知り合いにこれからも一緒!って言うだけだ。


 長い間うじうじと言い訳を並べ立てていたリツトは、ようやく晴れやかになり、ただ思いを伝えるだけ、と考えられる心境へ至る。


 かつて羞恥に苦しめられたファンシーパンジーも、今やリツトの門出を祝福しているように見える。


 今ならあのクソヒツジ(?)も、撫でるくらいはしてやってもいい。


 そんな事を考えながら、リツトは森を抜ける。


 ――アルケ村。


 20~30人程度が暮らすビーストの集落。

 誇張なしで悪い人がただ一人いない平和な社会集団。

「牧〇物語」でも始まるんか、と思うほど牧歌的雰囲気が漂う、ザ・スローライフを営む人々の集まり。


 そんな平和を形にしたような村が、リツトにとっては屈強な衛兵が集う要塞に見えていた。


 森を抜けるまでは簡単なことだ! と調子を上げていたリツトであったが、実際に村に赴くと、緊張で喉が渇き、膝が笑う。


 相手が想像していなかった進路に決めたことを報告する。

 ただそれだけのことだが、リツトにとっては前の世界を含めた25年間避けてきた「小さな反抗」。


「……よし。よっし! 行く。行くぞ……。言うぞ……!」

 リツトは俯きがちにぶつぶつと自分を鼓舞しながら、震える足を前に進める。


 村の住民は前傾姿勢で何やら呟きながら歩くリツトを見てざわざわとするが、リツトの耳には入らない。


「リツト、あんたどうしたんだい?そんな変な歩き方して。腰でもやっちまったのかい?」


「ン゛ミ゛ッ!!」


 リツトはいきなり話しかけられ、動転。奇声を発して、虫のようにキモジャンプ。


 声の主はヴェーラだ。

 あまりにも様子のおかしいリツトを見かねた村のマダム連中が、心配してヴェーラを呼んできたのだ。


「なんだい深刻な顔して。何かあったのかい?」


「あぁ~! 大丈夫!」

 心の準備が出来上がっていない状況でボスが現れ、リツトの声は異常な程に裏返り、目が激しく泳ぐ。


「大丈夫って、そんなわけないでしょ! ほら言いな! 何があったんだい?」


 リツトの様子がおかしい、というウワサはすぐに広がり、気付けば周囲にはほとんどの村人がおり、リツトの動向を注視していた。

 全員がリツトを心配して集まっていたのだが、リツトにとっては四面楚歌、敵国の将軍の前に一人残されたか弱い一兵卒の気分であった。


 だが、退けぬ。

 このまま何も言えずに帰って、家族とどんな顔で向き合えばいい?

 ピヨ爺は「戦え」と言ってくれた。

 ホイミィは俺を信じ、笑顔で見送ってくれた。

 

 ……いや、出る前は泣いてたな。心配だ。


 とにかく、合わす顔が無いのだ。

 ここは戦うしかない。言うしかないのだ。


 言え!言うのだ俺!


「お、おれ、みんなに、い、言いたいことがあってえ~……」


 ぬめっとした喋りだしでキモく始まったリツトの話を、ヴェーラは黙って聞く。


「その、成人したらどこ行くか、みたいな話で、ちょっと言わないといけないことがあると言いますか……はい」


 ヴェーラや村人の表情をチラチラと確認しながら、

「慣習で成人したら出ていく……っていうのは分かってるんだけど……、その、俺は……」


 一度、大きく息を吐き、同じだけの空気を取り込む。

 俯いていた顔を上げ、ヴェーラを見据える。

 その目は泳がない。


「ホイミィと、ピヨ爺と、ここで暮らしていきます」


「……決めたのかい?」


「はい」


 少しの静寂。住民同士で顔を合わせ、なにやら話し始める。

 ヴェーラは一度下を向き――


 ――ニカッと笑う。


「そりゃあよかった!!!」


「え?」


「あんたたち! リツトは成人してもどこも行かないってさ!!」


 ヴェーラの号令を聞き、リツトの元へ駆け寄る住民達。


「いやぁ~、良かった! 釣り仲間がいなくなっちゃうかと思ってたんだよ~!」

 と眼鏡を外して涙を拭うビーンズ。


「リツト残るのか! さすが若大将! これでウチの牧場も安泰だ! がっはっは!」

 と豪快に笑うのはダルマー。


「あらあら、じゃあウチの行商のお手伝いもお願いしようかしら?」

 とリールーも他の村人にあやかる。


「え?ちょっと待って!? 成人したら出ていかないといけないって・・・」


 困惑するリツトに対し、申し訳なさそうなヴェーラが、

「この村って、若いのがいないだろ?

 あんた優しいから、出ていきたいの我慢しちまうんじゃないかってみんなで話してたんだよ。

 だからみんなで出ていっていい、って雰囲気を作ろうってことになったんだ。

 でも・・・杞憂だったみたいだね。ごめんねえ。逆に考えさせちゃったみたいだねえ」


「じゃ、じゃあ、出ていかなくてもいいの?」


「当たり前さあ! どれだけあんたのこと大事にしてると思ってんだい?

 アルケ村を舐めちゃあいけないよ! 子供第一! それがアルケ村さ!」


「良かったあ~」

 安堵したリツトは、緊張がほどけて座り込む。


「ほんと悪いことしたねえ。じゃあお詫びと言っちゃあなんだけど、39日の会は盛大にやるよ!

 リツトを送る会改め、これからもよろしく会だ!

 分かったかいあんたたち?ケチるんじゃないよ?」


「よおし! じゃあ一番良いチーズ出すかあ!」


「一番太ってる鶏絞めて持っていくぜ! 腹空かせとけよリツト?」


「じゃあ私も張り切っちゃおうかしら! お菓子い~っぱい作るから、楽しみにしててね?」


 住民はそれぞれ当日の品に考えを巡らせ、張り切った様子。


「あ! あんた遅いよ! リツトここに残ってくれるんだってさ!」


 遅れてきたヴェーラの旦那、エンケが、


「……リツト、本当に良かったのか?」


「ああ!俺ずっとここで暮らしたかったんだ!

 出ないといけないんだと思ってたからずっと言えなかったんだけど、スッキリした!

 ……ほんっとよかった!」


「そうか。なら仕方ないな」


「なんだいあんた! 白けること言うんじゃないよ! ほんと空気読めないんだから!」


「はっはっは! 悪い悪い! リツトが冒険者になるのも見てみたいと思ってたもんだからなあ!」


「エンケさん。俺ほんと弱いからな? 魔獣一匹倒せないよ?」


「そうなのか! それは残念だ! はっはっは!」


「あんたねえ……。まあいいよ。

 リツト、お祝いはまた改めて言うけど、ひとまず――

 ――ありがとうね」


 ヴェーラはにこやかに笑う。


 リツトは立ち上がって砂を払うと、

「おう! 引き続きお世話になるよ! ヴェーラさん!」


 リツトの初めての戦いは、そもそも敵がいなかった、という結末に終わった。


 お互いの思いのすれ違い、それが解消されただけ。

 それだけのことだったが、リツトの気持ちはとても晴れやかだった。


 確かに勝ち取ったのだ。


 いつも逃げてきた世間に立ち向かい、望むものを手に入れた。

 内情を知れば拍子抜けなことでも、立ち向かって、自分の思いを伝えたからこそ、こうして前を向けるのだ。


 これからもここで暮らせる。

 ホイミィと、ピヨ爺と、そして村のみんなと。


 前の世界と合わせて25年。2回目の成人を控えたリツトは、初めて大人になれた気がした。


―――


 世間と対峙し、内容はどうあれ望む結果を手に入れたリツトは、憎き敵国を撃破した英雄の凱旋が如く、誇らしげな表情で家の前に立っていた。


 2人とも喜ぶかな?

 そういえばホイミィがお祝いしてくれるって言ってたな?

 報告が楽しみだ!


 喜びを抑えきれないように身体を揺らし、ドアに手をかける。


「ただいまー!」


「・・・」


 元気いっぱいの挨拶が返ってこない。


 報告を楽しみに待っていたはずの2人は何やら言い争っていた。

 というより……


「俺だっておっきくなってるんだ! それなのに子供扱いばっかり!

 だからあんなことになるんだ!」


「すまんのう。ワシはお前がぶつかるほど大きくなっておるとは気付いておらんかった。

 じゃがのう、ワシにとってはいつまでもかわいい子供なんじゃ。

 分かってくれんか……?」


 ちゃぶ台を挟んで対面し、ホイミィがピヨ爺を叱っていた。


 ホイミィは腕を組んで仏頂面をし、何やら文句を言っている。

 どうやら珍しく本気で怒っているようだ。

 しかし、ホイミィは身体が小さく顔がとても愛らしい為、ぷんすこ、と形容せざるを得ない。


 一方ピヨ爺はというと、見事な巨躯をいっぱいいっぱいに縮こまらせ、ちゃぶ台の横で正座をしていた。

 何やらホイミィに弁明しているようだが、その様子には悲壮感が漂う。


 2人にとっては真剣そのもののようだが、外から見る分には、それはそれは滑稽であった。


 リツトは、興奮冷めやらない状況だったこともあり、陽気な態度で割り込んでしまう。


「どうしたの2人とも! 俺ビシッと言ってきたよ~?

 だからこれからも一緒に暮らせるってワケ!

 ほらホイミィ! そんなぷんすこしてないでさ~。

 踊ろうぜ~! ふぅ~!!」


「うるさい!!!」


「ヒエッ!? ま、まあホイミィ。落ち着けって。

 な? ピヨ爺も反省してるみたいだし」

 

 ぶすっとした顔で黙り込むホイミィ。


 これは本当に怒ってるな、と溜息をつくと、リツトは2人の横にあぐらをかき、本格的に仲裁を試みる。


「なあ、まず何で怒ってるのか、兄ちゃんに説明してくれよ」


「……ピヨ爺が俺のこと肩車したんだ。

 リツトのためにエビ取りにこうって。

 それで家出るときに、俺のこと壁にぶつけたんだ……!」


 リツトはなんとなく事件発生の状況を思い描く。

 何故か泣いていたホイミィを慰める為に肩車して、俺のお祝いに使うエビを取りに行こうとそのまま家を出たら、ホイミィの大きさを見誤って玄関上部の壁にぶつけてしまった、といったところだろう。


「うん。まあ、ピヨ爺が悪いな。それは」


「そうだろ!? ピヨ爺は俺の事小っちゃいままと思ってたんだ!」


「い、いやあ、本当に申し訳ないと思っとる!

 じゃがの、ワシらエルフにとっては他の種族の子らはずっと赤子に見えてしまうんじゃよ!」


 頬を膨らませてぷんぷんするホイミィに対し、ピヨ爺は必死に釈明をする。 

 確かに、500歳からみれば俺達なんて赤ちゃんだろう。

 いくら身体が大きくなっても、生後まもないように感じてしまうのは長命種族ゆえ仕方のないことのようだ。

 しかし、ホイミィはやむなしとは思っていないようで……


「じゃあなんでリツトは大人扱いするんだ!」


「え!?」


 急に自分に飛び火したことに驚くリツト。

 大人扱いされてたか?という疑問に思い、ピヨ爺のほうを見やる。


「?」


 ピヨ爺も大人扱いした自覚はないようで、首をかしげる。


「待ってくれホイミィ。俺がいつ大人扱いされたと思った?

 見ろピヨ爺の様子を! まるで俺を大人とは思っていないようだぞ!?」


「……一緒に狩りに行ったり、お風呂入ったりしてただろ!」


「ホイミィ! お前を狩りに連れて行かないのはお前が血が苦手だから、嫌な思いをせんようにする為じゃ!

 こないだの風呂は男同士腹を割って話すのは風呂がいいかなと思って……」


「俺はそんなこと一度もしてもらってない!

 ……もうピヨ爺とは口聞かないからな!」


「そんな……」


 ホイミィはフン!と聞こえてくるかようにそっぽを向き、ピヨ爺は下を向いて肩を震わせる。


 リツトはそんなホイミィの様子を考察し……


 そうか! これは嫉妬!


 大人扱いとか、そういうことで怒ってるんじゃない。

 ホイミィはピヨ爺が俺を特別扱いしていると思っていて、自分が仲間外れにされたような気がしていたんだ。

 そしてそれが、今日の肩車事件(仮)で爆発したんだ!


 となると、この場を収めるにはホイミィが納得する今後の処遇を提示する必要がある。

 実行可能な策と考えられるのは2つ。


 ①狩りに行って、風呂に入る。

 俺が特別扱いされてる、と思ったことをホイミィにさせてやればいい。

 血がダメなホイミィの為、狩りはピヨ爺の爆殺ではなく、罠とかで捕獲するような感じにすれば問題無いだろう。

 風呂はぶっ壊れている為すぐには難しいが、次は大きめの風呂を作って2人で入ればいい。


 ②ホイミィを成人扱いにする。

 現状、俺は兄であり、俺だけが数日後に成人するのだが、実際のところ、弟ホイミィの実際の年齢は出自故分からず、下手すると自分より年上の可能性だってある。

 つまり、俺達家族の考え方次第では、ホイミィも成人とみなすことは出来なくはないのではないだろうか。

 それならホイミィは名実ともに大人になり、ご機嫌になること間違いなしだ。

 そうなると各所への調整が大変そうだし、あまりやりたくはないが……。


 とりあえず①で行こう。

 そこで出方を見て、どうにもこうにも改善しないようなら②へ移行する。


「よっしホイミィ!

 まずは狩りに一緒に行こう! 血が出るようなのじゃなくて、罠とかで捕まえるんだ!

 それならホイミィも狩りに行けるだろ?」


「……」


「それで次は風呂だ! 今は壊れてて使えないが、次は大きめの風呂を作ってもらってさ?

 3人で入れるようにしようぜ!」


「……うん」


「これでどうだ? 俺も出ていかなくて良くなったんだから!

 これからは3人で楽しくやろうぜ!

 っていうわけで……今日のご飯はエビ尽くしだ!」


「うん!」


 ――ちょろくね大丈夫か?


 リツトはあまりにもスムーズにご機嫌になったホイミィが心配になった。


 ②の策なんていらなかった。

 なんなら話してるうちに思いついた殺し文句「エビ尽くし」でご機嫌メーターが急上昇していたことを考えるに、今後の策さえいらなかった気さえする。


 ピヨ爺はホイミィを溺愛している節があり、ホイミィは筋金入りの箱入りだ。

 情緒があまり育っておらず、少しばかり背が伸びたものの、内面の子供らしさが昔とちっとも変わっていないように感じる。

 俺が厳しくしないといけない気がしてきた、と少々今後に不安を残すリツトだった。


「じゃあピヨ爺! そういうことだから、今度から狩りと風呂は3人一緒ってことで!」


「……きか」 


「……ん? ピヨ爺?」


 ホイミィとの協議を取り繕い、結果報告をするリツトであったが、何やらピヨ爺が呟いている。


「……うきか」


「え? なんて?」


「これが……」


ピヨ爺はいきなり立ち上がる。


「これが反抗期かああああ!!!!!」


「「!」」


 ピヨ爺の縮こまっていた身体に生気が漲り、顔からは大量の悦が吹き出している。


 ピヨ爺が俯いて肩を震わせていたのは、ホイミィの反抗的な態度が悲しかったわけではなく、ホイミィへの申し訳なさから来たものでもない。


 子の反抗期が来た。

 それが嬉しかったのだ。

 エルフにとって、子の成長とは身体より、心の成長を指す。


 初めは言葉も話せなかった小さく可愛く優しいホイミィが初めて見せた「反抗的な態度」と言う名の精神的成長。


 それが、500年蓄えてきたピヨ爺の父性を刺激し、膨大な「子育ての喜び」となり、感情を爆発させるに至ったのである。


「うおおおおおおお!!!! ホイミィ!!!! 愛してるぞおおお!」

 勢いのままにホイミィを抱きしめるピヨ爺。


 ――マズイ!


 さきほど機嫌を直したばかりのホイミィの気に障るかもしれない!


 子の反抗に大喜びするピヨ爺を見て、ホイミィがまた機嫌を悪くしてしまうのでは?

 と考えたリツトは急遽ホイミィの機嫌取りを再開しようとする。


「な、なんだよお……」


 ホイミィはまんざらでもなかった。

 そもそもピヨ爺がリツトを特別扱いしていると考え、嫉妬したことから始まったこと。

 ピヨ爺の愛を実感したホイミィは、照れながらもご機嫌な様子だった。


「ホイミィイイイイイ!!!」


「……ふふふ!」


 さきほどのケンカムードはどこへやら。

 

 リツトの奮闘とは関係なくすっかり仲良しに戻った2人を見たリツトは、

「なんだこの親子……」


 と、共に暮らす将来が心配になり、冷めた様子で傍観するのだった。



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