第十二話 父の思いとギャン泣きホイミィ


【神目歴1371年夜の月の36日】


 ――ここに残る。


 世界の慣習と自身の思いの狭間で思い悩むリツトは父の言葉により救われ、その思いを家族に打ち明けた。

 次は村人――慣習に当然のように自身をあてはめる人々に、その心を伝えなければならない。


 それは、社会から身を守る為現実に流されるままに生きてきたリツトにとって、真正面から反旗を翻す行為に他ならない。


 しかし、リツトはそれを果たさなければならない。

 自分を受け入れてくれた家族の為。

 家族と暮らす将来の自分の為。


 一人早く起きたリツトは玄関横の丸太に座りながら、慣習と戦う恐怖に打ち勝たんとしていた。


「う~ん」


 出ていかないって言ったら怒るだろうか?

 がっかりするだろうか?

 成人しても出ていかない人間はどういう扱いを受ける?

 このあとも俺は村人と仲良くやれるのだろうか?


 今日行くべきか、それとも明日か?

 いや送別会の準備を始めているかもしれない。

 こういうのは早い方がいい。でも……。


「おはよう!」


 そもそもこういう時はどうすればいいんだ?

 菓子折りでも持っていくべきか?

 いやいや別に謝りにいくわけじゃないんだ。

 でも、嫌な思いをさせることには変わりないのかもしれない。

 やはり何か持っていったほうが……。


「おはよう!」


「ンピ!!!」


 思考を捏ねに捏ねていたリツトは周囲に意識がなく、背後から急に声がかかり飛び上がる。

 振り返ると、そこにはニシシと笑うホイミィ。


「ははは! 朝から元気だなあ!」


「ホイミィ~脅かすなよぉ! マジで心臓ポロリするとこだったわ!」


「ポロリした時は拾ってやるぞ! 何悩んでるんだ?」


「拾ってどうにかなるもんじゃねえんだけど……。

 あー、いや今日アルケ村のみんなに成人しても出ていかないって言いに行こうかな~、って」


「? そうなのか! いってらっしゃい!」


 あんぽんたんな顔をするホイミィに頭を掻くリツトが、

「うん。あんま分かってねえな? 結構俺的には一大決心で臨む大勝負なのよ」


「ふーん。じゃあ頑張らないとだな! 帰ったらお祝いでもする?」


「え!? 祝ってくれんの?」


「おう! 俺が踊りを見せてやるから、リツトは料理を作ってくれよ!」


「踊りは昨日見たし料理は結局俺かい!」


「そうだぞ? 俺もピヨ爺ももう自分の料理食いたくないからな!

 出来るのはたた踊ることだけだから」


「あんなケツ踊りでダンサー風を吹かすな!」


 リツトのツッコミをもらうと、ホイミィが嬉しそうに、

「あはは! まあ頑張れ! リツトなら大丈夫だ!」


「ったく。ほんとに分かってんのか~?

まあいいか! 頑張ってくるわ!」


「おう!」


「よっし! じゃあまずは朝飯だな! 今日はちょっとガッツリめでいくぞ!」


 元気に腕を回しながらキッチンへ向かうリツトの顔には、少し無理が見える。

 それを気付いたホイミィが心配そうにした後、笑顔を作る。


「頑張る日はエビを食べるといいんだぞ!」


「それお前がエビ好きなだけだろ! ……エビ団子でいいか?」


「うん!」


**************************************


 リツトは朝ごはんを作った後、起きてきたピヨ爺と共に少し多めの朝食を済ませた。


「よし、じゃあいくか……」

 リツトはそう言ってドアに手をかけるが、また考え始めてしまう。


「うーん。やっぱなんかもっていくべきか?でも」


「なあにをぶつくさ言っておるんじゃ!」


「い、いやさ? 一応あっちの期待を裏切ることではあるわけだし?

 なんか詫びの品でもあったほうが……なんて考えて……みたり?」


 いつまでもシャキッとしないリツトに呆れて溜息をつくピヨ爺が、

「また変に考えすぎじゃ。

 お前は成人した後も出ていかん。ただそれだけじゃろ?何を怖がっておる?

 お前が気にしとる世界の慣習なんてもんは、家でろくに仕事もせん穀潰しの為に出来たもんじゃ。

 お前が気にすることじゃない。アルケ村の連中も、慣習だからと深く考えずに言うとるだけじゃ」


「でもさ、もしそれで村の人達が……」


「ダメって言ったらどうする?

 もしアルケ村の連中が出ていくべきだと言ったら、お前はその通りにするのか?」


「それは……」


「お前は色々大事にしすぎなんじゃ。

 人が大事にできる範囲には限りがある。

 いくつも大事大事と追っておったら一番大事なものをとりこぼす。

 お前が今一番大事にするべきはなんじゃ?

 慣習か? 村人か? 家族か?

 違うじゃろう。お前が大事にするべきはお前自身じゃ」


「俺自身……」


「そうじゃ。悩んだ時、苦しい時は自分本位に物事を考えろ。

 自我を捨てようとするな。

 自分は今何を一番大事にしたいのか、最も望むことを自分の胸に聞いてみろ。

 結果としてそれが慣習でも、村人でも、家族でも構わん。

 その一番大事にしたいことだけを守り通せ。

 ただし、その一番大事にしたいことが一つじゃなかった場合は――」


ピヨ爺はいつになく真剣な目つきでリツトを見据え、


「――戦え。

 戦って勝ち取れ。

 お前が守り切れない範囲にあるものを、戦って手繰り寄せろ。そして二度と見失うな。

 全部失う覚悟を持って、全部拾う結果を残せ」


 ――息子へ向けた父による発破。

 関係性だけで言えば上記の通りであるはずが、父の巨躯は並々ならない威圧を発し、息子を見据える眼光には、とても息子に向けているとは思えないほどの禍々しい熱が宿る。


 それは、まるで死にゆく戦士が残る戦士へ送る精神の一切合切を込めた言葉のように、怨念に近しいほどの強い思いが込められていた。


 殺気とも形容できるような強い気配を受けたリツトは萎縮し――


 ――なかった。


 前の世界では生まれた頃には父がいなかったリツトは、普通の父の発破や激励などももちろん知らなかった。

 その為、呪いとも言えるようなその強い言葉を、ドラマチックな愛ある激励と受け取る。


 また、ケンカすら一度としてせず、争いとはほど遠い生活を送ってきたリツトは、ピヨ爺から漏れ出す殺意を感じ取ることが出来ず、すごい真剣だ!、程度に思っていた。


 以上2つの要因により、リツトは人生初の父による激励に、十分以上のやる気を吹かしていた。


 一方、ルーツが魔獣たるホイミィはピヨ爺の圧倒的な気配を敏感に察知し、言葉が出せずにいた。

 狩りにも行かないホイミィはピヨ爺の優しい部分しか知らなかった為、いつもと様子が違う父に並々ならない恐怖を感じ、決壊する。


「……うっ。ぐずっ。あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!」


「ピヨ爺!! 俺頑張ってくるよ!! ってえええ!???」


 父の発破に前のめりすぎるほどの元気を漲らせ、フンフンと鼻息を荒くしていたリツトだったが、いきなり泣き出したホイミィに目を白黒させる。


「……ハッ! すまんホイミィ! 怖がらせてしまったのう~! すまんすまん。

 リツト、お前は行ってこい。頑張ってくるんじゃぞ」


「え? あ、うん。行ってきます……?」


 リツトが困惑の表情を浮かべながら家を出た後、ピヨ爺はホイミィの傍で膝をつき、謝っていた。


「すまんのう……。怖かったのう……」


「ぐすっ。う゛っ、うん……」


 ホイミィは小柄な身体を震わせ、俯きがちのまま頷く。

 純白にはめられた2つの蒼からはしくしくと涙が零れ、時折大柄の父がすぼめた大きな肩口を見ている。


 ピヨ爺は、子供らの前では精一杯明るく、優しくあるよう努めてきた。

 子供が失敗しても怒らず、笑い飛ばしてやろう。

 子供が悪いことをしたら、良いことのほうが楽しいと教えてやろう。

 その教育方針が功を奏してかは分からないが、2人は人を思いやる優しい子に成長した。


 異界からやってきた黒髪の息子が、自身の思いと周囲の願いに板挟みとなり思い悩んでいた今回であっても、彼の優しさから生じたものであると認識し、それに関しては褒めてやりたいくらいだった。


 しかし、成人を控えた一人の男に気合を入れてやるくらいはしたほうがいいかもしれない。

 そう思い出来る限り冷静に、しかし思いが伝わるように心構えを説いた。


 だが、その心構えは自身が最も欲してやまなかった、そして達成しえなかったものだった。

 過去の忘れてはならない後悔が、忘れられない傷が、言葉を繋げる度にじくじくと疼く。


 内でわめく後悔、痛む傷が、あろうことか息子への言葉、態度にまとわりつき、発破をかけるはずの真剣さが威圧に、教えを説くはずの親心が呪いへと変わってしまった。


 幸い息子は気付かずにやる気を漲らせていたようだったが、傍にいた優しい魔獣の子にはそれが強い恐怖を与えるに至った。


 ――親失格。

 その言葉が頭をよぎり、眼下の純真に謝ることしか出来ない。


「ホイミィ、悪かった。ワシはちょっと嫌なことを思い出してしまったんじゃ」


「嫌なこと……?」


 ホイミィは父の顔を見上げ、父はその様子を見て話を続ける。


「そうじゃ。昔大事な人を亡くしたんじゃ。

 その大事な人はワシに色んなものをくれた。

 生き方も、心構えも、全部もらったんじゃ。

 

 それなのに、何も返せんかった。

 それが悔しくて堪らなかった。

 寝ても起きてもずっと悔しくてのう。

 それがが長い間続いて、続いて、続いた。


 そんな時、お前に出会ったんじゃ。

 

 お前に初めて会った時はそれはそれは小っちゃくてのう。

 小っこくて、弱っこい。この平和な森でさえ、すぐに摘まれてしまいそうなか弱い命じゃった。

 それなのにお前は近づいてきて、ワシに小エビを差し出してきたんじゃ。

 

 ワシは、こやつはなんて警戒心のない、愚かな動物なんだと思った。

 しかしそれ以上に、なんて可愛い子なんだと、優しい子なんだと思った。

 ワシはその弱くて優しい子が愛おしくて堪らなくて、

 守ってやらないといけない、と思ったんじゃ。


 ワシはその出会いを運命じゃと思った。

 残りの命を使ってこの子を守ろう。

 あの人からもらったものをこの子に伝えよう。

 この子をあの人のように優しい人間に育てて、あの人の分も幸せにしてやろう。

 そう思った。それはリツトが来てからも同じじゃ」


 思い出話に優しい顔をしていたピヨ爺の表情に後悔の念がこもる。


「今回も、あの人から教えてもらった心構えを、リツトに教えようと思っておった。 

 じゃが、伝えるうちにまるで自分に言っているように感じてのう。

 あの人を亡くした悔しさがこみ上げてきてしまった。

 リツトにも、お前にも悪いことをしてしまった」


 ――ワシは親失格。そんな言葉を続けようとした時、ホイミィの細腕が腰を回る。


「大丈夫。ピヨ爺が怒ってるのかと思ってビックリしただけだから。

 泣いちゃってごめんな?」


 愚かな父には出来過ぎた子だ、と優しい子を見る父の目に小さな雫が光る。


「……ホイミィは本当に優しいのう」


「ピヨ爺も優しいぞ?あと……リツトも!」

 ホイミィの泣き腫らした顔に笑顔が戻る。


 ピヨ爺がホイミィを抱きかかえ、肩車をする。


「わっ! なんか久しぶりだな! ははは! 高いぞ!」


「そうじゃろう! 話を聞いてくれた礼じゃあ!

 ……リツトに謝らんといけん。一緒に考えてくれるか?」


「うん!」


「やっぱり何かあげたほうがいいかの?

 ホイミィは何をもらったら嬉しい?」


「エビ!」


「そうか! がっはっは! じゃあこのまま川に行こう!」


「やったー!」


 ホイミィは久しぶりの肩車とあってご機嫌な様子。

 ピヨ爺は軽い足取りでドアを開け、玄関をくぐる。


 ガン!


「う゛っ」


 巨躯が故かがんで家を出るピヨ爺であったが、玄関の上部がホイミィの顔面に激突。


 ピヨ爺のイメージでは100センチ程度だったホイミィは、今や140センチほどになっていた。

 そのイメージと実情の40センチの差が、今回の悲劇を生んでしまう。


「ホイミィイイイイイ!!!!」


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん!!!!」


「ほんっとうにすまん!」


 大きくなったんじゃのう……。

 鼻を赤くして号泣するホイミィに謝りながら、子の成長を実感するピヨ爺であった。





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