第十一話 悩む息子と入れ墨デカジジイ
「500歳かあ……。人間でいう何歳だ?まあジジイはジジイか……」
牛の乳を絞りながら、意味不明のうわ言を漏らしているのはリツトだ。
昨晩、ピヨ爺が500歳の高齢エルフであることを知った。
つくづく実感するが、この世界は異世界ファンタジーあるあるを踏襲しない。
エルフっていやあ、美女が実は300歳で、「私なんてもうおばさんよ?」とか可愛い顔で言ったりする生き物だったはずだ。
特に長生きのエルフの見た目が一番幼くて、「君、どうしたの? お父さんは?」とか主人公が舐めた口聞いたら、金髪ロリが「ワシは長老じゃ!」とか言ってびっくらこいた!するはずだろう。
それがなんだ?この世界で初めて相まみえたエルフはデカジジイだった。
金髪ロリのはずがシルバーゴリだ。
もうあれだな?やめよう! いちいちギャップに苦しむのはやめだ。固定観念は毒だ。
「え!なにずっと牛のおっぱい触ってんだ? 変な人だと思われちゃうぞ?」
リツトが一人で悩み、一人で解決した時、鶏の世話を終えたホイミィが、乳を出し終えた牛の乳を悩まし気に触っているリツトを目撃していた。
「……あっ!危ない、変質者と思われるところだった」
「リツトォ……。お前がそういう年頃なのは分かるが、うちの牛に欲情するのは止めてもらおうか……」
苦虫を嚙みつぶしたような顔をしながら呟いたのは、干し草の影からリツトの痴態を眺めていた牧場主のダルマーである。
ダルマーは身体が大きく若々しいが、50歳のナイスミドルだ。
「もう変質者と思われてる!? 違う違う! 考え事してて!」
「まあ、確かにこの村には若い娘がいねえ。だからといって牛は……」
「だから違うって! ホイミィ弁明してくれ! 兄の潔白を証明してくれ!」
「リツト、牛と子供は作れないんだぞ」
ホイミィは助けを懇願するリツトの肩を叩き、慰める。
「知ってるわい! ってなんだその哀れみの顔!
もしかしてホントに牛をエロい目で見てたと思ってる?
・・・え?なんで何も言わないの? なんで?」
ホイミィがリツトを変態だと思っている説が浮上し、リツトは目に見えて狼狽した。
「はっはっは! まあ冗談はさておきだ! リツトはもう何するか決めたか?」
「何って? 成人したら・・・ってこと?」
「それ以外ないだろう! 俺達はみんなリツトが何していくのか気になって仕方ねえんだよ!」
「楽しみって言われてもな~。何も決まってないから……」
「はははっ! なんだ珍しく弱気じゃねえか!! お前だったら大丈夫だ!
……まあ人前で全裸になるのは止めねえとな!」
「いや村で一度も全裸になってないわ! 露出癖ないっていうのはもう信じてもらえないの!?」
リツトのツッコミにげらげら笑うダルマーの傍で、ホイミィは神妙な面持ちでリツトを見据えていた。
「おっと、村の若大将を俺が独り占めしてちゃいけねえな!
それじゃあ俺は仕事に戻る!
ヴェーラんとこでメシ食うんだろ?お前の将来を心配してたぞ!
ああ、あとこれ! ヴェーラにこないだのお礼ってことで渡しといてくれ!」
ダルマーにそう言われてチーズを受け取ると、リツトとホイミィはヴェーラの元へ赴く。
「ヴェーラ~! 来たぞ~!」
「あっら、来てくれたのかい! いま呼びに行こうとしてたところ! お昼出来てるよ!」
「いつもありがとうヴェーラさん。あとこれダルマーさんから! こないだのお礼?って言ってた」
「なんだいお礼なんかいいって言ってんのに! まあありがたくもらっとくかね!
ほら上がりな! たくさん作ったんだから若いモンはがっつり食べな!」
ヴェーラは恰幅の良いザ・肝っ玉母ちゃん、といった風貌の快活な女性であり、村の奥様連中のボス的存在でもある。
垂れた大きな耳が特徴で、大きな品種のウサギを思わせる。
何かと気合に満ちた性格だが、リツトやホイミィには優しく、村に来た日はこうやって昼食をご馳走になるのが習慣となっていた。
「「いただきます!」」
「「うんまい!」」
「あっはっは! そりゃ良かった! ドンドン食べな!」
ご飯をがっつく2人にヴェーラが微笑みかけていた頃、ドアが開く。
「ただいま~。おっ、いい匂いだなー。お二人さんはもう来てたのか!」
ヴェーラの旦那、エンケである。
体格がいい、というよりは太った容姿のネコミミ中年男性で、リツトが村に来た際におさがりの服をくれた人だ。
ヴェーラの使い走りでよく汗をかいているのをよく見かけ、奥さんの尻に敷かれているというのが村の共通認識である。
「あんたおかえり! さあ一緒に食べようかねえ!」
ヴェーラはエンケが帰ってくると自分達の分をよそい、一緒に食事を取った。
食事を食べ終えた後、しばらく談笑していた4人だったが、
「リツトは何するか決まったのか?」とエンケが切り出す。
「いやあ、まだなんとも……」
リツトは相変わらず歯切れが悪い返事で誤魔化す。
「もし何するか決まってないんだったら、街へヴェネーディオで冒険者ギルドに入るのはどうだ?」
「冒険者ギルド?」
「そうだ!主要な街には冒険者ギルドっているのがあって、国や住民から出る依頼をこなす人が所属してるんだ。
簡単にいえば国お抱えの何でも屋ってとこだな」
冒険者ギルド・・・。
エンケの話だと、俺が想像しているものと違いはなさそうだ。
ただ冒険者っていうと危ないイメージがつきまとう。
「その依頼ってどんなの?」
「魔獣の討伐が一番多いな! 他には人探しだったり、食材の調達だったり。まあ色々だ!」
「ふ~ん。魔獣の討伐なあ」
狩りさえまともに出来ていない人間が、魔獣退治を生業とする冒険者になれるわけがない。
まあ「エビ臭」を使って囮になる、っていうのは冒険者の中でもある程度需要はありそうだが……。
「危ないのはダメだぞ!!」
リツトが苦い顔をしていた時、ホイミィが珍しく声を荒げる。
「!? どうしたホイミィ。冒険者になるって言ってないから落ち着け。な?」
「あんた何危ないこと勧めてんだい! ホイミィが心配してるじゃないか!」
「あだっ!」
ヴェーラが空気を察してエンケの頭をはたく。
「ごめんねえ。旦那は馬鹿なんだ。許してやってくれないかい?」
「……うん」
ホイミィが小さく頷くが、依然として浮かない表情をしているのを見たリツトが、
「はっはっは! エンケさんには悪いけど、俺弱いから魔獣退治は無理だわ!」
「いや悪かった! まあ街には色んな仕事があるから、お前ならやっていけるだろう!」
「そうだねえ! リツト! あんたホイミィを心配させんじゃないよ!」
「分かってるって! まあゆっくり考えてみるよ! じゃあ行くかホイミィ!」
リツトはホイミィの手を引き、ヴェーラ宅を後にする。
家を出た後、様子がおかしいホイミィを心配したリツトが、
「ホイミィ。さっきはどうしたんだよ?」
「リツトがどこに行くとか、何をするとか。そんな話ばっかりだ」
「そりゃあ仕方ねえよ。この世界の成人、っていうのはそういうもんなんだろ?」
「じゃあリツトはどうすんだ?本当に出ていくのか?」
「……まあ、出るべきとは考えてる」
「そっか……」
シュンとするホイミィを見て言葉をかけようとするリツトだったが、「でも!」とホイミィの言葉に遮られ、
「危ないことはしちゃダメだぞ?」
川で話した時と同様、その瞳には家族への愛情が宿っている。
リツトはその思いに応えるよう、精一杯の気持ちを込めて、「分かった」とだけ言う。
「ん!」と頷いたホイミィは、いつもの表情に戻り、
「じゃあ、夕方まで頑張るぞ~!」と畑仕事の手伝いへ向かうのだった。
それについていくように歩くリツトは、弟にこれほど心配されて尚定まらぬ自分の心に嫌悪感を覚え、足取りはその心を反映するかのように重かった。
―――
それから村での仕事を終え家に帰り、夕食を食べる間も葛藤を続け、揺れる思いを抱えたまま、リツトは自身が浸かる湯舟を見つめていた。
「どうすっかなあ」
ここ数年はリツトもホイミィも大きくなった為、1人ずつ入浴することになっていた。
一人で入浴すれば足を伸ばせるほどの大きさがあり、常にホイミィといるリツトの唯一の一人時間でもあった。
ただ、心安らぐ瞬間であった入浴も、ここ数日は自身の将来に思い耽る場となってしまう。
リツトが悶々としていた時、とてつもなく大きな影が現れる。
「邪魔するぞお!」
ピヨ爺が浴槽の横にどしんと音を立てて座り込み、身体を洗い始める。
「ごめん。長風呂だった?」
ピヨ爺が待ちきれないほど長く入浴してしまったか、と申し訳なく思うリツト。
「いやあ、たまには息子と裸の付き合いもいいと思ってのう!」
ピヨ爺は1人でギチギチになってしまうこともあり、人と入浴することなどこれまでなかった。
珍しいこともあるもんだ、と考えていたリツトだが、ふとピヨ爺の背中が目につく。
ピヨ爺の背中は筋肉が隆起し、傷だらけのそれは岩盤を想起させる逞しさを誇る。
しかし、リツトが気にしたのはそのことではなく、
「それ、もしかしてヤンチャしてた?」
――入れ墨。
大蛇が何かの球体に巻きつき、こちらを睨む様子が描かれている。
赤い色をしたそれは背中の中心を大きく使い、斜めに大きな傷が入っていた。
リツトはその赤い入れ墨から反社的なものを感じたのだ。
「……ああ、まあ若気の至りってとこじゃ。お前は墨なんか入れるなよ?」
「いれないよ。痛そうだし」
「がっはっは! 確かにお前はすぐ根をあげそうじゃ!」
ピヨ爺が少し嫌そうな反応を見せた為、追及はすまいと考えたリツト。
ピヨ爺も同様に気まずく考えたか、一息置いて話題を変える。
「リツト、お主は成人したらどうしたいんじゃ?」
川でホイミィにされた質問と同じ内容。
まあ家族が出ていくかどうか、というのは一大事なのだろう。
珍しく風呂に来たのもおそらくコレが目的。
家族の先行きを気にする2人に対し、いつまでも優柔不断な自分が嘆かわしい。
うーん、とはっきりしないリツトの答えを待たず、ピヨ爺は言葉を続ける。
「お前は料理が美味いから、どこかで修行して飯屋を開いてみるのはどうじゃ?
賢いから商人をやってもいい。前の世界の知識で何か作ったらぼろ儲けかもしれんぞ?」
夢を語る白老の言葉は、現実に悩む少年の心に染み込んでいかない。
リツトは夢を描かない人間であった。
基本的に身の丈に合った生活を好み、多くを望まない。
一時の感情で浮わつくことはあるが、じきにそれは叶わないことだと蓋をする。
落ち込むことがあっても、それが現実だと受け入れる。
切り替えの早さは、現実に抵抗しないという冷めた性質の副産物であった。
それは突如始まった異世界生活でもそうだった。
ゲーム感覚であれやこれやと夢を膨らませたのも束の間、暮らしの中で現実がまとわりついていき、将来の不安や自身の無力さが覆いかぶさって視界に影を落とす。
明るくて優しい外面は現実に殺されない為の防衛策であり、人への感謝を忘れないのは自身が無力で替えが利くことを受け入れているからだ。
それらはリツトが平穏に生きる、という点で効果的だったが、時に周囲の評価と内面に生じたギャップが牙を剥く。
しかし、続く言葉はリツトの「これまで」とは違っていた。
視線を落とすリツトに気付いたピヨ爺が溜息をして、
「お前はなんでもかんでも考えすぎなんじゃ。
どうせお前はみんなどう思うか、なんて考えとるんじゃろう?」
――図星。
少年の姿形に似合わぬよく言えば大人、悪く言えば社会の歯車としての考えは、湯気の先にある大きな背中によって簡単に看破される。
咄嗟に「いや」と力無く否定してみせるリツトであったが、胸の内にあったのは人生の大先輩に易々と見抜かれたことに対する恥ずかしさと、子をちゃんと見てくれていた父に対する感謝の意であった。
ピヨ爺はその小さな否定を意にも介さず、話を続ける。
「お前はどんどん人と繋がろうとする癖にバカ真面目に気を遣う。
自分のことをどう思っとるかは知らんが、お前がやりたいようにすればええんじゃ」
「やりたいように……」
反芻すうように呟いたのはリツトである。
父の言葉がスッと胸に届き、複雑に絡み合ってしまったその心をほどいていく。
父は「もう一度行くが」と前置きし、
「――お前はどうしたいんじゃ?」
言ってしまうか?
言ってもいいのか?
理性がせめぎあう中、それを掻きわけるように心が膨張する。
――言いたい。
子は自身が浸かる湯に向けて思いをこぼす。
「……ここでずっと暮らしたい」
「そうか! がっはっは! そうかそうか!」
ピヨ爺は頭から湯を被り泡を流すと、勢いよく立ち上がる。
リツトは明かせぬはずだった思いが受け入れられ、嬉しいとも恥ずかしいともとれる表情を浮かべていた頃、ピヨ爺がドシンドシンと湯舟の脇に立つ。
「場所を開けろお! ワシも入る!」
「ええ!? いや無理だって! 俺潰れちゃうよ!? 出る! 出るから!」
構わん!と湯舟に侵入するピヨ爺。
リツトは嵐海の如く波立つ湯に溺れそうになりながら、ビキビキと何かが割れる音を聞く。
「んん? やっぱりちと狭いかのう? ふん! よっこらせ!」
ビキビキ
「ピヨ爺~! これやばいって! 壊れる! 絶対壊れる!」
バゴッ
「あっ! これダメなやつ!」
ピヨ爺がデカい尻を窮屈な湯舟に押し込んだ時、石の浴槽が決壊し、リツトは波と共に転がり出る。
「どうした! なんか凄い音したぞ~! ……ってええ~!?」
風呂上りで涼んでいたホイミィが大急ぎで家から出てきた時、尻をこちらに向けて倒れるリツトと、無残に崩れた浴槽に胡坐をかくピヨ爺がいた。
「リツト! お尻に毛が生えてるぞ! あっはっは!」
「今そこ気になる!? ってかほんとに生えてる?」
大きな声でツッコミつつも、自分の尻を触って確認するリツト。
「尻毛は男の勲章じゃ!」とピヨ爺がデカいケツを見せびらかす。
「いやでっけえしきたねえ!」
「あははははは! 俺も生えるかな?」
「そりゃあワシの子じゃからなあ! きっとボーボーじゃあ!」
「やったぜ~!」
「尻毛を誇るんじゃねえ! ホイミィ! 尻毛はばっちいものだからな! って聞いてる!?」
「「ふう~!」」
ホイミィとピヨ爺が尻を振って踊りだしていた。
「踊んな! ってピヨ爺のケツでっか! 毛えすごっ! 魔獣じゃん。尻魔獣じゃん!」
リツトはピヨ爺のおぞましい尻に騒ぐが、2人は踊るのを止めない。
そんな2人を見て悩んでいた自分が馬鹿らしくなり、笑みをこぼすリツトが、
「ホイミィ!」
「なんだ?」と尻を振りながら反応するホイミィ。
「俺、ここでずっと暮らすから!」
「……そっか!!」
晴れやかな表情のリツトと、にっこり笑うホイミィ。
ピヨ爺の顔は尻に隠れて見えないが、振る尻のキレが増す。
「「「ふう~!」」」
大中小の尻が風を切る。
夜に紛れる森の中、明るい声がこだました。
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