第九話 気の毒魔獣と幸せな暮らし


「うーん」


 異世界生活10日目。

 リツトは釣り竿片手に思い悩んでいた。


 この1週間あまり、ホイミィと村に行ったり川で遊んだり、なにぶん都会育ちだったリツトは田舎で遊ぶような経験が無かった為、それはそれは新鮮で面白かった。


 ピヨ爺やホイミィはもちろん、村の人も良くしてくれて、一片の不満もなく新しい生活を過ごせていた。


 ――みんなに恩返しがしたい。


 世界を救った大先輩達の話を聞き、召喚者である自分がこうやって何不自由なく平穏に暮らしていることは、本来ありえないことなのだと理解した。


 普通であれば、今頃俺は戦場に出て、傷つきながらも知らない誰かの為に戦っていたのだろう。

 それが、こうやって何も知らずに召喚され、何の命令も受けずに自由に生きている。


 それは俺が幸運だったからなのか、神の気まぐれによるものかは分からない。

 しかし、今幸せに生きていられるのはホイミィ達が自分を受け入れ、たくさんの善意を込めて接してくれるからに他ならない。


 その善意も神の言う「優しい心=トーマ」の影響なのかもしれないし、俺の姿が子供だからなのかもしれないが、俺が出会った人々が皆良い奴であるのは動かし得ない事実である。


 この日常を当たり前のものとして享受してはいけない、そう考えたリツトが「周りの人へお礼をしよう」となるのは当然の流れであった。


「恩返しか……」


「ん?何か言ったかい?」


 少し離れた場所で釣り糸をたらすのはアルケ村のビーンズ。

 体格の良いビーストの中でひと際細いこの男は、釣り仲間が欲しいと嘆くシニアである。

 リツトはホイミィを連れて、週に1度ビーンズの釣り仲間をすることになり、今回が2回目である。


 ホイミィは少し離れたところで、ヒヨコ水で魚を追いたて、ホイミィが捕まえる鵜飼、もといヒヨコ水飼を展開していた。

 初めに見た時は「かしこい!」と思ったが、ヒヨコ水はすぐ別のものに興味を移してしまうため、成功するのは稀であった。


「いや、なんでもないっす!」

 リツトは考え事がうっかり口に出てしまい、慌てて訂正する。


 俺がみんなにしてあげられることはなんだろうか。

 何かをあげる?

 いや俺はこの村で一番「持っていない」人だ。

 あげられるものなんてない。

 それこそもらってばかりで申し訳ないから、こうして悩んでいるのだ。


 リツトは針に魚がかかっていることにも、それを指摘するビーンズの声にも気付かず、悶々と脳内会議を繰り広げていた。


******************************************


「今日はなんだか心ここにあらず、って感じだったねえ。何か困っているのかい?」


 釣りを終え、帰り支度を始めていた時、何やら思い悩む様子のリツトを気にかけるビーンズ。


 お礼をしたいのに、それどころか心配させてしまったと反省するリツト。

 自身だけで考えてもいい案が浮かばないリツトは、シニアの知恵を借りることにする。


「すいません。なんだかみなさんに良くしてもらってばっかりなので、

 何かお礼がしたいな~と考えてたんですが、なにぶん何も持ってないもので……」


 リツトが打ち明けた悩みにビーンズが目を見張り、

「・・・はっはっは! 大人しいと思えばそんなことを考えていたのかい!

 君は本当に優しくて賢い子供だ! でもそんなこと考えなくてもいいんだよ!

 僕達が勝手にやってるだけなんだから!」


 ――子供。

 リツトが本当は大人であることは誰も知らない、というよりは信じてもらえていない。

 その為、思い悩むリツトは「心優しい子供」にしか映っていないのだ。


 リツトはそれを受け入れてしまうのが怖かった。

 それは、優しさを与えてくれる人達への裏切りになると考えていたからだ。


「でも、やっぱりもらうだけなのは申し訳なくて……」


「う~ん。じゃあ僕はまた釣りを一緒にしてもらいたいな!」


「え?そんなのお礼とかじゃなくてもいつでも行きますよ!」


「嬉しいねえ!そうゆうのだよ。君のそういうところがみんな好きなんだよ。

 僕たちの村は若い子はみんな都市に行っちゃったから、子供が村にいるだけで嬉しいのに、その子供がとってもいい子なんだ!

 何かしてあげたい、と思わずにはいられないのさ!

 だから、みんなが君に世話を焼くのはそのお礼なのさ!

 まあ、僕は釣りに付き合ってもらってるだけなんだけどね!」


 ビーンズの優しい言葉に歯が浮く思いをするリツトであったが、依然として中身が子供ではないことに罪悪感を感じていた。


 子供の姿だからといってそれに甘んじる訳ではないが、この身体では仕事を手伝おうにも、1人前の労働力にもならないどころか、お仕事教室が開催されてしまうのが常。


 となると、俺がお礼に出来ること、といえば姿勢を見せることぐらいなのだろう。

 今すぐに形で返すのは難しい。今は出来るだけ「お手伝い」をし、知識を蓄えて将来的に力になる、というのが現実的だ。


 いつか恩を返せるように、今はただ感謝を忘れないようにしよう。

 それがリツトなりに出した一旦の答えであった。


********************************************


 ビーンズと別れたリツト達が家に帰ってきた時、ちょうどピヨ爺が魔獣の解体をしていた。


「でっけー。それなんて魔獣?」


「デブじゃ」


「……かわいそう」


 ピヨ爺が腹を割り、内臓を取り出していたのはまるまる太ったイノシシのようなものだった。

 小さな羽が生えていることを除けば、特に魔のイメージはなく、身体はイノシシそのものだった。

 しかし、頭部が無かったため、「イノシシのような」と形容せざるを得ない。


 ただの蔑称ともいえる名を与えられた魔獣に同情するリツトであった。


 ピヨ爺はテキパキと処理を進めていき、魔獣はパーツごとに分けられていく。


「それ、俺もやっていい?」

 少しでも出来ることを増やしていこう、とやる気を漲らせるリツト。


「いいじゃろう。ほれ、ホイミィも」


 ホイミィはぶんぶんと顔を横に振り、ピヨ爺の誘いを拒否する。

 どうやらホイミィは血が苦手なようだ。

 釣りで釣り針を使わないのも、血を見たくないからかもしれない。


「よし、じゃあやろうかの。まずは……」


 そこからもう一頭のデブを使い、ピヨ爺の肉解体講座が開かれる。


 狩りの直後に血抜きは終えているとのことで、ピヨ爺の指示の元、ナイフで腹を開けていく。


 開口部から内臓を取り出し、中に溜まった血などを冷水で洗いだしていく。

 肛門あたりの処理は丁寧にしないとウンチが肉について大変だそうだ。


 そのあと、デブを吊るし、足から皮を剝いでいくのだが、これが結構難しい。

 皮下脂肪をしっかり残す為、出来る限り薄く皮を剥がないといけないのだ。

 こればっかりは慣れていかないとどうしようもないだろう。


 次はイノシシのおしりから頭にかけて割っていくのだが、ここからは力がいる為ピヨ爺にバトンタッチ。

 リツトはピヨ爺の手さばきに時折歓声を送りながら、魔獣がお肉になる様を見届けた。


「どうじゃ?あと2,3年もすれば一人でできるようになるじゃろう。

 身体が大きくなったら狩りにも連れていってやるわい!」


「やった!」


「ホイミィも血に早く慣れんとな?」


「・・・うん」

 少し離れたところにいたホイミィが頷く。


「よし! じゃあメシにするか! 今日の料理当番はリツトじゃ!」


「え? まじで?」


「お主料理上手じゃろう?」


「う~ん? まあ前の世界ではやってたけども……?」


 あれ、料理出来ること喋ったっけ? と疑問が浮かぶが、恩返しの一環としていい機会と考えたリツトが、


「よっし! 任せろ~! ホイミィ、手伝ってくれる?」


「いいぞ!」


 リツトは解体したばかりのバラ肉を持ち、キッチンへ向かう。


 魔動石にトーマを送り、火をつけると、網の上にフライパン、小鍋を置いて熱する。


 まずはスープ作り。

 ホイミィが剥いた小エビの殻、頭を炒めていく。


 川エビなんて料理したことが無かったが、ホイミィが俺の能力を「エビの匂い」と認識していたことから、このエビの殻からも出汁が出ることは確信があった。


 エビの殻が赤くなり、水気が飛ぶまで炒めると、水、謎の酒を入れる。

 謎の酒は半透明でアルコールの中に果実の匂いを含んでいる。ピヨ爺が夜に飲んでいる酒だ。

 それをしばらく煮つめていく。


 次は平行してメインディッシュ作り。

 テフロン加工なんてないこの世界のフライパンに少し不安があったリツトは、念のため油を敷き、薄く切った豚バラを炒めていく。


 すごい油が出る為少し捨て、そこにホイミィがちぎった葉野菜を入れる。


 葉野菜が少ししんなりしたところで塩、すりおろしたニンニク、ペッパーを加え、肉の臭みがなくなることを祈りながらさらに炒めていく。


 塩、ニンニク、ペッパーはリールーからもらったものだ。

 彼女はアルケ村を代表してヴェネーディオで商売をし、村では手に入らないものを村に提供している。


 動物や植物、奇怪なものも多いこの世界だが、前の世界の料理を再現するに事欠かない程度には食材が揃っており、料理をするのはさほど不安は無かった。


 しばらく煮詰めた小鍋からエビの殻、頭を取り出す。

 エビの身を入れ、火が通るまで煮ると、塩のみで味付けし、溶いた卵を回し入れる。


 それぞれを食器に盛り付けて……完成!


 ・デブ(イノシシ的魔獣)と葉野菜のペッパー炒め


 ・エビと卵のスープ


 ・パン(村で肉と交換したもの)


「はいお待ちどう!リツト謹製めちゃうま定食!」


「「おお~!」」

 歓声を上げるピヨ爺とホイミィ。


「……めちゃうまは言い過ぎたかも。ちょいうま。そのくらいかも」


 自ら上げ過ぎたハードルを下げにかかるリツトを他所に、

「「いただきます!」」と一口。


「……どう?」


「「うんまい!」」


「ピヨ爺~! スープ美味いぞ! エビ味だ! エビ味がすごいぞ!」


「ホイミィ肉も食え! なんていうか……その、味がついてて美味い!」

 2人は語彙力のない食レポを言い合いながら、次々と料理を口に運んでいく。


 その様子を眺めていたリツトは頬がほころぶのを抑えることが出来なかった。


 ……嬉しっ!?

 人に料理褒められるの嬉しすぎる!!

 ダメだにやけが抑えられん!なんかあったけえものがこみ上げてくる!


 リツトは一人暮らしゆえそこそこ料理が出来たが、人に振舞ったことがなかった。

 自分の料理で人を喜ばせたことに並々ならぬ充実感を覚える。


 そうだ!村のみんなにも料理を振舞ってみよう!

 みんな喜んでくれるかもしれない!


 恩だなんだと悩んでいたリツトは、パッと視界が開けるような心地がした。


「……いただきますっ!」

 リツトは勝手に上がる口角と勝手に下がる目尻をもはや抑えようとはせず、にやけたまま料理を口にする。


 突如始まった異世界生活は、思い描いていたものとはほど遠い。

 しかし、この普通じゃない世界で普通の幸せを享受する今の暮らしがとっても愛おしい。

 この賑やかな家族と優しい村人に囲まれ、これからも楽しく生きていくんだ。



 この幸せな暮らしは、これから5年間続いた。




 ――5年しか、続かなかった。




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