第二話 エビの匂いとぷるぷるのやつ(あとヒツジ)
「……」
「メエエエ」パカパカ
「……」
「ンンメ……メエエエ」パカパカ
――ついてきてるじゃん……。
一人冒険へと旅立ったリツトであったが、別れたはずの第一村人(人ではないから、第一ヒツジか。いやヒツジかも分からない。)がパーティに加わったままだった。
ちょっと音を立てて脅かしてやろうかとも思ったが、噛んだりするかもしれない、と弱腰なリツト。
「……」ニコニコ
リツトを弱気にさせたのは、ヒツジ?だけによるものではなかった。
目を覚ました場所から見えたニコニコしてる花だ。
これがけっこう生えていて、全裸で森を歩くリツトをニコニコと笑っており、リツトの心に大きなダメージを与えていた。
かつて日本には「市中引き回し」という、罪人を刑場まで連行する際、衆目に晒すことで罪人を辱める刑があったそうだが、市中引き回しを受ける罪人さながら、リツトは顔を伏せ、羞恥心に手を引かれるように森を歩いていた。
新たに羞恥心をパーティに加えたリツトは、喉の渇きを強く感じるようになり、水場を目指してしばらく歩いた。
1時間ほど歩いた頃、少し先から水のせせらぐ音が聞こえた。
「川だ!!」
「メエエエ!?」パカパカ!?
「……」ニコニコ
喉が乾いていたリツトは、思わず走り出してしまったのだ。
「ンメエエエエエエエ~!」パカパカ!!
ヒツジ?は走る度に見えたり見えなくなったりするリツトの睾丸袋に驚き、それを近くで見んと走り寄る。
「うううわあああああああ!!」
リツトは走った。
ヒツジ? はそれほど速くはなかった。6本の足がもつれる為、全力疾走は出来ないようだった。なんで6本にしたんだ。
しかし、足がもつれながらも懸命に走るヒツジ?は、歯をむき出しにしたおぞましい形相であった。
その形相を見てしまい、最悪な結果を想像し、あれやこれやが萎縮してしまうリツト。
もし追いつかれでもしたら、噛まれるんじゃないか!? あいつが興味津々の俺のオキンタマを!
異世界転生してさっそく転性なんてことになったら俺はもう生きていく自信がない!
リツトはこれからの異世界人生の為にも懸命に走った。
それはもう懸命にだ。命を懸けて走ったのだ。
しかし、上手く走れていないのはリツトも同様だった。
本人は気付いていないものの、身体が小さくなった影響で思い通りの走りが出来ていなかった。
「見つけた!」
川だ。川に飛び込めば羊?も追ってはくるまい、とリツトが森を抜けたその時。
裸足で舗装されていない森を走るのは想像以上に負荷が掛かっていた。
疲れ切ったリツトの脚は、森を抜けた安堵感で脱力してしまい、木の根に足をとられて転倒してしまう。
転ぶリツトの股間に生る果実が揺れ、走り寄るヒツジ?にその身を差し出す。
「ンメエエ」
「あ……」
「ンンンメエ」
「ああ……」
「ンメエエエエエエエエ!!!」
「ああああああああああああ!!!」
*************************************
「うわああああん!! ぐずっ うっうう……うわああああん!!」
リツトは大きな声で泣いていた。
森で転んでから一時間ほど、全裸で、うずくまって、泣いていた。
リツトのオキンタマは無事だった。
転倒したあと、迫りくるヒツジ?に対する恐怖で身体が動かなくなってしまったリツト。
ヒツジ?はリツトに近づいたが、股間の匂いを数回に渡って嗅いだ挙句、嫌な顔をしてどこかへ行ってしまったのだ。
リツトは噛まれて泣いていたのではない。恐怖で泣いていたのではない。
自尊心が傷つき、泣いていたのだ。
いきなり連れてこられた異世界で、全裸で、変な動物に追いかけられて転んだ。
更には男の象徴を変な動物にバカにされた。
泣きっ面に蜂、いやオキンタマにヒツジだった。
こういう経験がトラウマを作るのだろう。
リツトはしばらく泣いていた。
ひとしきり泣き、冷静になったリツトは、人に見られなかったからセーフじゃね?と前を向く。
恥をかく、というのは人に見られて初めて成立するのだ。
何もなかった。そう、何もなかったのだ。
そもそも喉が乾いていたんだ。水を飲もう。
リツトは一連の恥辱を無かったこととして、川に近づく。
水面が太陽の光を吸い、てらてらと揺れている。
川を覗くと、膝が濡れないくらいの浅さではあったが、川底がハッキリと見えるほどに水が澄んでおり、魚やエビなど、様々な生き物が見てとれる。
都会暮らしだったリツトは、これほど透明度の高い川を見たことがなかった。
衛生の知識はないが、間違いなく飲めるだろう眼下の水分に心が踊る。
水辺に腰かけ、水を手ですくい、一口。
「……うまい」
色々な汗をかいた身体が待ってましたとばかりにそれを吸収する。
リツトはもう一口水を飲むと顔をすすぎ、転んだ際に付いた泥を落とした。
「ふう……ん?」
リツトはそこで、水面に浮かぶあどけない顔に気が付く。
自分の顔ではある。それは間違いないのだが、直近の記憶よりもずいぶんと幼い顔立ち。
リツトは思い立ったかのように自分の身体を見渡し、ペタペタと触る。
……
「小っこなってる~!!!」
リツトはようやく、自身が対面している現象に気が付く。
これはただの召喚ではなく、赤ん坊から始まる転生でもなく、中途半端な年齢から始まる、異世界ザル召喚だった。
身体は子供、頭脳は大人といえば国民的な探偵を思い出すが、リツトは普通の大学生で、突出した特技は持たない男。
ましてや常識が違うであろう異世界にいるのだ。
これではただ純粋さを失っただけの可愛げのない子供だ。
さらに、この不親切なザル召喚。言語が通じない可能性だってある。
もしそうなら状況は最悪。
前の世界で20年過ごしたリツトには、子供のスポンジのような吸収力はないかもしれず、話せない、身寄りない、常識ないの3Nだ。
世界を救うなんて言ってる場合ではない。
「やっべえ……」
自身が置かれている絶望的な状況に弱音をこぼすリツト。
異世界転生してどれほど経っただろうか。時計がないから分からない。
分からないことだらけだ。動物も、植物も、世界も。自分のことも。
「これからやっていけるのかな……」
不安が押し寄せ、リツトはこぼれそうになる涙をぐっと堪える。
川に勢いよく顔を浸け、勢いよく上げると、髪の水気をくしゃくしゃと払う。
目をつぶり、長く息を吐いて心を落ち着かせる。
そうしたあと、リツトはぼーっと景色を眺める。
風でなびき、さらさらと音を立てる草木。
日の光が溶け込むような、透き通る川の水。
気候はとても穏やかで、暖かい春の日、といったところだろうか。
改めて眺めるこの世界は、新鮮な驚きが詰まった子供の遊び場のように見えた。
「……まあ、なんとかなるか」
悪い事ばかりじゃない。ゆっくりやろうじゃないか。
まずは服の調達だ。恥ずかしいからな。俺は裸族じゃない。
森で丈夫な葉っぱでも見つけよう。葉っぱのパンツを作るんだ。
それか、あいつ(ヒツジ?)の毛を刈って服を作るのもありだな。
うん。それがいい。葉っぱのパンツはやめだ。かぶれるかもしれない。
これから始まる冒険に思いを馳せ、自然と頬が緩むリツトである。
リツトは切り替えが早い男であった。
泣いたり笑ったりとコロコロと表情を変えるが、すっきりした心根は彼の最大の美徳である。
脚に疲れはあるが、気力も体力も十分、と森へ振り返った時、
「……ん?」
リツトは視線の端に動く影をとらえ、それに意識を向ける。
それは、ぷるぷるした半透明の、白い何かだった。
ぷるぷると揺れるソレは、近くに1匹、川の反対に数匹。
「ピえ」
そのぷるぷるは鳴いた。
よく見ると大きな目があり、くちばしのような突起をパクパクとさせ、こちらの様子を伺っている。
異世界のぷるぷるって言えば、それはスライムだ。一番弱いでおなじみの魔物だ。
魔物は人を攻撃する為、主人公達は魔物を見かけるや否やそれが何であろうとボコボコにする。
その場合、このスライムのようなぷるぷるも倒して然るべきなんだろうが、リツトはこのぷるぷるを倒すことに気が引けた。
とってもキュートだからだ。
ピエピエと鳴き、鳥を思わせる外見は、まるで愛らしい雛のよう。
ぷるぷるの丸白ボディは杏仁豆腐を思わせ、さくらんぼが飾られるのを待っているかのようだ。
名前をつけるならば、こいつは鳥スライム(白)(仮)、といったところだろうか。
エサでもあげたくなるような、素朴な可愛さを持つ生物だった。
鳥スライムをしばらく眺めていたリツトは、ふと後ろを振り返る。
すると、そこには10匹はいるであろう鳥スライムが足元まで来て、こちらを見上げていた。
「「「「「「ピえピえ」」」」」」
「……うわっ」
水族館のペンギンの部屋にバケツにエサを入れた飼育員が入ってきた時のように、ピエピエと鳴く小さな生物がリツトを囲っていた。
ペンギンであれば、かわいい~などと言えたかもしれない。
しかし、リツトの周りにいるのは得体のしれない異世界の生物であり、それらはどういう生物で、何を食べるのか分からない、という恐さを内包していた。
「人、食べたりしないよな?」
リツトは生命の危機に瀕しているかもしれないことを自覚する。
確かにキュートではある眼下の生物は、まごうことなき異界の化け物なのだ。
この化け物の大きな目には、自分がエサに見えているのかもしれない。
リツトは、息を整える。
この森では、自分も生存競争の中にいるのだ。
弱みを見せれば誰かのエサになる。
可愛いからと容赦をしては、この森では生きていけないのだ。
生きていくには、他者を食らい、強くなるしかない。
――討伐する。
リツトは身体の中にある「力」を使う決心をする。
この力は手から出すだけでなく、身体から発する使い方もある、ということは分かっていた。
身体の中心に感じる力の源泉から、血管を伝って身体中に行き渡らせる。
それを外に勢いよく放出し、それが炎となり、辺り一体を焼きつくす。
リツトは目を閉じ、そんなイメージを膨らませると、目を開き、かの辺境伯が操る呪文を唱える。
「ウル・〇ーア!!!」
プッスゥ~
――リツトの身体から放たれたのは、炎でもビームでもなく、焼いたエビのような、香ばしい匂いだった。
「……え?」
鳥スライム達はリツトがいきなり大声を出したことに目をパチクリさせていたが、匂いを感じるや否や、我先にとリツトに飛び掛かる。
「「「ピえ!」」」
「「「ピえピえ!」」」
迫りくる魔物。無力な自分。
神は知識と服だけでなく、強い力すら与えてくれなかったか……。
そういえば、スライムってたまに強い作品なかったっけ……。
溶かしたりされんのかな……。
そんなことを思いながら、リツトは意識を手放した。
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