第一章 森でぼちぼち暮らす編

第一話 リツトと異世界(あとヒツジ)


 ―目が覚めると、そこは知らない天井だった。

  

  天井というか、空だった。


 男は、目覚めに見るはずであった天井がそこになく、また柔肌をちくちくと責める草の存在により、自身が屋外にいることを理解。

 ダルくも、特に元気でもない身体を起こし、状況把握を開始する。


「え~。なにこれえ」


 男は全裸だった。全裸で、森で寝ていたのだ。


「夢え?」


 この現代社会において、気付いたら全裸で森で寝てました、なんてことはそうそう無い。

 しかし、身体の下に生えた草が弱く鋭い痛みを提供し、そう考える男に「これが現実である」と伝える。


「どうしてこうなった?」


 何が起きてる? なんで俺は見知らぬ森で全裸で寝てるんだ?


 男は、とても現実とは考えられない現象が自身に起きていることに頭を抱える。


 酒で酔った? いや昨日は飲んでない。

 それに仮に飲んだとしても森で全裸で寝るなんて、アウトロー煮詰めたような破天荒芸人でもそんなことはせんぞ?


 酒は飲んでも飲まれるな、全裸で寝るな風邪を引く。

 酒を飲む際の信条として固く心に誓っていた俺がそんなことをするはずはない……。

 とすれば――


 ――ん? 芸人?


 彼は「芸人」というワードから、各種のドッキリ系番組を思い出す。

 

 「起きて森で全裸だったら野生に還る説」とか、「もしも森で全裸だったら、ゴリラと仲良くなれる?なれない?」みたいな、そんな感じのドッキリのターゲットにされたのかも?


 ――いや、そんなわけない。


 昨今はコンプライアンスどうのこうので、過激な内容はあまり好まれていない。

 仮にク〇ちゃんとか芸人であれば、辛うじて放送されるかもしれない。


 しかし、男は一般男性であった。

 芸能人でもない人間を、なんの連絡もなしにいきなり森でひん剝いて放置なんてことがありゃあ、もうそれは警察の出番なのだ。

 炎上で済む問題ではない。ドッキリというのは無いだろう。


「となれば、誘拐?」


 彼は誘拐の可能性を考えるが、それも違う。

 なにせ、男、もとい小宮山律人(コミヤマリツト)は1人暮らしの貧乏大学生なのである。

 

 誘拐の目的は基本的に身代金、もしくはその人物自体に用があり、暴力的手段を取らざるを得ないような場合だ。

 しかし、リツトは何も持っていなかった。誘拐される要因を何一つ持っていないのである。


 彼の両親が他界し、遠縁の親戚に引き取られて数年で家を出たリツトには家族、といえる存在がいないのである。

 身代金は期待が出来ないのだ。


 また、彼の持つ資産は一番高いもので中古のデスクトップPC。次点で冷蔵庫といった具合で、それにバイトで稼いだお金で買った漫画やゲームなどが続く。


 となると、彼が実はどこかの一族の末裔で……なんてこともない。

 愛情いっぱいの優しい母と2人で営む母子家庭で育った、ごく一般的な普通の男子である。


 以上のことから、彼を誘拐するなんて愚行をする輩はいるはずもないのだが、そんなリツトは愚かにも「誘拐された」という体で考察を進める。


「目的はなんだ……? あっ臓器!」


 臓器を盗まれたのでは!? それで不要になった本体を森に捨てたのでは!? と身体のあちこちをペタペタと触るリツト。

 

 しかし五体満足。

 特に痛いところもなく、臓器も取られていない。


 取られていないようだが――


「えっ!ちんちん小っちゃくね?」


 リツトの股には、それはそれは見事なモノがぶら下がっていたはずだった(本人談)。

 マグロのように強くたくましかった立派(本人談)は、小エビのように小さくなっていた。


「ちんちんが入れ替わっている?」


 リツトは愚かだった。

 頭自体は悪くないのだが、突飛で不可解な状況に寝起きの悪さが相まって、考察は悉く脇道へまっしぐらする。


 彼の身に起きたのは、性器を小さな物に替えられたわけでも、性器が小さくなったわけでもない。

 「身体」が小さくなっているのだ。性器だけでなく、身体全体が等しく退行しているのだ。


 昨日までの彼は20才の大学生であり、身長177センチ、62キロのいわゆるやせ型体系。

 黒髪は少しクセがある猫毛でふわふわとした印象の、顔はそこそこでよく笑う、人当たりのいい青年。


 しかし、そんな大学生コミヤマリツトの今の姿は、年齢にして10才程度まで幼くなっている。

 細身であることは変わらないものの、身長は140センチほどまで小さくなり、手も足も短く、全体的に丸みを帯びている。


 顔も同様に幼くなり、男性器の俗語を連呼するのに違和感が無い程度にはあどけない表情をしているが、リツトは縮小した性器に気を取られ、そのことに気付かない。


「誰がこんなことしやがった!出て来いバカ野郎!返せよ!俺のちんちん返せよ!」


 何者かに誘拐され、性器を入れ替えられたと誤解しているリツトは怒りに身を任せ、叫んだ。


 森で、独りで、全裸でだ。


 ガサガサっ


 ふいに、背後から草木が擦れる音。


 え? ほんとにいるの? 怖い人だったらどうしよう・・・と先ほどの怒りはどこへやら、リツトは挙動不審に辺りを警戒する。


「えっと、だ、誰ですか……!警察呼びますよ……!」


 未だ見ぬ敵に恐れをなし、情けなく敬語になるリツト。

 寝起きには辛いほど脳内物質が分泌され、心臓がうるさいほどに音を立てる。


 ガサガサッ!


 音が近づく。リツトは近くの木の枝を拾い上げて大袈裟に振り回す。


 森で、独りで、全裸でだ。


 その滑稽な様子は、「テンパり倒している」と形容するに相応しかった。


・・・

・・


「メエエエ」パカパカ


 現れたのはヒツジだった。

 6本足で、3mくらいある、長めのヒツジだった。


「って羊かーい!!」


 リツトはツッコんだ。森で、全裸で、ヒツジに向かってだ。


 よかったあああ! すっごい安心した。怖い人じゃなかった。怖い人だったら絶対泣いてた。 

 漏らしてたかもしれない。本当によかった。

 ヒツジだったら全然大丈夫よ。草食だし、害はないだろうし。

 ヒツジなんかもうどこでもいるから。牧場に行ったら触れ合える動物だから。


 リツトは安堵した表情で木の棒を放り投げ、意気揚々とヒツジに歩み寄る。

「脅かしやがって~」と軽い足取りで、頭でも撫でてやろうか、なんて考えながら。



 ――――羊か?


 これほんとに羊か?哺乳類あるあるで「たまに足6つある」とか言おうものなら、嘘つき呼ばわりされて家に石を投げられてしまうぞ。

 これは羊じゃないんじゃない?


 リツトは一度ヒツジ?と距離を取り、周囲を見渡す。

 

 よくよく見ると、周辺に生える植物はリツトの記憶にあるそれらとは異なるものであった。

 それらは日本では見かけないような形、色をしており、夢の中であると思わせるような雰囲気さえ持ち合わせている。

 中でも、リツトの興味を一際引いたのは「花」である。


「……」ニコニコ


 少し先の方に咲いている花が、リツトの方を見ているのだ。

 ちなみに、見ている、というのは比喩表現ではなく、そのままの意味である。


 その花には顔のようなものがあり、ニコニコとリツトを見据えながら揺れているのだ。

 

 絵本の中であれば「可愛らしい」と形容されるべきものであるが、現実で直面したリツトにとっては、実に珍奇で気味が悪く、悪い夢でも見ているように感じさせた。


「ポイポイポイ!」バサバサ


 続いて、リツトが見据えるのは、木の上にいる大型の赤い鳥であった。

 赤い鳥という程度であれば、どこかのペットショップから逃げてきた等の理由で、納得出来たはずのリツトだが、その鳥の聞き慣れない鳴き声に違和を感じざるを得ず……


 

 ――そんなやついたか?


 鳥の鳴き声は「ピヨ」か「カー」の2。「ポイ」は絶対におかしい。

 ・・・いや、「コケコッコ」もあるか。「ホーホケキョ」もある。

 コケコッコって今考えたらめちゃくちゃ変だな。なんだその鳴き声。

 「ポイ」のほうが断然あるわ。


 リツトは地面に座ったまま、周囲の情報を纏め、自身が置かれている状況を推理する。


 知らない森……全裸……ニコニコしてる花……6つ足の羊……ポイポイ鳴く鳥、はまあいいか……







 ――――これ異世界召喚じゃね?


 あー、はいはい。分かりました。絶対異世界だわこれ。

 ある日目が覚めたら異世界召喚されちゃってましたテヘペロンチョ、的なやつだ。

 異世界召喚。なんか魔王的なやつがいて、そいつを倒す為に神様とかが俺を呼んだんだな。


「……」


 やけに喜々とした表情で自身の考察に頷いていたリツトだったが、急にスンと真顔になると、自分の頬をつねる。


 草の肌を刺す痛みで一度現実であることを認識したリツトであったが、「異世界」という手に余る非現実が、「頬つねり」をさせるに至った。

 「非現実を目の当たりにした時は頬をつねりなさい」というのは、学校で必ず習う事だ。習わなかったかもしれない。


「痛いなあ」


 頬に痛みを感じた直後、リツトは再び周りを警戒する。

 「人は夢かと思った時、本当に頬をつねる説」の検証であった場合を考慮してのことだ。

 この期に及んで、最初に消したはずのドッキリ説を思い出し、カメラを探したのである。


 しかし、カメラは見当たらなければ、人の気配もない。

 何度か頬をつねっては辺りを見渡したが、そこにあるのは全裸の自分と、奇怪な生き物が闊歩する異世界という現実だけだった。


 夢説とテレビ説の堂々巡りに興じていたリツトは、遂に現状、つまり「異世界召喚されたという現実」を受け入れた。


「異世界召喚……か」


 ポツリとそう呟いたリツトは、脳内で自身の異世界に関する知識を広げ始める。


 異世界召喚されるのには自分か異世界、もしくはその両方に、何らかの理由、目的がある。

 これは、俺が嗜んだ漫画やアニメ、全てに当てはまる。


 その理由や目的の多くは世界を救う為であり、神とか召喚術師とかが教えてくれたりするのだが、今のところそれは無い。この世界の神は親切じゃないらしい。


 せめて服くらいは頂戴よ!とリツトは地団駄する。



――目的も自分で探さないといけない。


 そうなると、冒険道中でトラブルに巻き込まれ、解決していく中で目的が分かってくる、ということだろう。

 

 そこで以下の3点だ。


 ①召喚特典パワー

 ②激かわヒロイン

 ③魔王的な敵


 まず①だが、これは世界を救うに必要なのだ。

 というより、わざわざ他所から人を連れてくる理由は、そこに大きなメリットがあるからに他ならない。

 ①は確実にこの世界の常識を超越した力であることは間違いないのだ。

 どのような力であるかは分からないが、頭を使う難しいやつは嫌だ、と願うばかりである。


 次に②。これは主にモチベーションになる。

 激かわヒロインがいないと、縁もゆかりもない世界を救う、なんてことにどうやりがいを見出せるだろうか。

 トラブルを持ってくるのも大体ヒロインだったりするのだが、それも愛嬌だ。

 早く会いたい、どんな娘かな?などと、リツトはいるかも分からないヒロインを夢想する。


 最後に③だ。魔王だったり、敵国だったりするが、大体はもう本当に酷いことをする奴ら。

 こいつらのせいでヒロインや、街のやつらが辛い目に遭い、そこを異界から来たヒーローが救う。


 以上のことから、

 ①召喚特典パワーで強い力を持った俺が、冒険道中で②激かわヒロイン(大体姫様)を助け、

 ヒロインから③この世界の敵の事を聞き、世界を救う冒険に出る、という感じで間違いない。


 これからの展開予想に1人納得すると、リツトはヒツジ?に向かって手をかざす。


 ――①召喚特典パワー。

 

 リツトは身体の中にある、前の世界にはなかった力を感じていた。

 それはまるで生まれつき持っていた手や足と同様に、まさに手足のように使い方が分かった。


 力の内容までは分からなかったものの、大体はなんかこう、凄いビームとかが出る、そうに違いない。

 などと愚かな考えを持つ、短慮なリツトであった。


 しかし、リツトは愚かで短慮であるが、無駄な殺生はしない男であった。


 力を使い、どのような事が出来るのか確かめたいところではあったが、ヒツジ?に罪は無い。

 確かにあいつは俺の股間で揺れるものを凝視しており、マナー違反としてどこぞの講師に叱られるべきだとは思うが、誰にだって間違いの一つや二つあるさ。


 動物に容赦をかけることにしたリツトは、かざした手を下ろし、ヒツジ?に声をかける。


「さあ行きなさい。森の動物よ。平和に暮らすのですよ」


「ンメエエエエエ~」


 ヒツジ? がお礼的な鳴き声を発し、股間に会釈をしたことを確認すると、リツトは背を向け、歩き出す。


「アデュー!!」


「メエエエ」


 リツトは、ヒツジ? の別れを惜しむ声を背に受けながら、世界を救う冒険へと旅立つのであった。


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