幽体離脱のQ.E.D.

総督琉

幽体離脱のQ.E.D.

 最近、ふと思うことがある。

 幽体離脱は可能なのか、と。


 幽体、その正体に近づくことができれば、幽体離脱は可能なのではないか。



 ――全ての事象には必ず理由がある。

 それが現代ではまだ解明されていないことであろうとも、起こっている事象には何らかの理由が、原因が存在しているのだ。



 だから私は思った。

 幽体離脱、その原因が分かったとすれば、幽体離脱が可能になるのではないかと。




 幽体離脱について、自分なりに考えてみることにした。


 幽体離脱、それは肉体から意識が引き剥がされているのではないか。

 実際、幽体離脱した際は自分の肉体を第三者的に見ることができるらしい。つまり視覚が肉体から引き離されている、ということになる。


 幽体とは何か、魂と呼ばれるものなのだろうか。

 それをイコールで結べるだろうか。


 謎が多く、未知の部分が多い。

 そのため、私は幽体離脱ができるか検証してみることにした。


 検証、といっても方法はまだ未知である。

 だからこそ面白い。

 未知の中でこそ、先入観に囚われることなく攻略法を見つけることができるかもしれない。


 幽体離脱は隠しイベントのようなもの。

 それを引き起こす方法をこの数日で見極めてみようと思う。




 まずは初日。

 何の知恵もなしに、幽体離脱に挑戦する。


 結果――無理だった。


 何の方法も分からぬままでは、やはり幽体離脱は難しい。

 だが今回の挑戦でふと、思ったことがある。


 今回は、夜、つまり睡眠時間にやったわけだが、眠っている間の意識はどこにあるのか。

 人は夢を見る。

 つまり意識とは人の中に眠っていることだろう。もし肉体に捕らわれている意識が肉体から解き放たれ、外へと流れ出ることができるのだとすれば、幽体離脱は可能なのではないか、と。


 自分で言っていて何なのだが、何を言っているんだ?

 自分で自分の言っていることが理解できない。


 幽体離脱、やはり一筋縄ではいかないようだ。

 早急に何か策を見出だせなければ、このまま三百年は過ぎ去ってしまう。それほどに今、私は焦っている。

 テストの日に遅刻し欠けた時ほど焦っている。




 二日目、この日は試してみたいことがあった。

 生命の樹、旧約聖書に記されている、エデンの園の中央に植えられた樹であるもの。

 下に行けば肉体に、上に行けば魂や霊、神などといった未だ人類が解明できていない境地に行き着く。


 真実は、私には分からない。

 私は万能人であるわけでもなく、全知全能の神であるわけではない。私はただの一般人であり、その上平凡という日々を過ごすただの堕落者だ。

 そんな私にこの世界の法則や原理、仕組みを理解しろというのはほぼ不可能なこと。だが完全に不可能なわけではないだろう。

 この世界に不可能などないのだから。


 私はふと、意識を脳の一点にのみ集中させてみることにした。

 そこで気付いた。そこに何かがあると。考えれば普通のことだ。だけど私はそこに疑問を持っていた。


 腕に意識を届ければ腕は動くし、目だって、口だって、足だって動く。だけど脳に意識を集中させても、動くものは何もない。強いてあげるとすれば、意識が動いている。

 そこにヒントがあるのだとすれば、私は幽体離脱は可能なのではないかと、そう思えて仕方がない。



 それを検証してみることにした。

 結果としては、さすがに無理だった。

 そもそも幽体離脱を一日や二日でしようとすることが間違いなのだ。だから私は、これを十日間続けてみることにした。



 ――結果、これといって変化はない。




 十二日目、いい加減幽体離脱の片鱗でも見えてほしいところだが、生憎、幽体離脱とは簡単なものではないらしい。

 これほど思考を尽くしているというのに、私は未だ肉体を恋しく思っているらしい。


 そもそも何をすれば肉体から魂を切り離すことができるのだろうか。

 切り離しを理解できれば、幽体離脱ができるのではないか。


 考えた果てにたどり着いたのが、『悟り』だ。


 よく仏教などで耳にする悟り、それはもしや幽体離脱に近づける鍵なのではないか、そう考えた。

 悟りとは、生死を越えた永遠の真理を会得することと授業で教わっている。生死を越えた永遠の真理、生死を越えた、という部分が幽体離脱を連想させる、と私は思っていた。



 悟りと言えば、座禅。

 実際正しいかは分からないが、考えても分からないことをいくら考えてもらちが明かない。とにかく私は座禅を組み、瞑想をしてみることにした。


 ――三十分後

 とくに変化はない。

 結果をすぐに求めても、成果はでないことは分かっている。だからこれを、十日間行ってみることにした。



 結――果、変化無し。

 少し心が軽くなったくらいで、後はこれといって変わっていない。


 難しい。

 そもそも、幽体離脱を十日や数十日で会得しようという心が怠惰であり、傲慢なのだろう。

 私は欲深く、強欲に囚われたか弱い人間である。きっと今頃神は憤怒し、色欲や暴食に走る私を見て哀れむのだろう。

 私は幽体離脱を行える者に、心のどこかで嫉妬している。



 ――幽体離脱は難しい。


 それが私の出した答えであった。




 幽体離脱、それは生まれつきの才能なのかもしれない。

 もしくは幽体離脱の方法が間違っていたのか、それとも長い期間が必要なのか、それは進み続けた者にしか分からない。


 ただ、私には幽体離脱は向いていない。




 最後に、一つ憶測から結論を導くことにした。

 証明はできない代わりに、机上の空論を。


 幽体離脱、そもそも肉体から意識が解き放たれるということは、人間には肉体など必要ないのではないか。

 肉体がなければお腹も空かないだろうし、この世界に害となる干渉をすることもないだろう。熱さや寒さを感じないかもしれないし、そもそも死ぬことすらないのかもしれない。


 幽体離脱、それについて考えれば考えるほど、私は悩み、頭を抱える。

 この謎がいつか解明される日が来るのだろうか、その日、私は生きているだろうか。



 未来は曖昧だ。

 だから私は、不明確なこの世界を脅えながら進み続ける。


 真実を見つけるために。

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