最終話 あたりまえを纏って

 「今日は本当に弁当いらないんだよな?」



「うん。寄ってみたい弁当屋があるんだ」



「そうか。いってらっしゃい。気を付けてな」



「いってきます」



 正孝に見送られ、歩は自転車に乗って家を出た。満開の桜の木が、相変わらず人気のない公園を鮮やかに染め上げていた。


 公園を通過するとすぐ校舎が見えてくる。毎日通う高校が家から近いのはありがたかった。


 校門へと続く道に差し掛かると、最近できたこぢんまりとした弁当屋がある。歩はその店の脇に自転車を止めると、奥にいる店員を呼んだ。



「すいません。から揚げ弁当の大盛りを一つ」



「お、いいね。どんどん食って大きくなるんだぞ」



 歩はこらえきれず笑い出した。



「なんだ、どうして笑う」



「いや、違和感がすごくて。まだまだ慣れそうにないな」



「馬鹿にしていると顔に書いてあるぞ。まあ、この弁当を食ったら二度とそんな口は利けなくなるがな」



「どうして?」



「美味すぎて」



 歩はさっさと弁当を受け取り、自転車にまたがった。



「おい!なんとか言え!」



「まだ食ってないのになんとも言えないだろ。まあ、頑張ってね。西郷先生」



「よせよせ。今はもう先生じゃない。前見て走れよ」



 歩は前を向き、ペダルをこぎながら手を振った。


 駐輪場に着くと、周りの視線が気になりだした。



「あいつだよ。あいつ」



「別に普通じゃん。なんであいつなんだ……」



 男子生徒が口々に話しているのは歩のことだった。小さくため息をつこうとした次の瞬間、後ろから肩を勢いよく叩かれた。



「おはよう。歩君」



「おはようございます。あの……あんまり僕といないほうがいいんじゃないですか?」



「どうしてよ。私といるの嫌なの?」



「いや、そうではなくて」



 校舎に掲げられた垂れ幕には、黒杉侑子の名前があった。絵画のコンクールで、なにやら凄い賞を取ったらしい。


 歩の反応を見て面白そうに笑う侑子は、今日も数多の生徒の視線を釘づけにしていた。



「侑子先輩!おはようございます!」



「おお、歩君の友達!おはよう」



「先輩、そろそろ僕のことも名前で呼んでくださいよ」



 元気は露骨に落ち込んで見せた。右手には信じられないくらい大きな弁当箱を持っていた。


 元気は何か思い出したように顔を上げて、こちらを見た。



「そういえばお二人さん。さっき正門に生徒が群がってたけど何か知ってる?」



「私たち自転車通学だから、裏から学校に入るの。だから知らないな。何かあったのかな?」



「行ってみましょう」



 元気は弁当が食べたいからと言ってそそくさと教室に向かってしまった。歩と侑子は、校舎へ入ろうとする生徒の流れに逆らって正門まで歩いた。


 始業時間が近づいていたが、まだ生徒がたくさん群がっていた。何があるのか気になる二人は人だかりをかき分けようとしたが、その必要がないことに気が付いた。


 正門の上を見ると、真っ白な猫が座っていた。春の暖かな光を受けてキラキラと輝いているようだった。


 猫はふと、視線を下に落とした。目が合っているような気がして、歩はその水晶のように美しい瞳をじっと見た。


 しばらくして猫は視線を上へと戻し、大きな声で鳴いた。まるで笑っているような、可愛らしい顔だった。

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泣けない少年と猫 蟻月 一二三 @tngtsht

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