第4話 からかい
白い猫との出会い以降、歩は学校に通っていた。というのも、近頃歩は少し奇妙な体験をしていた。
校内ですれ違う生徒や教師たちが、歩を見ないのである。日頃から問題も起こさず平凡に学校へ通う者たちには理解できないだろうが、歩ともなれば、廊下を歩くだけですれ違う生徒や教師たちが、ジロジロと全身を舐め回すように見るのである。もちろんそれは良い意味の目線ではなかった。自分で蒔いた種とはいえ、歩にとってはとてもストレスだった。
だがあの猫と出会って以降、そういったことがなくなったのである。学校だけではない。毎晩怒鳴り散らしていた叔父も怒らなくなった。家に帰ると一言、「おかえり」と言うのだ。
かなり気味が悪かった。そもそも、あの猫と出会ったことがきっかけなのかどうかも定かではない。だが、長らく忘れていた普通の生活の感覚をわずかながらではあるが思い出し、懐かしい気持ちになった。そして、懐かしさとともに寂しさの波が押し寄せてきて、一限目の始まりを告げるチャイムとともに机に顔を伏せた。
長い一日の最後のチャイムが鳴ってからしばらく待って、重たい頭をゆっくり上げると、教室にいる生徒が全員帰ろうともせずにこちらを凝視していた。歩は、やはり気のせいだったと鼻で笑った。先日見た白い猫もきっと夢だったに違いない。小さくため息をつき、これまた重たい腰をゆっくり上げた時、後ろから声がした。
「歩君。久しぶりだね」
振り返るとそこには、学校のマドンナこと、黒杉侑子の姿があった。どうやらクラスの生徒たちは歩ではなく後ろに立つ侑子を見ていたらしい。「どうして侑子先輩が飼鳥なんかに話しかけてるんだ」と不審がる生徒たち。だが彼らには目もくれず、侑子は話を続けた。
「突然なんだけど、今日一緒に帰らない?最近不審者とか多いじゃん。一人じゃ心細くて」
姉の葬式以降、彼女とは一言も話していない。突然の誘いに困惑したが、歩の答えは意外だった。
「いいですよ」
クラスはざわついた。一人の男子生徒が早馬のように隣のクラスへ走り出す。数日後、尾ひれの付いた噂が学校中を泳ぎ回ることになるのは目に見えているが、歩にとってそんなことはどうでもいいことだった。ほんのわずかではあるが、変化しつつある日常。もしかしたら昔のように戻れるかもしれない。そんな微かな期待が、歩を動かしていた。
「すっかり寒くなったね。日が落ちるのも早いし。私冷え性だから困るんだよね」
何気ない会話を敢えて選んでいるのが歩には分かった。そのまま話の流れに身を任せてもよかったが、待ちきれずに聞いてしまった。
「何があったんすか。いきなり話しかけてくるなんて」
侑子は少し黙った後、まだ言いたくないというような意味合いなのだろうか、話をそらした。
「やっぱり普通に話せるじゃん。いや、ごめんね。噂では、言葉が通じない怖い生き物みたいに言われてるからさ。所詮噂だよね。直接話したことない人ほどそういうこと言いたがるから」
どう返事を返せばいいか分からず言葉を選んでいると、先程の問いかけに対しての回答が来た。
「どうして話しかけたのか……だよね。話してあげたいんだけど……ちょっと恥ずかしいんだよね。自分でもまだ頭の整理ができてなくて。からかわないって約束して!その約束を守ってくれたら話してあげる」
どういうことか全く理解できなかったが、歩は二つ返事で了承した。侑子は少し緊張したような面持ちで話出した。
「……実はね、私、桜子に会ったの」
◇
歩はしばらく何も言わずにいたが、小さくため息をついた。
「何かと思ったら、からかってるのはそっちじゃないですか」
侑子は慌てて否定する。
「からかってなんかない!そりゃ信じてもらえなくて当然だけど、これは本当なの!断じて嘘は言ってないよ!とりあえず、そこの公園にでも座って話そう」
公園に入ると、良く腰掛けるブランコが見える。歩は先日出会った白い猫を思い出した。もしかすると、侑子もあのようなファンタジーな経験をしたのだろうか。もしそうなら、自分が経験してしまった以上頭ごなしに否定はできない。歩は珍しく大人な考え方で自分を納得させ、少し前を歩く侑子の後をついて行った。
二人でベンチに腰掛けると、侑子は歩を指さして言った。
「今歩君が座っているそこに、桜子が現れたの」
否定したい気持ちをぐっとこらえ、侑子に質問した。
「どんな感じでした?姿とか。昔のままなんですか?」
侑子は苦笑いしながら、恥ずかしそうに言った。
「またからかってるって思われるかもしれないけど……人間の姿じゃなかったわ。猫だったの。白くて小さい猫。私その日は凄く気持ちが辛くて、家に帰らずこのベンチに座ってたの。そしたら突然隣に現れて話し出したの。見た目は猫だったけど、声とか話し方は桜子そのものだった。久しぶりに声を聞いたら安心して泣いちゃってさ」
歩は言葉を失った。彼女もあの白い猫に会っていた。だが、歩が出会ったのは幼い子どものような声の猫。姉の声を発したという猫とは別の猫なのだろうか。
歩は、自分も同じような経験をしたということは言わずに話を聞いた。
「たくさん話したよ。何度も泣く私を、桜子らしく励ましてくれてさ。おかげで元気になったよ。真っ暗だった自分の将来も、少し明るくなったような気がする。君のお姉ちゃんは凄い人だよ」
「……そうですね」
歩は生前の姉を思い出した。侑子をチアガールのように一生懸命励ます姿が容易に想像できて、少しおかしくなった。
「桜子、歩君のことが心配だって言ってた。会いに行けばいいじゃないって言ったんだけど、それはできないらしいの。だから代わりに、歩君に話しかけてあげてほしいって。あの子本当はすごく寂しがりやだから!って言ってたわ」
その言葉を聞いた瞬間、歩は拍子抜けしたように言った。
「なんだそれ!会いに来れないにしても、何かメッセージとか残せるだろ。ていうか、俺は寂しがりやじゃない!あのバカ姉貴」
顔を少し赤くした歩を見て、侑子は少し安心したように笑った。
「でも、会いに来れないっていうのはどういうことなんだ?」
歩が独り言のように言うと、侑子がそのことについて説明した。
「会いに行けるのは家族の中で一人だけって決まってるって言ってたわ。でも、その一人を譲ったから会いには来れないらしいのよ」
それを聞いた歩の心臓は鼓動を早めた。ということは近いうち、死んだ家族のうちの誰かが、猫か何かの姿をして会いに来るかもしれないということなのだろうか。
考え込む歩に、侑子は優しく話しかけた。
「歩君。突然呼び出したりしてごめんね。でも、久しぶりに話せてよかった。小学生の頃は、よく桜子と三人で遊んでたんだけどね。中学に入学してきた歩君を見たとき、もっと早く話しかけておけばよかった。私は、何もかも嫌になって塞ぎ込んじゃって……。一番つらいのは歩君なのにね」
「謝らないでください。侑子さんも元気になったみたいだし。俺も、……話せてよかったです。」
話し方もテンションも全く異なるが、内に秘めているであろうやさしさに、侑子は歩に桜子の姿を重ね合わせた。
「ところで、その猫はどこに行ったんですか?」
「突然消えちゃったの。歩君に話しかけてあげてって言った後に」
歩は、自分が白い猫と出会った時のことを思い出した。
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