夜の乙女の婚約【前篇】
「ヒカリにもさっさと婚約してもらおうと思う」
王太子殿下の執務室に呼び出され、何かと思えばそんなことを言い放たれた。
バンフィールド公爵家を目の敵にする貴族たちが、あたしと殿下を婚約させようとしていることは知っている。でも、殿下があーちゃんとの結婚式を強行する算段をつけているのもまた、知っていた。
「あたしが婚約しなくても、うまく収まりそうなんじゃないんですか?」
遠回しに拒絶してみる。だって、政略結婚とかやだし。ウォルターさんにアタックすらしていないのに諦めるとかないし。
きっと予想通りの反応だったのだろう。殿下は薄く笑いながら、あたしの問いに答えを返した。
「その通りではある」
「それなら婚約はナシがいいです」
「受けた方がいい話だと思うが?」
悪戯っぽく笑う殿下。あーちゃんとの仲をおちょくった仕返しだろうか。誕生日プレゼントを考えるのにも協力したし、その髪飾りを使って粋な感じに仲を取り持ったんだから、もうチャラでよくない?
「……殿下、意地悪じゃないです?」
「さてな。勿論、ヒカリの意思は尊重する。嫌なら婚約はなしだ」
「じゃあ、」
「話だけでも聞くことを勧める。僕は忠告した。断るなら好きにするといい」
突き放されると逆に縋りたくなるのは人の性なんだろうなあ。
ずっと嫌な笑顔を浮かべている殿下が、癪に障らないではない。けれど、話も聞かずに断って、何か不利益があったら?
話くらいは聞かなきゃ損かなって、悔しいけど思ってしまった。
「殿下がそんなにおっしゃるなら、しょうがないから聞いてさしあげますよ」
悔しくて“慇懃無礼”というやつをやってみたけれど、相手が王族では無礼になりようがないみたい。殿下は声色でこちらの意図を察したらしいのに、全く気にとめなかった様子だった。
嫌みの応酬は向こうに一日どころかってくらいの長があるわけで、きっと気にしたら負けなんだ……。
「ヒカリなら聞くだろうと思っていた。ブレット」
「はい、ラッセル殿下」
死角から現れたのは、割と最近目にした顔。第一大蔵卿補佐のブレット・パーキンズ様、というらしい。前回は必要なさそうだったため、今初めてステータスを確認する。おっと、“侯爵家の次男”だって?
「ブレット様があたしのお相手ですか?」
「それは早とちりというものですよ、ヒカリ様」
「パーキンズ家との婚約という点では正解だがな。結果はあとで知らせてくれ、ブレット」
「殿下の仰せのままに。では、ヒカリ様。場所を移したいので、お付き合いいただけますか?」
「はぁ……」
生返事になってしまったけれど大目に見てもらいたい。だって訳も分からず振り回されてるんだよ? はっきりしろって方が無理じゃない?
とりあえず、ブレット様のエスコートに従って殿下の執務室を出た。
しばらく宮殿に住まわせてもらっているけれど、当然ながら政治関連の区画にはなかなか立ち入らない。あまり覚えのない道を進んでいった。
しばらくして辿り着いたのは、これまた数日前に見た覚えのある事務室。
「閣下、ブレットがヒカリ様をお連れして戻りました」
ブレット様はノックと共に声を掛けて、返答も待たず扉を開けてしまった。せっかちさんか?
中の公爵様も別段気にしていない様子。この主従、ちょっとよく分かんない。そもそも主従って言うのは違うのかな?
「よくいらっしゃいました、ヒカリ嬢。先日は娘が世話になったようで。私は今から議会で出ますが、どうぞお寛ぎください。では」
「こっこちらこそありがとうございました!」
慌ただしく部屋を出ようとする公爵様に、こちらも慌てて頭を下げた。目礼して去っていく公爵様、かっこいい。流石はあーちゃんのお父様だ。
突然の親御さんとの鉢合わせに、一瞬、状況が頭から飛んでしまっていた。婚約話を思い出してブレット様に向き直る。
「ヒカリ様、どうぞこちらへお掛けください。お茶をご用意いたしますので」
その声に従って腰を落ち着けた。私の椅子を押してくれたあと、対面にブレット様が着席する。
この前は事務所に他の人がいなかったからブレット様がお茶を入れてくれただけなのかな? 議会のトップがひとりしか補佐を持たないっていうのも変だけど、あーちゃんのお父様が補佐をいっぱい引き連れているのも違和感があるなあ。
そんなことをつらつら考えていたら、簡易キッチンの方から人の気配が近付いてきた。
「お待たせいたしました」
「えっ? あ、の……えぇ??」
「ご紹介いたします。ヒカリ様の婚約者候補、ウォルター・パーキンズでございます」
びっくりしすぎて声も出ない。ちょっと待った、ストップ。むりむりむり。
キャパオーバーを起こして、慌ててポーズした。ゲームの世界だからか、ステータスを見られる以外にもポーズ――中断とか一時停止とかそんな感じのゲームのあれ――が出来るのだ。
やり方も、コントローラーがあるわけじゃなし、考えるだけ。あら簡単。キャラクターを動かしているわけじゃないから、自分の体ごと時間が止まってしまうのだけど。
動けなくても、考えることは出来るしステータスも確認できる。
みっつ数えて心を落ち着けた。意を決して、ウォルターさんのステータスを開く。
以前にはなかったはずの名字が追加されていた。間違いなく“ウォルター・パーキンズ”と表示されている。備考欄にあたるところに“パーキンズ家の養子”という記載も確認できた。
だがしかしダカスコス、理解はまったく追いつかない。ところで、語感だけで言ってみたけどダカスコスって何?
やだ、全然落ち着けてないじゃん。もう一回。いち、にい、さん。
よし、ちょっと落ち着いた。この状況について考えてみよう。
この国では、夜の乙女には国家予算がつく。宮殿でお世話になっている間は専属の付き人をつけてもらえて、その人がお金を管理してくれていた。ゲームの中だと、養子になった夜の乙女はその家の当主にお金の管理をしてもらっていたはず。
世界が違うわけだから、金銭的な事情も違うのは当然。右も左も分からない人間に大きなお金を渡すわけにはいかないのだから、付き人や当主が代理で管理するのは別におかしなことではないと思う。
そう思うけど、どうしても“オショクジケン”的な想像が過ってしまうのは仕方なくない?
え? 横領っていうんだよって? 知ってて言ってんの! って、そんなことはどうでもいいんだってば。時間にだけは余裕があるからか、どうにも余計なことを考えてしまいがちだなあ。反省。
たかだか18歳の女子高生が思うんだもん、国民の中でも横領を疑う人の方が多いらしい。
そのため、夜の乙女に関する会計は細かに記録されて、申請すれば誰でも閲覧ができるような体制が整っていた。プライバシーも何もない。
という訳では決してなく、ショーツとかなんか“夜の乙女が人に知られたくないもの”は「生活必需品」とか表記されるんだって。宮殿の付き人さんに、転移早々、聞き取り調査をされた記憶がある。
あたしの回答を五十音順でリスト化して、毎月の会計報告書に適用してくれていた。「新たに“知られたくないもの”を思い付きましたらお知らせください」とも言われている。
そもそも横領がどうのって話からいらない? いや、要る。(反語)
会計報告書を細かく提出させるのだから、その労働の対価はあって然るべきでしょう。
というわけで、宮殿の勤め人には昇給という形で、養家には補助金という形で、それが支払われることになっていた。
そう、養家にお金はちゃんと入るのだ。これ重要。
話は少し逸れるけれど、夜の乙女として召喚されるのは、いわゆる“人格者”らしい。具体的には、“希死念慮ないし逃避願望が強い”“慎ましい”“順応性が高い”人物。
異世界に無理矢理連れてくるんだもん。それを喜ぶような人を選ばないと、協力は取り付けにくいよね。遠慮深いのは人格者って捉え方であってるでしょ。異論は認めない。あと、異世界そのものを受け入れてもらうためには適応能力がなくっちゃ。
というわけで、みっつの条件付けの元、召喚が行われるんだって。
あっ! 今“慎ましい”に関して、誰か鼻で笑ったな!? 王太子夫婦――いや、結婚はまだだけどもっ――のキューピッド、光ちゃんを! しかも、ステータス確認能力でスパイを見つけ出して、隣国との戦争を回避させた、この光ちゃんを!! 嗤ったな?!
あたしちゃんと、この国救ってるんだからっ! 陛下に対して、しっかり慎ましくしてるんだからー!!
いかんいかん、また脱線してしまった。
ともかく、歴代の夜の乙女たちは極端に買い控えをする傾向にあったらしく、それを補填する意味合いもあって補助金は支給されているらしい。
そりゃあね、これは税金だって言われたら軽々しく物買えないよ……光ちゃんも何か買う気になれなかったよ……。「戦争が起こっていたら、ヒカリを一生養う額の何倍も費用が掛かった」とか言われても庶民には受け入れがたいって。
皇家の方々ってこんなストレスと闘っていたのかな……日本にいた頃、もっと敬っておけば良かったな。
……閑話休題。今度こそもう脱線しないんだから。
ともかく、夜の乙女を家族に迎えたところは国から補助金が下りるわけだ。それは養子入りだけでなく、嫁入りした場合も同じこと。
高位貴族でも財政難に陥ることはままある、らしい。
補助金目当てにウォルターさんを抱え込んだ、というところなのかな。
でも、バンフィールド家への忠誠心が強いウォルターさんをどうやって抱き込んだんだろう……?
色々考えているうちに大分落ち着いたしね。答えは本人に聞いてみようかな。
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