悪役令嬢の行方

 バンフィールド兄妹のやりとりに、ほかの面子は小首をかしげている。公爵家が情報源だと言った光も、ここに王族がいるのになぜ次期公爵に白羽の矢が立つのかと不思議に思っていた。


「アビゲイルは僕に何を言わせたいのかな?」

「馬車での思わせぶりな発言、わたくしが忘れるとお思いになったのかしら?」


 同じ馬車に乗っていたはずの使用人ふたりだが、ザラの方はアビゲイルの言葉に心当たりがあるような顔をしたものの、ウォルターの方はまだ首をひねっている。

 最も、ウォルターが得心した顔をしていたところで、王太子と親友を置き去りにする話運びをアビゲイルが良しとするわけはないのだが。


「お兄様は、わたくしとウォルターが結婚したという話を聞いて『僕手の出しようがない』と仰いましたわ」


 ここまで言えば思い出せもするし、馬車にいなかった者に話が分かるようにもなる。ウォルターはすっきりした顔をしていたし、ラッセルと光は発言の内容が分かって納得したような表情になった。

 当のフランシスは満足そうな、それでいて意地の悪い笑みでアビゲイルを見つめている。


「お父様になら手の出しようがあるのでは?」


 アビゲイルが核心を突いた。やはりフランシスは意地悪く笑っている。


「正解だよ、アビゲイル。さすが僕の妹だ」

「……そういうところですわよ、お兄様」

「どういうところだろうね? 聞かずにおくよ」


 明らかに知っていながら煽るような発言をするフランシスに、アビゲイルは品を損なわない程度の溜め息で以て抗議した。受け入れられないとは分かっていても、抗議くらいは許されると思う。

 アビゲイルを真っ当に思いやれるラッセルとザラもまた、抗議の意を込めてフランシスに視線を送っていた。

 最初から喋っていればアビゲイルの心労は何割か軽くなっただろうに、この兄は妹に挑まれることや妹を困らせることを好む。アビゲイルが純粋に兄を慕えないのも無理のないことと言わざるを得ない。


「それで、バンフィールド公爵に何を願えばアビゲイルの結婚は無効になる?」


 フランシスが当事者になり、進行役を引き継いだのはラッセルだった。

 全員の視線がフランシスに集まる。アビゲイルに看破されることが目的だったらしいフランシスは、それ以上勿体をつけるつもりはなかったようであっさりと話し始めた。


「通常の結婚と似たような手順ですよ。結婚した本人たちと貴族家の当主が揃って、手続きをおこなった教会を訪ねればいいのです。あとは司祭様が計らってくれますから」

「えっ! そんな簡単なんですか!? 駆け落ち応援の制度じゃないの?」


 最後の一言はほとんど独り言だったが、誰もが感じた疑問を作法のしがらみなどない光が素直に尋ねる。

 想定内の質問に、本心の読めない笑みをたたえながらフランシスは淀みなく答えた。


「簡単でしょうか? これは切迫した貴族家のための救済措置ではありますが、基本的に教会は“愛”の味方です。そのため、結婚取り消し手続きは3ヶ月が期限とされている。その期限内にふたりを見つけ出し、家のために別れるよう説得して教会に連れて行く……これでも簡単に聞こえますか?」


 笑顔のままだが、この場にいる全員がなんとなくでも感じ取れるほどにはフランシスの機嫌が悪化している。アビゲイルが駆け落ちした場合のことを考えてしまったらしかった。

 何も考えず質問してしまった光が、少々後悔しながらフランシスに返答する。


「あ、イエ……そうですね、本当なら好き合って結婚するんですもんね。今回の件が特殊なだけで……」

「お分かりいただけたなら結構です」


 何事もなかったかのように話を切り上げたフランシスに、光が胸をなで下ろした。フランシスには下手に絡まないと心に誓う。

 一方で、家族なだけ(というよりもフランシスに溺愛されているだけ)にフランシスの不機嫌を怖いものと思っていないアビゲイルが、重ねて疑問を投げかけた。


「なぜお兄様はそのことをご存知なのかしら?」

「爵位の高い貴族家が政略結婚に失敗すると、国に不利益が生じる場合もあるからね。公爵家には知らされているんじゃないかな? 僕が知っているのは偶然だね。父上の手伝いをしていると、そういう秘密文書が読める機会もたまには来るから」

「それは盗み見の告白ととっていいのか、フランシス?」


 アビゲイルとの結婚を少しでも穏便に迅速に進めたいラッセルが、フランシスの弱みを握ることが出来るのではと口を挟む。

 当然、フランシスがそんな失態を犯すわけはなかった。


「バンフィールド公爵は第一大蔵卿の政務で多忙でして。公爵代理として僕が当主の業務を行うのは、公然の事実となっておりますが」

「……そうか。王家への忠誠を疑ったわけではない。許せ、フランシス」

「国のため貴族をまとめるのも王族の役割。責務を果たそうとなさった殿下を尊敬いたします」


 笑顔でやり合う王太子と次期公爵の背景に暗雲が見える気がする。藪から蛇を出すような真似をする者がいるはずもなく、沈黙が場を支配するかと思われた。

 しかし、重い空気は一瞬で霧散する。ラッセルがアビゲイルに向き直り、話題を戻したのだった。


「ところでアビゲイル、公爵さえ同行してくれればすぐにでも結婚が解消出来るようだが」

「はい。しかし、父の手が空くかどうか……」

「では、共に宮殿へ向かおうか。ウォルターも同席できるな?」

「もっもちろんでございます、殿下!」


 本来なら王族と口を利く機会などないウォルターが、声をひっくり返しながら答える。そのやりとりをザラが切ない瞳で眺めていた。そんなザラを、アビゲイルも気にかけているようである。


「公爵令嬢に専属の付き人もなしというのはな。同行を許可しよう、ザラ」

「ラッセル殿下……! 誠に有難う存じます」


 警備の面では王太子と共にある時点で十全であるが、気持ちの面ではそうはいかない。素直にアビゲイルを大切に出来るラッセルは、高位の者として当然の気遣いを見せた。

 ザラが深々と頭を下げ、アビゲイルはまたしてもラッセルの器に感じ入って呆然としている。ザラの様子を確認して、はっとしたように口を開いた。


「わたくしからもお礼を申し上げますわ、ラッセル殿下」

「気にする必要はない。では、4人で馬車へ乗り込もうか」

「ラッセル殿下、あたしのこと忘れてません?」


 話がまとまりかけていたところに、光が割って入る。

 当然だが、転移者に家はない。

 転移者の召喚は一世紀にひとり以下でなければ成功しないと言われていた。使わない期間の方が長いのに“夜の乙女”用の住居を用意するのは、非効率極まりない。現実的な対応策として“結婚や養子縁組などで住まいが決まるまで、宮殿の客間を仮の住まいとする”というところに落ち着いた。

 つまり、現在の光の住居は宮殿である。そこから、警備の面からも都合がいいため王太子と同じ馬車を使って学園に来ていたのだった。

 細身の女性が3人とはいえ、馬車に5人で乗るものではない。


「どうせ同じ方向なのです。来たときと同じように馬車を使えばよろしいのではありませんか」


 フランシスから至極真っ当な提案があがった。バンフィールド公爵邸と宮殿は目と鼻の先である。正当性は十分にあった。

 しかし、ラッセルがそれを快く受け入れるはずもない。折角アビゲイルと同乗できる機会なのだ、なんとしても譲れなかった。

 アビゲイル争奪戦の開始である。


「では、フランシス。ウォルターとザラを宮殿まで送り届けてくれないか」

「お言葉ですが殿下、アビゲイルとザラを引き離しては意味がないのではありませんか? やはり、公爵家の者は公爵家の馬車を使うのが収まりがいいかと」

「ちょぉっといいですか!?」


 フランシスには下手に絡まないと誓ったはずの光がふたりの間に入った。内心少し泣きそうである。

 しかし、これも親友のため、あとは少しだけ王太子のため。光の扱いがぞんざいな部分もあるが、曲がりなりにも普段お世話になっているからして。

 急な光の横やりに、ラッセルは素直に怪訝そうな顔を向けてくるが、フランシスは笑顔である。やはり怖い。だがしかし、後戻りも出来ないので、光は腹をくくってそのまま話し出した。


「ええっと、今回こんな騒ぎになったのは、婚約者のふたりに誤解があったからですよね? 殿下とあたしが、その、恋人同士……っていうアビゲイル様の誤解が。それって婚約者としてだめだと思うんです。っていうか悲しいことだと思いません? 結婚を約束した相手に恋人がいるって誤解するなんて。だから、今後のためにも話し合う時間が必要だと思うんですけど……」


 フランシスに突っ込まれるのが怖くて、意図せず普段より丁寧な話運びになる光。思わぬ援護にラッセルは目を丸くしているし、アビゲイルも驚いているように光は感じた。肝心のフランシスの方は、怖すぎて見られない。


「……いいでしょう。ヒカリ嬢に伺いたいこともありますし」


 思いのほかあっさりと引いたフランシスに拍子抜けしたが、続いた言葉に光の顔から血の気が引いた。

 だが、アビゲイルが光に抱きついたことで、その場にいた者が皆それどころではなくなる。


「ひーちゃん、心から感謝していますわ」


 光だけに聞こえるようにアビゲイルが囁いた。すぐに体を離し、フランシスに向かい合う。


「ヒカリ様がひどい目にあったら、お兄様と口がきけなくなってしまうかもしれませんわ」

「それは恐ろしい。安全な道中を保証しますよ、ヒカリ嬢」


 釘を刺すように言葉を発したアビゲイルに、フランシスが困ったような笑みで応えた。そのまま光に手を差し伸べ、華麗なエスコートで出口へと向かう。

 ウォルターとザラもその後に続いた。ザラのさみしげな様子に気づくことが出来たのはウォルターだけである。気づけたからといって、どうしようもなかったのだが。


 隠しきれない嬉しさで頬を染めたアビゲイルに、ラッセルが優しく手を差し出す。その手に自らの手を重ね、エスコートされるまま馬車に向かうアビゲイルは、ほんのわずかだが甘く微笑んでいた。

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