悪役令嬢の断罪

「わたくしに何か?」


 展開を知っているために少々白々しい声音になってしまったかもしれない。それがかんに障ったのか、第二大蔵卿の長子であるザカリアス・ヤードリーはその赤い瞳で鋭くアビゲイルを睨め付けた。後ろにかっちり撫でつけられた紫の髪は、いつ見ても窮屈そうである。

 ゲームでの糾弾役は王太子だった気がするのだが、光が何か言ったのだろうか。ラッセルは口を開く素振りもないが、何を考えているのかも分からない。


「アビゲイル・バンフィールド嬢、あなたに夜の乙女ヒカリ嬢に対する傷害の嫌疑がかかっている」


 聞き覚えのある台詞が違う声で耳に届いた。やはり、本来ならラッセルが糾弾するところをザカリアスに取って代わられたらしい。本人たちの心持ちが分からないので“取って代わられた”という表現が正確かは分からないが。


「心当たりが御座いませんわ。わたくしが何をしたと仰るのかしら」


 アビゲイルは自らに演技の才のないことをよく自覚していた。だが、アビゲイルという人間がそもそも表情に乏しく、淡々とした口調が常という人種である。棒読みしておけば普段通りに聞こえる罠。

 事実、ザカリアスが違和感を覚えた様子はない。


「ヒカリ嬢の持ち物が紛失することや、破損していることがあった。更には、ヒカリ嬢自身に、わずかとはいえ傷がつくようなことも」


 ゲームプレイ時にも持って回った表現だな、コンプライアンスにうるさい社会だからかな、などと考えたことを思い出したアビゲイルだが、とどのつまり、よくある“いじめ”を“親友”が受けたのだと認識して頭に血が上った。“ヒロイン”としてゲームに興じているときは、現実になんの影響もないため当然気にもしなかったが、親友が被害者となれば話は変わる。小さくたって傷は痛いし、そもそもいじめ、ダメ。ゼッタイ。という舌の根の乾かぬうちに、アビゲイルは真犯人に同じ痛みを味わわせてやりたい衝動に駆られたのだった。


 とはいえ、そこは公爵令嬢。そもそも感情を表には出さず、すぐに気持ちを抑え込んだため、誰にも気付かれはしなかっただろう。


 ――ゲームでは主犯のアビゲイルを卒業パーティーで断罪して“見せしめ”にすることで、ヒロインへの嫌がらせは全て無くなったことになっていましたわね。それならば、まあいいですわ。真犯人が裁かれないのは腑に落ちませんが、光が無事なら見逃して差し上げます。スケープゴートを失ってはヒロインに手も出せなくなるような小物、相手にする価値もありませんわ。


 抑えきれない怒りで心の声が荒ぶってしまったのはご愛敬である。


「お気の毒ですけれど、わたくしには関わりのないことではなくて? 生憎、多忙の身ですから反証には事欠かないと思いますけれど」


 悪役令嬢らしく聞こえるのはどんな言葉か、考えながら口を動かした。あくまで淡々と。演技が出来ないのだからせめて違和感を抱かれないように、声の色は意識して削ぎ落とす。何かを企んでいるのではという不信感さえ抱かせなければ、断罪イベントは順当に進むはず。嘘を吐く必要はないのだ。気負いすぎない方が上手くいくだろう。


 失敗は出来ない緊張感に跳ねまわる心臓を必死になだめながら、アビゲイルはザカリアスの言葉を待った。


「実行犯から指示を出したのはアビゲイル嬢だという証言を取った。加えて、その現場を見たという第三者の目撃証言もある。アビゲイル嬢、言い逃れは出来ませんよ」


 冤罪をふっかけておいて言い逃れとは、というつっこみを思い切り飲み下す。冤罪のおかげで嫌がらせもヒロインと王太子の仲も丸く収まるのだ。煮え切らない思いがないではないが、断罪されると決めたのはアビゲイル自身である。光のために不名誉を引き受ける覚悟を固めてきたのではなかったか。


「言い逃れているつもりはないのですけれど……その第三者とは信用に足る方なのですか」

「詳細は伏せますが、もちろん信用度の高い方ですよ。学園で教鞭を執っておられるのですから」


 教師を抱き込んだのか。賄賂か脅迫か、はたまた何も知らないまま利用されているのか。どれにしても救われない。とは言ったところで、人の心配をしていられるほどアビゲイルに余裕があるわけではなかった。


 さて、どこで折れたものか。あまり抵抗もしないでは不信感を持たれかねない。あちらはアビゲイルを陥れようとしているのだから準備も周到だろうし、細心の注意を払ってもいるだろう。アビゲイルに罪を着せようとしたことが公になれば、ザカリアスの方が虚偽告訴の罪に問われるのだから慎重になるのは当然である。


 正直、アビゲイルとしては早々に断罪されてしまいたかったのだが、失敗しては元も子もない。胃は痛いが、念のためもう少し粘ることにした。


「では、そもそも実行犯とはどなたですの。わたくし本当に存じ上げませんわ」

「白々しい。あなたが仲良くしていたマクラウド侯爵令嬢ですよ」


 アビゲイルに仲の良い相手がいるなんて初耳である。シャーロット・マクラウド侯爵令嬢はアビゲイルとタイプの近い人間で、確かに他のご令嬢よりは口を利く回数が多かったかもしれない。だが、それだけで巻き込まれたのであれば彼女もとんだ巻き添えである。


 また他人の心配をしていたことに気付き、アビゲイルは自省した。事が事だからか、どうにもあれもこれもと心配になってしまうようだ。自分のことに集中しなければ、親友の幸せを壊しかねないというのに。


「わたくしとしては、特別親しくしていたつもりはないのですけれど」

「用済みの人間は切り捨てるのですか。噂通り冷血な方だ」


 そう来るだろうと読める返しではあったものの、実際これが最も効果的に「アビゲイルが犯人だ」と思わせる方法だっただろう。

 アビゲイルは気品を損なわない仕草を意識して辺りを確認した。反駁すればするだけ、立場を悪くしそうな雰囲気が漂っている。


 ――今が好機ですわね。


「ちょっと待ってください」


 断罪を促す言葉を発しようとしたアビゲイルを遮ったのは、他でもない光その人だった。

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