学園の喧騒の中

 遅刻すれば悪目立ちするのは自明の理だが、それだけではないざわめきが広がった。

 なにせ、フランシス・バンフィールド次期公爵は身分も良ければ顔も良い、そして評判まで良い最優良の男性なのだ。そんな逸材が未婚、婚約者も無しとなれば、必然女性たちにとって垂涎の的となる。ライバルの少ない卒業パーティーにその人物が現れたとあって、女生徒たちが色めき立つのも当然というものだった。


 アビゲイルだって悪役令嬢だけあり(少し目元はきついが)間違いなく滅多にお目にかかれない類いの美人である。多くの男子生徒から熱い視線を集めていた。王太子の婚約者ということは周知の事実であるため「高嶺の花を鑑賞する」という雰囲気であって、フランシスの浴びる熱視線とは種類の違うものではあるのだが。


 卒業パーティーは男女ペアで参加する決まりになってはいるものの、パーティー中のダンスについては通常の舞踏会の慣習をなぞり、続けて踊りたければ相手を代えるのが通例となっている。希望の相手を他者に取られてしまった男女が手を組んで、パーティー中に略奪を目論むことも珍しくない。

 望んだペアで来ていたとしても、もっと良い相手とお近づきになれば、元のパートナーなどそっちのけになることもよくある、そんな少々殺伐としたところだった。貴族が集まれば社交の場になってしまうのは当然なのかもしれない。


 ダンスはいわばお見合いの場であるため、バンフィールド兄妹にはダンスに参加する意思はない。そのことは誰が見ても明らかだった。フランシスを狙う女生徒たちが礼を失して近付きすぎないよう注意しながらも、じりじりと距離を詰めてくる。溜め息をこらえつつ、せめて断罪イベントまでは風除けになろうと、アビゲイルはフランシスと会話を試みた。


「相変わらず凄い人気ですのね」

「アビゲイルこそ、視線を集めているのに気付いている?」

「ザラたちの準備したドレスが素敵ですもの」

「そういうことにしておこうか」


 アビゲイルの方から話を振られて、心なしか嬉しそうにフランシスが応じる。そのまま他愛ない会話を続けようとした二人だったが、さながらモーセのごとく人の海を割って現れた人物に口を噤まざるを得なくなった。柔和な金の瞳をまっすぐこちらに向けて、短く揃えられた碧の髪を小さく揺らしながら近付いてくる。


 ――断罪イベントってこんなすぐなの!? 少しくらいパーティー楽しむ余裕くれても良くない?? あんたバカァ?

 アビゲイルの髪と瞳を反対にしたようなその色彩に見惚れる間もなく、教会あたりから大人しくしていたはずの明理がひょっこり顔を出してしまった。心の準備が不十分だったせいだろうが、口の悪さもさることながら台詞の危なさがひどい。これだからオタクは、とか言われるのだ。思考が現実逃避の方向に走り始めるが、責められるいわれはないと思う。一人で何と戦っているのやら……緊張のせいで思考がめちゃくちゃである。


 隣の兄はある意味当然だが平然として、きっちり頭を下げていた。その姿を横目に認めて、アビゲイルが平静を取り戻す。

 身体に染みついたカーツィは内心が荒れていても崩れることはなく、失礼な態度を取らずに済んでいたのは幸いだった。


「久しいね、フランシス。少し席を外してもらっても?」


 敬意を向けられることに慣れた振る舞いで、王太子であるラッセル・オブ・ステュアートがフランシスに声を掛ける。恭しく肯定を返した兄が遠ざかっていく様をなんとはなしに見てしまった。アビゲイルはフランシスがいなくなることに不安を覚えているのだが、嫉妬に曇った思考ではそのことに気がつけない。フランシスの家族愛をまともではないなんて、アビゲイルには言えないのだった。


 去り際、フランシスは笑いかけていた気がする。激励のつもりだろうか。そのままギャラリーの女生徒たちにも笑顔を振り撒き、注意を自分に引きつけていった。王太子とその婚約者、それから夜の乙女が揃って、しかも次期公爵を追い払ってまでなんの話かと大勢が耳をそばだてていたわけだが、フランシスのおかげで女生徒の多くがその場を離れていく。その有能さが憎らしい。


「さて、アビゲイル。きみが遅れるなんて珍しいこともあるものだ」


 学園の催し物であるため身分による縛りが緩めになってはいるが、王族には許されなければ話し掛けられないという絶対のルールは揺るぎない。だからこの王太子はきちんと相手の名前を呼ぶのだ。


 ――そういうところですわ、ラッセル様……。

 王太子の細やかな優しさに胸を衝かれる。思い人に断罪される悲しさがより一層募った気がした。

 アビゲイルが感傷に浸っていたというのに、ここでまた明理が暴走し始める。


 ――ちょっと待った、その台詞ゲームでも言ってなかった?? えっ? 教会行ってないはずのゲームでなんで遅刻してんの? 図らずもシナリオ通りって喜べばいいの? 努力は無駄だったって悲しめばいいの? おしえてえらいひと! 今は私も偉いんだった!


 自己完結したせいか、割合すぐに明理は引っ込んだ。どちらかと言えばライトユーザーだった明理では記憶に限界があったことを痛感したアビゲイルは、もう始まってしまった断罪イベントに気を引き締め直す。


「ラッセル殿下、ご機嫌麗しゅう。ヒカリ様も、ご健勝そうでなによりで御座います。出掛けに少々問題が起こりまして、遅れてしまいましたの」


 下手にゲームをなぞろうとするより、自分らしく返答をした方が不自然にならず、結果シナリオ通りになるだろうと思ってはいた。それでも実際に断罪の場に立ってみると、これまでのどんな出来事よりも緊張するし不安にもなる。“悪役令嬢”の台詞をそのまま読み上げるだけだったならよかったのに、と思ってしまうのも仕方がないだろう。


「そうか。無事パーティーに出席できてよかった」

「お心配りに感謝申し上げます」

「アビゲイル様、少しお顔が青くありませんか?」


 ヒロインの光がアビゲイルを凝視していた。ゲームのシナリオでは、ヒロインは最低限しか台詞がない。こんなところで喋るはずがないのだ。


 ――あんたがシナリオ壊してどうすんの!

 親友につい突っ込んでしまった明理だが、光は基本的によく気の利く子だったから自由に喋れるようになればそんなイレギュラーを起こしてしまうのも自然なことかもしれないと思い直した。


「卒業パーティーのために少々気張りすぎたのかもしれません。不調ではありませんのでお気遣いは結構ですわ」

「それならば本題に入りましょうか」


 痺れを切らしたらしい第二大蔵卿子息が割って入った。光が断罪イベントを妨げるように感じたのかもしれない。

 すでにゲームとは台詞が変わってきているように思われた。それでも、彼がいる限り断罪は必ず行われるだろう。敵が敵故に今は一番信用できた。


 ――ここからが本番。しっかり“悪役令嬢”全うしてみせますわ。

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