公爵家の兄妹

 フランシスはアビゲイルの4つ上の兄である。父似の髪色、瞳の色をしたアビゲイルと違い、母譲りの銀髪と翠の瞳を持つ。その癖、顔は父に瓜二つで、学業においても父譲りの才があるらしく、苦労している姿を見たことがない。


 アビゲイルは努力の人だった。母のことはよく知らないが、顔は生き写しというからおそらく性格も似たところがあるのだろう。

 兄と違い、飛び抜けた記憶力も秀でた理解力もなかったが、成績を保つために人一倍机に向かった自負があるし、婚約後の妃教育でも粛々と努力を重ねてきた。


 努力が実を結ぶほどには生まれ持った能力に恵まれていたのだが、目の前に努力すら必要としない天才がいたのでは劣等感も育とうというものである。加えて、フランシスは処世にも長けていた。感情を表に出さないよう努めた結果、表情がほとんどなくなってしまったアビゲイルに対し、フランシスはとても柔らかな表情で他者に接する。


 だから、アビゲイルはフランシスが苦手だった。なんでも出来るお兄様に劣等感ばかり刺激される。分かっていて煽っている節すらあった。そのくせ、アビゲイルに仇なす者は決して許さず、過干渉なほどに守ろうとするのだ。


「本当にお兄様は質が悪いと思いますわ」


 学園へ向かう馬車の中、ウォルターを板挟みにすることでアビゲイルの口を割ったフランシスに、思いのまま苦々しく告げた。余裕の笑みをたたえるその様に、より一層苦いものが広がる。


「不器用な妹が心配なだけだよ。案の定、無茶をしていたしね……僕には手の出しようがないじゃないか」


 台詞と表情が合っていない気しかしない。悔しさを滲ませれば喜ばれるだけなのは分かりきっているので、いつものようにポーカーフェイスを作った。雄弁は銀、沈黙は金。


「ねえ、アビー? お兄様は味方だって分かっている?」


 口を噤もうとしたアビゲイルに気付いて、フランシスが問いを投げた。幼子に言い聞かせるような口調なのに、揶揄うような色は何処にも見えない。むしろ、どこか寂しそうにも見えた。

 フランシスに愛されていることは、アビゲイルにだって勿論分かっているのだ。ただ少し、嫉妬に目が曇るだけで。


 ――いえ、お兄様の愛情表現がもう少しまともでしたら、きっとこんな反抗的な態度にはなりませんわ。

 内心で小さく言い訳をしつつ、素直になりきれずにしばらく黙り込む。フランシスは返答を急かさないと知っていた。……それが兄に対する甘えだと、本人だけが気付いていない。


「お兄様の愛情は存じております。ですが、わたくしは自力で解決したいのですわ」


 小さな声でアビゲイルが言った。照れているようで、少しばかり頬が赤らんでいる。

 フランシスは溜め息を呑み込んだ。恥ずかしいなら言わないよう話を逸らしてしまえばいいのに、この妹は不器用過ぎる。そう、アビゲイルは真面目過ぎるのだ。社交の術として“はぐらかす”ことは教わっているはずだが、懐に入れた相手には使えないらしい。求められたことには答えなければならない、と責任を感じてしまうように見える。もっと気楽に生きてくれればいいのに。


 その真面目さ故に「平民になる」などという判断を、誰にも相談せずに下してしまったのだ。溜め息を吐きたくもなるが、アビゲイルに聞かれれば傷付けかねないので全部呑み下してやる。結局、ほんのり赤い顔で「存じております」と言ってしまう、馬鹿みたいに生真面目なこの妹が可愛いのだ。


「アビーの可愛さに免じて、口は挟まないと約束しよう」


 ――手を出さないとは言ってないけど。

 小さく消えたフランシスの呟きがアビゲイルの耳に触れることはなかった。


「お兄様が約束を違えない方だということは、よく存じておりますわ。感謝いたします」


 しかし、アビゲイルだって丸18年以上フランシスの妹をやってきたのだ。約束守ってくれるとよく知っていた。

 ――卒業パーティーで口を出されなければ、それでいいの。それさえ確実なら、シナリオはきっと崩れないわ。


 ふと、ゲームでも似たようなやり取りをしたのだろうかと考えた。このおかしな風に過保護な兄が、冤罪をかけられる様を何もせず見ていたなんて違和感しかない。真相はなくした未来に消えてしまったのだから、確認する術などないのだけれど。

 ――ゲームの断罪も、実はお父様とお兄様の掌の上だったんじゃ……。


 考えかけて、やめた。ウォルターを巻き込んだ自身の努力が全くの無意味だったなら、一人滑稽に足掻いていたのだとしたら、恥ずかしくて死んでしまう。


「着いたよ、アビー」


 フランシスの一声で張り詰めた糸のような、危うい均衡を保っていた車内の空気が変わった。一対一で剣を交えていた好敵手同士が、息の合った相棒に早変わりする。

 社交界とは戦場である。公爵子息と公爵令嬢歴戦の猛者たちは、完璧な立ち居振る舞いでその場にいた者の視線を釘付けにしたのだった。

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