王太子と夜の乙女
夜の乙女が夜の乙女たる所以はその髪と瞳である、とは以前にも触れた。では、そもそも何故異世界から少女が召喚され、夜の乙女と敬われるのかといえば、国家の危機を救済してもらうためである。ありがちとしか言い様がない。
月の重力は地球の約6分の1だという。月面で同じ力を用いて跳躍すれば、理論上は地球の6倍の高さまで到達できるということになる。
これと同じことがこの世界でも起こる、というのが学者たちの通説だ。乙女ゲームにそんなディテールは求められていないので、この情報は妃教育の過程で知った。
地球人がこちらに来ると、五感が研ぎ澄まされて超常的な力を発揮することができるというのである。その力の詳細は作中ではぼかされていた。とことんまでヒロインに個性を与えようとしなかった制作陣に、今は恨みすら覚える。
それはともかく、その超常の力で以て国難を排してもらおうとするため、夜の乙女は最重要の国賓として遇されるということだった。
つまりなにが言いたいのかというと、光にはなんらかの特殊な力があるため、それによってこれが冤罪――アビゲイルの用意した茶番劇――だと見破られてしまったのではないかということである。
「ヒカリ嬢……いかがなさったのです?」
怪訝さが隠し切れていないものの、アビゲイルに対するときとは比べものにならない柔らかな声でザカリアスが問うた。
夜の乙女の乱入に、アビゲイルの方は気が気でない。しかし、転移者が持つ超常の力については、王族とそれに近しい者しか知らされない極秘情報ゆえに、ザカリアスに危機感がないのも仕方のないことだった。
「あの、場所を移しませんか? ここはちょっと、人が多すぎますから」
単に光が優しいだけなのか、何かを知っているから耳目を避けたいのか、その言葉だけでは判別がつかない。
いずれにせよ、衆目のあるところで断罪されなければ光の身の安全が保証されないので、その提案に乗るという選択肢はなかった。
光の知っていることがここで露見して、何か不都合があったとしてもだ。
「それはお節介というのではなくて? わたくし、覚悟は決まりましたの。引き延ばしても仕方ありませんから、ここで沙汰をお言いつけくださいまし」
不自然に聞こえただろうか。光に仇なした“悪役令嬢”らしさが出るような言葉を選んだつもりだが、狙い通りに「夜の乙女を憎く思っている」ように聞こえたかは定かでない。
失敗しやしないかと不安は感じていたものの、断罪されなかったときのことなど考えてもみなかった。心のどこかでゲーム通りに話は進むと高を括っていたのだろう。シナリオ通りでないとアビゲイルはもちろんのこと、ウォルターが困る。
流石に王太子本人でなければ婚約破棄を口には出来ないだろうと、アビゲイルは祈るような気持ちでラッセルを見た。
「アビゲイル、あなたがヒカリに危害を加えた首謀者だというなら、僕らの婚約は破棄せざるを得ない。それに加えて、身分も剥奪することになる」
「ラッセル殿下の仰せのままに」
王太子の口からシナリオ通りの台詞が出たことで、アビゲイルは胸を撫で下ろす。丁寧にカーツィをして、その場を去ろうと姿勢を戻したところでまた声がかかった。
「早とちりは感心しないな、アビゲイル。僕は仮定の話をしたんだ。……きみは本当に首謀者なのか?」
最後の呟くように問う声は“王太子”の声音ではなかった気がする。アビゲイルの理解者、ラッセルとしての言葉だろうか。
二人の婚約が決まったのはラッセルが11歳の誕生日を迎えたその日、アビゲイル10歳の時だった。その1年ほど前から、月に一度くらいの頻度で王城を訪れ、ラッセルの学ぶ帝王学を一緒に聞いていた記憶がある。婚約後にはその機会は失われてしまったが、代わりに二人でお茶をするようになった。良好な関係を築くための国王と公爵の計らいだろう。正確には“策略”と言った方が近いかもしれないが。
父親たちの思惑通り、ラッセルとアビゲイルは仲を深めた。幼いながらに己の立場を弁えた二人だから、共感するところが多かったのだろう。
友人というにはおかしな状況だった。なぜなら二人は婚約者だから。けれども婚約者という括りでは、この仲は表せない。だから、二人はお互いに“理解者”と名前を付けたのだった。
つい、昔のことを思い出してしまった。ラッセルが昔のように声を掛けるからだ。
学園に入ってからはお互い忙しく、お茶をすることもなくなった。たかが3年、されど、多感な学生の3年。アビゲイルは恋心を密かに育ててしまったが、ラッセルの方がどうかは分からない。それに心はどうあれ、空いた時間の分の気まずさが募っている。
だが、物思いにふけってしまったし“間”を意識するほどには沈黙してしまった。早く答えなければ不敬にもなってしまう。
「わたくしは『存じ上げません』とずっと申しておりますわ。けれど、証拠は揃っているのでしょう」
ラッセルに誤解されるのはひどく悲しい。けれど、彼の幸せにも繋がるのだ。そう思えば耐えられる。
アビゲイルはザカリアスに目を向けた。“証拠”は彼が示さなければどうにもならない。
「実行犯であるシャーロット・マクラウド嬢の証言を纏めた書類がこちらに御座います」
アビゲイルの視線を受けて、ザカリアスの懐から1枚の書類が引き出された。折りたたまれたままのそれを一瞥して、ラッセルは静止をかけるように手を挙げる。
「それなら必要ない。シャーロット嬢、こちらへ」
王太子の後ろに控えていた護衛のさらに後ろから、件の侯爵令嬢がパーティーらしく華やかなドレスを纏い、桃色の髪を揺らして現れた。その空色の瞳は、感情を読み取らせてはくれない。
「殿下の仰せのままに。皆様、ご機嫌麗しゅう」
これまでの話から罪人であることは確定だと思っていたために、アビゲイルのみならず聴衆も困惑を隠せなかった。アビゲイルは目を見開く程度で済んでいたが、周囲はとかくざわついている。
「シャーロット様、ご機嫌麗しゅう。素敵なドレスですわね」
「なぜあなたがここに居るのだ!」
挨拶を交わそうとしたアビゲイルを遮り、ザカリアスが叫んだ。取り乱さないよう気を配ってはいるようだが、動揺していることは一目瞭然である。
「僕が呼んだからだろう、ザカリアス。これからシャーロット嬢に話を聞くから静かにしているように」
「……殿下の仰せのままに」
釈然としていない顔だが王太子の言は絶対であるため、ザカリアスは口を噤んだ。ざわついていた周囲もつられて口を閉ざし、場に沈黙が広がる。全ての瞳がシャーロットを見ているように思われた。
そんな中、ラッセルがシャーロットに目線で促し、彼女の話が始まる。
「
「僕とヒカリ嬢とで詳細を聞いている。シャーロット嬢は確かに“夜の乙女”を傷付けたが、反省もしているし、動機にも情状酌量の余地があった。なにより、シャーロット嬢は心から謝罪し、ヒカリ嬢がそれを受け入れている。だからこうしてここに居るんだ」
シャーロットの言い方にも、ラッセルの迂遠な脅しにも舌を巻いた。
シャーロットが口にした“曲解”は“虚偽”とはまったくの別物である。罪に問われることはないだろう。加えて、ザカリアス本人ではなく家の名前を出すことで、彼ばかりに非難の目が向くことを避けたのだ。
ラッセルはラッセルで、ヒカリに危害を加えた者がただで許されたわけはないと強調した上で、女子生徒が固まっている方を見回していた。嫌がらせをしていた犯人たちの当たりは付いているのだろう。何人か、一目で判るほど青い顔をしていたので、もしかしたらあとで調べられるかもしれない。
「ザカリアス、これで納得できたかな?」
「……はい、殿下。申し訳ございません」
「間違いは誰にでもある。顔色が良くないから下がるといい」
「お気遣いに感謝申し上げます」
ザカリアスもまた青い顔をしてその場を後にした。後日お咎めがあるかもしれないが、卒業パーティーで名声を傷付けられなかっただけ幸運だったのではないだろうか。
――本当に、なんと慈悲深い方……。
思わずラッセルに惚れ直してしまったアビゲイルは、断罪イベントが失敗しようとしていることに気付けていない。
アビゲイルに向き直ったラッセルが、穏やかな笑みとともに語りかける。
「さて、アビゲイル。きみの疑いは晴れたようだが」
「困りましたわ……婚約が破棄されると思って、わたくし結婚してしまいましたのに」
今度は会場にどよめきが走った。ラッセルは笑顔のまま固まっている。
当のアビゲイルも内心で頭を抱えていた。緊張続きのところ、ラッセルに魅せられて変に気が緩んでしまったのだろうか。言うつもりのなかったことが口をついて出てしまったのだ。どう対処したらいいのか、実は1番混乱しているのはアビゲイルだと思われる。
「だから場所を移そうって言ったのに」
訳知り顔の光だけが平静のまま、小さく溜め息をついていた。
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