第8話
三週間前の金曜日から、毎週金曜日の深夜に彼女は【ニューヨーク】へとやってくるようになった。
たいてい、健全な青少年が外出を禁じられている二二時を過ぎたころにやってくる。
人目のつかない一番奥の席に座る彼女にノートを写させてもらうのが、最近のルーティンだ。といっても、まだ三回だけだけど。
「いや、写してるのは私だからね」
今日も今日とて、ちゃんと条例を守る店舗ならば絶対に女子高生を店内へ案内しないような時間帯にやってきた久米川へ「今日も写させて」とノートを持っていくとしっかり訂正された。
「すみません……」
もう頭が上がらないです。一週間分全授業のノートを写してもらうという、大変面倒くさい作業を押し付けているのだ。ドリンクバーぐらいは奢っておく。スタッフ割を使って。
今夜で四回目。
あの日から一カ月も経つ。薄っすらと蒸し暑かった夜も、本格的に汗ばむ季節となっていた。
薄着に磨きがかかったせいか、久米川の恰好はどんどん危なげになって、目のやり場に困り始めている。
はっきりとした目鼻立ちと、やはりこの時間帯のお客さんにはない若さを持っているので、否が応でも彼女は目立つ。
「最近、お客さん増えたよね」
「そうなんだ。招き猫のおかげで」
「招き猫?」
もちろん、冗談なのだが。
本当の理由は今、君が食べている【ベリーストロベリーバーベリーパフェ】のおかげなことは伏せて、あえて招き猫が救世主の体で話を進めてみる。
「店長がさ、酔っぱらったときに見つけてきたんだ」
「へー、どんなの?」
「これ」
と、スマホで撮った件の招き猫の写真を見せる。
「普通の招き猫じゃん。ちょっと柄が多い気がするけど」
「それもそうなんだけど」
「腕がグルグル回って、大音量で呼び込みしてくれるような奴を期待してたんだけどなぁ」
「煩いだけでしょ」
「そう? 似たようなの使っているところあるよ?」
「スーパーの生鮮売り場とかならね」
「ああ、そうそう。私の家の近くの【ライブ】にも置いてある」
「藤島駅前の?」
「え、なんで知ってるの? 高宮君、私のストーカー?」
「なんでそうなるんだよ!」
久米川はハハハと面白がりながら、半分ぐらいになったパフェをスプーンでかき混ぜながら笑う。
「私も良く使うからさ。もしかしてと思っちゃって」
「僕も使わせてもらっているからね」
「もしかして、家近所だったりする? 中学は違ったよね?」
「家は成海駅の方だよ」
「え、待ってメチャクチャ遠いじゃん。快速で四〇分ぐらいだっけ?」
「自転車だったら一時間半かかるよ」
ちなみに学校の最寄り駅は芥町。藤島駅と成海駅のちょうど中間に位置している。
もっと近くにスーパーぐらいあるでしょ、と言いたげな彼女に「そこが一番安いんだよ」と教えてあげる。毎日バイトしていても、やっぱり食費には気を遣う。切り詰められるところは切り詰めて、椿には、もちろん僕自身も出来る限りの贅沢をしたい。
もっと問い詰められると思って、答えを用意しておいたけれど、「ふーん、毎日バイトしてるもんね」。どうやら満足してくれたらしい。正直、言う必要が無くなってホッとしている。同じクラスの女の子に経済状況を話すのは、情けなくて気が引けたから。
「久米川もスーパーで買い物するんだ」
「家族のご飯、私が管理しているからね」
管理という響きにどことなく冷めた距離を感じるが、言葉の綾みたいなものだろう。詮索するほどでもない。
店前の道路を車が通り過ぎるだけの時間が訪れる。
話すこともなくなったし仕事に戻ろうとしたその時、
「なんかやけに若くない? もしかして高校生?」
「ほんとだ。ダメじゃない? こんな時間にうろついちゃ」
遠い星からやってきた宇宙人みたいな髪色の三人組が、僕らのテーブルを取り囲む。
三人、髪色はバラバラのくせに顔は仲良く真っ赤だ。酔っぱらっている。
──そうだ、質悪く騒いでた連中だ。店長が何回か注意して大人しくなっていたけど、面白いネタ──この時間帯に不似合いな久米川──を見つけて、再びタガが外れたのか。
紫髪のやつが伝票を持っているから、レジへ向かう途中だったのだろう。そのまま大人しく帰ってくれたらよかったのに。
久米川が適当に男たちからの話題を交わすが、それが面白くないのか、酔っぱらった宇宙人もどきの口調にどんどん熱がこもっていく。
「本当は高校生でしょ? いいの、ここで警察呼んだら学校や親にもバレちゃうよ」「そこの彼も同い年ぐらいだけど、さっき注文取ってたよね? 高校生を深夜働かしてるのこの店? ヤバくね?」
どうしよう。良くない方向へ進んでる。周りのお客さんからも注目されている。でも、下手に出て、大事にはしたくない。それこそ、こいつらの思うツボだ。
「ほら、色々面倒になるの嫌だったらさ、俺たちに付き合ってよ」
男の一人が久米川の肩に手を回そうとして「ちょっと!」とようやく声を出すことが出来た。
宇宙人たちが動きを止める。でも、僕の声は特殊な硬化光線銃なんかじゃない。一瞬で彼らはまた動き始める。
激しく、もうなんだか支離滅裂なくせに言語としての形をなんとか保った声が次々と向けられて、情けないことに今度は僕が動きを止めてしまう。
「お待たせ~。どうしたのこの人たち? 友達?」
「え、」
と声の方を向くと、常連のバンドマンたちがギターケースや重たそうなバッグを下げて立っていた。
「お兄さんたちもけっこう楽しそうじゃん」
一人──エンさん──が久米川の横に座る宇宙人の隣に座って、肩を回す。
「なんだよ」と、宇宙人は腕を払い除けようとするが、バンドマンの腕は思いの外太く、強かった。ビクともしないどころか、厚い胸板に押し付けられて、ヘッドロックをかまされる。
バンバンと苦しそうにもがき、エンさんの胸板を叩けば、これがまたいい音を鳴らす。
いよいよ首を絞められた宇宙人の顔色が紫色になり、それを見た他の宇宙人の顔は青くなる。
「ほら、もういけよ」
エンさんが緑髪の宇宙人を床に放り投げる。そこに集まる仲間たち。それを囲む屈強なバンドマンと華奢なバンドマンたち。
酔いが醒めたのか、周囲から白い目を向けられていることに気づいて、そそくさと店を出ていった。
店内が元の他人を気にしない空気へと戻っていく。
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