第7話
「よぉ、来たか高宮!」
「おはようございますって、何してるんですか」
「何って、我が店の救世主の御身体を清めさせていただいているのだよ」
出勤すると、店長はバックヤードのパイプ椅子に腰かけて、招き猫をダスターで磨いていた。
ダスターも、普段僕らが使っているモノよりも数段いいやつだ。
「お客様に見せられない内部映像だ……」
「は? なんのこと?」
「いや、別に」
「そうか。じゃあ、今日も頼むわ」
制服に着替えて、ホールへ出る。
席は満席だ。待ちも五組いる。こんなに忙しいが、ここ最近の店長は煙草と年齢のせいで息切れがする、とほとんど表に出てこない。なにやら咳も多いし。いるだけ邪魔とは言わないが、一度本気で禁煙を考えたほうがいいとも思う。
まだ、一七時。今までのピークタイムにはまだ早い。待ち合わせまでの時間つぶしに使われるような時間帯だ。
客層は大学生ぐらいの若者が多い。さらによく見てみると女性客がほとんどだ。
この辺に女子大でも創立されたのかと思ったけど、もちろんそんなはずもない。
「いやあ、ここまでとはねー」
「田淵さん」
「おはよー、今日はシフトいっしょだったんだねー」
バック前の入り口で、店内の様子を勘違いしていると大学生バイトの田淵さんが声をかけてきた。
帽子に結って押し込まれた茶髪が苦しそうだ。
「ここまでとは?」
「高宮君、これ八番さんに持って行ってー」
「あ、はい」
田淵さんとの会話を切って、カウンターへ商品を取りに行く。
「お待たせしました。ベリーストロベリーバーベリーパフェです」
商品を卓に置いて、「ああ、これか」と納得感を覚える。
下からコーンフレーク。ヨーグルト。ルビーみたいな艶色に砂糖でコーティングされたバーベリーのドライ。ヨーグルト。ブルーベリーソース。これでもかと高く巻き上げられたバニラアイス。その上から絶妙な調節でかけられたベリーソース。
カウンター付近へ戻る僕の背後で、その【ベリーストロベリーバーベリーパフェ】を置いた卓から歓声とシャッター音が上がる。
そんなテンション上がるものなのか……?
カウンター付近で待機している僕に、手を振って卓から帰ってきた田淵さんが横に立った。
「お知合いですか?」
「ううん、名前長いから〝ベリベリベリパフェ〟ですって言って出したらウケちゃって。ちょっと意気投合ー」
「店長に怒られますよ」
「いいのいいの。面白がってくれたんだから。クレームなんかにならないでしょ」
「はぁ」
そういうことでもない気がするのだが。まあ、それぐらいで怒るような店長ではないことは僕も知っている。ちょっと言ってみただけだ。
しかし、
「あんな名前が長いだけのパフェなのに、よく注文出ますね」
「うーん、ユーチューバーが紹介してくれたらしいよ。案件は本社の持ち込みらしいけど」
「ただパフェを食べるだけですよね?」
「そうなんだけどさー。やっぱ人気ある人ってすごいねー」
あとで休憩中、田淵さんから件の動画を見せてもらってけど、なるほど僕でも知っている人だ。ただ、本当に食べて喋っているだけ。感想も美味しいとか、バーベリーのドライフルーツは初めてだとか、当たり障りないことしか言っていない。こんなので何十万と貰えるのだから、楽な仕事である。
「でも、どうしてうちの店に集まるんですか? 来ているお客さんの大学近くにもニューヨークはあるんじゃ」
「いや、ないない。ニューヨークとかマックに比べらたら天然記念物だから」
世界のマクドナルドと比べたら、全てがそうなのでは?
「ま、その辺にニューヨークがないから自然にうちに集まってるってことでしょ」
「待て待て。この盛況は広報部のおかげじゃないぞ」
「あ、店長」
バックヤード兼休憩室に入ってきた店長は、そのままドカッとパイプ椅子に腰を下ろした。また、サボりに来たのか。たいがい、表に立たない人だったけど、ここのところ輪にかけて座っている時間がない。夜遅くまで店にいるから、誰も文句は言わないけれど。そろそろ年齢に勝てなくなってきたのではないかとアルバイトたちの間では噂になっている。
「また抱えてるんですか。その招き猫」
「おうよ。なんたってうちの救世主だからな」
店長に抱き抱えられている招き猫の目は黒のベタ塗りで光が見えない。白と黒を基調に、所々に赤のアクセントが入ったオーソドックスなデザインだ。
六月と七月の境目辺りから、【ニューヨーク】のバックヤードに置かれるようになっていた。
最初は誰も大して気にしていなかったけれど、客足が戻るにつれ、店長が異様に可愛がるものだから、皆も色々な意味で一目置き始めている。
「前から気になってたんですけどー。それ、どうしたんですか?」
「知らん。気が付いたら家にあった」
「は?」
田淵さんが絶対に雇用主に向けて出してはいけない声で問い質した。
「昔の後輩と飲んで、朝起きたら枕もとにあった」
「うわ、どこからか盗んできたんじゃないんですか?」
「一樹君、それ、嫁にも言われた」
店長は少しバツの悪そうな顔で笑った。たぶん、奥さんにもかなり問い詰められたのだろう。いくら酔っていたとはいえ、言うなれば窃盗だ。事件になる前に謝りにでも行った方がいい。
「その後輩さんは何か知らないんですか?」
「その後輩のおかげで俺の罪が晴れた」
「というと?」
「後輩曰く、酔った俺は露天に並んだこの子を気に入って買った、って証言してくれた」
店長の無実を証言してくれる証人はいるというわけだ。
「その後輩さんも酔っぱらってたんじゃないですかー?」
「そんなに疑わないでよ田淵さん。大丈夫。あいつ、酒弱くて一滴も飲んでないから」
「じゃあ、信ぴょう性はありますね」
「そうそう」と店長は田淵さんが無実を信じてくれたことに安堵して、わざとらしく息を吐いた。芝居がかったそれのおかげで、二人のやり取りが冗談に落ち着く。
田淵さんは僕と同じ時期に採用されて、固定のシフトに入っているから店長とも付き合いが深い。だから、彼女は店長がふざけた行為の延長で犯罪行為に至るなんて思ってもいないだろう。これはそう、あの二人なりのノリみたいなもの。
店長の行動に、田淵さんが少し怒ったフリをする。それに店長が弁明してみせる。
初めて見る人は驚くかもしれないが、慣れてしまえば安心して眺めていられる。
「そろそろ休憩も終わりですねー。高宮君、戻ろっか」
「はい」
「それじゃ、店長飲みすぎには気を付けてくださいねー」
「ああ、我が家はしばらく禁酒時代だ」
後に聞けば、招き猫の入手方法はどうであれ、意味の分からないものを家に持ち込んだことを奥さんにかなり怒られたらしい。そりゃそうだ。
意味の分からないものがいつの間にか我が家に現れたといえば、僕の家でもつい最近似たような現象が起きた。
革にて装丁された日記帳──のようなものである。
押入れから発見したあの日。中に書かれた文章を読んだ僕は突き動かされるようにバイト先へ戻った。
そこで、ちょうど帰ろうとしていた久米川に遭遇した。
そう、偶然出くわしたのだ。
あの夜、彼女が僕のバイト先に来て、少しの時間同じ卓に座って話もしたけれど。別に、彼女に会おうと思ってはいなかった。
あの日。
朝六時を少し過ぎた時間。彼女と会ったことで、僕の目的は達成された。何が目的だったのかは自分でもよくわかっていない。
ただ久米川に、
「人殺しなんてやめとけよ。絶対にバレるから」
一言言えたら、気が抜けた。
久米川に笑われて、二、三言交わして、眠気を押し殺しながら自転車を漕いだ。
昼頃起きて、日記について妹の椿に訊いてみても「わからない」とのことだった。
それが、三週間前。
あの日記は捨ててしまおうかとも考えたけれど、同時に捨てちゃダメだと僕自身に手を止められた。
持ち主の分からぬ日記帳は、あのページしか書かれていなかったことと、内容から僕が預かっている。家の机の中だ。
あれは、なんだったのだろう。どうして、僕は久米川に会えたことに満足してしまったのだろう。
席替えをして、僕の前の席になった久米川の後姿を見る。
丸く膨らむボブカット。まだ水気が抜けていないのか、風に揺られる黒髪は薄目で見る真夜中みたいな光沢を含んでいる。
夜中に【ニューヨーク】に来た時に持っている断片的に砕け散ってしまいそうな空気を、目の前の久米川からは感じられない。
真面目に加茂先生の板書をノートに書き留めている。
僕も、ペンを握らなくては……。
……で、今、どこの説明をしているんだ……?
違う──。どこも書き留めていないから──僕は最初からノートに写さなくてはいけない。……それは、どこだっけ?
……──ああ、もういいか。またあとで……。今日は金曜日……。久米川がやってくる……。
その時に写させてもらえれば、それで……。
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