第7話 幻の谷は幻

「幻の谷はこちら↑」


 看板にはそう書かれていた。

 そしてその方向を見てもあるのは一面見渡す限りの草原で何もなかった。

 草原を真っすぐ突き進むと幻の谷があるのか、それとも嘘なのか。ワンチャン、幻なので目に見えてないのか。たまにしか現れないのか。

 マリは谷に興味があるわけではない。ただ、幻と言われたら気持ちが動いてしまうのは人間のサガなのだ。


「こちらって、どちらだろう」


 結局看板の指し示す方に歩き始めたものの、まるで谷は見当たらなかった。むしろ、360度視界は草原になっている。何時間歩いたのだろうか。さすがに若干の恐怖を覚えだすには十分な頃合いである。なんせ元居た場所が全く見えなくなっているのだ。看板も見えない。あの看板が幻だったんだろうか。


「おーい」


 いよいよ、幻聴まで聞こえ始めた。誰かが呼んでる声がする。マリが死を覚悟し始めたその時、遠くから走ってくるボロボロの服を着た、むしろボロボロすぎて半裸状態になっている小太りかつ小さなおじさんと目があった。


「うっわ……」


 マリは見た目で人を判断するタイプではない。それでも漏れ出る言葉には重みが宿る。ボロボロ具合が神懸かっているのだ。神レベルのボロボロは、最早悪夢。ナイトメア。さすがのマリもしっかりと引いている。


「ちょっと、チミチミ。何してるんだい。こんなところを一人で危ないよ」

「おじさんのほうが危ないよ」

「ええ?!」


 ボロボロのおじさんは辺りを警戒するように見渡すも、何もないので安堵の息を吐く。


「びっくりしたなぁもう。チミィ、びっくりさせないでよ。てっきりゴーストが出たのかと思ったよ」

「ゴースト?」

「ゴーストだよゴースト。知らないの? チミ、何も知らずにこんなとこ歩いてるの?」

「幻の谷はこちらって看板にあったから」

「ち、チミィ……!」


 ボロボロのおじさんは頭を抱えだす。温厚なマリだが、なぜだかおじさんの行動はカチンと頭に来るものがある。


「幻の谷っていうのは、ここのことだよ」

「ここ? 谷なんて見当たらないけど」

「だから、ここだよ。谷は」

「谷……見渡す限りビッチリ草原だけど……」

「チミィ。だからね、ここ、下、これ、谷。谷だったの。幻谷っていう谷だったの」

「谷が、草原になったの?」

「ゴーストって呼ばれる化け物が、ここに来る生き物を殺して殺して殺しまくって谷だったところが埋まったの。だから平坦になってるの」

「え、きもちわるい……」

「気持ち悪いっていうか、まあ、気持ち悪いか。その死体の山が固まって、草が生えて草原っぽくなってるけど、死体の山を歩いてる状態だから」

「えぐい……。なんだろう。急に怪談聞かされたみたいな感じで変な感情」


 ボロボロのおじさんは、マリの手をグッと引いて走り出す


「え、ちょ……」

「だから、チミィ! さっきも言ったでしょうが! ゴーストが殺して殺して殺しまくって、谷が草原になったんだよ! チミも草原の一部になりたいのかね!」


 走って走って、走ったら、マリは看板の前へと戻っていた。


「はー。よかったよかった。ゴーストに会わずに住んだね。もう、こんなところをふらふら歩いちゃいけないよ、チミィ」

「ありがとう」


 おじさんは、ポンポンとマリの頭を撫でて幻の谷へと戻っていく。


「え、戻るの?」

「だって、またチミみたいな人がいるかもしれないからねえ」


 そう言っておじさんは幻の谷へと消えていく。

 マリは、もしかするとおじさんは殺された人の幽霊だったのか……?

 と思ったが、それを確かめる術はもうなかった。

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