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日曜の夜から雨が降り出した。
雨が降ると気が滅入る。出かける気にはならないし、だからといって家にこもってネット記事を書き連ねる気にも、ギターを弾く気にもならない。
心がコンクリ詰めにされたみたいで、暗い海の底へぐんぐん沈んでいく。
そんな心を救ってくれたのは、毛玉小僧だった。
毛玉小僧調査は友達の依頼だ、なおざりにしておくわけにはいかない。
火曜日の夜に気分が持ち直し、僕は
大学の史学科の同窓生で、都市伝説考察系ユーチューバーをやっている友人だった。
僕も都市伝説について調べることはあるが、僕が事実を事実のまま伝えるジャーナリストなら、岩島は事実に基づいて考察し個人的見解を述べる学者のような存在だった。
岩島は忙しそうだったが、「訊きたいことがあるんだよ」と伝えると、興味津々になった。
「毛玉小僧って知ってるかな?」
「毛玉小僧? なんだそれ」
岩島も知らない。やはり毛玉小僧はかなり新種の都市伝説らしい。
僕は毛玉小僧について知っている情報をすべて話した。
電話の向こうで岩島は黙っていた。キーボードを叩く音が聞こえてくる。ネットで検索をかけているのだろう。
やがて音が止み、岩島の声が戻ってきた。
「なるほどな。
「いや、見てないんだよ。まだ調査始めて二日しか経っていないしね」
「芦花公園へは行ってみた?」
「そりゃね」
「ひとりで?」
「うん」
「ひとりで行っても、駄目だろうな。きっと男女ペアで行く必要があると思う」
「やっぱり?」
僕がスマホを持ち直すと、岩島がなにか言っているのが聞こえた。慌ててスマホを耳に当て直した。
「夜、芦花公園、男女、ってのが、その毛玉小僧を呼び寄せるためのトリガーになっていると思うんだ。おそらく毛玉小僧は妖怪か、幽霊の類いだと思うから」
「妖怪、幽霊? 言い切れるかな?」
「うん。仮に、毛玉小僧が口裂け女とか、八尺様とか、そういう『実在しない怪人タイプ』の都市伝説だとしたら、噂の出どころは小学生とか中学生とか、子どもになるはずなんだ。『もしかしたらいるかもしれない』という恐怖心だけで、楽しむことができるからな。それに、話題になっている怪人を見たと言えば、クラスの人気者になれることがある。だから実在しないものについても、『見た』と嘘をつくことがある」
「なるほどね。それで噂話が一気に広がると……大人はそうはならないな。いないものを、わざわざ見たと言ったところで、変人扱いされるだけだからね。紗英ちゃんも樹里ちゃんもそんな理由で、誰にも相談できなかったと言っていたな」
「でも毛玉小僧は、その噂話をしているのが、大学生以上の女性だ。そうなると、彼女たちが毛玉小僧、つまり、顔中毛だらけで股間になにもない全裸の人間のようなものを、実際に見たという可能性が非常に高いということになる」
「でも、それだけでは妖怪や幽霊だと言い切れないんじゃないの?」
僕が訊ねると、岩島は嬉しそうにクックと笑った。
「よく考えてみろよ、顔中毛だらけで全裸だろ。しかも股間になにもない。そんな格好をする人間がいると思うか?」
「いや、普通はしないだろうね」
「そうだろ。露出狂だとしたら、なぜ肝心の部位を隠す? つまり、股間をだ。それに、毛玉小僧は犯罪が起こったときに現れるんだろ? 犯罪が起こるときを狙って登場するなんて、難しいことだ。毛玉小僧は毎日、芦花公園をそんな格好で見張っているのか? その可能性は極めて低いよ。ただ、妖怪や幽霊は、状況が整ったときにだけ、自然と姿を現す類いのものがある。草木も眠る丑三つ時に幽霊が多く現れるというのも、そのひとつだ」
岩島はまくしたてるようにそこまで言うと、判決を下す裁判官のような口調で言い切った。
「そこから導き出される答えは、つまり、毛玉小僧は、夜の芦花公園で犯罪が起こったときに出現する妖怪、もしくは幽霊だ」
岩島は物事を不気味なほう不気味なほうに引っ張って考える癖がある。だから今回の結論は彼の主観バイアスがかなりかかったものだと思う。
しかし、反論をする気はなかった。僕も毛玉小僧が単なる変人ではなく、妖怪や幽霊の類いであってくれたほうがおもしろいと思っていたのだ。むしろ、そういう結論を言って欲しくて、僕は岩島に電話をかけたのかもしれなかった。
しかし、疑問点がある。
「犯罪が起こったときと言うけど、佐々木紗英が彼氏といたときは、犯罪は起こっていなかったんだよ」
「確かにな。あるいは、毛玉小僧は犯罪を誘発する妖怪なのかもしれないな。毛玉小僧が現れることで、犯罪が起こる。佐々木紗英も、ずっとその場にいたら、犯罪に巻き込まれていたのかもしれない……。いずれにしても、毛玉小僧は妖怪か幽霊に違いないよ。条件を満たせばきっと現れるさ」
「そうか。雨が止んだら、佐々木紗英を連れて、芦花公園へ行ってみるよ」
「気をつけろよ、毛玉小僧の妖力で、神市が犯罪者になってしまうかもしれないぞ」
「用心するよ。まぁ、また詳しいことわかったら、報告する。動画のネタにでもしてくれ」
「いつも悪いな」
電話を切り、カーテンを開けた。
外は暗かった。弱まったものの、雨はまだ降っていた。
暗闇から無数の目が僕を見ているような気がする。慌ててカーテンを閉めた。
自然と口角が上がっていた。
得体の知れない恐怖は、いつも僕の心を奮い立たせてくれるのだ。
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