1-3

 翌朝の日曜日、掲示板の例のスレッドに書き込みをしてみた。実際に毛玉小僧を見たという人間から直接話が聞ければと思った。

『このたび毛玉小僧について詳しく調べることになりました。情報を提供してくれる方がいれば、僕のブログからダイレクトメッセージをください』という文言とともに、ブログのURLを貼り付けておいた。

 ネット記事の案件をいくつか片付けながら、誰かがメッセージを送ってくるのを待った。午前中はなしのつぶてだったが、午後になり、昼飯を食べているときにメッセージが届いた。

 メッセージの送り主は芦花公園付近に住む女性で、頭がおかしくなったと思われるのが怖くて誰にも相談できずストレスだったので、話を聞いてくれるのであればぜひ会って話がしたいとのことだった。

 思ったよりも早く反応があったことは嬉しい驚きだった。

 十五時に千歳烏山駅前の喫茶店で待ち合わせをした。先方は白いボブ・マーリーTシャツを着ていると言っていた。

 約束の時刻に喫茶店に到着した。客は少ない。窓際の二人がけの席に女性が座りコーヒーをすすりながらスマホをいじっていた。

 ボブ・マーリーが胸元で笑っている。

「どうも。橋本さんですか? 神市辰明です」

 声をかけると、女性はスマホを叩きつけるようにテーブルに伏せて顔を上げた。長髪をドレッドヘアっぽく三つ編みに結い上げ、化粧は濃いが、目元にはあどけなさが残っている。学生だろう。

「あ、はい、はじめまして。橋本樹里はしもとじゅりと申します」

 樹里は慌てたように姿勢を正して頭を下げ、鹿威しのような勢いで顔を上げた。表情がこわばっている。

 僕が正面に腰をかけると、樹里はしきりに前髪を気にしながら苦笑いした。

「すみません、ちょっと緊張していて……」

「まぁ、無理もないですよ。ついさっきネットで連絡を取り合ったばかりの人間ですから」

「ごめんなさい。つい勢いで会うと言ったはいいものの、いざこうして実際に会うってなると、すごく怖くなってしまって……」

「確かにうかつと言えばうかつでしょうね。でもまぁ、ご心配なさらずに。僕は毛玉小僧について知りたいだけですから」

 僕はできるだけ軽やかな調子で言った。そこへウェイターが注文を取りに来た。

「あ、牛乳をください」

「はい?」

「牛乳です」

「牛乳ですか?」

「あ、牛乳はないですか? じゃあ、ミルクティーのティー抜きで」

「いえ、あのミルクの単品はございます」

「それで」

 店員は笑いながらメニューを下げて去って行った。

 樹里も笑っていた。ほんの少しだけ、緊張が解けたらしい。

「それで、早速本題なんですけど」

 僕は単刀直入に切り出した。

「毛玉小僧を見たときの状況を、詳しく教えてくれませんか?」

「毛玉小僧を見たときですか?」

 樹里は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。

 樹里の話を要約すると、次のようなものだった。

 −五月の連休の初日に、大学の友人数名と飲みに出かけた。成城学園前駅付近の居酒屋で飲んだ後、二十三時頃に友人たちと別れた。

 成城学園前から自宅アパートまでは徒歩だと一時間近くかかる距離だが、その日は夜気が気持ちよく、せっかくだから歩いて帰ろうという気になった。

 芦花公園を通り抜けるのが近道なので歩いていると、背後から足音が聞こえた。速度を上げると後ろの足音も速くなる。足音がだんだんと近づいて来るので怖くなって駆け出そうとしたときに、木の脇から毛玉小僧が姿を現した−

「……それで恐くて、逃げ出したんです」

「なるほど」

「きっと、二人はグルだったんだと思います」

「二人?」

 樹里は頷くと、悔しそうに口元を歪ませた。

「私のことをつけていた男と、毛玉小僧です。二人でグルになって私のことを襲おうとしてたんじゃないかって」

「なるほどね。ところで、毛玉小僧は男だと思いますか?」

 僕が訊ねると樹里は意外だというように眉を上げた。

「男じゃないんですか?」

「いやいや、僕が別の人から聞いた話だと、毛玉小僧の股間にはなにもぶらさがっていないということだったんで」

「……確かに。言われてみれば毛玉小僧にはなにもついていませんでした。じゃあ、女なんですかね?」

「いや、どうでしょう。なにしろ凹凸がないのっぺらぼうだって話ですから。ちなみに、毛玉小僧のサイズはどのくらいでした?」

「毛玉小僧のサイズ? 身長とかってことですか? 咄嗟のことだったので、はっきりとは言えないんですが、多分百五十センチくらいあるかないかで、太ってもないし、痩せてもないしって感じでした」

「男性にしてはかなり小柄ですね」

「子どもなのかもしれないですね。あ、だから毛玉小僧って呼ばれているんですかね?」

 僕は牛乳を一口飲んだ。樹里はなにかを期待するような目で僕を見ている。僕は牛乳を一気に飲み干した。

 樹里はそれ以上、毛玉小僧について話せる情報を持っていないようだった。

 僕は樹里から情報を得ることを諦め、それから一時間くらい、樹里の世間話に付き合った。

 この春に上京したばかりで気の置けない友達もできておらず、まだひとり暮らしの孤独にも慣れていないらしい。聞き役に徹した僕に、今がチャンスとのべつ幕なしマーライオンのように口から言葉をはき続けた。

 樹里と別れ、僕は芦花公園に向かった。雨が降りそうな空模様だが、日曜の昼間だし、夜中よりは人が集まっているだろう。もしかするとなにか有益な情報を聞き出せるかもしれない。

 自転車を走らせ芦花公園へ行くと、子どもが大勢いた。付き添いの親もいて、公園内はかなり賑わっていた。

 僕は自転車にまたがったまま、環八沿いの歩道から公園内を眺めていた。すると、八幡山駅のほうから自転車に乗った警官がやってきた。巡回しているのだろう。

「あの、すみませんが」

 僕は手を上げて警官に声をかけた。

「ちょっと、お伺いしますが……」

「なんだ、神市じゃねぇか」

 警官が自転車を止めて帽子のひさしを指で上げた。

「あ、なんだ、行田ぎょうだじゃないの」

 それは以前、小山八雲こやまやくもという女性怪談師のライブを観覧したときに知り合った友達だった。

 これは都合が良い。

「パトロール?」

「おうよ。巡回警らってやつだ」

 行田は得意げに胸を張り、腰の拳銃が見えるようにわざとらしく体の向きを傾けた。

「怪しい奴はこれでズドンよ」

「頼もしいね」

「神市はこんなところでなにやってんだ?」

「なにやってるもウィリアムテルもないんだよ。ちょっと訊きたいことがあるんだ」

 僕は毛玉小僧について訊ねた。

「顔中毛だらけの全裸の男について、警察のほうでなにか知らないかね? 毛玉小僧って呼ばれてて、芦花公園に出現するらしいんだけども」

「顔中毛だらけで全裸? ああ、確かにそういう変質者が出たっていう通報は何件かあったな。ひげもじゃの男を見たって」

「ひげもじゃ? 状況は?」

「夜中に芦花公園歩いてたら、知らねぇ男がつかみかかってくるんだとよ」

「その犯人が、ひげもじゃだったってことか?」

「いや、それがそうじゃねぇんだよ。暴漢から慌てて逃げようとしたら、今度はひげもじゃの男が目の前に現れるんだと。被害者は恐怖のあまり一瞬気を失っちゃうらしいんだけど、すぐに目が覚めて辺りを見たら、もう誰もいなくて、金品も盗まれてない」

 不審者に襲われそうになった直後に出現する。樹里のパターンと一緒だ。

「まぁ、なんにせよ、未遂だし、ひげもじゃの男が襲っているわけでもなさそうだしな。一応、警察も夜中の芦花公園の巡回を強化してるけど、それほど積極的ってわけでもねぇな」

「何人くらいが同じ証言をしてるんだ?」

「二、三人だよ」

「そうか。わかった。どうもありがとう」

「いや別にどうってことねぇよ」

 行田は笑うと、帽子を被り直した。

「そろそろ行くよ。おまえといると、機密情報まで喋っちまいそうだ」

「行田は口が軽いから」

「おまえが聞き出し上手なんだよ。まぁ、それじゃ、また休みがあったら、小山八雲の怪談ライブ行こうや」

「ああ」

 行田は去って行った。

 毛玉小僧は犯罪となにかしらの関係があるのだろうか。

 いや、紗英が毛玉小僧を目撃したときに犯罪は起こっていない。紗英はそのとき、恋人と一緒にいた。

 男女が一緒にいる、というのがカギだろうか。

 僕は公園内へ目をやった。

 園内には子連れも多いが、散歩しているカップルもそれなりにいる。しかし毛玉小僧の姿はない。

「やっぱり夜かな」

 僕は自転車のペダルをこぎ、芦花公園をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る