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 紗英が去ったあと、僕はネットやSNSで毛玉小僧について検索をかけてみた。

 しかし出てくるのは、猫の吐き出した毛玉を見てびっくりしている子どもの画像とか、毛玉だらけのセーターを着て誇らしげにしている少年の画像といったものばかりだった。

 仕方がないので紗英から貰ったURLを打ち込み、例の掲示板を確認した。確かに『芦花公園に現れる毛玉小僧』というスレッドがあり、紗英が言っていたとおりの書き込みも見つかった。が、彼女が言っていたこと以上の情報は得られなかった。

 そもそも書き込み自体が全部で十件程度しかない。毛玉小僧はまだ、都市伝説にすらなっていない噂話であるようだった。

 とはいえ、紗英と掲示板の書き込みを信じるのであれば少なくとも三人以上の人間が、顔中毛だらけの全裸怪人を芦花公園で目撃しているのである。

 眉唾物の話だが、僕はすっかり毛玉小僧に興味津々だった。

 疑わしきは信じる、が僕のモットーだ。

 そもそも紗英には毛玉小僧の話をでっち上げる理由がない。

 その晩、僕は芦花公園へ向かった。

 芦花公園は、自転車で十五分程度の場所にある。僕の自転車は電動アシスト機能付きのロードバイクである。信号や渋滞に捕まらなければ十分もかからない。

 夜十時を過ぎた芦花公園は暗く、周囲に人影もなかった。ドッグランやアスレチックなどが敷地内にあるそれなりに広い公園だが、井の頭公園などのように繁華街のそばにあるわけではないから、夜中に人が集まることがほとんどないのだ。

 ベンチはいたるところに複数あった。僕は公衆トイレ近くのベンチを探し、脇に自転車をとめた。トイレの中を覗き怪しい人影がないか探したが、少なくとも男子トイレには誰も潜んでいないようだった。

 僕はベンチに腰をかけ、しばらく周囲に目をやりながら時間を潰した。環八を走る車の音が聞こえてくるだけで、信号が赤になればその音も止んで辺りは静まりかえってしまう。

 二十分ほど座っていると、環八沿いの歩道から公園に入ってくる人影が見えた。暗くてよく見えないが、キャップを被ったシルエットが上下に揺れていることから察するに、ランニングをしているのだろう。

 日課で走っているのだとしたら、毎日この時間に芦花公園へ来ているということになる。もしかすると毛玉小僧についてなにか知っているかもしれない。

 僕はランナーの後を追った。

 驚かせないよう、少し離れたところから足音をわざと大きくし、横に並んで声をかける。

「いい夜ですね」

「え?」

 ランナーは男性のようだった。いかにも怪しい登場をしてしまったと我ながら呆れたが、男はイヤフォンの片方を外し僕の声に耳を傾けてくれた。

「こんな夜は、走りたくなりますね」

「そうですね……」

「梅雨入りしてから雨が続いていますから」

「はい……え?」

「雨の日は、走る気にもなりませんからね」

「雨の日にも走りますけど……誰ですか?」

 僕が立ち止まると、男も立ち止まった。訝しそうにこちらを見ているのが、キャップのつばで暗くなった陰からも窺える。

 僕は思いのほか上がってしまった息を整え、男を街灯のそばまで誘い改めて挨拶をした。男の顔には、無精髭一本生えていなかった。

「どうもすみません。ちょっとお伺いしたいことがありまして。いえいえ、怪しい者ではないんです。僕は不思議な現象について研究している人間で、神市辰明という者です。もっと言うならば、珍妙怪奇、不可思議千万な出来事ですね。詳しくは、僕のブログをご覧ください」

 僕は名刺代わりに、スマホでブログを開いて見せた。男は細い目をより細くして画面を見ていたが、すぐに首を傾げて僕を見た。

「なんなんですか。なにを訊きたいんですか」

 僕はスマホをしまい、咳払いをして本題に切り込んだ。

「あなたは、毛玉小僧をご存じですか?」

「毛玉小僧?」

 男は一瞬目を見開いた。僕は毛玉小僧の概要を説明した。

「……知らないですね」

「毎日、ここを走ってらっしゃるんですよね?」

「ええ。でも、毛むくじゃらの変人なんて見たことありません」

「なんか妙な現場を目撃したりしていませんか?」

「そんな変人がいればすぐ騒ぎになるはずじゃないですか。ネット住民の悪戯だと思いますよ」

 男は早口に言うと、イヤフォンを顔の前にちらつかせ「もう行っていいですか?」と暗に訴えた。

「どうもすみません。お邪魔しました。思う存分走り回ってください」

 僕が言うと、男はさっきよりも速いペースでその場から走り去った。

 それから一時間ほどベンチに座って様子を窺ったものの、毛玉小僧はおろか、毛玉小僧について知っている人間に出会うことすら叶わなかった。毛玉小僧なんてこの世に存在しないのではないかとも思えてきた。

 しかし、まだまだ調査を始めてから十二時間も経っていない。易々と核心に迫れるようでは面白みがないではないか。謎の価値はその深さに比例して高まるものだ。なんにも情報を得られなかったことで、むしろ事態は盛り上がってきたと考えるのが正解だろう。

 もう少し公園にいたい気持ちをぐっと抑え込み、僕は自転車にまたがり帰宅した。

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