避難場所で
アイラは駅の東側の一等地にある家に入った。2階建ての大きな家を見て、「家賃いくらくらいするんだろうか」とミリアは戸惑った。
「なにしてる。お前の部屋に案内するから、さっさと入れ」
アイラは面倒そうな表情でミリアを呼ぶ。ミリアはおっかなびっくりの様子で遠慮しながら家に入った。
「ここ、いくらするのよ」
「さあ、1泊あたりどれくらいするか、聞いたこともないね。何しろあの人、価格なんて見ないから」
そう聞いて、顔を引きつらせるミリア。玄関を抜けてドアを開けると、広いリビングがある。アイラに聞くと、個室の数は6部屋。ミリアには一生縁のなさそうな広い家だった。
「なんでも三枝財閥で使ってる宿泊施設らしいが、詳しくは知しらねーよ」
こいつら公務員のはずだよね、税金泥棒?――ミリアは疑いのまなざしでアイラを見る。その視線に気づき、あわてて否定の言葉を口にする。
「別に経費で落としてるわけじゃないからな。うちの課にいるメンバーの一人が個人資産から出してるんだ」
「お金持ちのメンバーがいるのねぇ・・・」
あきれたようにつぶやく。そのとき、2階から人が下りてきた。小さな足音とともに現れたのは、ロングヘアの小学校高学年くらいの女の子だった。目には深いクマがあり、それが不健康そうな印象を与えている。
「アイラ、うるさい」
その少女は小さな声で、だが厳しく口をとがらせる。
「なんだとこのクソガキ。こっちは気が立ってるんだ。喧嘩なら買うぞ」
アイラが少女を睨みつける。大人げないなぁ、とミリアはあきれた様子でアイラを見た。しかし、言葉の銃撃はミリアにまで飛んできた。
「頭悪そうな女ね。バカが2人揃っても賢くなるわけじゃない。邪魔だからとっとと部屋に行けば」
「なんなのこのガキ!」
ミリアの沸点も低い。突然の暴言に本気で腹を立てた。
「ハイハイ3人とも、それくらいにしてくださいな」
2階から現れた4人目は、高級そうなスーツに身を包み、モデルのように整った顔立ちをした女だった。
「ね、姐さん、もう来てたのか」
アイラが顔を引きつらせる。先ほどの剣幕はどこへ行ったのか、借りてきた猫のようにおとなしくなる。そんなアイラに驚かされながら、ミリアは自己紹介する。
「わ、私は鐘ヶ淵ミリアと言います。今日からここでお世話になります」
丁寧にあいさつすると、モデル風の女は驚いたような表情を見せる。
「あら、うちの野良猫と違って礼儀ができていますわね。ノルン、第一印象は大切でしてよ。彼女のように初対面の相手にはしっかり挨拶するのが重要よ」
女のその言葉に、少女は不機嫌そうな表情でそっぽを向く。仕方ない、と言わんばかりの困った顔で少女を見た後、ミリアに向き直った。
「挨拶が遅れましたわね。私は三枝モニカ、そこの野良猫と同じ魔法対策7課に所属する刑事ですわ。短い付き合いか長くなるかはわからないけど、よろしくお願いします。さあ、あなたが使う部屋に案内しますわ」
そう自己紹介すると、2階に上がるようミリアを手招きした。
ミリアが案内されたのは、セーフハウスの2階、奥から2番目の部屋だった。ミリアのスーツケースはすでに運び込まれている。
「一番奥がアイラの部屋で、反対側はノルンと私が使っていますの。ノルンはまだ小さいので一人で暮らすのはちょっと不安ですしね」
男性陣は1階で、女性陣が2階に陣取るという流れだ。何かあったら隣を頼れってことね――。なんともなしにミリアは思った。
「ここを用意したのは私ですわ。何か不足があったら遠慮なく言ってくださいね。さて、一息ついたら今後のことを話したいのでリビングに来てほしいですの。食事もしたいし、残りのメンバーも紹介したいですしね」
モニカは微笑みながら伝える。セーフハウスがこんなに豪華な部屋になるとは思っても見なかったミリア。驚くミリアをよそに、アイラとモニカは部屋から出ていくようだ。
「わかったよ。荷物整理したらすぐに向かうから」
そう伝えると慌ててスーツケースの中を整理した。
リビングに降りると、大柄で50代くらいの髪を刈り上げた男性が食事を運んでいた。殊勝なことに、あの生意気な少女――ノルンも手伝っていた。
「やあお嬢さん、今日も大変だったそうじゃないか。おなかがすいただろう。まずは食事と行こうじゃないか」
「あ、すみません」と、恐縮しながら席に着くミリア。6人掛けのテーブルの手前の席に座ると、何とも言えないいい匂いが漂ってきた。
「お嬢さんの口に合えばいいんだけど。あ、すまない、自己紹介がまだだったね。私は間々田シン。この課では古株でね。主にバックアップを務めている。法令関係や魔法陣、魔法道具のことで気になることがあったら気軽に聞いてほしい」
優し気に微笑む顔に、思わずミリアも笑みを返す。
「ありがとうございます。わあ、このパスタ、おいしそう」
そう言えば昼から何も食べてなかった。温かい料理を見て食欲がそそられる。
「あとリーダーがいるが、ちょっと遅くなるみたいだ。先に食っちゃっても問題ないよな?」
「ええ、スクワーレからは先に食事を済ませてほしいと連絡がありましたわ。さあ、あったかいうちに食べちゃいましょう」
モニカのそんな一言で食事は始まった。
間々田の料理は美味しかった。初めて会う人たちに緊張していたミリアだが、次々と出される料理はあっという間におなかに納まった。
食事を終えて一息つくと、モニカはさっそく今後の方針を告げた。
「さて、ミリアさんが『暁の空』に狙われているのはご存じのとおりです。組織の魔術師は口が堅い。先日捕まえた男たちも黙秘権を行使しているそうですの」
予想していたことだが、状況に変化はないようだった。
「あんまり大勢で護衛するのもあれですし、ミリアさんは当分、私かアイラが護衛させていただきます」
「なんかすみません」
恐縮するミリアだが、モニカは笑顔で否定する。
「いいえ、あなたが悪くないのは分かっています。ただ、組織はずいぶん前から『魔女』を欲しがっているそうなの。これからは質の高い魔法使いが襲ってくることが予測されるわ。特に組織にはナンバーズと言って1から10の数字を持つ魔法使いがいて、こいつらがまた厄介みたいですの。この家も完全に安全とは言えないと思うけど、まあこの家程度なら壊れても大丈夫だから」
そう話すモニカに、ミリアは驚く。
「ここって結構いいお値段ですよね?」
「この程度の部屋なら私がいつでも用意できますから安心して。間々田さんが魔法陣を敷いてくれたから、魔術関連の防犯対策もあるのよ。あなたの家族や友人も護衛が付くけど、やっぱり一番危ないのはあなたね。組織の魔法使いを2度防いでいるから、向こうは意地でもあなたを連れて行こうとすると思うわ」
その言葉に不安を大きくするミリア。
「ほんと、勘弁してほしい。バイトには行けないんですよね?」
「『十六夜』にはこちらから連絡しておいたよ。しばらくはここと大学の往復になると思う」
そう答えたのはアイラだ。気楽な様子だが、彼女はすでに組織の魔法使いを撃退している。腕は立つのだろう。
「私をおとりにするって聞きましたけど」
モニカは攻めるような目を向けると、アイラは焦った様子を見せる。
「い、いや私じゃないって。尾藤教授が言ったんだ」
モニカはあきれた様子で溜息をつく。
「仕方ないですわね。組織が『魔女』をどうしたいかをうちのリーダーが探ってます。彼が何かをつかむか、あるいは襲ってくるメンバーを捕まえて吐かせるか、どっちかがないと事態は好転しないのは確かです。おそらく、今まで襲ってきた連中は知らなかったみたいですが、これから襲ってくる魔法使いは上位ナンバーだと思うわ。彼らが何も知らないとは思えないですしね」
「でも今まで捕まえたやつらは口をつぐんでいるって…」
不安がるミリアに、アイラは答える。
「警察側にも吐かせるのが専門の魔法使いがいる。あいつらは明後日にはこっちに着くと思うからまあそれまでの辛抱だな。とりあえず明日からはアタシと姉さんでアンタを護衛する。不自由掛けると思うがよろしくな」
ミリアはどうしようもない状況にいら立ちが募る。
「当分はここから大学に通うってことね」と肩をすくめると、困ったような顔でモニカが答える。
「明日の大学はワタクシが護衛に着きます。色々不便をかけるけどごめんなさいね」
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