赤堤アリーナへ
ジジジジジジ――。
目覚まし時計の電子音とともに、頬をつかまれた感触に、ミリアは目を覚ました。見慣れた化粧台と学習机、そして枕や毛布――。20年を過ごした自分の部屋にいると気づく。
「やっと目覚めたモグか」
ホホをつかんでいたのは、ハリネズミのぬいぐるみだった。
「えっ、ええーー!?」
20cmくらいのぬいぐるみが両手で頬をつかんでいる。
「ぬいぐるみがしゃべった!!??」
ミリアは思わず叫んだ。自分で動くぬいぐるみを見て、頭が真っ白になる。
「何をいまさら。ここは魔女発祥の赤堤市。ぬいぐるみがしゃべるくらい普通モグよ?」
あきれたようにハリネズミは話すが、もちろんぬいぐるみが動くのは普通じゃない。そんな日常、アニメや小説でも少なくなってきたはずだ。
「私、つかれてるのかな」
確かに最近は夜遅くまでバイトすることが増えてるし、友達と町に出かけて遅くなることもある。自問自答するなか、ぬいぐるみはミリアから離れ、入り口のほうを指さした。空はまだ薄暗く、人々が活動する時間には遠いようだ。
「今日はもう出かけるんじゃなかったモグ?」
あれ、今日は何月何日だっけ? 混乱しながらあたりを見渡すと、携帯端末が目に入った。画面には「1月10日 4:40」と出ているのが分かった。
「成人式じゃん!!」
慌てて動き出す。今日は美容室に言って髪型をセットしてもらい、その後なつかしい友人たちと会う手はずになっている。ミリアは急いて準備を始めるが、ぬいぐるみをもう一度見て動きを止める。
「ほら、早く準備しないと」
「う、うん・・・」
ぬいぐるみにせかされるというちょっと不思議な状況に、戸惑いながら着替え始める。
「あんた、なんなの?」
「モグはモググモグ。いつも話しかけてたの、忘れたモグか?」
ぬいぐるみはなぜか胸を張ってそう答えた。
一方的に話し終えると、モググは普通のぬいぐるみのふりをし始める。元々このぬいぐるみは、ミリアがカバンにつけていたもののはずだ。
「あんた、なんでしゃべってるの?」
にらみながら問いかけるが、
「モグほどの偉大になるとしゃべるなんて楽勝モグよ」
真面目に答えてくれる気はなさそうだ。両親にどうやって説明しよう――。昨夜用意した服に着替えながらミリアは悩んだ。
「大丈夫、ほかの人には動いている姿なんて見せないモグよ。それよりも、急がないとご両親を待たせちゃうモグよ」
本来ならもっと慌てていい状況のはずだ。動くぬいぐるみなんてすぐに窓からポイっとするのが正解だ。だけど、ミリアはこの変な生き物に危害を加える発想は起きなかった。
「あんた、なんなの?」
「だからモグモグよ。ミリアを守るためにここに来たモグ」
「守る?」
「そう、今日からミリアの周りで大変なことが起こるモグ。ミリアは危険から自分を、そして周りの人を守らなきゃならない。そんなミリアをばっちりサポートするのがモグモグよ」
「はぁ? 意味わかんないし。危険って何?どうして私がほかの人をまもんなきゃなんないの?」
「う~ん、今は5時か――。あと数時間もすればわかるモグよ」
そういうと、ぬいぐるみのモグはバッグに張り付き、動きを止める。そうすれば本当にただのぬいぐるみだ。
「そろそろ朝ごはん食べて準備しないと、ご両親を待たせちゃうモグよ~」
時計を見て慌てるミリア。
「やっば、もうこんな時間!」
階下から、母がミリアを呼ぶ声がした――。
「あんた、朝から騒がしいよ、悪い夢でも見た? ほら、朝ごはんさっさと食べなさい。お父さんはもう準備できてるのよ?」
降りてくるなり𠮟りつける母に、ミリアは文句を言う。
「もっと早く起こしてくれればいいじゃん!」
「起こしたわよ! でもアンタ、『あと10分』とか言って起きなかったんじゃない!」
即座に言い返されて、口を閉ざすミリア。
「これで高校時代は無遅刻無欠席、皆勤賞なんだから、不思議なものよね~」
母の愚痴を聞き流しながら、朝ごはんを掻き込む。
「それにしても、よく起きてこられたわね。ギリギリまで寝てると思ったけど」
「ぬいぐるみに起こされた」
「? 何言ってるの?」
やっぱりぬいぐるみが動くのは普通ではないようだ。ミリアはカバンに張り付いたぬいぐるみを母に見せながら「こいつ」と言う。しかしぬいぐるみのモグは今は微動だにしない。
「馬鹿なこと言ってないで、はやく準備しなさい。メイクは向こうでしてくれるのよね? お父さん、もう準備はできてるのよ?」
新聞を見ていた父が、顔を上げてミリアに頷く。
「ありがとう。ちょっと急ぐね。でも成人式なんて偉いおっさんの話聞くだけなのに」
「偉い人って・・・、ああ、市長があいさつするんだっけ?」
母があきれたように話す。
「そう。あの武闘派でマッチョなひげの市長が来るんだって。話短いといいんだけどな~」
「もう、そんなこと言って。あの市長さんが就任してから随分と暮らしやすくなったのよ。それまでは駅南の一角なんか危なっかしくて行けなかったんだから」
3年前に就任した市長は、治安の向上を公約に掲げ、駅の南側にあるスラムを撤廃しようと奮闘している。身長は約190センチの大男で、ステロイドでも使ったかのように筋肉質な元プロレスラーだ。彼の指揮のもと、警察はスラムを支配する組織「暁の空」と日々闘争を繰り広げているという噂だ。そんな市長がセレモニーホールに成人式の挨拶のために姿を現すらしく、危険はないかとちょっと不安になる。
忙しく準備するミリアをみながら、父は腕時計を見る。
「ミリア、そろそろ行くぞ」、父がせかす声がする。
「ほらほら、気を付けて言ってくるのよ」
母の言葉に慌てて準備しながら頷くミリアだった。
美容室で髪型とメイクをセットしてもらうと、父の車はセレモニーホールに向かう。
「しかし、ミリアももう大人だな」
父カツヤがしみじみと言う。
「もう二十歳だからね。どう? 大人っぽくなったでしょ?」
「そんなセリフが出てくるようじゃまだまだだな」
カツヤが冗談交じりに言うと、ミリアは一瞬口をとがらせるが、すぐにお互いに笑いだす。
車は駅に近づき、正面にスカイラインタワーが見えてきた。全長約230メートル、45階建ての大きな高層ビルだ。
「しかしよくこんな建物作ったよね」
ミリアはスカイラインタワーを見ながら言う。カツヤは苦い表情で言葉を返す。
「ああ。本来はもっと低い建物になるはずだったが、他科沢財閥が口を出して今の高さになったらしいな。あの財閥には黒いうわさもあるんだよなぁ」
不機嫌な様子で答える父を見て疑問に思いながら、ミリアは言う。
「なんか展望台には魔術が施されていて、世界に影響を与える魔法が使われる予定だとか、変な噂があるよね」
「まあうわさだろうけど」とつぶやくミリアだが、目的の赤堤アリーナが見えてきて、すぐにそちらに興味を示す。
「もうすぐ着くぞ。帰りは大丈夫なんだな?」
カツヤが聞くと、ミリアはうなずく。
「うん、アイが車を買ったから帰りは送ってくれるって。あの子下戸だから、運転は任せてほしいそうなんだ」
そして間もなく、車は成人式が行われる赤堤アリーナに到着する。友人たちとの再開を楽しみにしている娘を微笑ましい思いで見ながら、カツヤはミリアを送り出す。
「気をつけてな。あんまり羽目を外さないように」
「わかってるって。じゃあ父さん、行ってきます」
そう言うと、ミリアは車を飛び出した。
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