第29話 ヴィーナスの間
視界に広がったのは、暗い部屋だった。
広さは学校の体育館程度の広さだろうか。そして部屋の至る所に、緑のような水色のような、どちらにも見える何かが流れた管が伸びていた。その管はあるひとつの物体に繋がっていて、その元をたどれば──二メートルはゆうに超える巨大な女性が手錠で拘束され、液体の詰まった筒の中で膝をついていた。
シュウはその姿を見て、フードを下ろす。そして、我慢できないと言った様子で彼女に向かって駆け出した。その様子から、ルナもユウゴも筒の中で眠っている女性がヴィーナスであると確信する。
しかし、感動の再会とはいかず──甲高い音が三人の耳に響いた。その爆音に、三人とも耳を塞いで顔を顰めた。その音に気持ちが悪くなって、ルナは吐き気を感じ嘔吐きそうになる。シュウは特に聴力が優れているため、鼓膜が破れると察して一歩下がった。
シュウがヴィーナスから離れると、その音はピタリと止まった。この不調を招く不協和音が、制御装置よって発せられているのだろう。ルナはよろめいたシュウを支えると、彼と共にヴィーナスに近づこうとする。キーが傍にいれば、制御装置は働かない。聞いた通りで、ルナがヴィーナスに近いづいても、先程のような状況にはならなかった。
だが────その人物は現れる。
「態々キーを連れてきてくれて、ご苦労さま。元気だったかい、『使者』よ」
ヴィーナスへの道を塞ぐように立ったのは、ルナが夢想や切望、絶無の記憶で見た男性だった。黒い髪に緋色の美しい目をした男は、彼らがボスと呼んでいる存在。オルヴァイスのトップである人物が、ついに姿を現したのだ。
「余裕な態度でいられるのも今のうちだ。今日……全てを終わらせに来た」
「おやおや、怖いな。そんなに睨みつけて、私が何かしたというのかな」
おどけるように肩を竦めた男性は、ヴィーナスの収まっているガラスの筒に手で触れた。そしてルナの方へ顔を向けると、手を差し伸べる。
「さあ、来てくれ。ヴィーナスを目覚めさせようじゃないか」
「なんであんたの命令を聞くと思ったわけ? 失せろクズ」
「おや、もしやレアート・ティールの事で、拗ねているのかな」
拗ねている。その言葉に更に腹が立つルナだったが、ユウゴが隣に立ったのを見て少し心を落ち着けた。自分が考え無しに突っ込んでも彼が止めてくれるだろうが、余計な手間をかけさせない方がいいだろう。
そして、ユウゴはいつも通りの笑顔を消すと、男性に向かって剣の先を向けた。
「リクトはどこだ。この施設にいるんだろう?」
「医務室だろうな。キーが傷つけたらしいじゃないか、お前の大切な弟を」
「ルナちゃんは俺を守っただけだ。挑発にはのらないよ」
剣を構えたユウゴを確認して、ルナは同じく銃を構えた。対して、男性はそれを見て楽しそうに笑い始める。そして──ウィルデバイスを取り出した。それは透明なデバイスで、まだ未登録の物だと分かる。しかしルナが見た事のあるクリアな透明なデバイスではなく、僅かに濁っていた。
「使者は見覚えがあるだろう、未完成のデバイスだ」
そしてそれを、ヴィーナスの向かいにある装置に乗せた。装置の窪みに、まるでパズルのピースのようにデバイスはピッタリと収まる。そして、装置に魔法陣のようなものが浮かび、ヴィーナスの胸元に刻まれた紋章が強く光った。するとデバイスは濁った色からルナも見た事のあるクリアな透明な色へ変わった。ヴィーナスの能力によりデバイスは完全なものとなった、それを男性は見せているらしい。
「このデバイスは試作品だ。お前らが盗んで使っている今までの型とは違う、タイプCと呼ばれ……そしてそれは、ヴィーナスの目覚めによって完全となる」
男性はルナに視線を向けた。それを遮るように、ユウゴはルナの前に立つ。その様子に呆れたようにした男性は、腕輪をじっくりと観察した。
「これをまだ誰も試したことがなくてな……誰が、一人目の実験体となろうか」
「これ以上あんたの好きにはさせないわよ」
「そうか、そんな冷たいことを言うか。では、私がなろうか──その、一人目に」
男性はそう言って、デバイスを手首に嵌めた。
予想外の出来事に三人とも動揺するが、男性は今までと同じような余裕たっぷりな様子でデバイスを見つめている。適性がなければ、デバイスを付けただけで全てをそれに吸われてロストする。それに試作品と言っていたデバイスで何が起こるのか、作った勿論当の本人である男性ですら知らないのだ。にも関わらず、男性は迷わずそのデバイスをつけることを選択した。
「──ぐっ、ぁ……ッ!!」
「チッ……今のうちに殺す──!」
ルナは迷わずに、男性に向かって弾丸を放った。その弾丸は男性の左肩を貫いたが、それにも構わず男性はゆらりと一歩足を進める。
「────ハハッ、アハハハハッ!! とても、とても清々しい気分だッ!」
「適合し──」
「『デバイス、オン』」
男性のデバイスは未だ透明なままだ。しかし、トリガーとなる言葉を男性が口出すと、デバイスは薄く発光する。その言葉に応えるように、男性の手の内には──二振りの剣が、それぞれ生成された。
「ほう、剣か。二つも扱ったことはないが……何故かよく馴染む」
「──ッ!! ルナ、ユウゴ……奴を止めておいてくれ!」
シュウは双剣を見て一瞬表情を険しくしたが、ルナとユウゴにそう言うと、二人の元から離れた。先程デバイスに力を与えた装置の傍に行くと、その隣に置かれた機械を操作し始める。シュウが何かをする、それを理解してルナとユウゴは男性の前に立ち塞がった。
「こういった時は名乗るんだったかな? 私の名はヤマト・カルミラド。この研究施設でボスと呼ばれる者だ。さあ、ルナ・ヴァレッタ……こちらへ来るがいい」
「来いって言われて素直に従う女じゃないわよ。舐めないでくれる?」
「彼女の気の強さ、舐めたら本当に痛い目見るよ」
男性、ヤマトはその返事に不敵に微笑むと、地を蹴り一気に距離を詰めてきた。狙いは装置を操作するシュウであると思ったが──標的はユウゴだった。双剣を振るわれ、ユウゴはそれを一振の剣で受け止める。が、その腕力は絶無を思わせるほどの圧を感じ、そのまま押し切られそうになる。ルナは援護するために銃口をヤマトへ向けた。
ルナは今の自分の弾丸が、爆矢のような状態ではなく絶無と戦った時と同様貫通する力があると察した。デバイスの能力が、確認せずとも分かる。そのまま照準をヤマトの頭部へ定めると、右と左から二発弾丸を放った。
しかし、ヤマトはいとも容易くそれを弾いて、今度はルナの方へ向かう。
「その意志は煩わしいな」
「──ッ」
腕がヒヤリとして、僅かに手が痺れた。その感覚を信じて腕を引くと、そこをヤマトの双剣が通過する。手を引く判断が遅れれば腕はなかった、その感覚に背筋を凍らせながらも、ルナは銃を構え直した。ヤマトの背を狙ってユウゴが剣を振るえば、後ろ手に剣が受け止められる。そしてヤマトは空いた左手の剣を振りかぶると、ルナの方を向いたまま楽しげに笑った。
「こんなものか」
「クソッ……!」
自分が守らなくては。ユウゴはそう思って斬りかかるのをやめると、ヤマトの足を払った。それを避けようとしたヤマトは僅かにバランスを崩し、そして一度二人から離れる。だが、それは本当に一瞬のことで、ヤマトは瞬きの間に再びルナへ向かって剣を振り上げた。
「腕も足も要らんな」
ヴィーナスを目覚めさせるには、キーがそばに居る、それだけでいい。つまり命さえあれば『それ以外は必要が無い』。ルナはヤマトが自分をどうしようとしているのか理解して、思わず顔を顰めた。素直に恐怖を感じたのだ。
ユウゴはルナを庇うように覆いかぶさり、そして一度地面に伏せた。ヤマトの剣を避けると、すぐに体勢を立て直して相手へ斬りかかる。一撃目を横に軽くステップして避けられたの見て、すぐに流れるよに二撃目に繋げた。その動きについていけなかったのか、切っ先はヤマトの服を僅かに裂く。傷つけることは出来なかったが、剣は確かにヤマトに届いた。そのお陰で、ユウゴのデバイスが僅かに光を放つ。
ユウゴがロスト仕掛けた時、シュウはユウゴの自負心が弱まっていると言っていた。つまりデバイスとリンクした意志は『自負心』で、自分の能力に自信があればあるほど強くなれるのだろう。ルナはそう考えてから、ユウゴが優勢に立てるようにヤマトの動きを阻止し始めた。
ヤマトが剣を降りかぶれば、弾丸を刃に当てて軌道を逸らせる。距離を詰めようと走り出せば、足元に向けて発砲して動きを鈍らせる。そして少しで隙を見せれば、当然迷いなく頭部を狙った。
「あと五分だ! それまで耐えてくれ!」
シュウがそう叫んだのを聞き、ルナとユウゴは気合いを入れ直した。
ハッキングしたことによって、今この施設の機材の全ての権限がシュウにある。しかし、ヴィーナスを閉じ込めている筒状のガラスを開けるにはもう少し時間がかかりそうだった。思いつく限りの事をして、出来る限りのスピードで行っても、最短五分はかかる。シュウは一瞬ルナとユウゴの心配をしてそちらに視線を向けた。二人は確実に押されている、それを察してすぐに自分の仕事に集中する。
「(もう少しです、そうすれば貴方様を──)」
シュウは、キーボードを叩く指をよりは早めた。ルナとユウゴを信じて、その作業に専念する。
シュウがもう少しでヴィーナスを解放できる。ヤマトはそれを察してターゲットをシュウへ変えた。煩わしい存在は早めに消した方がいい、そう考えてルナとユウゴの間を抜けようとする。しかし、そんなことを二人が許すはずもない。
「おっと、そっちは手だし無用で頼もうかなぁッ!」
「邪魔だ」
ヤマトは剣を薙ぎ払った。そして、ユウゴはそのスピードに反応しきれず──胸元を横一線に斬り付けられる。飛び散った赤にルナは一瞬血の気が引いたが、すぐにトリガーを引いた。放った弾丸はヤマトの右腕を貫通するが、彼はそれに構うことなくシュウの方へ向かった。
庇えない、間に合わない。
そう思ったルナだったが──ユウゴはよろめいた体をしっかりと足で支え、ヤマトの剣がシュウに接触するギリギリでそれを受け止めた。
「させねぇって──ッ!」
斬られた痛みに、ユウゴは歯を食いしばった。絶無との戦いで二箇所を斬られ、その傷もデバイスの力がありながらも今だ塞がっていない。力を込めれば込めるほど血が溢れ出るのが分かるが、ユウゴはそれでも止まらなかった。止まる訳には、いかなかった。
ユウゴは何時でも味方でいてくれた。
ルナとシュウが喧嘩をすれば、どちらの味方でもあったし、必ず守ってくれた。彼自身はルナが傷つけられた時に守れなかったと謝っていたが、ルナはユウゴに何度も助けられているし、その存在は救いであったと思っている。
ユウゴをこれ以上傷つけさせない。
ルナはそう決意して、弾丸を放つ。
その弾丸はルナの想いに応えるように
──ヤマトの腹部を貫いた。
ヤマトの動きが僅かに鈍る。
その隙を見たユウゴは、右上から左下に向かってヤマトを斬り付けた。
「グッ──!」
初めて、ヤマトから苦痛の声が漏れる。
その瞬間、ピーッと機械音が部屋に鳴り響いた。
ヴィーナスを覆っていた筒は、徐々に下がり始める。
中に満たされていた液体が漏れ始め、部屋に拡がっていった。筒が全て収納された時、ヴィーナスの体はゆっくりと前に倒れて、そのまま崩れ落ちるように倒れる。
「レナータ様!」
シュウは開放されたヴィーナスに向かって走り出した。
共に戦って、そしてヴィーナスが捕らえられ離れ離れになって、一度は近づいても、また離れて。
長い間、その距離は遠かった。
しかし、今はすぐそばに居て、触れ合える。
そう思い、シュウはヴィーナスへ手を伸ばした。
だが────そのまま、地面に倒れ込む。
倒れ込んだシュウの手はヴィーナスに届かず、あと数センチのところで指先にすら触れられなかった。
ルナは、シュウが倒れるのがスローモーションのようにゆっくり見えた。しかし、脳や体が反応しきれずに動けない。
ヤマトがユウゴから抜けて、シュウを斬った。
それを視覚情報として脳が理解していても、上手く、受け入れられなかった。
「──シュウ!」
ルナはシュウの元へ走り出す。
彼はデバイス使いとはいえ、今はデバイスを使えない非戦闘員だ。いくら完璧な彼とはいえ、傷つけば血は流れるし、死んでしまう。
倒れたシュウはピクリとも動かずに、
まるで、
そう、それはまるで────。
ルナはシュウの傍に屈もうとした。しかし、強く腕を掴まれ無理やり引き剥がされてしまったのだ。掴んだ本人であるヤマトはルナを連れると、ヴィーナスへ近づく。彼女を目覚めさせようとしている。そう察し、ルナは全力で抵抗した。
「はな、して──ッ!!」
空いた腕で銃を構えるが、強く引っ張られているせいで照準が定まらず弾を外していしまう。それに焦っていると、ユウゴがヤマトに剣を振りかぶった。見開かれ血走った目でしっかりとヤマトを捉え、ルナを掴んでいる手首へ剣を振り下ろした。
「──ッ!」
ユウゴがヤマトの手首を切り落とすとの、ルナがヴィーナスの隣へ投げ捨てられたのは同時だった。
ルナの手が、ヴィーナスの体へ触れている。
その瞬間──どくり、と心臓が強く脈打つの感じた。
────駄目。
これじゃあ、止められない。
どうしよう。
エンド、起きて。
私の事、止めて。
嫌だ。
駄目だよ。
このままじゃ────。
ルナの脳内に、ヴィーナスの声が届いた。
そして──ヴィーナスの閉ざされた瞼が、開かれる。
全て甘く包み込むような、蜂蜜のようなオレンジ色。
ヴィーナスの瞳は、ゆっくりとルナを捉えた。
「ハッ、ハハハッ!! やっと目覚めたか、ヴィーナス!」
────そして、ヤマトのデバイスが、輝き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます