第23話 『切望』

僕は、二番目だった。

いつだって比較されていた。


「貴方も、お兄ちゃんみたいに頑張りなさい」


母も父も、口を揃えてそう言っていた。

成績は優秀、運動神経も良かった僕は、クラスでは人気者だった。自分で言うのもおかしいかもしれないが、真面目で模範的な生徒だったはずだ。教師からもよく褒められたし、通信簿にもいい言葉ばかりが並んでいた。


しかし──兄は、それを全て凌駕した存在だった。


少し勉強すれば試験で満点が取れる。全教科ほぼ満点であったし、点を逃したものは「ゲームで夜更かしして眠かった」というのが理由だった。

見本を見ただけで、その動きをトレースできる。運動嫌いにも関わらず、運動神経は当然良くて足も早いし、スポーツをすればそれを学んだ選手のように完璧にできた。

誰からも好かれる明るい性格。友人は勿論沢山居たし、言い寄らなくても女性が近寄ってくる。父も母も当然兄が自慢であり、そして僕もそうだった。


そうだった、はずだ。

それなのに。

いつからだろうか、大好きだった兄が憎くなった。


だが、僕はそれを隠した。

その事で怒ったとしても、恐らく兄には届かない。どうせ、「今まで仲良くしていたのに、なんで?」だとか、そう心の底から不思議がって言うのだろう。僕は幸い隠すのが得意だった。だから、誰にも悟られなかった。



…………



僕は絵を描くことが大好きだ。

それでいくつか賞をもらったこともあるし、唯一自分が好きだと胸を張って言えるような、僕の誇りだ。兄のことが好きな時も、嫌いな時も、変わらず描いていた。


「よし、これで……!」


一枚の絵が描きあがった。僕が何日もかけて考えて、試行錯誤して、努力をし尽くした精一杯の作品だ。コンクールに出すつもりで、評価されるポイントをいくつも仕込めたと思う。作品は僕の子供のように大切な存在で、僕は人一倍それに真剣に向き合ってきたと思う。僕にはこれしかない、そう思っているからだ。


しかし──それは優秀賞として賞を貰った。最優秀賞を狙っていた僕としては、悔しい思いで。しかし次頑張ればいいと己を奮い立たせた。そして、その絵と向き合い、どこが改善できたか考えていた時、兄が部屋に入ってきた。


「ご飯だってー。……あれ、それ賞もらったらやつ?」

「うん、そうだよ。優秀賞だったけどね」

「いいじゃん。それに、素敵な作品じゃないか」


兄は僕の描いた絵を見て、嬉しそうに笑っていた。僕が賞をとったことが嬉しかったのだろう。兄は僕のことが好きだ。いつも褒めてくれるし、自慢の弟だと周りに言って回っているのを知っている。何故こんな人を憎むことしかできないのか、自分を嫌悪をしたこともある。しかし環境が悪い、そう言い訳をしていた。


そして、兄は暫く絵を見て何かを閃いたようだった。


「ここを、もうちょい伸ばしたら良かったんじゃないかな。あと、ここのパース狂ってるから、ここの位置はあと少し右かなぁ」

「──ッ」

「次は最優秀賞もらえるといいね! 俺、応援してるよ」


──全てを、めちゃくちゃにされたように感じた。


兄は絵を描くことなんか好きじゃない。

なのに何故、それが大好きな僕より上手いんだ。

何故、指図してくる?


僕の世界はこの絵と同じだ。

いくら頑張ったって、いくら自分なりの綺麗な世界を描いたって、''より優秀な成功作''という線で正される。


これを絶望せずなんと言えばいい。

全てを否定されなんと叫べばいい。


兄は僕の頭を撫でた。

ただただ幸せそうに笑った。


それに──「ありがとう」と、笑い返すしか無かった。



…………



それは、例のことがあってからすぐの事だった。

学校の帰り道、緋色の瞳の男に声をかけられたのだ。


「あの……大人呼びますよ」

「おや、面白い誤解をしているようだ」


男はとある研究施設の偉い人間らしい。その研究で、意志の強いひとを探しているのだとか。それだとしたら僕は当てはまらない。周りの反応を気にして、親や兄に楯を突き本音を言うことすら出来ないのだ。

しかし、男は僕の瞳を見て笑顔を浮かべていた。早めに逃げた方がいいか、そう思っていると男は僕に手を差し伸べた。


「君は素敵な''意志''を持っている。誰にも負けない、君の……兄には無い、君だけの感情を」

「兄さんには、ない……?」


そんなものない、あるならどこにあるのと言うのか。

しかし、男の瞳から目が離せなくなる。


「その強い『嫉妬心』、素晴らしいではないか」

「ぼ、くは……」

「 ──リクト・トラセム、私と共に来る気は?」


兄を超える。

その言葉に──僕は男の手を取った。



────



砕けた仮面の下に見えたのは、桃色の瞳。

金色に青のグラデーションがかかった髪が、風で降りたフードから覗いて揺れた。


数年経っても間違えるはずがない。

ユウゴの前に立つのは、最愛の弟──リクト・トラセムだった。


「リ、クト……? リクト、なのか……?」

「久しぶり、兄さん」


リクトは、ユウゴが今まで見てきたのと変わらない笑顔を浮かべていた。安心した、嬉しい、しかし何故。そうユウゴが混乱していると、リクトは不意にユウゴを蹴りつけた。そのまま体はアトラクションから落ち、落下していく。地面に叩きつけられて骨が悲鳴をあげても、ユウゴはまだ呆然としたままだった。


リクトは、学校の帰り道に拉致された。

男性についていくのを、目撃していた人がいた。だから、ユウゴはずっとリクトのことを心配して、その真相を探っていた。きっと泣いているに違いない、辛い思いをしているに違いない。そんな弟を救うのは、自分しかいない。そう思い、ただの学生でありながらオルヴァイスの情報を掴み、そして協力者と共にここまで来た。


しかし、弟は敵のシンボルを掲げている。そして自分に武器を向けている。その事実に、ユウゴは混乱して、訳が分からなくなった。


「もう、俺が助けるから、だから大丈夫。リクト、安心して」

「いつまでそんなこと言ってるんだ……必要ないよ、兄さんの助けなんて」

「一緒に帰ろう? 父さんと母さんも心配して──」


ユウゴに向かって、矢が放たれた。

彼の言葉を遮るように向かってくるそれは、まるで憎しみの塊だ。さっきよりも威力の増したそれを、ユウゴはただただ見ていた。

今、ユウゴはまともに戦えない。そう判断して、ルナはすぐにユウゴに向かって走った。全力の脚力で距離を詰めると、彼と矢が接触するギリギリで覆いかぶさり床に伏せる。ユウゴは──目を見開き、そしてリクトを見つめていた。


「な、んで……何故、俺に……?」

「自信過剰だなぁ……何を勘違いしているんだ。誰が……誰が助けを求めた?! 僕は自ら実験台になった、そしてデバイスを使ってる、ここには──僕の意志で立っている!」

「──ッ」


リクトの表情は怒りに染っていた。兄が憎い、超えたい、そう思ってオルヴァイスに所属したようだった。全てユウゴの勘違いで、本人の言う通り望んでこの戦場に立っていた。


「いつだってそうだ。自分に自信があって、才能の自覚があって! みんなに愛されて……さぞ幸せだっただろうね。僕はずっと憎かった、あんたが憎かったッ!!」

「お前がそんな気持ちでいるなんて、知らなかった……」

「ああそうだよな! あんたは僕のことなんか見ちゃいない!」

「そんなこと──」

「五月蝿い!」


怒りの追撃が放たれる。リクトの放つ矢はもうただの矢ではない。使用者の強い意志によって輝きを増すそれから放たれるのは、まるでミサイルのようで。一撃でも当たれば命は無い、ルナはそう確信する。


ユウゴの手を引くと、ルナは一度物陰に隠れた。しかしリクトの猛撃は止まらず、いくつもの爆撃が降ってくる。地面にいくつもクレーターができて、それによって舞う瓦礫や砂埃のお陰で間一髪隠れることが出来た。


「そっか、俺、間違ってたんだ……」

「ユウゴ……」


ユウゴは剣を握りしめた。その視線はずっと地面にあって、今まで見たことの無い様子にルナは彼になんと言葉をかけていいか分からなかった。


「俺なら助けられるって、待ってるなんて思ってたよ。笑えるよね」

「少しすれ違ってるだけだよ。まず話し合って──」

「なんでそんなこと思ってたんだろう。自信過剰? まさにその通りじゃないか、俺には何も出来ない。リクトを助けることはできない……!」


自暴自棄になっている、それを感じてルナはユウゴの腕を掴んだ。しかし、視線は一向に合わない。


「ぁあ゙ッ……俺、は……! ァぁあ゙あァ──ッ!!!」

「ユウゴ! しっかりして!」


ついに立つことすらままならず、ユウゴは地面に膝を着いた。

そして──指先から、灰色に染まっていく。

デバイスとリンクしている感情に異常が出たのだろう、ロストし始めている。ぼろぼろと瞳から涙を流すユウゴは、剣を手放した。そのまま、徐々に灰が体を侵食していき──。


「シ、シュウ! ユウゴが死んじゃう! どうしたら──」

『恐らくユウゴの自負心が限界まで下がっている。今何かを見聞きしてこれ以上感情が動くのはまずい、まず絶望から気を逸らすようなことをしてから失神させろ』

「気を逸らす?! どうやって?!」

『お前が対処しないとユウゴは死ぬ! なんでもやってみろ!』


なんでも。そんな適当な指示があってたまるか。ルナは心の中でシュウに文句をいくつも飛ばしてから、ユウゴの方を向いた。彼は涙を流しながら、苦しそうに蹲っている。そんなユウゴの肩を掴むとルナは無理やり視線を合わせる。


「ユウゴ、大丈夫。こっち見て」

「このまま、しんじゃうんだ。だめだなぁ、おれ……」


ユウゴは自嘲気味に笑いながら泣き続けていた。未だ合わない目と目をもどかしく思いながらも、ルナは肩を掴む手を強めた。


「さいあく、だ……ごめん、みんなごめんね……俺──」

「こっち見ろって! 弱音吐くなッ!!」

「──ブェッ!!」


────バシンッ!


ルナは──ユウゴに全力でビンタした。

一切手加減はしていない。デバイスを使って強化されている身体能力での、全力をかました。頬を押さえて混乱気味なユウゴは、やっとルナと視線を合わせる。


「馬鹿かあんた! こんなんで死ぬとか言うな! 大バカ野郎ッ!」

「で、も……」

「少しすれ違ったぐらいで弱気になるな! あんたは生きてる! あんたの大切な人も生きている! まだ向き合えるチャンスが、あるのに……死ぬとか言うんじゃねェ! バーカッ! アホッ!」


ルナのできる限りの咄嗟の暴言に、ユウゴはキョトンとした顔でそれを聞いていた。まだ効かないかとルナは再び喝を入れるため腕を振りかぶるが──手を下ろすと、ユウゴを抱きしめた。


「もう二度と話し合えないで別れるような人もいる。死んだらもう会話も意思表示すら生きてる人間には届かないのに──馬鹿なこと言わないでよぉ……死ぬなァ……!」

「ルナ、ちゃん……」


涙を堪えるように、ルナは強く、強くユウゴを包む腕の力を込めていく。ユウゴは、それに対して小さく笑うと、ルナを抱き締め返した。


辛い。死ぬほど辛い。しかし、目の前に自分の諦めた言葉に傷つき、そして泣いてる人に全力の平手打ちをぶつける人がいる。それを想い──そして、ユウゴは受け入れるように目を伏せた。


「自信持て! ユウゴ! 私もシュウもいるのに……まだ、なんも終わってないのに、諦めないで!」

「……ありがとう、俺──」


そして、鳩尾に鈍い痛み。

礼を言い、自分はどうかしていた、確かに何も終わってない。諦めない。そう告げようとしたユウゴだったが、ルナのこれまた全力の鳩尾打ちによって意識が朦朧とし言葉を止める。ドスッ、と肉の打たれる鈍い音がなって、ユウゴはそのまま意識を失った。こちらにもたれ掛かるように力を抜いたユウゴを確認すると、ルナは彼を地面に横たわらせる。


「よし、任務完了」

『……涙は演技か?』

「んなわけないでしょ! ガチよ、ガチ!」


シュウのドン引きの声に怒りをぶつけたルナは、ユウゴの体を確認した。ギリギリといったところだが、確かに灰色の侵食は止まっており、ロストを防いだのだろう。今までデバイス使いがロストして散っていくのを見ていたので、こんな状態のユウゴの体は崩れたりしないか、そう思い心配になった。

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