第14話 懺悔
──ぞわり。
そう、そんな小さな嫌な予感がしたのだ。ルナに勧められた恋愛小説を欠伸をしながら読んでいると、どうにも不安になる瞬間が不意に訪れた。そんな寒い内容でもないが、そう思っていたユウゴは、我慢できずに立ち上がった。
自室から出ると、共有スペースへ向かう。そこには誰もおらず、ユウゴはそれぞれの自室の方へ意識を向けた。ルナはアラシ・オウエイというボクサーの試合を友達と観戦するらしい。なので不在。
シュウの部屋から僅かに人の気配がして、彼は自室にいるのだと分かった。
ただのちょっとした不安に過ぎない。なんならただの不整脈の可能性もある。そうだった場合シュウにバイタルのチェックをして欲しいところだが──と、らしくなくその場で立ち竦んで悩んでいた。
「ユウゴ、どうかしたか」
「わっ! シュウか……いや、なんかねぇ」
いつの間に共有スペースに来たのだろうか、シュウに気づかないほどにユウゴは思考に集中していたようだった。煮え切らないような返事にシュウは首を傾げながらも、コーヒーを淹れている。
嫌な予感の正体──そのひとつの可能性に思い当たった。ユウゴはスマホを取り出すと、ルナのスマホのGPSを確認した。うっすら場所を聞いたような会場の傍にあり、無事に着いているようだ。
「外にいるってことは……まだ試合始まってないのか」
「いや、開始は二時のはずだ。もう始まっている」
「え? でもルナちゃん会場の外にいるよ?」
ゆっくり、シュウと顔を見合わせた。
何らかの理由で入れなくなった、もしくはスマホを外に落とした可能性もある。しかし、シュウはユウゴにインカムを投げ渡した。それを受けると、ユウゴは頷き拠点の外へ出て、隠してあるバイクを出してメットを被った。
「シュウ、ナビよろしく!」
『ああ。捕まらん程度に飛ばせ』
「了解!」
ハンドルを捻ると、ユウゴはバイクで会場へ向かった。不安要素を潰すため、そして違和感の正体をこの目で確認するために──。
…………
言ってしまえば、地獄であった。
オルヴァイスのシンボルがついた黒い衣服を身につけた男が、気絶したルナを担いでいた。
そんな彼女の左腕は──無くなっている。
激しい怒り、それに支配されそうになるが、ユウゴは小さく深呼吸をして心を落ち着けた。相手は油断している、それを察してユウゴは起動させたデバイスが作り出している剣の柄を強く握った。
そして──一瞬で距離を詰めると、何やら楽しそうに笑っていた男の心臓を背後から貫いた。叫びをあげる隙すらなかった男は、膝を付きそのまま地面に倒れて絶命する。ルナとの戦闘で大分弱っていたようで楽に殺すことが出来たが、ルナは大怪我を負ってしまっている。ロストしていく男を気に求めず、ユウゴはどさりと地面に落ちたルナに駆け寄った。
「ルナちゃん! もう大丈夫だよ!」
『状況は』
「左腕がない。出血も酷いし……意識も無い。心臓は動いてるけど、このままじゃ……!」
『落ち着け、すぐに止血しろ』
適当に布を切ってルナの左腕に巻くと、強く縛った。服に染みた血が、どんどんと広がっていく。どうしたらいい、どうしたら助けられる。それが脳内で繰り返され、ユウゴは息を荒らげた。
『無くなった左腕は落ちていないか』
「え、えっと、ある! だけど半分ぐらい肉が吹き飛んでて……多分繋げられない!」
『一応回収してくれ。バイクは……無理だな。車で向かう』
「わ、分かった! シュウ……ルナちゃん助かるよね? 俺どうしたらいい?」
『大丈夫だ、そこで待っていろ』
イヤフォンの向こうでシュウがバタバタと忙しなく動いているのが分かる。向かってきてくれているのだろう。
地面に寝かせたルナは、力なくぐったりとしている。余程厳しい戦闘だったのだろう、こんな大怪我をして。
彼女は最近までただの大学生であった。恋人も友人もいて、平和に過ごしていただけだったのだ。それがオルヴァイスと──そして、ユウゴやシュウに奪われた。その責任は取らなくてはならない、ユウゴは常にそう思っているが、その結果がこれである。
「ごめん……ごめんね……」
今だ意識のないルナの手を握ると、ユウゴはそれを額に当て祈るように、ただ懺悔した。
────
──一週間後。
ぼんやりと、意識が浮上する。
ゆっくりと目を開けば、白い天井が見えた。右を見て、左を見て。確か暫く前にもこんな光景を見たことがある気がする。そう思って、ルナはここが医務室であると気づいた。
「──ッ、ルナちゃん……!」
「ユ、ウゴ……私……」
ベッドの傍に置かれた椅子に座ったユウゴは、安心したようにルナを見た。
そして──思い出す。自分にとってはさっきの事で、感覚としてはそんなものだが、実際どのくらい時間が経ったかは分からない。確か自分には腕が無い、そう思い出してルナは覚悟を決めた。これから片手だけで戦わなくてはいけない、それは大きなハンデとなるが、それでも諦めきれることではなかった。
「私……腕がなくても、戦えるかな。訓練、手伝ってよね……」
「大丈夫、大丈夫だよ。今、見れるかな……覚悟が出来たら、腕を確認して」
「……?」
覚悟、なんの覚悟だ。そう思いつつも、しかし決心はついている。向き合うことが、今なら出来る。あの時の優しい女性の声を思い出した。大丈夫、信じている。
左腕に視線を向けると──衝撃を受けた。
伸びている。いや、再生していると言った方がいいだろうか。二の腕部分から無くなっていた腕は、関節部分まで再生していた。それに驚きというか、引いたというか。とにかく自身の体の変化に絶句した。
すると、医務室の扉が開かれシュウが入ってきた。話し声を聞いたのだろう、ルナは目を覚まして、腕がどうなっているのか現状を知った。それを察して、ユウゴの隣に立つ。
「デバイス使いはウィルデバイスの使用中、異常に自然治癒力が高くなる。肉体に負担がかかるため避けたい方法ではあるが……一ヶ月もすれば腕は再生し、今まで通りに生活できるだろう。今までユウゴの傷の回復が早かったのも、それが理由だ」
「えぇ……化け物じゃない……」
「俺も絶無との戦いで足を吹き飛ばしたことあってさぁ。いやー、あの時は軽く発狂したよね」
体の一部欠損トークはこういった組織では当たり前のことなのだろうか。そんなことを考えながら、ルナはとりあえず腕が戻ることに安心した。自分の化け物じみた体の変化には、正直心がついていけていない部分もある。しかし、復讐には、二丁拳銃を握るための腕は必要不可欠だ。受け入れるしかないだろう。
「相手をしていたデバイス使いについては、後で詳しく聞く。今は休んでおけ」
「うん……」
「あと、何故デバイス使いに正体が割れたか。お前のカバンに変装道具が雑に入れられていた理由も後で聞く」
「……はい」
明らかに声色が怒っている。まあ自分のせいなので仕方がないが、とルナは諦めて頷いた。鎮痛剤の調整をして、シュウは医務室から出ていく。それをユウゴと見送って、ルナは大きくため息を吐いた。
「多分めっちゃ怒られる……!」
「多分というか、確実だね」
「うわー、怖い!」
どんな怒られ方をするか、今までとは比ではないのだろう。今からとんでもなく怖いが、どうにか気持ちを切り替えた。ユウゴも絶無との戦いで足を無くしたと言っていた。なんども頷いて、そして渋い顔をしている当たりこれからルナが受ける雷を、もう既に経験しているのだろう。
「デバイス、ずっと起動してるんだ。……ん? ということは周りのものずっと止まってるの?!」
「世界は最初に起動した人の半径一キロの範囲から止まる。解除されたらラグったみたいにみんな普通に動き出すから……一週間も止めてたら本当は結構やばいんだよね」
体の活動も止まってるため、一種のコールドスリープ状態のようになっているらしい。だから餓死したりする心配はないが、気づいたら一週間会社を無断欠勤していた、行方不明になっていたという状況になるらしい。
止まっている人は動いている世界から見えなくなり、一度空間から切り離されるという。ルナが心配していた、止まっている間に何かあった場合影響が出るのか。それも心配することはなく、攻撃が当たっても無傷で動き出すのだとか。
「じゃあ、デバイスをずっと付けてるのは危険って言うのは……」
「起動していたら体に負担がかかる、そして一般人に迷惑がかかる……この二点かな?」
「は、早く外さなきゃ! 一ヶ月なんて無理!」
デバイスを外そうとしたルナだったが、それをユウゴに止められる。何故だと思うが、ユウゴは首を横に振った。
「これ以上オルヴァイスを好きにさせる訳にはいかない。一般人が一ヶ月失踪して君が万全な状態に戻れるなら、俺はそっちを選ぶ。君もそうして欲しい」
「そ、そんな……!」
「もう弟のような経験をする人が出て欲しくないんだ、頼むよ……」
ユウゴはルナに向かって頭を下げた。それを見て、ルナもどうしたらいいのか分からなくなる。オルヴァイスはウィルデバイスの実験のために人を拉致して使う。それは知っている事だったが、改めてユウゴの口からそういった言葉を聞くと、頷くしかないだろう。ルナ達は、一刻も早くオルヴァイスを止めなればならないのだ。
「分かった……」
「ありがとう」
「ちょっと神隠しにあった感じだと思ってくれたらいいだけどね」
デバイス使いは時が止まっていても動けるため、ずっと起動していればどの範囲から時が止まっているかの判断で位置が特定しかねない。その心配もあるようだが、ユウゴもシュウもルナの回復を望んでいるようだ。
そして、そこでふと疑問に思い当たる。
「……あの、さ。なんでシュウはデバイス使いじゃないのに、動けてるの?」
「あ、それなら俺も前に気になって聞いたんだけど、体質だって」
「た、体質?! そんな雑な誤魔化し方ある?!」
今思えば、絶無と戦った時もシュウは普通にイヤフォンの向こうで喋っていた。何故今まで気が付かなかったのだろうと思いながら、ルナは雑な誤魔化し方に呆れていた。しかし、シュウにとって触れられたくないことだからそう言っているのだろう。それなら深く突っ込むようなこともしないが、これもいつか話して欲しいものである。
「ルナちゃん、あのさ……」
「ん?」
ユウゴは珍しく気弱そうな表情をしていた。そしてルナの手を握ると、大きく息を吐いて、そしてしっかりルナを見つめる。
「助けるのが遅くなって、ごめん。必ず守るって言っておきながら……結果はこうだ。シュウも結構怒ると思うけど、あの人も守れなかった責任とか後悔とかがあると思うから、何言われてもあんまり責めないで欲しい。本当に、ごめんね……」
「……分かってるわよ。貴方の計画に乗ることを選んだのは私自身の選択だもの、別に貴方達に責任がある訳じゃないわ」
「……ありがとう」
ユウゴはまたルナに頭を下げた。それを見て「やめて」と慌てて言ったルナは、体を起こそうとする。しかし痛み感じて、大人しく寝ておくことにした。
「わわっ、ごめん! 寝てていいよ!」
「……ふふっ、今日は謝ってばかりね。ユウゴ」
「ごめん。……ああ、いや、うーん」
指摘されて申し訳なさそうな、恥ずかしそうな。そんな表情で、ユウゴは視線を逸らしてしまった。
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