第11話 交渉
────六月。
「え、チケット?」
『そう! ルナが好きって言ってたボクサー、アラシ・オウエイって人だよね? 前あげたブロマイドの人!』
「そう! そうだよ! ……って事は……?」
「当選しちゃった! 行こうよ、試合見に!」
ルナはその言葉に思わず椅子から立ち上がった。アラシ・オウエイ、ルナがデビュー当時から応援しているボクサーだ。軍人であった父親が好きで、ルナも最初は興味がなく無理やり付き合わされて見ていたが、その勇士に次第に好きになっていた。
アラシと言えば今一番人気なボクサーと言えるだろう。そんな存在の試合のチケットがあるのだ、見に行かないという選択肢は無い。
「ちょっ、ちょっとシュ──親に聞いてみる! 今実家で暮らしててさ、あはは……」
『そうなんだ、じゃあまた後で連絡してね』
「はーい」
ルナの気分転換になると思ったのだろう、友人、ミカはよくこうやって電話をしたりして話し相手になってくれる。今回もその一環に違いないが、とんでもなくありがたい話であった。
しかし、ルナにはアラシ・オウエイに会う前に壁を乗り越えなくてはなかった。それは分厚い壁だが、アラシも今回は長年のライバルであったシキ・ミヤエとの対戦だ。このチャンス逃す訳にはいかないし、「アラシが頑張るなら私も頑張る!」というファンとしての闘志を燃やしていた。
早速共有スペースに向かったが、そこにはユウゴしかいなかった。シュウは自室に居るようだ。まずは味方をつけるべし、そう思ってスマホを操作していたユウゴの前まで行くと、バンッとテーブルに手を付き身を乗り出す。
「うわっ! ……俺また何かした、かな?」
「二週間後のお昼、空いてる?」
「え?」
何が何だかと言った様子だが、ユウゴはスマホでスケジュールを確認すると申し訳なさそうに首を横に振った。
「ごめんね、その日は予定があるよ。何処か行くの? 俺が同行しなくても、変装していけばシュウも許してくれると思うけど」
「友達に会うから変装はちょっと……」
「うーん。まあ、とりあえず聞いてみなよ!」
確かに、シュウも融通が効くタイプでは無い頭の硬い人だが、今回ばかりはルナの熱意に押され頷いてくれるかもしれない。ユウゴが拳を前に突き出したのを見て、ルナは勇気を貰うように自身の拳も突き出し合わせた。応援してくれる人がいるのだ、今のルナは無敵と言える。
アラシも自分の声援を期待している、待っているだろうと己を奮い立たせると、いざシュウの自室へ────。
「駄目だ」
「はい、分かってました」
「分かっているなら聞くな。時間の無駄だ」
パソコンから視線を逸らさず、シュウはルナの提案を一刀両断した。忙しなく動く指は何らかの文章を書き出しているようだが、普段シュウが何をしているか知らないため内容もよく分からない。というかそんなのは今どうでもいい話だ。
「お願い! 道中は変装するし、素顔なのは友達と合流して試合見てる間の数時間だけだから! すぐ帰るからぁ!」
「ユウゴは予定が合わんのだろう。ならばより安全を重視する」
「ユウゴーーーーッ!!!」
ユウゴさえいればいいのか、ユウゴの予定を消しさればいいのだろうか。物騒な考えをし始めたルナだったが、それを察したのかシュウはため息を吐くと手を止めルナの方を向いた。シュウは怒っているというよりかは呆れている、といったような様子で、ルナは怒ってないならまだいけるかと、ぱんっ、と音を鳴らし手を合わせた。
「私が餌というのなら撒き餌にして釣ればいいじゃないですか! お願い致します! 何卒!」
「丁寧に言っても駄目なものは駄目だ。大体、命をかけてまで見る価値があるのか、そのアラシという男の試合は」
「あるッ!!!」
「そ、そうか……」
今度は呆れというかドン引きである。引かれようがなんだろうがどうでも良いこと。アラシの試合を生で見れるチャンスなど、今回を逃せば死ぬまであるわけが無い程の奇跡なのだ。土下座をしてでも、そう思いルナが膝をついた時、シュウは「待て」と言い止める。
「…………変装はしろ。それが条件だ」
「ぐっ、ぬっ……ッ!! ──ざぁすッ!」
「お前の安全を考えてのことだ、必ず守れ」
一瞬悩んだが、もう友人になんて思われてもいいから見たい、その気持ちが勝ってしまった。試合を見に来るオルヴァイスの幹部が居るとは思えないが、万が一、億が一がある。彼の試合をいいと思える感性は、オルヴァイスのクズ共には無いだろう。ルナはそう心の中で唾を吐きかけ、そしてシュウの許可にガッツポーズをしていた。
「ありがとうシュウ! だいす──いや、大好きではないかな……ノリでなんか口走りそうになった……」
「はあ……そんなにボクシングが好きなら、存分に楽しんでくるといい。気分転換になるだろう」
シュウはそう言うと、また作業に戻った。試合は二週間後だ、すぐにミカにショートメールで「許可をもぎとった!!」と送ると、祝福の言葉と詳しい日時が返される。これで安心安泰、豊かな二週間を過ごせる権利を得たのだ。
今だ作業中のシュウは、仕事をしているのだろう。それに対して、自分だけ楽しむのも、そんな気持ちがルナの中で湧く。
「その、シュウは趣味とかないの? ずっと部屋に篭ってたり共有スペースでコーヒー飲んでるだけだけど」
「……趣味ならある、別に心配せんでもいい」
「え! あるんだ!」
珍しく、シュウから前向きな返事が返ってきた。どうせ「必要ない」か「興味が無い」とかが返ってくるものだと思っていたルナは、興味が湧いて話を聞こうとソファーに座る。立ち去るつもりがないと分かったのか、シュウはため息を吐きながら作業を続けた。
「何が好きなの?」
「趣味を仕事にしている。だから趣味を楽しんでいると言えるだろうな」
「え、つまり株が趣味ってこと? ……なんか、らしいというか……うん……」
「違うが?」
確か資金調達は株で行っているとユウゴから聞いている。つまりシュウの仕事は株での投資、イコールそれが趣味ということになるのでは無いか。そう思ったが、速攻で否定されルナはむくれる。なんだがのらりくらりと躱されている気がする。会話が微妙に噛み合ってないというか、あの女性との会話を思い出した。ならば、とルナは立ち上がってシュウがずっと作業しているパソコンを覗いた。
「じゃあ普段何してるわけ? というか何書いてるの?」
「おい、勝手に見るな!」
「いいでしょ、減るもんじゃないし」
見ることで打ち込んだ文字が消えるのならそりゃあ遠慮致しましたとも。そう思いながらルナは画面を隠そうとするシュウの手を無理やり退かした。隠そうとするということは、それがシュウの仕事兼趣味に関係あることなのだろう。
画面には、難しい言葉が並べられている訳でもなく、株についてのメモでもなかった。
「……小説?」
「……」
諦めて椅子に脱力してもたれ掛かるシュウを無視して、ルナはその文章を読んだ。内容は、魔法使いの旅人とお姫様様のお話で、シュウがこれを書いたと思うと失礼ながら背筋がゾッとする程素敵な恋愛ストーリーだ。
というか、見覚えがある。文章の構成や人物名、国の名前まで一緒。ルナが最近ハマっている恋愛小説の内容と似ていた。
「ああ、その……二次創作的な?」
「オリジナルだ」
「は? え? ……んん??」
オリジナル。つまりシュウの作り出した設定ということになる。つまり、つまり? とルナは首を捻りながら脳をフル回転させた。同じ設定で書かれた書籍がある。シュウが今書いてる内容は見たことがない話だったが、それが最近でた最新刊の続きだとしたら、自分が読んでいた本もシュウが書いたことになるのでは。それは──どういうことだろうか。
「ごめん、なんか理解できないや」
「お前……そうか、読者か。はぁ……なんと言ったらいいんだろうな、この気持ちは」
「私も複雑な気持ち……応援してたのに……」
シュウの趣味は執筆。そしてルナが最近ハマってる恋愛小説、『また逢う日まで』の作者である『シズク』はシュウということになるのだろう。やっと理解した。理解してしまったと言った方がいいだろうか。
「シュウが恋愛の繊細な心理描写とか書いてるわけ……? 駄目だ、脳がバグりそう」
「態々詳細は伏せてやったのに、後悔先に立たずというのはまさにこの事だな。お前たちは投資と本の印税で飯を食っている、これが事実だ」
「……う、うわーーーッ!! ユウゴーーッ!!」
「おい待て! 何を言う気だ!」
これは誰かと共有しないと頭がおかしくなる。そう思ってルナはすぐにシュウの自室を飛び出した。止めようと追いかけくるシュウをひらりひらりと躱しながら、共有スペースでご飯を食べていたユウゴの隣に滑り込むように座る。
「え! 何?!」
「そのご飯! シュウのキラキラ素敵な恋愛小説の印税で──モゴゴッ!」
「このッ、黙れ! 喋るな!」
シュウに口を塞がれたルナは懸命にその手を引き剥がそうと力を込める。だが案外力が強い、真実をユウゴに告げる使命があるにも関わらず、ルナはシュウの腕力に負けてしまった。
「モゴ、モゴゴ……」
「あははっ! よく分かんないけど楽しそうだね」
楽しそうだと言われ、ルナとシュウは視線を合わせるとなんだか恥ずかしくなってしまった。今まで特に仲良いとか思ったことは無いし、ルナとしては二人は他人であるが。いや、他人だと思っていた、と今は言えるだろうか。そう思って、ルナは余計に顔を赤くしたのだった。
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