第8話 『姫神』
聞き覚えのある声に振り返ると、相手は笑顔を浮かべたままルナの様子を伺っている。
相手は──想像通り、と言ったところだろうか。
急な登場、やけにしつこく付き纏う理由。何より、彼女と最初に会った時確かに言われたのだ。『では、また』、と。
「あの時、貴女は私ともう一度会うことを知ってた」
「あらあら、そんなこと言ったかしらぁ? わたくし覚えていませんわ」
「ヒメカ・クインル。貴女もオルヴァイスの人間ね」
そう言われ、ヒメカは一層口角をあげて笑った。先程までは桃色と白を基調としたロリータ服であったが、今はフリルの塊なのは変わらないが真っ黒な衣服を身につけている。そして、その服の一部には、オルヴァイスのシンボル。
それを確認していると、ヒメカは肩に下げていたポシェットから何かを取りだした。ルナやユウゴとは違い桃色をしたそれは──ウィルデバイスだ。関係者所ではなく、腕輪使い。そう理解すると、ルナは直ぐにカバンからスマホを取り出してユウゴへ連絡をとった。コール音を少し鳴らしただけで、受け取った音が聞こえる。
『はーい、どした?』
「ちょっとヤバいかも! たすけ────」
全てを言い切る前に、手を叩かれてスマホが地面に落ちた。カシャンッと地面に叩きつけられたスマホが悲鳴を上げ、そこに一瞬視線が向く。
「だぁめ♡ 二人っきりでお話したいのよぉ」
「……ソレ使って?」
「ふふっ、これ可愛いでしょ? わたくしのだぁい好きなピンク色! さぁ──『デバイス、オン』」
腕輪を手首に嵌めたヒメカは、手のひらを上に向けて両腕を前に出した。そして、その上には彼女が大好きだと言った桃色の大鎌が生成される。その柄をしっかり掴むと、ヒメカは鎌をクルクルと回してから構えを取った。
「貴女もデバイス、使っていいわよぉ? わたくし、優しいでしょう?」
世界は静寂に包まれ、ヒメカの声がしっかりとルナに伝わる。時が止まった世界の中、互いに見つめ合う。
ルナは意を決して腰につけていたポーチに手を伸ばすと、中からデバイスを取り出した。そして、それを手首に嵌める。
「(最初の時みたいなおぞましい感覚は無い。けど、このまま戦うしかないか……)」
「怖い? ねぇ怖いのぉ?」
「……『デバイス、オン』」
挑発するようなヒメカを無視したまま、ルナは深紅の二丁銃を手に握った。銃口にヒメカに向けると、彼女は楽しそうに笑っている。そして、大鎌を振りかぶったと思えばその切っ先をスマホに突き刺した。バキリと音を鳴らし砕け散ったスマホを見て、ルナは僅かに顔をしかめる。
「また連絡取られるのは嫌じゃなない? だから先に壊させて貰いましょうねぇ?」
「弁償してくれるんでしょうね?」
「ええ、勿論。これ以上無駄口が叩けるのならのお話ですが」
彼女の実力がどれ程かは未だ未知数だ。以前ユウゴと戦っていた男とはまた別の雰囲気だが、舐めて掛かっていい相手ではないと言うのは分かる。
「改めましてぇ、わたくしはオルヴァイスの幹部が一人、『姫神』と申しますわ」
「姫神、ね……大層な名前だこと」
「これから貴女をぶっ潰しますのでぇ、よろしくお願い致しますわ、ね──ッ!」
ヒメカは地を蹴り、一気に距離を詰めてきた。
再び振りかぶられた大鎌の刃が獲物とするのは、今度はスマホではなくルナだ。すぐに後ろに大きく飛び退くと、ルナは広い場所を探して逃げながら走った。
スマホにGPSが付いているためそれでユウゴが来てくれることを望んでいたが、直ぐに感ずかれ壊されてしまった。どうにか探して貰えればいいが、最悪ここで一人死ぬ可能性もある。
どうしたらいいのか、そう考えながら、ルナはヒメカの攻撃を避けながら公園に走った。
まだ遅くない時間だったが、幸い公園には遊んでいる子供などは居ない。余程人気のない公園なのか知らないが、好都合である。
振り上げられた大鎌の切っ先が、強く地面に突き刺さった。ルナが先程まで立っていた場所が抉れ、その隙に弾丸をヒメカに撃ち込む。
「おほほっ! 当たりませんことよぉ!」
「くそっ……!」
体を捻り器用に弾丸を避けたヒメカは、そのまま抜いた大鎌で薙ぎ払う。しかし、全く的外れな方へ向いたそれに、ルナは違和感を感じた。その隙に発砲しようと狙いを定めていると、ニヤリとヒメカが笑ったのが見える。
そして──不安は的中する。
「──ッ!?」
グンッと伸びた大鎌の柄は、そのままルナの上半身と下半身を裂くように一気に縮む。稲を刈り取るかのように刃が迫ったその感覚に背筋を凍らせながらも、ルナはどうにか反応することが出来た。
できる限りの力を足に込めて飛び上がると、そのまま下を通過していった刃に冷や汗すら流す。元の長さに戻った大鎌の柄を撫でながら、ヒメカは残念そうにため息を吐いた。
「あ〜ら、もうちょっとでしたのに」
「そう簡単にはいかないわよ」
狙うは頭部。相手がこちらを格下だと見下しているのは、いいチャンスだと言える。本気を出してくる前にどうにか対処するしかないと、ルナは震える手を抑えながら照準を合わせた。
トリガーを引く。すると、放たれた弾丸は一直線にヒメカへ向かった。そして、接触する数秒前。
「ああ、楽しいわねぇ」
それはあっさりと真っ二つに裂かれた。
飛び散って消えた弾丸はルナの意志そのものを表しているようで、勝てるビジョンの浮かばない戦闘に、心が折れそうだった。
──思い出せ。
怒り、怒り、怒り──煮えたぎるほどの憤怒。
それはいつだって心を燃やし、錆び付いた体を動かす燃料となって。
「アハハッ! 怖ぁい顔!! そうやって虚勢はらないと立ってられないのねぇ。可哀想、可哀想ですわねぇ!」
「────五月蝿い」
恋人を殺したのは彼女かもしれない。
溢れる復讐心は、真っ赤に滾る弾丸として放たれた。
それは──見事にヒメカの頭部にヒットする。
「──カァッ?!」
本物の銃とは違いゴム弾のように打撃を加えたのか、初めて人に当たった弾は、パンッ!と破裂音のような音を鳴らして火花が散った。
…………
──揺れる。
頭が揺れて。
霞む視界に見えるのは──何?
「もう、家柄に縛られて生きるのは嫌なの!」
嗚呼、わたくしの可愛い顔。
そうね、これは過去のわたくし。
今よりもまだ幼いわ。
きっかけはなんだったのかしら?
ただ、嫌だったのよ。
確かにわたくしは可愛がられていたわ。
でも、でも。
マナー。
習い事。
門限。
あれはダメ、あれをしろ。
こうであれ、正しくあれ。
あーあ、全部疲れたわ。
だから──飛び出して来ちゃったのよ。
もうお母様やお父様の顔色を伺わなくてもいいのね。
でもお金が無いわ、これじゃあ生きていけない。
わたくし可愛いでしょう?
だから養ってもいいのよ?
でも……綺麗なだけじゃあ駄目なのね。
みんな分かってくれないわ。
「──君の望みを叶えようか」
「あなたは……?」
その時──あの人は手を差し伸べてくれたの。
大好きよ。
愛してるわ。
だから、だから恩を返したくて。
わたくしは可愛いわ。
だからみんな助けてくれるのね。
そんなわたくしって、やっぱり凄いわ────。
…………
「何──今の……?」
一瞬、何かの映像が脳内に流れた気がした。ソレに引き込まれるような感覚がして、ルナは慌てて首を横に振る。
ヒメカは撃たれた顔を手で抑え、そして絶叫した。
焼ける痛み、それによって顔に深い傷を負ったことを察して。片手で顔を抑えると、絶望を堪えるように体を掻きむしる。フリルに爪が引っかかって破れても、それが止まることはなかった。
「あぁ゙、ぁあアあぁ゙ーーッ?!」
その様子に、ルナは一方身を引いてしまう。それ程までの気迫を、彼女から感じたのだ。発狂している、そう表現するのが一番適しているだろう。
こちらを睨みつけたヒメカの顔の右側は、大きな火傷を負ったようで傷がつき赤くなっていた。見開かれた彼女の目はしっかりとルナを捉え、そして大鎌をしっかりと握っている。
「わたっ、わたくしのっ!! かわいっ、可愛い可愛い顔ッ!! 顔がァ!! ああ゙……ッ!」
「──ッ!」
ルナに向かって伸びた刃は、確実にルナを殺すための一撃だった。本気を出した獣の爪は、鋭利で、そして殺意の塊のようで。このままでは死ぬ。そう直感したルナは拳銃を構えた。
前にオルヴァイスの幹部の大剣を逸らしたように、刃に向かって数弾の弾丸を放った。しかし、それらは弾かれてしまい刃は一直線にルナに向かう。
死ぬ。
確実に死んだ。
こんな大きな刃物に裂かれれば、どれ程痛いのだろうか。
きっと死んだと理解する間もなく体が二つに分かれ、一瞬で絶命するのだろう。
飛び退いて避けようにも、先程のように飛び上がるのももう間に合わない。
手に握るウィルデバイスの──二丁拳銃の光が弱ったような気がして。
なんだか呆気なくて、涙すら出ない。
怖い、逃げたい、でも、まだ何も出来てない。
だから、
だから────
「ま、だ……死ねるかァーッ!!!」
ルナの叫びとともに、拳銃は光を取り戻した。
復讐は成し遂げられていない、何も終わってもないし始まってすらない。そう思うと、死んでいる暇ななどないと己を奮い立たせる。
刃が体を裂くまであと数秒。
早く、体を動かさなければ。
しかし、もう遅い。
「(──あ、私こんなところで終わるんだ)」
死に直面して、ふと冷静になった。
目を瞑ることもせず、ただただ迫る刃を見つめた。
────しかし、その刃がルナに触れることは無かった。
一線の青。
それはルナも知らぬ意志を秘めた群青の一振で、その剣を構えた剣士は知った顔で笑っていた。
「やあ、おまたせ」
「──ユウゴ!」
ヒメカの大鎌を、ユウゴはそれよりも一回りも小さな片手剣で受け止めている。ルナは先程まで向けられていた圧力と押しつぶされそうな殺意の大きさで、どれ程強烈な一撃だったかを理解しているつもりだ。腕力の違いがあってもそれを飄々としたいつも通りの表情で止められるユウゴに、意外だと思ったか、感動したのか。
「邪魔ねぇ、邪魔邪魔邪魔ァッ!! 退きなさいよ!!」
「うーわ、ひっどい火傷。それじゃあ表あるけないね、かーわいそ」
「あ、んたァ……ッ!!!」
完全にヘイトがユウゴへ向いた。わざと煽ったにしても才能ある能力に苦笑いを浮かべて、ルナは二丁拳銃を構え直した。
一瞬だけ光が弱まった気がしたそれは、いつも通りの燃え上がるような赤で安心する。
ユウゴは迫った刃を強く払うと、その衝撃で僅かによろめいたヒメカの懐に一瞬で距離を詰めた。しかし、そんな隙を許すはずもなく、ヒメカは後ろに大きく飛び退く。
ぶつかり合う強者同士の衝突に、ルナは足を引きそうになったがすぐに気合いを入れ直した。
「援護ヨロシク!」
「了解」
外見に執着があるのだろう。そんなヒメカによりダメージを与えるべく顔を集中的に狙った。元々は脳天を撃ち抜くつもりであったが、ルナのウィルデバイスにそこまでの威力はないらしい。
ユウゴが斬りこんで、相手の攻撃を避けるために一度後退する。その瞬間にルナが援護射撃し、ヒメカがそれを避けるために出来た隙を、ユウゴが狙う。
「さあさあ、情報を洗いざらい吐いてもらおうか──なぁっ?!」
「ご、ごめん!!」
ルナの放った弾丸が、一発ユウゴに被弾してしまった。背中を直撃した弾丸に思わず手が止まったユウゴを見て、ヒメカは勝ち誇ったように歪んだ笑みを浮かべた。
「きゃはははッ!! 死ね!」
「──ッ!」
反応が遅れたユウゴであったが、間一髪で薙ぎ払われた刃を飛び退き避けた。しかし、切っ先の掠った左足から出血して、地面に血が飛び散る。どくどくと流れる血に、呑気にやれやれと肩を竦めたユウゴは、未だ余裕の表情を浮かべていた。
「わたくしの顔をこんなにしちゃってぇ……あなた達の命よりも、大切で、価値のあるッ! わたくしの美貌をッ! 嗚呼ッ、この愚か者共はァ!!」
「──はあ、なるほどね。そんなブスじゃ誰も相手にしてくれないよ。分かるよね? ほら、鏡みなよ」
ユウゴは懐から手鏡を取り出すと、それをヒメカに投げ渡した。反射的にそれを受け取ったヒメカは、恐る恐る怯えたように鏡を覗いた。赤くなり、ところどこに水脹れの出来た自身の顔に、ヒメカは絶句した。
「──ァ、あ……」
「美貌なんて言葉、程遠いね」
「そんな、そんな……!」
ヒメカの持っている大鎌が、ジリジリと僅かに輪郭が揺れた。それを認識した時、発光していた桃色が弱まったのが分かった。もう先程までの圧力は感じられない。
その隙を見たルナは、拳銃を構えると再びヒメカの顔面に、容赦なく弾丸を撃ち込んだ。その勢いで後ろに大きく仰け反ったヒメカは、フラフラと後ろへ後退する。
「嫌だ、嫌だ、いやだいやだいやだイヤダ────」
「じゃあ、サヨナラだ」
瞬間、青の光がヒメカの左胸に飲み込まれていった。
しっかりと心臓を貫いた一撃に、ヒメカは言葉すら出せずに体を痙攣させた。口からこぼれたのは死に恐怖する絶叫でも、顔を焼いた悲しみに泣く嗚咽でもない。ただ、血が溢れて。ユウゴが剣を引き抜くと、ヒメカはそのまま後ろに倒れ込んだ。
「まだ喋れるかなぁ? リクト・トラセムという名に心当たりは?」
げぽ、がぽっ。
血に溺れたヒメカは──笑っていた。
死を自覚しながらも、ただただユウゴに笑みを向けていたのだ。それはイタズラが成功した子供のようで、無邪気で、時には残酷な心からの笑顔。
それを確認したユウゴは、剣を逆手に持つと、ヒメカの頭部に向かって振り下ろした。鼻を中心に刃の突き刺さった体は、そのまま灰の色になる。
「おっと、消滅する。……情報聞き出してからが良かったな」
灰色に染まった肉体は、まるで灰そのもののようにさらさらと風に乗って散っていた。やがて肉体がなくなり、地面に転がったウィルデバイスは強く発光する。そして、持ち主を追うように砕け散り光の粒となって消えていった。
それを見て、ルナは安心したように脱力した。地面によろよろと座り込むと、ヒメカが倒れていた場所を呆然と見つめる。目の前で人が死んだ。それにも関わらず、ルナの心の中にあるのは確かな復讐心のみだった。
「お疲れ様。幹部の一人撃破だ! お手柄だね」
「貴方……人を殺したっていうのに、元気ね」
「今更じゃないかな? 大丈夫! 弟を救ったら自首するし、それまでの間は愉快な殺人鬼でいる覚悟もあるよ?」
お前にその覚悟は無いのか、ユウゴの瞳はルナにそう問うているようであった。ルナは手の内で発光している二丁拳銃を見つめる。
「私も、共犯よね。はぁ……一緒に地獄行きだわ」
「楽しい地獄にしよう!」
「はいはい、もうそれでいいわよ」
ユウゴに手を差し出され、ルナがそれを握ると起き上がらせてもらった。もう後戻りはできない。同じ目標を掲げてユウゴやシュウと歩む限り、ルナは復讐を成し遂げたあとの人生に幸せを望んではいけないのだろう。
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