第7話 大学
──スエード大学。
それはルナが通っている大学で、現在恋人の自殺で精神を病んだと嘘をついて今は通わなくても良くなった場所だ。しかし、ルナは校舎前の大門の前に立っている。
ここに来ることを誰にも言わないで来たせいで、ルナは後ろめたさに押しつぶされそうだった。あれだけ止めてくれたユウゴやシュウに嘘をついてでも行かないと行けない理由ができてしまったのだ。
それもこれも、一本の電話が始まりだった。
────
──昨日、拠点
スマートフォンの鳴る音で目が覚めたルナは、すぐにそれを手に取る。画面には友人の名前が出ており、寝起きにはうるさくでかい音で鳴る着信音に耐えきれず、ルナは寝ぼけたまま電話に出た。
「はい、もしもし」
『あ、ルナ?! あんた大丈夫なの?!』
「え、なんで?」
何かあったのかと慌てて体を起こすと、友人はルナの返事に不審がっているようだった。やっとはっきりしてきた頭で、質問の意味を考える。確かに数日休んだが、今は休学の許可も貰っている。学校に行かなくても騒がれることは無いはずだ。
『なんでって、あんたの恋人……その、亡くなったって。教授から休学するってのと、休む理由聞いたから……』
「…………あ」
あ、では無いのだ。
当然友人が急に恋人を亡くし、心病んで休学することになったなどと聞いたら心配するのは当然だ。実際は健康でピンピンしているし、何不自由ない生活を送っていたせいでそこが抜けていた。早く取り繕わなければ、友人の不信感を買ってしまうだろう。
ルナは焦って、誰も見ていないにも関わらず言い訳するように手をブンブンと横に振った。
「いや、その……あんまり受け入れられてなくて。だってレアート、この間まで、元気で……ううっ……」
『そ、そうだよね! ごめんね!』
「ううん、心配してくれてありがとう……」
騙しているようで心苦しいが、今はそれどころでは無いのだ。申し訳ないと脳内で謝りつつ、ルナは友人に適当に言い訳をしておいた。それに納得してくれて、何より恋人の死について深く触れない方がいいだろうとそれ以上聞いてくることは無い。それに安心して、ルナは程よいところで電話を切ろうとした。
「じゃあ、そろそろ──」
『待って! そういえば、教授が休学のために渡したい書類があるから、来て欲しいって言ってたって。最悪条件によっては休めないかもしれないらしいから』
「ああ、そうなんだ。分かった……ありがとう」
そんなこと最初に学校に電話した時は言っていなかったが、あの時は急な話で気を使っていたのかもしれない。今ルナに連絡をしていると知った教師が、丁度近くにいたのだろう。何度も経験済みだからもう気にしていないが、友人は声が大きいせいで会話の内容が筒抜けになっているはずだ。
「今日……調子良さそうだから行こうかな」
『大丈夫? 無理してない?』
「大丈夫だよ。明日はどうなるか分からないし、行けそうな時に行きたいから」
『じゃあ丁度ウチも渡したいものあるから、会えそうなら会おうよ!』
友人と会う約束を取り付けると、ルナは電話を切ってそれをベッドに投げた。そして、悟られないように学校用のカバンでなく前のショッピングで買った新しいカバンに必要なものを詰めると、部屋から出る。
地上に出る階段に向かうには、共有スペースを通らなければならなかった。そこには大体ユウゴが居て、外出時は必ず着いてこようとする。
しかし、幸いにも今日はユウゴは外出中のようで彼はいなかった。──が、代わりにシュウが階段が見えるところに座っている。
「(うわーーー最悪、よりによって……)」
声を出さないようにそろりそろりと階段の方へ近づくと、シュウの視界に入ったあたりで涼しい顔をして歩き始める。
作戦は、こうだ。
学校に行って貰わないと休学出来ないかもしれない書類があるから貰ってくるね。大丈夫、途中でユウゴと落ち合うことになってるから。貴方は着いてこなくていいから、というか着いてこないよね? そうだよね、外嫌いだもんね。行ってきます────という作戦だ。
脳内でシュミレーションして、シュウの目の前に立つ。文句があるならどんと来いと仁王立ちしていると、ふと違和感を覚えた。
「……あれ、寝てる?」
シュウは腕を組んだまま僅かに俯いていて、テーブルに置いてある新聞を読んでいるのかと思っていたが、ルナが目の前に立ってもなんの反応もなかった。まさか死んでいるのかと思って不安に思った時、「ゔぅっ……」と小さくうめき声が聞こえた。それは確かにシュウの方から聞こえて、そして続いて小さく何かを言っているのが聞こえる。
「ぷっ、シュウも寝言とか言うんだ」
「──ま、せ──」
「(なんて言ってるんだろう……)」
今のうち外に出た方がいいが、シュウがどんな夢を見ているのか、好奇心に負けてしまった。息を潜めながらワクワクして耳を近づけると、今度ははっきりと聞こえた。
「……申し訳、ございません……」
「え……」
「お許しを、どうか、どうか────」
よく見れば、フードから少し覗いている口元は汗ばんでいた。許しを乞うシュウは、今度は歯を食いしばりなにかに耐えている。余程夢見が悪いのだろう、とても辛そうに見えた。誰かの名前を言ったようにも聞こえたが、上手くは聞き取れない。
想像していなかった寝言に思わず固まっていたルナだったが、ガクンッと大きく頭を揺らしたシュウを見て、慌てて素早く階段の方へ向かった。シュウの意識が戻る前に階段を静かに、かつ迅速に登ると地上に出る。
「……あの人、何を背負ってるんだろう」
許しを乞う言葉、決して話さない過去。
シュウは何かを抱えている、そう理解してしまった。なんだか気まずい思いをしながら、ルナはすぐにタクシー乗り場に向かう。折角欺いて一人で地上に来たのだ、早めに用事を済ませて帰った方がいいだろう。
…………
本当ならバスで行った方が安いが、スピードを重視したため乗る羽目になったタクシーから降りた。泣く泣く高い金を支払って来たのだ、ユウゴやシュウにバレる前に帰りたいところだ。
友人とは授業が終わってから会うことになっている。時計を見ると、あと十分程度で終わりそうで、先に職員室の方から向かうことにした。恐らく書類に記入しなくてはいけないところがあるのだろう。
そういえば病気で休むなら診断書が必要じゃなかったかと焦っていると、丁度廊下で知っている教師とすれ違った。教師は一旦ルナにいつも通り挨拶して、通り過ぎたことに「え?!」と声をあげて戻ってくる。
「ル、ルナ?! あなた大丈夫なの……?!」
「いえ……友人から受け取らなきゃいけない書類があると聞いたので……」
「書類? ああ、休学のよね。それなら自宅に送ったわよ?」
それなら、今は誰もいない部屋の郵便ポストにソレが入っているのだろう。なら気づかなくてもしょうがないと思うが、では友人はどの教師から言伝の内容を聞いたのだろう。心配して近状を聞いてくる教師を適当に流しつつそう考えていると、授業終了の時間になっていた。
「ちょっと、友人に詳しく聞いてみます。本当は、外に出るのも嫌で……早く用を済ませてきます」
「そうよね、引き止めてごめんなさい。何かあったら相談してね」
「ありがとうございます」
友人とは、中庭にあるいつもお昼を食べるベンチで待ち合わせしている。早く用を済ませないといけないというのは本当なので、友人が渡したいと言っているものを受け取って早めに帰りたかった。施設に帰れば、カンカンに怒ったシュウとそれに「そうだそうだー!」と説教の合いの手をするユウゴがいるのではないか、そう思うと帰りたくない気持ちもあるが。
ベンチに向かうと、まだ友人は来ていなかったのでそこに座って待っていた。すると少ししてから、慌てた様子の友人がこちらに手を振って走ってきてるのが見える。
「わ〜! ごめん、結構待ってた?」
「いや、今来たところ」
「そう、良かった! ねぇ、ちゃんとご飯食べてる? 寝れてる?」
「うん、大丈夫。……それより、渡したいものって?」
ズル休みだとは言えないのでどうにか誤魔化すと、早速それについて話を振った。すると友人はハッとして目的を思い出したのか、手に持っていた紙袋から一枚の写真を取り出す。
それは所謂ブロマイドと言うやつで、グローブをつけてポーズを決めるボクサーが映っていた。
「ほら、これルナがファンだって言ってたボクサーだよね」
「え! そうだよ?! なんで……というかサイン入りじゃん!」
「兄貴が友達から貰ったんだけど別に興味無いらしくてさ、ウチが貰ったんだ! ルナが好きって言ってたの覚えてたから!」
友人は興奮気味のルナを見て、嬉しそうにブロマイドを渡す。貰った翌日渡そうと思っていたが、丁度ルナはその日から休んでいて渡せなかったらしい。いつか渡そうとずっと持っていたらしく、曲がらないようにケースにまで入れてくれている。
「あ、ありがとう! 凄く嬉しい!」
「ふふ、喜んで貰えてよかった」
「元気出たよ、本当に……! ああ、そうだ。そういえば誰から書類の話聞いたの?」
そういえばそれも聞かなければいけなかった。それを思い出してそう言うと、友人が話し出す前に、とん、と肩を叩かれた。
「こんにちはぁ」
「え!」
驚いて肩を跳ねさせ振り返ると、そこにはロリータ服を身にまとったフリルの塊のような女性が立っていた。急に現れたことやその格好に驚いたというのもあるが、何より彼女とルナは会ったことがある。
「貴女がルナさん? わたくしヒメカ・クインルと申しますものですわ。お久しぶりですわね」
「これはどうもご丁寧に……」
「ああ、最近友達になった子なんだよね、ヒメカちゃんは。書類のことも、この子から聞いたんだよ。というか、知り合い?」
友人はルナとヒメカを交互に見て首を傾げた。
知り合いと言っていいのかどうなのか、前にユウゴと行ったショッピングで肩がぶつかっただけの相手だ。あの時も目立つフリルの塊だったが、学校に来る時もそうらしい。優雅な雰囲気で、物語に出てくるお姫様のようだ。
教師から直接友人が聞いたと思っていた言伝は、恐らく間に彼女が入っていたのだろう。ヒメカとルナが友人だと勘違いした教師が、言伝を頼んでしまったのかもしれない。それででかい声でルナと電話をしていた友人と偶然出会い、その時にそれを伝えたのだろう。
「えっと、教授に聞いたら書類は家に送ったって……。どの教授から頼まれたんですか?」
「えっとぉ、誰だっかしら……? あれぇ?」
「ああ、でもこれから家に届くはずなので大丈夫ですよ。ありがとうございました」
「お役に立てず、ごめんなさいねぇ」
申し訳ないとは思ってなさそうな表情に苦笑いを浮かべつつ、ルナは時計を確認した。もう一時間は経っていて、またタクシーで移動して施設に帰るまでにあと三十分はかかるだろう。あまり長くなるとシュウや帰ってきたユウゴが気づくかもしれない。そう思って、ルナはわざとらしく両手で顔を抑えた。
「ル、ルナ? 大丈夫?!」
「ごめん……ちょっと思い出しちゃって……」
「ああっ、あんまり引き止めちゃ悪いよね! ごめんね」
心の中で何度も頭を下げて謝ると、ルナは具合が悪くなった振りをして帰ることにした。すると、ヒメカはルナの背を摩ってくれる。
「タクシーで来たのかしら? わたくし、送って行きましょうか?」
「い、いえ! 大丈夫です……!」
「そう? 遠慮しなくてもいいのよぉ?」
逆に送られると困るので、ルナは断って早めにその場から退散した。友人には後で再度お礼のメッセージを送るとして、ヒメカがあまりにもしつこいので僅かに駆け足になってしまう。心配している人に対して鬱陶しいと思うのは申し訳ないが、彼女は何も事情を知らないし、しょうがないことだろう。
ルナはタクシーを拾って施設の近くにあるコンビニを目的地として伝えた。近くのコンビニと言ってもそこでもかなり距離があるが、あまり近いところを人に教えたくない。そういったことは用心するようにユウゴにも言われている。
帰ったら叱られないか不安になりながら窓の外を見ていると──あることに気づいた。
後ろにある車が、ずっとルナの乗るタクシーを追っている。そう見えるだけかもしれないと思い、試しにタクシーの運転手に目的地はいいから次の角を曲がってくれと頼むと案の定後ろの車も着いてきたのだ。後ろを振り返ってしっかり運転手の顔を確認したいところだが、気づいていると分かると何か起こすかもしれない。
「(誰……? まさか──)」
ルナはここでいいと運転手に告げると、人気のない場所だったがそこに降ろしてもらった。相手が想像通りの相手だとして、探られているのは恐らくルナが拠点とする場所の在り処だろう。根絶やしにするためにはそこを先に潰すのがいい。
相手が油断すると予想して、ルナはより人気のない場所へ向かった。歩いて、歩いて。悟られないように一切振り返らず、ただただ歩き続けた。
そして────
「あーら、もしかしてこれバレちゃってるのかしらぁ?」
とうとう、痺れを切らした相手がルナに声を掛けた。
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