第6話 ズル休み
────四月。
教科書、筆記用具、ノート。鞄に道具をまとめると、ルナはそれを背負って時間を確認した。この施設は大学からかなりの距離がある。バスやらをいくつか経由しないと間に合わないせいで、いつもより早く出なければならなかった。もっと大学に近いところにあれば良かったのにと心の中で愚痴りながら、ルナは自室から出る。
「あれー、早いね。どこ行くの?」
「大学。あんまり休んでると単位落としちゃうから」
「へぇ、大学ね! ……ん? 駄目駄目!!」
階段を上り地上に向かおうとしたルナを止めると、ユウゴはずるずると部屋に連れ戻す。遊んでいる場合ではないが、扉の方へ向かえば立ち塞がられてしまった。右に逸れて出ようとすれば右に寄られ、左に逸れれば左に。反復横跳びの状態が暫く続くと、ルナは我慢ならないとユウゴに突進する。
「もうっ、退いて!」
「ちょっ、ちゃんと話を聞いてからにしてよ! 大学なんて待ち伏せするに丁度いい、多分襲われる!」
「オルヴァイスの人が、大学に?」
確かに、ウィルデバイスを使用すると周りの時が止まるようだった。どんな原理か、動ける人と動けない人の違いはなどと疑問は残るが、あれがあれば許可証無しに学校へ入るのもお手の物だ。が、流石に周りの時が止まっているのなら相手が居るとルナでも分かる。
「気づかれずに待ち伏せるのは無理よ。早く行かせて」
「えっと、あ! そうだ、勉強ならシュウに教えてもらいなよ!」
「えぇ……嫌よ」
確か頭がいいとか前に言っていた気がする。しかし流石に家具職人(仮)だった男が教授レベルの学力があるとは思えない。それに折角高い学費払って通っているのだ、辞めるなんてもってのほかである。
ルナがユウゴと言い争っていると、唐突に勢いよく半開きだったドアが開かれた。驚きに体を跳ねさせると、そこには不機嫌そうなシュウが立っている。
「騒がしい、何をしているんだ」
「聞いてよシュウ〜! ルナちゃんが大学行くって聞かないんだよ!」
鞄を持って出ようとしているルナの姿に、それが真実だと理解しシュウはため息を吐いた。なんだかこっちが悪者みたいだとルナが拗ねていると、シュウは腕を組んでルナを見下ろす。
「学生に扮したデバイス使いを、お前は一目で見破れる自信があるか? 敵相手に一瞬でも気を抜いたら、簡単に捕えられるぞ」
「分かってよルナちゃん、俺らは君が心配なんだ」
「心配ではなくこれは忠告だ」
なんでそんな言い方しか出来ないのだとユウゴがシュウを軽く叩いているのを見て、ルナは仕方なく鞄を下ろした。確かに、隣に座った人がデバイス使いだったとしても腕輪を見るまでは判別できないだろう。学歴があっても、命が無くなれば全て無駄なのだから。
「辞めはしないけど、長期の休みを取るわ……。今年の単位はもう駄目ね」
「オルヴァイスを壊滅させるまで不自由させるけど、みんなで頑張ろうね! えい、えい、おー!」
脱力してベッドの縁に座ったルナは、とりあえず早くオルヴァイスを潰さないとこちらの生活が危ういことを改めて実感した。いつ身近な人や家族に手を出されるか分からないし、この二人の作戦に全力で乗っかって早急に壊滅させるしかないだろう。
「壊滅って言うけど……私達って具体的どうすればいいの?」
「我々の目的は組織の研究施設に向かう事だ。だがそこに到達することをボスや幹部が許すはずもない。お前らはそれらを一掃して、施設へ向かう一本道を作って欲しい」
「場所は大まかに分かってるんだけど、現状戦力差のせいで近づくの無理なんだよねー」
場所が分かってても壁が厚くて侵入できない、そのためにルナとユウゴが戦って壁を破壊する。そして一本道を作れと言っているのだから、最終的にシュウが施設に辿りつければ何か作があるのだろう。デバイスを作る工場でもあって、シュウならそれを止められるのかもしれない。
「施設で貴方は何をするの? 根本的な解決法は?」
「……追い追い話をする。今話したところで、情報量に混乱するだけだ」
「じゃあ必要になったら話してくれるのね?」
念を押すようにルナがしっかりと見つめると、シュウは「ああ」と小さく返事をして部屋を後にした。確かに彼の言う通りかも知れないが、作戦の詳細を知らないというのはやはり不安である。何か知らないのかとユウゴへ視線を向ければ、彼は首を横に振った。
「シュウってさ、絶対に自分の過去のこと話してくれないんだよね。だから、作戦にそれが関わってるんだと思う」
「全て話せとは言わないけど……いつか言ってもらわないと困るわ。オルヴァイス壊滅の目標は、私たちのものでもあるのだし」
正直ルナはレアートの真実さえ知れればそれでいいのだが、幹部達がそれを簡単に話すとは思えない。恐らく彼の職場であった研究施設なら、資料などが残っている可能性がある。ルナにとって組織を潰すことはついででしか無いが、ユウゴのことを思うと真剣に助力した方がいいようにも思えた。
「……貴方の弟さんも、その施設にいるの?」
「恐らく、ね。でもどこに居たって絶対見つけるよ。……ほら、俺お兄ちゃんだからさ、守ってあげないとね!」
一瞬暗い表情をしたユウゴだったが、誤魔化すようにすぐに笑顔を見せた。彼が悲しい表情をしたのを見たことがなかったが、いつもの笑顔を崩してしまうほどに弟のことが心配なようだ。それほど大切で、愛しているのだろう。
「私にも……妹がいるのよ」
「あ、サリファちゃんでしょ? 知ってる知ってる!」
「…………私の事調べたのかもしれないけど、今は知らん振りする所じゃない? 普通は……」
一人でしんみりしてしまったことを後悔しながら、ルナはユウゴを部屋から追い出した。今日は大学には行かないし、早めに連絡をした方がいいだろう。スマホを取り出して、緊張しながら電話をかける。適当に理由をつけて職員を言いくるめると、電話を切ってぽんっとスマホを投げた。
「はーっ、ズル休みしちゃった……」
ヤバい組織に狙われてて命の危機、なんて言っても信じては貰えないだろう。レアートは表上、部屋で自殺したとなっているらしく、そのショックで精神を病んだことにしておいた。実際は復讐に燃えて今すぐ幹部とボス共を血祭りにあげたい元気があるが、出来るだけ弱々しい演技をして同情を誘う。結果、長期休養のOKサインである。
オルヴァイスからアクションを起こさない限り、平和な日々が過ごせるだろう。設備は充実しているし、家事全般はシュウがやってくれる。美味しいご飯もシュウが用意してくれるし、そうなるとユウゴは普段何をしているのだろうか。
「ルナちゃーん、朝ごはんできたってー」
「はーい」
ご飯は決まって共有スペースで食べるのだが、本当にただの平和な家庭みたいだ。ユウゴの台詞に馴染んだように返事をしてしまい、ルナはなんだか恥ずかしくなった。
テーブルに並べられた数々の皿に、美味しそうな食事が乗せられている。見れば見るほどシェフが何処かに潜んで料理をしてくれているのではと疑いたくなるが、実際にキッチンでシュウが作っているのを何度も見ていた。家具職人やら料理人やら、全く前職が不明な男である。
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
席に着いてユウゴと手を合わせ食べ始めると、シュウはそれを確認してキッチンでコーヒーを入れ始めた。シュウがいつも座る席には、この美味しそうな料理の乗った皿は用意されていない。この施設に来て何度目かと数えるのもバカバカしい程慣れたことだが、ルナは我慢できずに一度フォークを置いた。
「シュウ、貴方またソレだけで済ますつもり?」
「なんだ、文句でもあるのか」
「あるわよ! 毎度毎度私達にだけご飯あげて、貴方がもの食べてるの見たの料理中の味見ぐらいなんだけど?!」
シュウはいつ物を食べているのか不明で、もはや何も食べてないと言っても過言では無い程に何も口にしていない。ルナが見る限りだが、この施設来てもう一週間は経つがシュウが物を口にするのは言った通り味見ぐらいだ。
文句など屁でもないと言わんばかりにコーヒーを一口飲んだシュウは、ユウゴへ視線を向けた。あとは任せた、そう言いたいのだろう。
「え、えっと……シュウって凄い少食でさぁ」
「少食ってレベル?! コーヒーしか口にしてないじゃない! コーヒーで動いてるのこの人は?!」
「はいはい、クールダウン。俺も何度も言ったけど『問題ない、現に動けている』って聞かなくて」
確かにシュウが体調を悪そうにしている所は見たことないが、いやしかし、とルナが頭を悩ませている間にシュウは自室へ戻ってしまった。ユウゴが言うには自分の部屋でなにか食べてるはずだが大丈夫、らしいが食料の減り具合がどうにもおかしい。飲み物を取るために冷蔵庫を何度も開けているが、三人分の食料があるようには見えなかった。
「ユウゴ、まさか貴方も少食……じゃあないわね」
「今まで一緒にご飯食べてきて分かるでしょ? 俺結構食うよ」
「そうよね……。ハッ! もしかして食費が足りなくて、ユウゴと私に食べさせる分しか無いとか……?!」
しかしルナが来る前から少食だと言うので、その可能性は低いかと安心する。
自分勝手で人嫌いのシュウだが、衣食住はきちんと与えてくれるし、大人としてはまだ学生のルナに対してしっかり接してくれている。夜更かししようとした時に母親のように叱ってきた時は驚いたが、彼なりに責任を持ってくれているのだろう。
「シュウも変な人だけど、思えば貴方も相当よね」
「このエビフライめっちゃ美味しい!」
「はぁ……分かった、何も聞かないわよ」
雑に話を逸らされたので諦めたルナは、ユウゴが美味しそうに頬張っているのを見て自分もエビフライを一かじりした。サクサクの衣に身がしっかりとしている海老。程よい酸味が効いたタルタルソースが、二口目を誘っている。
正体不明のフード男、普段何をしているか分からない能天気男、そしてそこに仲間入りしてしまった恋人を殺されたルナ。なんともまあ奇妙な集団だと、ルナは自嘲気味に笑った。
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