第1話 復讐のはじまり

果たして自分が人殺しになれるのか。全ての罪を背負える強さがあるか。そんな事、今のルナにはどうでもいいことだった。

怒り、悲しみ、憎しみ。その気持ちだけでルナは前を向く。

対して、男は愉快そうにルナを眺めた。


一歩大きく踏み出し男に向かうと、鳥肌が立つ。男に走るその一歩一歩がとてつもなく恐ろしく、距離を詰める足に幾つも枷を嵌められているようだった。

殺意を込め突き出したルナのナイフを、男は手に持つ斧で受け止める。強く込めたその力は跳ね返され、よろけた体を立て直し一歩距離を開けた。


こんな大きな斧を振り回す男に、力で勝てるはずがない。

考えて戦わなければいけないとルナは気づかれないように周りを見渡した。何の変哲もないマンションの一室。ただの人間を一瞬で無敵に出来るものなどない。


「あ、そう言えば俺遊んでる時間無いんだった……残念だね、ちゃっちゃと終わりにさせてもらうよ」


男は斧を片手に、空いた手をルナに伸ばしナイフを払い飛ばした。武器を失ったことに動揺したルナの首を掴むと、軽く持ち上げる。


「捕獲、これでOKかなぁ。まぁ死ななきゃ大丈夫でしょ」


男は薄く笑う。首を締められ、足が床につかない状態のルナはバタバタと体を捩った。捕獲という事は最初から殺すつもりは無いのだろうと、 ルナは諦めるように体の力を抜く。

男は大人しくなったルナを見て殺してしまったかとその顔を覗き込んだ。ぐったりとして目を閉じたままだが、確かに脈はあり、気絶しただけのようでに安心する。


「ふー、ビビらせやがって……。よし、これで任務完りょ──ってッ!!」


完全に帰宅モードだった男は顔に強い痛みを感じた。──殴られたのだ。

目が取れたんじゃないかと心配になる程、容赦のない一撃に、咄嗟にルナを掴んでいた手を離す。

気を失った振りをしていたルナは、男の顔面に叩き込んで痛みの残る拳を軽く振り、男の隙をつきナイフを拾うとベランダに出た。

まだ時が止まった異様な空間。それを見ながらベランダの塀の上によじ登り、ルナは部屋の方を向きそこに立った。


「マジかこのクソ女……顔に一発叩き込むとかゴリラかよ。……そんで、次は何するのかな?」

「あんた、私の事捕まえられなかったら困るでしょ」

「そりゃあね、上のやつに怒られるから……うん。何されるか分かったもんじゃない」


ルナは一度後方を振り返る。マンションの7階、ここから人が落ちれば確実に死ぬだろう。鼓動が早まり、何度も自分が地に落ちて血を撒き散らす姿を想像してしまう。

男はルナが何をしようとしているのか察して、笑みを消した。そして、次に見せたのは焦りだった。


「冗談だろあんた……死ぬぞ」

「上司に怒られたくなかったら、止めてみなさいよ」


体の力を抜く。ふわりとした浮遊感に、早まった脈による気持ちの悪さ。武器を投げ捨て、焦って手を伸ばす男の顔を見て、ルナは僅かに笑った。


男は不真面目そうだが上司に関する話をした時、恐怖を抱いているような雰囲気を感じた。もしルナを生け捕りにする事を命令されているのなら、自殺のような真似は必死になって止めるだろう。

正直──ここで死んでもいい。そう思いながら、落ちていく事をルナは受け入れた。


そして、男は落ちかけたルナを身を乗り出しその腕掴んだ。重みでずるりと男も落下し、男はすぐにルナを片腕で抱えて抱き込むと逆の腕で塀を掴む。


「無茶すんじゃねぇよ!俺が助けなかったらどうなってた事や、ら……、ぁ、?」


自分を抱えた男の胸に、ルナは持っていたナイフを深く突き刺した。武器を持っていない状態の男、そして至近距離にいても攻撃されない状況。男は嵌められたことを理解し笑う。その衝撃で吐いた血が、ルナの服を濡らした。


「私と一緒に死んで」


激痛に塀から手を離した男をしっかりと掴み、ルナは男と共に落下していく。

自分が死ぬ事になってルアートは悲しむだろう、ルナは今更そんな事を考えていた。まさか心中相手がこのよく分からんホスト野郎なのも気に入らない。恐怖よりも、男に対する憎しみの方が勝っていた。

もっと苦しめて殺したかった、生きる事が嫌になるくらいに辛い思いをさせれば良かった。ルナの憎しみは底を尽きない。


「勝った気になんのは……まだ早いぜ……!」


男が天に向かって手を伸ばすと、部屋に置き去りにされた男の武器が空を舞いその手に収まった。これで切りつけるつもりかとルナが身構えると、男はルナをしっかりと抱えると何かのタイミングを図るかのように斧を振りかぶる。


「ッらぁ!!」


地面に衝突する少し手前、男はそこで地に向かって大きく斧を振った。地面が抉れる程の衝撃、そのせいで減速して、ルナを庇うように落下した男は死んではいなかった。

すぐに男からナイフを抜こうとしたルナの手を、男が掴む。


「もーあんたに武器は持たせない。いってーなぁ、もう! 正直舐めてたよ。でも俺らの頑丈さを侮ってたのが敗因だなぁ?」

「──くそッ!」


立ち上がり、ナイフを胸から抜いた男はそれを遠くへ投げ捨てた。逃げようともせずに男を睨みつけたルナの腹部に、拳が叩き込まれる。男は苛立ちに任せて、何度もルナを殴りつけた。


「がっ、ぁッ!!ぁあ゛っ!」

「痛い?痛いねぇ!」


おもちゃで遊ぶ子供のように楽しんでいる男の暴力は止まらない。どんどんと意識が遠のくルナは、殴り返そうと腕を持ち上げる。しかしもう力が入らない。どれだけ怒りや憎しみがあったとしても、それをぶつけられる程の力がルナには無かった。


しかし、ルナの願いはいとも容易く叶えられた。


瞬きの間に、目の前の男の心臓部から刃が突き出していた。目を見開き血を吐く男は、ゆっくりとルナを離す。強い力で捕まれアザになった手を摩り、さっきまで元気に生きていた男が絶命するのをルナは見つめた。


男が死ぬと刃はその体から引き抜かれる。どちゃりと血の海に落ちた男の体が真っ白に染まり、そして砂のように散っていった。その後ろには、人が立っていた。その手には剣が握られており、男を貫いた正体だ。

その剣は男が持っていた斧と同じで、半透明で表面に電子回路のような模様が浮かび上がっていた。違うとすれば色が水色だということだろうか。


「……何人来たって一緒よ、私は諦めないわ」


仲間割れが起こって助かったが、次はまた違うやつを相手にしなければいけないようだ。ルナは拳を構え、剣を持つ男を睨みつけた。


「強かだな、でも俺は敵じゃない」

「……じゃあ誰」


剣の男は、にこりと笑った。剣をその手から離すと、それは地面に落ちる前に散るように消える。


「俺はユウゴ。ユウゴ・トラセムだ、よろしく」


そう言った男、ユウゴはルナに手を差し出した。

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