[2-18]夜更かしの代償
なんでこんなことになってるんだろう。
眠気など吹き飛んだまま、ベッドの中でミスティアは就寝前の出来事を振り返る。
レイシェルと名乗ったヴェルクの知己が可愛らしい少女の姿をした男性だというのは、ヴェルクにもレイシェル本人にも聞いていたし、ミスティア自身も抱きしめられた時の感触でわかっていた、はずだった。
しかし実際、眼前にいるのはお洒落な
誘われるままにレイシェルの部屋へ入ろうとしたところを、追いかけてきたヴェルクに阻まれた。駄目だと言われて、確かにそうだと納得し自分の部屋へ戻ろうとしたら、今度はレイシェルが着いてきた。
「それなら、ボクがミストの部屋に行くね」
「待て、それも駄目だ」
「えぇーっ、ミストと見ようと思って、今夏の先取りファッションカタログを領主様から借りてきたのに!」
今夏の先取りファッションカタログ。ぐるぐる回るミスティアの思考に、魅惑的な単語が突き刺さる。
そういえば、兄が
基本、店頭に置かれるだけの非売品カタログをじっくり眺められるという誘惑は、ミスティアにとって
「今夏の先取りファッション、ぼくも見たい!」
「だよねーっ、ミストに似合いそうなワンピはチェック済みだよ! さ、行こ行こ」
透きとおような白い指で大判の冊子を掲げ、愛らしい少女がにっこり微笑む。開かれた紙面を飾るのは薄青の翼を広げた
「やだっ、それ、すごく可愛い!」
「でしょ? ベースはリネンなんだけど、リボンはシルクだから高級感あるよね。取り外して洗えるし、丁寧に染色してあるから色落ちもしにくいし! 領主様に言えばアレンジデザインを予約できるんだって」
「そうなの? 動きやすそうだし色も素敵だし、予約してから兄さんに聞いてみようかな」
「他にも可愛い新作出てるから、一通り見てみて決めようよ」
予約が可能なら、多少のサイズ違いもお直しを頼めるだろうから、フェリアに似合いそうな服があれば押さえておくのもありだ。あまり着替えを持っていないふうだし、プレゼントしたら喜んでくれるかもしれない。
わくわくと浮き立つ心で彼女を部屋へ招じ入れようとした途端、目の前でひょいとカタログを奪われた。驚いて見あげれば、怒った熊のようにヴェルクが
「ミスティアも、就寝前に、男を部屋へ入れるんじゃねえ」
「あっ……あ、そっか。でも、ワンピース……」
「ボクはミストと女子トークしたいだけなのっ。だって、皆は明日には帰るんでしょ?」
しゅんと
「いや、だって、二人きりは駄目だろ。絶対ミスティアのほうが先に眠くなるだろうし!」
「そこはわかってるよー。夜更かしするつもりもないし! そんなに心配なら、ヴェルクの部屋に行けばいいよね? ボクがヘンなことしないように見張ってたらいいじゃん!」
食い下がるレイシェルへ向けたヴェルクの目は頑なに見えて、駄目だと言われることを予想したミスティアの胸がきゅんと悲しげに鳴いた。しかし、顔を上げこちらを見たヴェルクは驚いたように目を
「あー、うぅー……、わかったよ。だから泣くんじゃねえよ……」
「泣いて……ないもん」
泣くようなことではないし、涙も流れてはいないはずである。しかしヴェルクの困惑顔を見るに、今の自分は相当泣きそうな顔をしているのだろう。
二人見合って微妙な空気になりかけたところへ、レイシェルがさっと割り込んだ。
「やったね! そうと決まったら時間を無駄にできないし、さくさく行こ」
「う、うん」
「おい、本当に夜更かしは駄目だからな」
今になって思えば、完全になし崩しだった。部屋に置いてあった大きく柔らかなソファに埋もれてレイシェルとカタログを眺める時間は楽しく、あっという間だったが、実際にはそれほど遅くまでいたわけではない。単にミスティア自身が、自分の
気になった新作を幾つか予約し、レイシェルのために
「ミスティア、眠いなら部屋へ送るか?」
「……ん、だいじょぶ。ちょっとだけ、横になる」
「おい、待てそこで寝るな! 抱えて連れてってやるから」
「んーん、ボクも眠くなってきちゃった。ヴェルク、あとは任せるねっ」
うん、と返す直前にレイシェルの声が割り込んだ。眠くて反応が遅れた自分と呆気に取られ見返したヴェルクに完璧な笑顔を向けて、彼女は素早くソファから立ち上がる。引き止める隙など見せなかった。
「お、おい! レイシェル……この、ふざけてんのかっ」
「ヴェルク……ぼく、小鳥になって
眠すぎて、思考も呂律も回らなくなってきた。今から部屋へ戻っても、真っ暗な中で灯りを探し冷えたベッドで一人きり眠るのかと思えば、気が進まない。きっと、砦へ来る前のように怖い夢を見てしまうから。
小鳥姿ならどこででも眠れるし、ヴェルクにも気まずい思いをさせずにすむだろう……と思ったのに。
「俺がソファで寝る。どうせ客間なんだ、ベッドはおまえが使えよ」
「ふみぁあっ!?」
不意に
先程まで世界が溶けそうなほど眠かったというのに、完全に覚醒してしまった。意識が明瞭になれば、自分が身を置いている状況を
未だかつてベッドから落ちたことはないが、寝ている間に上掛けを蹴り上げていたらどうしよう。変な夢を見たりして、うっかり寝言を口走ったら。そうでなくても、この
「ヴェルク、……もう寝ちゃった?」
そっと声を掛けてみるが、返事はない。仕方なく、いそいそと上掛けを被り横になってみる。砦に来てから毎日一緒に寝ていた妹の体温を隣に感じられないのが、ひどく心細い。
耳を澄ませてヴェルクのほうへ意識を向けても、寝言は愚か寝息すらも聞こえてこない。おそらく、いや間違いなく、彼は寝たふりをしているに違いなかった。
なんで、こんなことに。
夜更けとは言え、朝まではまだまだ遠い。一人で眠るベッドは広すぎて寂しいが、ヴェルクを招じ入れるわけにもいかない。
眠れる気などしなかったが、それでも暗くなれば睡魔がやって来るだろうと考えたミスティアは、翼をぶるりと震わせ上掛けの中へと潜り込んだ。
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